「新国王の華麗なる午前・その二」

「大陸縦断道路は真剣に検討した方がいいよ。最低限でも王都と北方はさ。いくら海運が効率がいいとはいえ、地形的に遠回りで距離があるんだよね。大型馬車ですむような小口の輸送や、人の往来なんかはこっちの方が有利だよ。必要な費用ひようや人員なんかの概算がいさんをしておいてね」


「メージェ島との定期航路の需要がいようの予想は弾き出せたかい? あの島は観光地として魅力みりょくがあるんだから、王国の資本しほんでホテルなんかを作っておくべきだよ。向こうの国王とは僕が膝詰ひざづめで話をしておくからさ。国も税金を取るばかりでなくて、自分でかせぐ方法を模索もさくしないとね」


「フォーチュネット伯爵との交渉こうしょうはまだやってないのかい? 彼が腕利うでききの実業家だっていうのは知っているだろう? これから彼が本格的に小麦の生産に取りかかるんだ。きっとびっくりするような成果を見せてくれるよ。あの小麦を独占どくせんして王国印をつけて売ったら、それはもうかると思うね」


「――また、即位式そくいしきの話かい?」


 男は不機嫌そうにしか見えないその顔立ちを、少しだけではあるが本当に不機嫌にして見せた。


「はい! こちらの話こそいい加減、優先していただかねばこまります!」

「でもねぇ」


 この執務室しつむしつで働く数百人の官僚かんりょうの中でもいちばん年かさではないだろうかという初老しょろうの男が、不退転ふたいてんの決意を顔のシワに隠して国王の前に立ちはだかっていた。



「――自分でいうのも悲しくなるけれど、こんな不細工面ぶさいくづらの国王が頭に王冠おうかんせるだけの式典しきてんに、こんな桁外けたはずれの予算が必要なのかい? いや、そもそもそんな式典を見たいという者がどれだけいるんだい? 見物客が来なくて閑散かんさんとしていたら僕、泣いちゃうよ?」

「いいえ、陛下は、ご自身で思われているほど不人気ふにんきではありません! その…………笑われると、とても|

人懐ひとなつっこい素敵すてきな笑顔をなされます!」

「こんな感じかい?」


 男は顔の全部で笑って見せた。直線的な目とまゆ、鼻や口元の線がくにゃあと曲線を作って、一瞬で正反対の印象を帯びる表情に変えた。


「――あれだよ、あれ。不意打ちであれ食らってみろ、たいていオチんだろ」

「あたし、陛下が笑われるまでこんな無愛想ぶあいそうな人見たことないと思っていたけど、あの笑顔見たら、なんて可愛い人なんだってびっくりしたから……」

「反則だよな、マジで」


 奥の席のやり取りをチラチラと見ている若い官僚たちが、ひそひそと言葉を交わしていた。


緊縮財政きんしゅくざいせいやるつもりはないけれどね、かといって無駄遣むだづかいもするつもりもないよ」

「ですが、エルカリナ王国の体制が今、心機一転しんきいってん改められたことを示すには、やはり式典が……」

「ふうむ」


 男はあごに手を当てて考えた。小気味いい調子で判断と指示をり返してきた男にしては、めずらしい長考ちょうこうだった。


「――なら、この条件がつけばついで・・・に即位式をやろう」


 男は突き付けられた企画書の題名に、ペンでなにかしらを書き込んだ。


「こっちの方が人気は絶対に出ると思うから、抱き合わせで即位式をやっちゃってもいいよ」

「抱き合わせですか……」

「別々にやるより費用も節約になるしさ。まあ、いつになるかは未定なんだけれど。今はこれで納得してくれないか。予算は浮かしておけばいいよ」

「はぁ……」

「これで要望がある人は終わりかな? じゃあ、次は僕からの番だ――至急しきゅう、法務大臣を呼んでくれたまえ。第四特別室で待っているよ」


『第四特別室』という言葉にざわ、とざわめきのさざ波が立った。官僚たちの目に恐れの色をはらんだ緊張きんちょうが走る。

 そんな空気を知ってか知らずか、鼻歌を歌いながら男は軽快な調子でつくえから立ち上がった。

 席の背に並んでいる書類棚しょるいだなの間にまぎれているかように小さく目立たないとびらを開け、まるで便所に入るような気軽さでその向こうに姿を消す。

 がちゃり、とじょうが下りる重い音が響き、それを機に官僚たちは一斉にささやき合い始めた。


「――法務大臣を? 第四特別室で? いったい何の件なんだ?」

「ヤバいなこりゃ。俺、ちょっと知らせてくる。ひょっとしたら首のすげ替えがあるかも」


 政策について国王との連絡役として各省庁かくしょうちょうからこの執務室に出向している官僚たちは、自分たちの巣にこの件を伝えるために戻ろうとあわててかばんかかえ始めた。



