「新国王の華麗なる午前・その三」

 エルカリナ城内に設置せっちされた全ての時計たちが、午前十一時を知らせるかねを打ち鳴らした。


「おっと、もうこんな時間か」


 執務室しつむしつの奥まった机で、山と積まれた書類に判子ハンコを押す作業に没頭ぼっとうしていた男は、最後の書類に押印おういんすると席を立った。同時に執務室に入ってきた五人のメイドたちが、機械的な動きで机の上をテキパキと整理してあっという間に片付ける。


「申し訳ないが、僕はこれで失礼するよ。今日も大事な仕事があるんでね。みんなはがんばってくれ。よろしく頼むよ」


 じゃあね、と手を振る男に官僚かんりょうの一同は『お疲れさまでした』と声をかけ、メイドたちを引き連れたその姿が部屋を出て行くのを視線で追い続けた。


「どんなにいそがしくてもこの時間に上がられるな、陛下は」

「いや、元々国王陛下が一官僚みたいにこの部屋で書類仕事するっていうのがおかしいんだ」

「大事な仕事か……俺たちには想像もできないんだろうな」


 官僚たちはふう、と息をいてから自分の仕事に戻った。今日もラミア列車の最終発間際まぎわまで、書類との格闘が続くだろう。


 そんな戦場を後にし、男はいったん自室に戻る。

 戻るやいなやシャツとズボンを脱ぎ捨て、代わりの衣服をメイドたちがあてがうように黙々もくもくと着せ始めた。


「今日も行くのか」


 ノックもなしに国王の居室きょしつの扉が開かれた。その時には、男は紺色こんいろのベストにボタンのない上着、よれよれのズボンという、おおよそ国王どころか貴族にも見えず、紳士しんしに見られることすらむずかしそうな緩い格好に着替きがえていた。


「ああ。副業は終わったんでね。これから本業だ。それはそうと、この格好はどう見える? 国王に見えるかい?」

「立派な高等遊民ニートという格好だ。少なくとも国王には絶対見えない」

「そりゃよかった。そうそう、法務大臣はどうなったんだい?」

「納得はさせた。多分こちらのいうとおりに動くだろう。お前にしては強引な手段だったな」

「時間がないんでね」


 メイドたちが一礼する中、帽子ぼうしかぶり、カバンとステッキを手に持った男は部屋を出た。そんな男の影となったように、少年の背丈せたけしか持たない白い仮面の男がひっそりと付きしたがう。


「あとの面倒臭いことは頼んだよ」

「……私に国王代理人なんぞさせて、不安にならないのか。お前を失脚しっきゃくさせるかも知れんぞ」

「失脚させてくれるのかい? ああ、今からでもお願いするよ。命さえ保障ほしょうしてくれたら自分から失脚してもいいくらいだ。別に僕は国王なんかになりたくなかったんだ。でも、僕しかいないっていうんだからさあ……」

家格かかく的には申し分ないからな。お前が最適任だ」

「人格的にはどうか知らないけれどね。君だって、家格という意味では同じようなものじゃないか。エルカリナ王国国王の座への執着しゅうちゃくは、本当に消えたのかい?」

「私は到底とうてい、国王の座に……いや、人の上に立つようなうつわではない……」


 仮面の奥の目が、悲しげにけむった。


「私は思い知った。人の上に立つ者に本当に必要なのは、優しさなのだということを。人をなわり上げるのではなく、手ですくい上げることが肝要かんようなのだと。私の手は、人をすくい上げるには小さすぎる。それに、私のような大罪人たいざいにんの光の下に出るべきではない……」

「君も生き返ったということは、彼女・・ゆるされたということだろう? 君が起こした事件で死んだ者たちも生き返ったみたいだし、もう責任を感じることもないんじゃないのかい」

「私が殺した者たちが生き返ったとしても、私がその者たちを殺したという行為そのものの事実は、なかったことにはならない」


 冷徹れいてつな目の光を見せて、仮面の下で男はいった。


「私はこの罪を一生背負せおう。忘れることはない」

「――そうか。まあ、早々になかったことにしてしまうよりはいいと思うよ。しかし従兄弟いとこ殿、いつかは自分を赦さないといけない。そうでなくては前に進めないよ」

「ああ……そうだな……そうでなければ、彼女・・に合わせる顔がない……」


 白い仮面の男は、手に持っていた包みを男に差し出した。


彼女・・にも会うのだろう。持っていってくれ」

「ああ、これはあれか。――確かに預かったよ。君のことも彼女・・に報告しておこう。きっと喜ぶよ」

「頼んだ……」


 男たちは縦にならんで階段を下り、五階で別れた。白い仮面の男は執務室におもむき、男は階段を下り続ける。


「なんだ、貴様! そんな緩い格好で王城をうろつくとは怪しい奴! 顔をよく見せ――――こっ、これは国王陛下!? ま、まま、ままま、真に申し訳ありません!」

「ああ、任務ご苦労だねアーステ君。これで三回目かな? いや、いいんだいいんだ、恐縮しなくて。これからもあやしいと思ったらバンバン誰何すいかしてくれたまえ。それが君の仕事だ。いいね」


