「眠り姫と五百人の小人たち」

 居間いまの空間のほとんどをめた、もうここで生活が成り立たなくさせる規模で部屋にあふれたそれは、数百に届くという大量のぬいぐるみたちだった。


 ひとつひとつは小さい物だ。生まれたての赤ん坊くらいの大きさで、二頭身の体形に色つきの髪、目鼻口、服と装飾そうしょくがあり、申し訳程度の腕と脚がついた単純な造型ぞうけいだ。子供でも少しがんばれば、一日の間にできてしまうくらいのものだろう。


 それが無数のたなという棚――壁に取り付けられ、天井からつるされた――だけでは収まらず、大勢の赤ちゃんがい回っているかのように床の一面に置かれている。

 空いているのは、テーブル周りと出入口、寝室につながる動線くらいのものだった。


 どれもこれもが、微笑ほほえむ表情を見せてちんまりと座っている。そのぬいぐるみたちの大軍勢を見渡して、フィルフィナが静かな微笑びしょうを見せた。


「――眠るお嬢様を寂しがらせないように、と、自分の似姿にすがたのぬいぐるみを作って、お嬢様の側に置く……。いったい誰が最初にいい始めたのでしたか……」

「忘れた」


 ニコルはそういって微笑んだ。


「これならぬいぐるみ屋が開けるよ。フィル、ここにいくつあるか、把握はあくしているかい?」

「していません。数えるのはあきらめました」

「――この部屋だけで、三百六十五体です」


 ロシュが一瞬で数えてみせる。誰もその数が間違まちがっているとは思わなかった。


「これだけあるのに、ひとつとして同じものがないというのは、手作りの成せる技、というべきなのかな。おっと、ここに王都警備騎士団がまとめられているね」


 天井から吊り下げられた二段の棚に、五十体のぬいぐるみが座らされているのを見上げてコナスはいった。かぶとかぶりり白い胸甲を着けた一団は装備は統一されていたが、顔はやはりまちまちだ。


 それらが占める棚には、小さな横断幕がかかげられていた。『宿敵・快傑令嬢リロットへ』という文言もんごんに二重の取り消し線が引かれ、下に『リルル・ヴィン・フォーチュネット嬢へ』と訂正書ていせいがきがされていた。


「わはははははは、洒落しゃれいてるねぇ」

「コナス様。王都警備騎士団を復活させていただいて、ありがとうございます」


 腹をかかえて笑うコナスに、ニコルは深々ふかぶかと頭を下げた。


「あそこも僕の古巣ふるすのひとつです。あつくお礼を申し上げさせていただきます」

「いやあ、だってあれだよ。快傑令嬢といったら、それを追っかけて返りちにう警備騎士団が必要だろう? 義賊ぎぞく官憲かんけんに追っかけられ、それを蹴散けちらしてナンボだからね、あはははは」

「その警備騎士団の一同の皆様がそろってお嬢様のお見舞みまいに見えられた時は、これはり物かと一瞬緊張きんちょうしました……お嬢様を逃がそうか全員をぎ払おうか、どちらにしようか迷ったくらいです」

「どっちにもならなくてホッとしたよ、僕は」

「わはははは」


 その時のニコルやフィルフィナのあせり様を思い浮かべてコナスは笑った。本当に愉快ゆかいだった。


「ははは。しかしこのぬいぐるみの山は、リルルちゃんの交友関係を表してもいるわけか。僕の知らないリルルちゃんの顔、というべきかな」

「この辺りはリルルが寄付きふしていた孤児院こじいんの子供たちですね。そして、コナス様の足元には」

「これは島の子供たちかな。人間と亜人あじんの子供たちが仲良くしているね。こちらは青年も多いな」

「そちらは東の平民の住宅区域、僕が生まれ育った街の仲間たちです」

「では、幼なじみということになるのか。だからリルルちゃんに形式張けいしきばったところがないんだね」

「それについては、このメイドの教育不足によるところが大きいかと」

「いやいや。人間も亜人も魔族も全く分けへだてしないのがリルルちゃんのいいところだ……っと、気安くちゃんづけで呼んでるけれど、ニコル君は不快ふかいではないかい?」

「リルルはコナス様を、信頼できる小父おじ様のような感じで見ていたのだと思います。それに、元婚約者こんやくしゃでもあられますし……」

「そんなこともあったねぇ、忘れてた。いやあ、婚約が成立しなくて本当によかったよ」

「それではコナス様、お嬢様にお顔を……」

「ああ」


 ぬいぐるみたちの列に見守られるように、フィルフィナを先頭にして四人は寝室のとびらまでを歩いた。フィルフィナが扉をノックし「入ります」とげる。


 返事はない。


 それが四人に一抹いちまつ物悲ものがなしさを覚えさせる中、扉は開かれた。



   ◇   ◇   ◇



 寝室もまた居間と同じように、大量のぬいぐるみに占拠せんきょされていた。

 天井から吊り棚がいくつもくさりで吊され、やはり壁という壁に無数の棚が取り付けられている。その全部をぬいぐるみが座って占領し、無言で微笑み続けていた。


 部屋の真ん中、やや扉よりには、寝台を直接見せないための衝立ついたてが立てられている。その向こうから、静かに寝息を立てる気配があった。


「ああ、ここもぬいぐるみでいっぱいか。少しばかり余裕があるくらいだねぇ」

「本当は全部この寝室ひとつで収めたかったのですが、無理でした。わたしがお嬢様をお世話するための空間も確保しなければなりませんし……」

うれしいことじゃないか。これだけの人々に愛されているんだ」


 居間よりも少し狭い寝室、衝立からはみ出している部屋の光景だけでもかなりの数のぬいぐるみがあふれていた。


「本当に、リルルはたくさんの人に愛されています。島のみんなならラシェット先輩、アリーシャ先輩、エヴァ、ジャゴ爺さん、ソフィア祖母ローレル、イェガー、アヤカシ様……その他、名前を言いつらねれば時間が足りなくなるほどの、大勢のみんな……」