   ◇   ◇   ◇



 十五分後、全く人の行き来のない細い廊下ろうか、その奥まった場所にある細長い扉の前に、深い紺色こんいろのチュニックを着た貴族が立った。

 歳の頃は四十初め、やや髪が薄い神経質な顔をしたその男は、ここに呼びつけられた件についてだいたいの予想を頭の中にえがきながら、こぶしで扉をたたいた。


「――ストジューム法務大臣、入ります」

「入りたまえ」


 まだ耳に馴染なじまない声が返って来て、法務大臣は緊張の面持ちでノブを握り、捻った。

 中は窓のない狭い部屋だった。

 警察署の取調室とりしらべしつくらいの広さしかなく、透明とうめいの板で部屋が一分の隙間すきまもなく完全に仕切られている。その仕切りを挟んだ合い向かいになって、部屋のはばと同じ幅の机が二つえられていた。


「いきなりお呼びだてしてすまないね、法務大臣」

「お待たせして申し訳ありません、陛下」


 透明の板の向こう側にいる男に法務大臣は頭を下げる。国王と直に、それも一対一の対面で話をする特別な部屋ではあったが、ここにまねかれるということは、国王に警戒けいかいされているということを意味した。

 透明とうめいの板は暗殺を防止するためのものなのだ。この部屋で国王をがいそうと思えば、透明の厚い板をぶち破るしかなかった。


「いや、法務省からの距離を考えれば、早い方じゃないのかな? まあそれはいいか。で、いそしいから単刀直入たんとうちょくにゅうに話をさせてもらうんだけど、君にお願いしていたあの件さ」

「――亜人あじんに正式な市民権を与える、というお話ですか」

「そうそう。取り敢えず研究だけでも始めて欲しいと初対面の時にお願いしたはずだけど、まだ全然動きがないのはどういうわけなんだい?」

「陛下。自分は、亜人に市民権を与えるのには反対であります。自分が法務大臣の地位にいる間は、その手の研究を進めるつもりはありません」

「やっぱりか」


 国王への反対意見を明確にする大臣に、板の向こうの男はさほど感情を刺激されなかったようだった。


「エルカリナ王国は開闢かいびゃく以来、人間の人間による人間のための国であります。全世界を見渡しても、亜人に市民権を与えている国はありません」

「アーダディス騎士王国では人間も亜人も同権だよ」

「あんな村みたいな小さな国など、例外もいいところです」

「これからはそうもいってられなくなるんだけれどねぇ。魔界との国交も回復させる方針だし、人間と魔族の中間のように亜人をいつまでも宙ぶらりんにさせておくわけにもいかないんだよ」

「なんといわれても、自分は反対であります。法整備を進めるつもりはありません。それとも陛下、自分を解任されますか? そんなことをなされば、自分が法務省にしたがえている勢力がだまってはおりません。陛下の方針に対して、ことごとたてを突くことでしょう」

「さすが亜人排斥はいせき派の急先鋒きゅうせんぽうだ。確かに君を解任かいにんすれば、僕もギックリ腰になったくらいの痛手いたでこうむるだろうね。今は足場も固まっていない状況じょうきょうだ。つらいねぇ」

「よってこの話は終わりです。退席してもよろしいでしょうか。自分も忙しいので」

「まあ、少し待ちたまえよ。君を解任させるのはマズい。まあその通りだ。でもね」

「でも?」

「君が自発的に辞職じしょくする、というのなら、話はちがってくるんじゃないのかい?」


 不意に男の目が放ったするどい光に法務大臣がハッとした瞬間、大臣の背後はいごで扉が開いた。

 おどろきと共に大臣が反射的に身をひねると、奇妙きみょう装束しょうぞくの人物がノックもなしに部屋に押し入ってくる。


 白いマントで全身をかくし、顔の全部をおおうつるりとした白い覆面を被った、少年のような背格好の男だった。マントや仮面と同じく、色素しきその全てが抜け落ちたような髪も白い――色がついているのは、覆面の両眼から見えるひとみの色だけのようだった。