 若い兵士の肩をポンポンとたたき、男はその後も数回の誰何を受けながら階段を下り続け、王城の外に出た。

 そのまま、おかに刻まれた二百段の階段を弾むような足取りで降りていく。上機嫌に鼻歌を歌う中年男を見て、ちがった人々は一様いちようまゆをひそめ、首をかしげていた。


 王城の周囲にはラミア列車の乗り場はない。男はスタスタと南に向かって歩いて政庁街せいちょうがいにの大交差点に入り、東西系統のラミア列車の乗り場まで足を運んだ。

 乗り場に作られた列の最後尾さいこうびに着くと、間を置かずに東行きのラミア列車がやってくる。


「はい、百エル。今日も変わらずお綺麗きれいだね、ゼ・ラ・ウィマさん」

「毎度ご乗車ありがとうございます」


 濃紺色のうこんしょくの制服に上半身を包んだ巨大ラミアが営業用の微笑みスマイルを浮かべ、なにもいわれていないのに乗り換え切符を差し出した。男は満面の笑みでそれを受け取り、帽子ぼうしを浮かべて紳士しんしの礼をしてから、巨大ラミアがいている車両に乗り込んだ。


 座席はすで八分はちぶまっていた。男は横に広い体を窮屈きゅうくつさを覚えながら席に押し込む。

 ラミア列車は東に向かって走り出す。窓から男は市街しがいの景色をながめ、薄いガラスに重い息をきつけた。


「もう、すっかり元通りか」


 ラミア列車が進む王都の大通り――半月前までここをくしていた避難民ひなんみんの気配は全てなくなり、王都に集められていた人々も故郷に戻った。

 焼かれる以前の姿に戻ったそれぞれの故郷こきょうで、冬を越し春をむかえるための準備にいそがしいことだろう。


 王都は、王国は日常を取り戻していた。今までと変わりえがなく、退屈たいくつで、かぎりなくいとおしい日常を。

 あの攪乱かくらんは全て夢だったと耳元でささやかれれば、信じてしまいそうなくらいだった


「春か……あと一ヶ月と少し、この寒いのを耐えたら、暖かくなるんだねぇ」


 大運河の手前、政庁街最後の駅でラミア列車は停車する。

 役所に用があった人々が大勢乗り込んできて全ての席が埋まり、座れなかった客がつり革を握って席と席の間に並び始めた。ぼんやりとその様子をながめていた男は、一人の老婆が空席を探しながら歩いてくるのに眼を止めた。


「やあ、おばあさん。こちらにいらっしゃい。席をおゆずりするよ」

「ああ、すみませんねぇ、ありがとうございます……本当にご親切なことで……」


 腰が曲がってしまっている高齢こうれいの夫人だった。服装は乱れてはいないが、お世辞せじにも上等とはいえないその生地きじからまずしさの気配がただよってくる。だが、着ている本人の上品さもまた同時ににおってきた。


「失礼だがおばあさん、そのおとしいはないのかい?」

「……夫にも、子供にも早く先立たれましてねぇ。今は細々ほそぼそと年金暮らしでございますよ。ですが……」

「ですが?」

「いいえ、この先は、他人様ひとさまにお聞かせするようなお話では……」

「ふうむ。邪推じゃすいして申し訳ないが、その年金ではもう暮らしがきつくなって役所におうかがいを立てにいったら邪険じゃけんに払われた、そういうことかな?」

「……よくある話ですよ。ですがもう、たよれる身内も友人もなく、それでいて命はしぶとくておむかえはなかなか来ません。明日の朝にでもぽっくりけていたら、どんなに楽かと……」

「おばあさん。僕の目にくるいがなければ、あなたはとても真面目で善良ぜんりょうな方だ。そんなあなたにささやかなおくり物を差し上げよう」

「……こういうのもなんですが、もう私にはお金がなくて、だまされて差し上げてもよろしいんですが、そんなに実入みいりにはなれないかと……」

「ははは、僕は詐欺師さぎしじゃないよ。――御婦人ごふじん、暮らしが立つなら、お住まいは王都でなくても構わないかな?」

「ええ、もう、そんな贅沢ぜいたくをいえる身分ではございませんからねぇ」

「それはよかった」


 男はふところからペンと帳面ちょうめんを取り出すと、達筆たっぴつな字でさらさらと文面をつづった。『この文面を持参じさんした御婦人の、メージェ島移住を可能なかぎすみやかに実現すること』と書かれた文面の末尾まつびに、右手の指輪にめ込んでいる国王の判子ハンコを押した。


