「鼓動の響き、遠くから」

「フィル……フィル……?」


 フィルフィナの不安げな表情を前にして、ニコルのひとみが揺れていた。まだわずかに拡散している意識が、目の前の情報を分析ぶんせきしきれていない。

 フィルフィナだと見えているのに、フィルフィナだとわからない――。


「ニコル様、しっかり、しっかりなさってください。ニコル様――」

「フィル…………」


 ニコルはぼんやりとその名をしたの上で転がし、さえずりを一度、止めた。

 自らの内心で考えた。

 覚醒かくせいは、数秒後に来た。


「――フィルっ!!」


 ごつぅんっ!


「うわっ!」

「あいたぁ!」


 バネ仕掛けの勢いでニコルの上体が弾かれたように起き上がり、顔をのぞき込んできていたフィルフィナのひたいとニコルの額が、遠慮えんりょもなにもない激突げきとつを果たした。ふたりの頭蓋骨ずがいこつ轟音ごうおんを発し、ふたりのまぶたの裏で、宇宙が爆発して誕生たんじょうした。


「あ、いたた、たた、たた…………フィ――フィル、フィル、大丈夫かい!」

「――――――――」


 絨毯じゅうたんの上で、目を回したフィルフィナが気をつけの姿勢で転がっていた。


「フィ――フィル!?」

「…………し……し、し……死ぬかと思いました……」


 ニコルに抱き起こされたフィルフィナは、目の裏でチカチカと輝く光を払おうとまばたきをり返した。


「――というか、フィル、死んだんじゃなかったのか! ……いや、ちがうな、そもそも僕も死んだんじゃなかったっけ……あれ? いったい、なにがどうなって……?」

「ニコル――――!!」


 地を揺るがすような足音、そして聞き慣れた・・・・・声に、はっとニコルがその方向を向いた。

 向いた瞬間に、凄まじい速度と控え目な質量の体当たりを受け、ニコルはその衝撃しょうげきの持ちぬしごと吹き飛んだ。


「ああ、ああ、ニコル! ニコル! 生きていた私のニコル!!」

「サッ……サフィーナさまっ!?」


 涙を散らしながら全力疾走ぜんりょくしっそうで飛び込んできたサフィーナ、その彼女が身につけている快傑令嬢サフィネルの紫陽花あじさい色のドレスの胸元に刻まれた千尋せんじんの谷に鼻をはさまれ、そのまま運動エネルギーに負けてニコルの体は、呆気あっけなく絨毯の上に転がった。


「もが、ごっ、もがもが、ごごごご」

「ニコル! ニコル! 私の生命いのち! あなたが生きていてくれなければこの世はやみ! 好き! 好き! もう殺したくなるほどにくたらしいくらいに好き!」


 無限の愛のよろこびを、やわらかなふたつの小高いおかと深い谷間に全力の抱擁ほうようで少年の顔面を包み込み、窒息ちっそくさせることでしめし、ニコルが呼吸困難こきゅうこんなんで死にかけたころに、今度はくちびる爆撃ばくげき豪雨ごううの勢いで見舞みまった。


「くあ、うわ、うわわ、サ、サフィーナ様! 舌が! 舌が入っています!」

「なにをいうのです! 入れているのです! これでも私の感激は表しきれません!! さあニコル、なにをしているのです! 着ているものを全ていで! 今ここで! 私の愛の有様を残らずを証明して差し上げます!」

「――サフィーナ、そこまでで」

「えええ……」


 ニコルに馬乗りになり、上体の衣服をむしろうとしていたサフィーナを、ようやく頭に誕生した宇宙を払えたフィルフィナがやんわりと押しとどめた。


「そこから先に進むと、さすがに犯罪になります」

「そんな……私たちの愛は超法規的ちょうほうきてきなはずなのに……どうしてもだめ……?」

「だめです」


 くすん、と泣くサフィーナがフィルフィナによって退かされる。刺激的な接触の猛攻もうこうを一方的に食らい続けたニコルが、朦朧もうろうとする意識をかかえたまま起き上がった頃に、次の声がした。


「ニコルお兄様!」


 ニコルの肩が跳ねた。ニコルをそう呼ぶ者は今の所、ひとりしか思いつかなかったからだ。

 ニコルの、フィルフィナの、サフィーナの視線が向く。全員の目が強張こわばった。


「ロ……ロシュ……!?」

「ニコルお兄様、無事でしたか!」


 背中にたばねた栗色くりいろの髪を揺らし、革鎧姿かわよろいすがたのロシュが滑り込んできた。その完全な・・・、いつものロシュにしか見えない姿に、ニコルとフィルフィナの瞳が限界にまで縦長にびた。