 刺客しかくか、と大臣が腰を浮かせたのと、白い男が机の上に書類のたばたたきつけたのは同時だった。


「それを読んでみるといい。読まないとそれの写しが法務省にバラまかれるよ」

「…………!!」


 全部を読むまでもなく、表紙になっている一枚目に添付てんぷされた写真だけで、法務大臣の顔がねじれるように引きつった。


 ごくごく小さな公衆浴場のように、低く広い浴槽よくそうもうけられた暗くせまい部屋――その浴槽に張られた水に魚状・・の下半身をひたし、不安げな表情を浮かべた、一人の美しい女性の人魚・・が写っていた。


「レイジー……!!」

「なるほど、本名はレイジェルだから愛称あいしょうはレイジーなのか」


 はっ、と法務大臣が口をふさいだ。


「この写真があるということは、かしこい君ならわかるよね?」

「わ……わ、わ、私の屋敷の地下室に……!!」

「亜人を監禁かんきんするのはほら、現時点でも刑法で禁じられているんだよ。えー、第何条の第何項だっけ……」

「刑法百三十四条第三項」


 白い仮面の男が少年のものを思わせる高い声でいった。


「ああそうそう、それそれ。確か結構な重罪じゅうざいだったはずだねぇ? 人間を誘拐するより少し軽いの」

「そ、それは意思に反して無理矢理監禁した場合のはず! わ、私とレイジーは!!」

「愛し合ってるんだろう。レイジェル嬢もそう供述しているね。レイジェル嬢は虐待ぎゃくたいされている様子はないみたいだ。屋敷の者にもさとられぬよう、深い地下室で息をひそめているようだが、逃げ出せない状況でもない。――夜な夜な運河うんがい引きを楽しんでいるそうだね。うん、微笑ほほえましそうだ」


 書類の写しを片手でペラペラとめくりながら男はいった。夜の人気ひとけがなく細い運河の川縁かわべりで、半裸はんらで抱き合う大臣らしい人影と人魚の姿が撮影された写真――望遠の高感度写真機カメラられたとおぼしきもの――が何枚かの写真の中にあった。


「亜人排斥の急先鋒が、亜人の愛人を持つ。うーん、これは醜聞スキャンダルだねぇ。週刊誌が飛びつきそうだ。雑誌社に流した方がいい金になるんじゃないかな? っと、こっちの写真はあれだね、公然わいせつ罪になってしまうんじゃないかな。いくら夜の人目のない所でも大胆だいたんすぎるよ」

「なにが目的だ!!」

「君の自己都合による辞任。それと、僕が推薦すいせんする新大臣の就任しゅうにんのために君の派閥はばつを説得して欲しい。それが成されれば、この書類はなかったことになる。悪くない取り引きだろう?」

「あ……あ、悪辣あくらつな…………!!」


 法務大臣の反撃は、それだけだった。


「すまないね。できるだけ穏便おんびんにすませたかったんだが、らちが明かないとならば仕方ないんだ。じゃあ、納得してもらったところで一筆いっぴつ書いてもらおうか。ああ、君の辞表じひょうの文面はこっちで用意したから、あとは君の署名サイン血判けっぱんいただくだけなんだ」


 白い仮面の少年が書類の最後の一枚を横にずらす。完璧かんぺき体裁ていさいの整った辞表の文章があった。


「貴族が亜人と心から愛し合う。僕は結構な話だと思うんだが、貴族社会でそれは禁忌タブーそのものだからね。君の家格かかくも吹っ飛んでしまう。――レイジェル嬢とは長い付き合いらしいじゃないか。それを隠蔽カムフラージュするための亜人排斥……気持ちはわからんでもないがね」

「く、く、くく……!!」

「いいじゃないか。今は認められていない人間と亜人との結婚も、三年以内には法制化ほうせいかして可能にしてあげるよ。田舎いなか隠棲いんせいした君はレイジェル嬢と結婚すればいい。ふたり、静かに暮らすには十分な恩給おんきゅう支給しきゅうされる。彼女も君を心からしたっているのに、日陰ひかげの人魚にしておくのは可哀想かわいそうだ」

「…………!」


 くやしさに歯噛はがみしていた大臣が、虚を突かれたように顔を上げた。すでに男は席を立っていた。


「悪かったね、こんな手段を取ってしまって。でも、僕もいそがしい身なんだ。勘弁かんべんして欲しい。じゃああとは、そこにいる僕の代理人と話をしてくれ――それでは」


 白い仮面の少年が無言で机に置いたペンを、大臣は震える手で取った。自分の名前を書き込もうとした時には、男の姿は扉の向こうに消えていた。

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