「争乱の幕引き――そして」

 王都エルカリナの南部郊外を埋め尽くしていた魔族の大群衆――一千二百万の人数をその一言で表していいのか――が、ひとつの塊、ひとつの生き物であるかのような集団となって、ゆっくりと南に下がって行った。


 この常識外の人数を魔界から転移させた魔法陣が復活し、魔族たちが再構成された自分たちの界に帰るための動きだった。とにかく前後左右の同胞どうほう達が南に歩いているので、自分もそれに着いていくくらいの思考しか働かず、まだ全員が茫然自失ぼうぜんじしつとした頭を抱えていた。


「…………」


 視界という視界、平原という平原に満ちて零れる臣下たちの大移動を見届ける魔族の長――真紅のドレスを身にまとったその女性は大集団の最も北、殿しんがりにあって、動けないでいた。


 拳を握り締め歯噛みをし時折、後方を振り返る。城門の全てを開き、ここで攻囲戦があったなどという気配を全く残していない、平時そのものの王都の大市街が城壁の向こうにあった。


「姉貴」


 憤りと理性の狭間で悶々もんもんとし、爆発しそうな衝動をこらえる肩を震わせている魔族の長、女王モーファレットの背を、ひとりの少年が叩いた。


「なんかまだ、ムカついてるっていう顔だな」

「……当たり前だろう……」


 超重量砲の炸裂による死者で肉の山と血の大河を築いていた、確かに築いたはずの大地は、そんものは夢だといわんばかりに草の色が青々しく、美しかった。


「民は、殺された民は生き返った。どういう術か機関からくりかはわからんが、死んだ者を探すことができない……」

「結構なことじゃねぇか」

「例外がひとつある! わかっているだろう、お前にも!」

「親父のことだろ」


 脂肪のひとかけらもない、そして筋肉さえも無駄なものひとつ盛り上げさせていない引き締まった上半身を裸にしている魔族の少年、ダージェがあっさりといってのけた。


「貴様! 自分の父親が殺されて、それが帰って来ないのにそんな平気な顔なのか!!」

「俺としては複雑な気分なんだよ。その父上とお姉様に殺されかけたんだからな」


 その淡々とした口調に、モーファレットの次の言葉が掻き消された。


「……わかってるよ。馬鹿息子が馬鹿なことをやってるから魔界の安寧あんねいと未来のため、排除するしかなかったっていうことは。事情が事情だ。それは綺麗さっぱり忘れる。だから姉貴、親父が帰ってこないことも忘れろ」

「それと、これとは……!!」

「ヴィザードの野郎も宇宙に追放された。実質、死だ。完全体となった『命の珠』を抱えながら宇宙を流れ続ける……永久にだ。想像するだけでぞっとするぜ。これでおあいこだろ」

「それで代償になるのか! ……今、人間共は完全に戦意をなくしている。今から私だけでもとって返し、変身して王都を蹂躙じゅうりんし、炎で焼き払えば、父上の復讐に……!」

「やめとけよ!!」


 ダージェがえた。犬歯をき出しにする威嚇いかくの顔だった。


「ンなことしてなんになるんだ!! 反撃を食えば、せっかく生き返った奴らが死ぬ!! 奇跡が起こってみんなめでたしめでたしになってんのに!! 俺たちふたりが我慢すればいい話じゃねぇか!! それとも、親父を殺された鬱憤うっぷんを晴らすためには、臣下が死んでいいってか!」

「…………!!」

「どうせ親父は死にかけていたんだ!! 復讐は忘れろ!! あの現実主義者の親父だって、そんなこと望んじゃいねえだろうさ!!」

「く…………!」


 その膝が崩れたようにモーファレットがその場に座り込んだ。行き場のない感情を叩きつけるように草原の大地を何度も殴りつけた。


「父上……父上、申し訳ありません……!!」

「……親父、暴龍ワイブレーンは魔界のために戦って死んだんだ。老衰でくたばるよりは格好のいい最期だったろうさ。どうせエルカリナ王国にも次の国王が立つ。そいつに詫びを入れさせれば最低限の体裁も整うだろ? もうすでに、食料の援助も取り付けてるしな……」


 地面に刻まれた、無数のわだちに目を落としてダージェはいった。どこからどうやって湧いたのかまるで不明だったが、王都から提供された、食料を満載した大量の馬車が残したものだった。


「魔界は救われたんだ。これ以上戦う理由もねぇよ。それでも感情が収まらないっていうんだったら、俺にぶつけろ。王族から平民に落としてくれて結構だ。王位継承権もがしてくれても文句はいわねぇ」

「……元々、そんなものに興味はなかったくせに……」

「まぁな」


 ダージェが歯を見せて笑った。歳よりも幼く見えるその無邪気で無防備な笑顔に、見上げるモーファレットの顔から見る見るうちに険が削られていった。


「この、馬鹿弟は……」

「さ、姉貴、帰るぜ。女王がいなきゃ魔界は成り立たねえ。帰って休もうや。色々ありすぎたぜ」

「ああ……」


 姉が身を起こすのを肩を貸して支え、とぼとぼという足取りでも歩き出した姉の背を見送って息を吐いたダージェは、振り返って王都の姿を視界に入れた。

 その街の姿に、胸に渦巻く様々な感情を飲み込んで、ダージェは目を細めた。


「――ニコル、こんな俺にも色々と野暮用はあるんだ。全部片付けてから顔見せるぜ。…………リルル、お前にも挨拶あいさつしねえとな……ちょっと待っててくれ……なるべく急ぐから……」


