「新国王の華麗なる午前・その一」

 二月の十五日――季節はまだ、冬のまっただ中。

 そんな日の早朝。

 冬の日の出は遅いが、時刻が六時半ともなると、太陽はよく晴れた東の低い空に、円い形の全部を見せていた。

 目に少し痛いくらいにき通っている光が、薄いカーテンをつらぬいて一室に差し込んでいる。


 王都エルカリナにおいて今現在、最も高い場所で寝起きをしている男は今、布団の中にその丸い体の全部を押し込んで、深い眠りをむさぼっていた。

 柱の一部となったような大時計が、午前七時ちょうどを差した瞬間、盛大せいだいかねの音が鳴り響かせる。


「おはようございます、陛下」


 鐘が鳴り始めるのとまさしく間髪入れず、寝室の扉がノックもなしに開け放たれる。まるで五つ子のように背丈せたけ統制とうせいされた同じ格好のメイド五人衆ごにんしゅうが、車輪付き荷台ワゴンを押す先頭の一人に続いて一糸乱いっしみだれぬ一列の行進を作り、部屋にみ込んできた。


 豪奢ごうしゃ天蓋てんがい付き寝台しんだいの閉ざされたベールの向こうからは、返事はなかった。

 表情というものを忘れたかのように一様に無表情な顔をしたメイドたちは構わず寝台に近づき、確認も取らずベールをシャッと開け放った。


「お起きくださいませ、陛下」

「……頼むよ、眠いんだ。あと五分……」


 先頭のメイドがパチン、と指を鳴らす。完全に訓練された動きで二人のメイドが寝台の両脇に展開し、布団の端を握ると息を合わせてそれを一気に引きがした。

 布団の下から、まるで胎児たいじのように丸まって眠る小太り――よりやや太った中年の男が現れた。


「……おはよう、ヒィ……」

挨拶あいさつをなさるひまがお有りでしたら、さっさとお立ちください」


 おおよそサマになっているとはいいがたい男の寝姿を見るメイドたちの目に感情はない。仮に男が自慰じいふけっている最中であったとしても、まゆ一つ動かさないだろうと思わせた。


「やれやれ、無愛想ぶあいそうなメイドたちだ。誰が教育してこんな面白くないメイドになったのかねぇ」

「国王陛下のおかげでございます」

「なら仕方ないか」


 のっそりと男は起き上がり、寝間着姿で黒髪がぼさぼさ、よだれのあとも口の両脇につけた、眉目秀麗びもくしゅうれい、という言葉からはほど遠い顔を見せて直立する。


「陛下、なにかご不満がお有りのようなお顔ですが」

「生まれつきこの顔なんだ。それにご不満がないわけじゃないが、文句をいうつもりもないしさ」

「では失礼します」


 男の口に歯ブラシが突っ込まれた。

 メイドの一人が湯気を立てるしタオルを男の顔に当て、一人が寝癖ねぐせだらけの髪に霧吹きを当て、一人が上半身の寝間着を脱がせ、一人が下半身の寝間着を脱がせる。


 男が自分でしているのは、握った歯ブラシで歯をみがくことだけだった。そうしているうちに髪にくしが入り、かれた顔には剃刀かみそりが当てられてひげられ、上半身には小綺麗こぎれいなシャツが着せられと下半身にはズボンが穿かされた。


 無言のメイドの四人が一人の男に群がり、身だしなみを強制的に整えさせている様を監督かんとくしながら、おさらしき一人は懐中時計かいちゅうどけいの秒針を視線で追っていた。


「――五分経過」

「終わりました」「終わりました」「終わりました」「終わりました」


 四人のメイドたちが一斉いっせいに離れた。

 渡されたコップの水で口をゆすいだ男が、抱えて差し出されたバケツにそれをき出し、コップと交換で渡されたタオルで口元をいた。


「まったく機械的だね。冬の朝の空気を楽しもうとか、そういう余裕は……」

「何事も分刻みでございます。隣室にご朝食の用意が調ととのっております、とっととおし上がりを」

「ああ、万事ばんじ世知辛せちがらいもんだ。まあいいか。さぁて、世界屈指の大国エルカリナ王国だ。その最上位に君臨くんりんする国王は、朝食にどんな豪華ごうかな料理を食べさせてもらえるのかなぁ!」


 寝室を出、居間に移った男は、背広姿のやたら細長い長身の男がそばで立っているテーブルに着いた。


「おはようございます、陛下。本日のご朝食は以下でございます。パンと……」

「拳大のパンがひとつ、スープが半皿、半熟はんじゅくゆで卵が一個、果汁がグラスに一杯、あとは棒状ぼうじょうに切った野菜、棒状に切った野菜、棒状に切った野菜、棒状に切った野菜か」