 ニコルは視線を棚から棚に転じた。


「こっちの棚は王都にいる方々……ウィルウィナ様、クィルクィナ、スィルスィナ、お母様エメス夫人、お医者様のノワールさん、ああ、シーファさんにメイリアさんも来てくれた。ミーネさんもいます。お蕎麦そば屋台主やたいぬしさんも。虎獣人とらじゅうじんのティーグレに、メリリリア様ですか、こちらは……」

「これでもまだぬいぐるみを作ってくださっている途中とちゅうの方も結構多いのですよ」

「ふむふむ。じゃあ僕も、席が埋まりきらないうちに出してしまおう。えーと」


 コナスは背中のふくらんだ背負せおかばんを開け、数個の白い袋を取り出してそれぞれをニコルに渡した。


「ああ、この大きいのはコナス様ですね」


 ひとつめの白い袋から中身を取り出すと、他のぬいぐるみに比べて二倍は膨らんでいる大きさの、コナスをしたぬいぐるみが出てきた。まるまるとした顔と体つき、子供っぽい服で柔和にゅうわに笑っている。


「ちょっと大きすぎたかな? これじゃ目立つねぇ」

「いえいえ、コナス様は大人物でございますから、これくらいがちょうどようございます」

「それもそうか。それに僕は分厚ぶあついからね!」

「このお三人は、快傑令嬢リロット同好会の……」

「そうそう。僕の得難えがい友人たちさ。僕が貴族や王様と知っても態度を変えもしない、きわめて無礼ぶれいかつ、愛すべき三人だよ。持つべきものは友だという言葉が身にみるね」

「そして、最後のひとりは……」


 ニコルは、白いマントで身をくるみ、つるりとした白い仮面を顔にめている、白い髪のぬいぐるみを目にして一瞬、硬直こうちょくした。


「それが誰かはわかるだろう、ニコル君」

「はい。――カデル・ヴィン・ヴォルテール……」

「ああ…………」


 フィルフィナはその名に、細く長い息をいた。

 カデル・ヴィン・ヴォルテール。

 かつてれっきとしたエルカリナ王位継承権けいしょうけんを持っていた、ヴォルテール大公家たいこうけ末裔まつえい


 二百年前の『事件』により、正統せいとうであった血筋ちすじ傍流ぼうりゅうに取って代わられ、自らこそが正しきエルカリナ国王なのだとうらみのやいばぎ、エルカリナ城の地下深くに眠る『力』をよみがえらせて挑戦してきた、少年の姿をした男の名――。


「今は、コナス様の影となって王国の運営を……」

「ああ。僕は実務じつむはからっきしだから、彼に大いに助けられているよ。彼こそがこの国の影の王だといっても差し支えない。毎朝顔を合わすたびに王の座を替わってくれないかとお願いしているんだが、がんとしてことわられているんだ。僕は早く本業に専念せんねんしたいんだけどね」

「そうですか……今は、この仮面をかぶって」


 巨城と巨竜が合わさった威容いよう城塞竜フェスドラグーンを駆り、その力を持ってして地上を征服しようとしたが、快傑令嬢リロットとフィルフィナに立ちはだかられ、敗北した。

 万策尽ばんさくつきて死を受け入れたところを、リルルの『生きてつみつぐなえ』という言葉に震え、たったひとつの脱出だっしゅつ手段をリルルにゆずり、ほろび――。


「このマントと仮面、はずれるようになっていますね……」

「いつかは外す時が、外せる時が来るということだろうね。――彼も可哀想かわいそうな男だった。母からエルカリナ王国へののろいの歌をかされて育ったんだ。僕の母も似たようなものだったが……」

「お嬢様は、彼をゆるしていました……最後に全てをいていたと」


 ニコルからカデルのぬいぐるみを渡されて、フィルフィナはその頭をひとつ、でた。


「だからこそ、コナス様と一緒によみがえることができたのでしょうね。――そういえば、コナス様、あの鬼母おにはは……いいえ、母上はどうなされたのですか?」

「ああ、あれのことかい」


 フィルフィナの意図いとした失言しつげんもコナスは平然と聞き流した。はたにいるニコルがあせったくらいだった。


「領地の山奥に隠棲いんせいしてもらってる。これでベクトラル家の天下だとか、もううるさいんでね。そこでずっと余生よせいを過ごしてもらうつもりだ」

「それがようございましょう」

「今思うと、何故あの母のいいなりになってたのかわからないよ。早くこうしていたらよかった」

「母親は、くさっても母親でございましょうから……。では、このご一同が座られる場所は……コナス様のメイドさんたちの上にしましょうか」

「そこをけていてくれていたとは、やはりフィルフィナ君はできるメイドだね」

「当然でございます」


 フィルフィナは無い胸を張り、鼻を鳴らして見せた。


「話はきないものだね。では、リルルちゃんのお顔を拝見はいけんしておいとまするとしよう――失礼」


 フィルフィナが一歩下がり、コナスは衝立の裏に回った。ニコルとロシュがそれに続く。

 衝立でかくされていた寝台が、コナスの目にあらわになった。


「やあ、また来たよ、リルルちゃん。ご機嫌いかがかな――」


 コナスは満面の笑みを作って、寝台の上でやわらかい枕に頭を沈め、あたたかい布団にくるまれて眠る少女を見下ろした。

 胸に四つのぬいぐるみを抱き、その口元に微笑を作っているリルルが、おだやかな寝息を立てていた。

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