「これをお住まいの最寄もよりの役所の福祉課ふくしかに提出なさい。僕は信用できなくとも役所は信用できるよね」

「なんと書いてあるんですかねぇ? 今メガネをこわしていて、字も読めなくなってるんで……」

「ああ、目もお悪いのか」


 男は文面に『不足している物品の補助ほじょも行うこと』と書き足した。


「これは魔法の切符だ。あなたを幸せにしてくれる。いいね、帰る前に提出するんだよ」

「あなたはどういう方で……?」

「僕はこんな身なりをしているが、実は福祉課の役人なんだ。実地で困っている人がいないかどうかを調査している。運が良かったね、おばあさん。冬の王都は寒くてご老体ろうたいにはこたえる。暖かい場所でのんびり過ごせるよ」

「はぁ……」


 首をかしげ傾げしながら、老婆ろうばは大運河を越えた先の停車場で降りていった。男は老婆があたためていた席に着き、再び列車の揺れに身を任せる。

 数度の停車ていしゃて男は住宅区域の大交差点で降り、今度は北行きのラミア列車に乗り換えた。


「やれやれ、通勤・・は時間かかかるねぇ」


 太陽が真上に差し掛かった頃、ようやく目的地の最寄りの停車場、最北端さいほくたんの終点で男は降りた。平民住宅街の大通りから路地ろじに入り、建物の間をまっすぐに迷いもなくスタスタと歩いて行く。


 やがて、男はひとつの小さな商店――特になにか売り物を陳列ちんれつしているわけでもない店の前にたどり着いた。

 薄暗い店の中には客の一人もおらず、繁盛はんじょうしている気配は全くない。みがくのも面倒臭めんどうくさいのか、半分よごれた看板かんばんにはかろうじて『葬儀屋そうぎや』の文字だけが読み取れた。


 男はその前で、立ち止まることも足をにぶらせることもなかった。勝手知ったる自分の家といわんばかりの気軽さで、一切の躊躇ちゅうちょも見せずに店内に入っていった。


「やあやあ、こんにちは、お邪魔するよ」


 声をかけるだけで返事も待たず、店の奥に通じるとびらを開ける。

 広い物置といった感じの部屋には煌々こうこうと灯りがともされ――かべという壁にられた色鮮やかで大きな貼り紙が、店先より数段も明るい雰囲気ふんいきかもし出していた。


 壁の一面を彩っている無数の貼り紙、そのどれもこれもが、広い帽子ぼうしかぶったドレス姿の少女たちをえがいたものだった。

 そんな、異様ともいえるはなやかな部屋の奥に座っていた三人の男たちが、突然の闖入者ちんにゅうしゃを待ち受けていたかのように笑顔で立ち上がり、全力のみ手でむかえた。


「いやあ、これは国王陛下、こんなむさ苦しい所に御御足おみあしをお運びいただき、恐縮でございます」

「本日もとてもご機嫌麗きげんうるわしいご尊顔そんがんはいたてまつり、恐悦至極きょうえつしごくでござる」

「ささ、陛下、玉座ぎょくざにお座りになるなりな。肩でもおみするなり」

「あのねぇ」


 上座かみざである椅子いす――どこの家庭の食卓しょくたくにでもあるような背もたれの高い椅子がたくさんの色紙でざつかざり立てられ、『ぎょくざ』と札が立てられたふざけた席を一目見て、男が苦笑いした。


「もうそのネタは三回目だよ? 同じネタをり返されるのは笑えないんだよ、まったく」

「じゃあがすか」


 ハンチングぼうを被った背の高い男が、椅子の飾りを一挙動でベリベリと全て取り去った。


「それにいってるだろう。僕はここでは国王陛下じゃないよ。伯爵・・だよ」

「そうでござったな」

「じゃあデブの伯爵、上座に座るなりよ」

「ありがとう」


 中肉中背、そして小柄こがらな男の二人に引かれた椅子に、男は当然という顔をして座った。


「いやあ、ここは心地ここちがいいねぇ。生き返った気分だよ」

「本当に生き返ってんじゃねぇか」

「あの葬儀そうぎの時に流した涙を返してほしいでござるよ」

「今度伯爵が死んだ時は絶対に泣いてやらんなりな」

「まあまあ、そのことはいいじゃないか。――さて、始めようか。『快傑令嬢リロット同好会サークル』の定例議会ていれいぎかいだ。本日の議題は色々あるけれど、やはり最重要はこれだね。この一週間で現れた三人目、『快傑令嬢ロシュネール』の謎についてだよ。さあ、みんなの報告を聞かせてもらおうか」


 エルカリナ王国国王とは世を忍ぶ仮の姿、その正体は『伯爵』という秘匿名コードネームを持つ『快傑令嬢リロット同好会』の会長、コナス・ヴィン・ベクトラルが満面の笑みで告げた。

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