 男は不機嫌にしか見えない顔を、さらに不機嫌にして見せた。


「これが世界屈指くっしの強国の国王の朝食か。まだ半分ほど運び忘れているんじゃないのかい?」

「これで全部でございます」

「僕は昆虫こんちゅうじゃないんだよ。こんなに野菜、野菜、野菜、野菜で。せめてもう少し肉気にくけをさ」

「陛下は糖尿病とうにょうびょうの……」

「糖尿病のがあるとでもいいたいのかい」

「いいえ、立派な糖尿病の症状しょうじょうがございます」

「色々と痛い台詞セリフだね。だがわかっているのかい? たかが栄養士えいようしと国王、どっちがえらいのか。答えてみたまえよ」

「朝食の献立こんだてに関しては、栄養士の方に無制限の権限けんげんがございます」

「ほう? 誰がそんなことを決めたんだい。君の口からはっきりと教えてくれないか」

「陛下ご自身でございます」

「なら仕方ないか」


 男はパンを二口で食べ、スープを四匙よんさじですすり、半熟卵を一口で飲み込んだ。


「すまないが、栄養士の顔を見ながらる朝食はますます不味まずくなるんだ。下がっていいよ」

「かしこまりました。――陛下がなにを望まれても、決して出さないように」

「心得ております」

「やれやれ」


 横一列になって立ち並ぶメイドたちも取り込めないと知り、男はため息をついて棒状の野菜を手に取ってかじり始めた。


「こんな味気あじけないものでも、腹は満たせるからね……新聞を持ってきてくれたまえよ」

「召し上がりながら新聞を読むのは、お行儀ぎょうぎが悪うございます」

「いいじゃないか。それくらいのわがままは聞いてくれ」


 メイドのひとりが新聞のたばを取り出し、机のそれ用にけられている場に積み上げる。冷たい根菜こんさいをぽりぽりとかじりながら、男は積み上げられた山の上から一紙を取った。


「また号外が出ているのかい。快傑令嬢サフィネルと、謎の三人目の快傑令嬢……これで三回目のご登場か。でも名前はまだ判明してないようだね。……ん? なんだ、ヨミーリ紙は名前を突き止めているのか。さすがくさっても最大発行紙だ。ふんふん、ふんふん……なるほどねぇ」

「陛下、お急ぎください。七時半には」

「わかってるよ。ああ、忙しい忙しい」


 ペラペラと紙面をめくり、流し読みをしながらもしっかりと内容を頭に入れながら、八紙を全て読み終わると同時に食事の時間が終わった。


「ああ、さあ、楽しい楽しい副業ふくぎょうの時間だ。移動するよ」

「本日の必要な書類は全て執務室しつむしつに運び込んでございます」

「君たちは本当に優秀なメイドたちだね。手をつけられないのが残念で仕方ないよ」

「ありがとうございます」


 男は口の中の味気あじけなさを果汁の一気飲みで消すと、気合いを入れて立ち上がり、部屋を出た。

 ひとり、足をみ鳴らすようにしてエルカリナ城の八階の廊下ろうかを歩く。そこかしこにやりを携えて立っている警備兵が男の気配に気付き、その居住いずままいを正すように背をばした。


「陛下、おはようございます」「ケシィ君、おはよう。今日も元気かな」


 大階段に差し掛かり、調子のいい歩調で男は下る。その間にも荷物を持ったメイドとちがった。


「陛下、おはようございます!」「エルシ君、おはよう。故郷くにの母上のご機嫌はいかがかね」


 恐縮きょうしゅくして頭を下げることしかできないメイドに手を振り、男は階段を降り続けた。


「おはようございます、陛下!」「イージェル君、風邪かぜはもうなおったのかい?」

「陛下、おはようございます!」「ああ、ベルサ君、今日もうるわしい笑顔だねぇ」


 擦れ違う人間の全員と気軽に挨拶あいさつわし、とんとんと階段を降りていくその男の背を、彼と声を交わし合った人々はみな一様いちように足を止めて見送った。


「……今度の陛下はすげぇな。まだこっちに来て十日もたないっていうのに、一度聞いた名前の相手は完全に覚えていらっしゃるんだぜ」

「あたし、前の陛下に顔も名前も覚えてもらえなかったわ。何年もおつかえしたのに……」

「王様にも色々な人がいるもんなんだなぁ」


 そんなひそひそとした会話も届かない男は五階で階段から離れ、廊下ろうかを進んでひとつの大きな部屋のとびらを自分で開けた。

 この階の半分をめているひらけた空間につくえがぎっしりと並べられ、仕切りかべのように背の高い書類棚しょるいだなつらなっている。

 数百人の官僚かんりょうたちが無数の机に座って書類にかじりつき、席と席との間をあわただしく行き来し、口から泡を飛ばして討論する異様な部屋だった。


「やあ、みんな、おはよう。朝早くからの出勤、ご苦労様だね」


 どこか間の抜けた声に動きを止めた官僚たちが、次の瞬間には立ち止まったり席から立ったりし、全員が直立不動の格好で男の方を向き、『おはようございます、陛下』とそろった声が砲弾の重さで飛んだ。


「ああ、いちいち返事をしないでいいよ。君たちが仕事をしてくれる方が大事だから。さあ、みんなバリバリ働いて国をませてくれたまえ。君たちのあせと涙が国をつくるんだ。頼んだよ」


 はい、と揃った声を受けて男はニ、と微笑ほほえむ。不機嫌そうにしか見えない顔つきがいざ笑うと、途端とたんに幼児の気配をただよわせた人懐ひとなつっこさをまとってみせた。

 くすんだガラス玉が一瞬でき通った光を放つ宝石に変わったかのような魔法を見せられ、官僚たちは一瞬、心をぬすまれた。


「さてさて、今日はどんな無理難題むりなんだいを聞かせてもらえるのかな。楽しみで仕方ないね」


 部屋の奥まった場所ではあるが、仕切りもなにもなく――視線を向ければそこでなにがなされているか一目瞭然いちもくりょうぜんの席に着き、男は首をこきこきと鳴らしてから腕に汚れけのそでを通した。


 間違まちがっても国王陛下には見えない、熟練じゅくれんの事務員といった風情ふぜいがあった。


「今朝いちばんに僕の前に立ちはだかってくれる人は誰なのかな? こちらの準備はできているよ」


 数人の官僚が手をげる。それが早かった者順で素早く順序を決め、男は指名した。


「――よし、ハルド君、君が最初だ。来たまえ。んじゃまあいっちょ、ぶぁ~っと始めさせてもらうとするか」

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