 息の全てを吐ききり、ダージェは南に向き直って、歩き出した。

 帰れば、片付けなければならない案件がきっと山積みになっていることだろう。


「ま、いいさ……戦争で簡単に片付くより、平和のために忙しくて死ぬ方が、よほどマシだ」


 ダージェは最後のひとりとなって、故郷に向かって粛々しゅくしゅくと歩いて行く。

 王都が見えなくなるまで、一度も振り返ることはなかった。



   ◇   ◇   ◇



 フォーチュネット伯爵邸、リルルの自室の奥にある寝室、その寝台の上に、眠り続けるリルルの体が横たえられた。


「お嬢様……」


 しわのひとつもできないようにフィルフィナが掛布団を伸ばす。深い眠りについているにもかかわらず、リルルは女の子のぬいぐるみを抱いて放さない。リルルの首元で、ぬいぐるみの女の子の頭だけが布団から出て見えていた。


「リルルは、どうしてこのぬいぐるみを放さないのかしら……」

「このぬいぐるみが、女神エルカリナなのかも知れないね……」

「これが、ですか?」


 サフィーナの問いにニコルが答え、フィルフィナが目を見開いた。


「このぬいぐるみが、女神……まさか、そんな……」

「僕にはなんとなくわかるんだ。リルルは、寂しい女の子と一緒に眠ってあげているんだって、リルルらしいと思わないかい?」

「それは……本当にリルルらしいですけれど……」


 ニコルのよどみのない言葉に、サフィーナは納得させられるしかなかった。

 ニコルも、フィルフィナも、サフィーナもロシュも寝台を囲むようにして、穏やかに眠り続けるリルルを見守り続けた。静かな寝息だけが寝室に聞こえていた。


「いつもの……本当にいつもの、お嬢様の寝顔ですね……」


 フィルフィナがリルルの頬にそっと手を当てた。頬の滑らかな肌触りを指でなぞった。


「お嬢様は、夜更かしが大好きなのに……寝ることも同じくらい大好きで……毎朝毎朝、起こすのに大変で……布団をめくったり、それ以上に乱暴なことまでしてしまって……わたし、なんというメイドなのでしょう……。思い返すと、恥ずかしくなります……」

「――リルルもそんなフィルに甘えていたんだよ。フィルが起こしてくれるから、リルルも安心して眠るんだ。僕も昔、本当に昔、リルルと一緒にここで寝たことがあったっけ……」

「なんか、想像できます。とても仲の良い、双子の兄姉きょうだいのようだったのでしょうね」

「はい、サフィーナ様」


 フィルフィナが身を退き、その隙間を埋めるようにニコルが身を乗り出して、リルルの頬に手を触れた。


「懐かしい、遠い過去の話です。本当に僕とリルルは、双子のように育ちましたから……」


 少女の頬のやわらかさ、滑らかさ、あたたかさをてのひらで吸い取るように数分感じて、名残惜しさを振り解きながら、ニコルは離れた。


「ロシュ、ついて来て。市街の混乱に対処しないといけない。他にもやることがたくさんある」

「わかりました、ニコルお兄様」

「ニコル、私はいったん、ゴーダムの屋敷に戻ります。もしかしたら旧臣が集まって来ているかも知れません」

「それがいいでしょう、サフィーナ様――戻られる前に、お姿を」

「あら、いけない」


 サフィーナは自分が快傑令嬢サフィネルの姿のままなのに気づいて、小さく笑った。


「ニコル様、わたしは……」

「フィルは、リルルの側にいてあげて」


 身を翻しながらニコルはいった。


「フィルはもう、ずっとリルルの側にいてあげていいんだ。眠るリルルを守ってあげてほしい。フィルがリルルを守ってくれるなら、僕たちは安心できるんだ。頼んだよ」

「わかりました……」


 フィルフィナは背筋を伸ばした。くすぶる悲しみをその瞳から払い、リルルに語りかけた。


「お嬢様。お嬢様はこのフィルがお守りいたします。安心してくださいね。決してお側を離れません。もう、離れ離れになるのは嫌ですから…………」


 ニコルとサフィーナ、ロシュが寝室から出て行く。


「──このお屋敷でお嬢様とふたりきりになるのは、もう、いつぶりなのでしょうか……」


 残されたフィルフィナは数分間、じっとリルルの寝顔を見つめ続けた。


「たとえお嬢様が永遠に、このまま眠り続けたとしても……フィルは、フィルの命が続く限り、いいえ、たとえ死んでもお側にいます。死んだ後でもお嬢様を守ります。これは、決してたがえることを許されない誓いです。これを破りましたらどうぞ、この命を奪わんことを……」


 フィルフィナは身を乗り出し、リルルの頬に小さくキスをした。

 意を決したように体を起こし、窓を閉めて施錠し、開かないことを入念に確かめてからカーテンを閉ざす。


「お嬢様、屋敷の点検をしてまいります。…………御用がありましたら、いつでもお呼びくださいね……」


 深々と一礼し、フィルフィナは寝室を出て、その扉の錠も降ろした。

 あとには暗がりの中ですやすやと眠るリルルだけが残される。

 目覚めのない眠り姫の健やかな寝顔が、カーテンをわずかに透ける光の下に白く浮かんでいた。



   ◇   ◇   ◇



 王都に押し寄せた避難民、そして侵攻軍の膨大な人数が王都から去りきるまでは、少しの期間を必要とした。

 その全員が寝起きの直後に近い夢心地であったことが、大した混乱も起こさせなかった。


 帰らなければならないというぼうっとした思いにとらわれ、ほとんど本能のままに人々は帰途に着き、残された王都の住民達も、気力を削がれたような気分で数日の時を過ごした。


 それでも日常というものは、時を経れば取り戻されるらしいものだった。


 ――そして。

 王都に起こった攪乱かくらんから、二週間余りが過ぎた。

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