「ロ……ロシュ! あなたは自爆して、バラバラになったはず……!?」

「はい。ですが、この通りロシュは正常です。どこにも異常はありません」

「あ……そういえば……」


 ニコルは自分の体を見た。傷だらけになっていた体――特に胸は衣服ごとやいばつらぬかれたはずなのに、傷はおろか衣服の破れや汚れさえも見当たらない。まるで朝、着替えてきたばかりの整いようだった。


「死んだ私たちが生き返るのですから、これくらいはもうなんともないということですか……ロシュが生き返る……いや、元に戻るくらいは、簡単ということかも知れませんね……」

「ニコル、リルルは、リルルはどうしたのです?」


 熱情が冷めたサフィーナの冷静な声に、ニコルは思わず頭に手を当てた。


「リルル……」


 ここはエルカリナ城の一階。この前の階段で自分たちはフィルフィナを失い、かなしみをみしめながらここにたどり着いた。しかし、ここにはたましいを元に無理矢理復活させられたダージェが待ち構えていて、自分はリルルを守るために、最後の手段として相討あいうちになり――。


「それから……リルルは、国王の元に向かい……そのあと……」


 四人の心にとくん、と、波打つものが刻まれたのは、この時だった。

 体の中心に水滴を落とされ、波紋が広がるような感覚を同時に覚えた。


「――今、聞こえましたか……?」

「えっ……今の、錯覚さっかくではなかったの…………?」

「錯覚ではありません。波動を感知しました。私には分析できない、未知のものですが」

「ロシュ……それは、やっぱり……」

「はい」


 城の階段や入口から、数人の兵士たちがよろよろと現れる。まるで状況が把握はあくできず、これが夢なのか現実なのかの区別すらついていない顔をして途方にれる兵士たちは、侵入者に見られても仕方ないニコルたちを見ても、なにかの行動を起こそうという気にはなれないらしかった。

 そんな中でのニコルの確認に、ロシュがうなずいた。


「――リルルは、僕たちの足元、その下深くにいる…………?」



   ◇   ◇   ◇



 ニコルとフィルフィナは、一度下ったことがある大深度だいしんどへの螺旋らせん階段を先頭立って下り、その後をサフィーナとロシュが続いた。


「……だんだん、思い出してきました。お嬢様が、死んでいるわたしたちにげた言葉……」

「フィルも? 私の思い込みじゃなかったの? 夢の中で聞こえたような気もしたけれど……」

「私もリルルお姉様の言葉を受信しました。ですが、何故か記録できず……」

「声、じゃなかったからだろうね……きっと……」


 かべめ込まれた蛍光石けいこうせきで薄明るく照らされている無人の階段を下りきる。まだ瓦礫がれきが片付けられていない、真四角のだだっ広い空間に出た。


「ニコル、フィル、ここが……」

「ええ。『竜の事件』の時に僕とフィルが立ち入った場所です。僕はひとりで訪れましたが……」

「わたしとお嬢様、そしてコナス様と一緒に先行したのです。しかし、ここにもう一度……」

「部屋の中央に進みましょう」


 ニコルとフィルフィナの感慨を断ち切るようにロシュが、危険を引き受けるように前に出た。

 かざり気の一切がない、逆にそれが神性を感じさせる空間を見回すサフィーナがロシュの後に続き、ロシュが伸ばした腕にその進行をせいされる。


「ロシュ?」

「来ます」


 その言葉と同時に、一枚の大理石でできているかのような、ぎ目の一切がないつるりとした床に、二メルト四方の青い光の線がえがかれた。


 描かれた、と全員の目がとらえた瞬間、その部分がり上がるように目の前に二メルト四方の立方体が現れる。それを二分するかのように縦に光が走り、開かれるとびらとなって内部の空間を暴露ばくろした。


「これは……」

昇降機エレベーター、ということでしょうね」


 おどろくサフィーナにフィルフィナがいい、ロシュがうなずいた。

 内部の輝きが乗れ、といっている光の昇降機を前にし、ニコルは硬い眼差しを向けて、いった。


「……行こう。リルルが待っている……」



   ◇   ◇   ◇



 遅くない速度の数分の降下の感覚が、自分たちがとんでもない深さに向かっていることを感じさせた。


「もう、数分はもぐっているわ……」

「降下の方向も垂直すいちょくではなく、わずかにななめです。これがどこに突き当たるのか、見当はつきますが」


 いっているうちに減速がかかり、四人のひざがわずかに沈み込む。減速の勢いの分だけ、体重が増えた錯覚を覚える。

 内臓の位置がずれるような不快感をこらえ、それがしずまると同時に立方体は停止した。間を空けずに扉が開き、途端に差し込んできたすさまじい輝きにニコルたちは手で顔を防いでいた。


「これは…………!!」


 知っているだけの色が強い光となって飛び込んでくる強烈な刺激。目がれるまでに数分の時間がようされ、その間、光の波動に押し込められた四人は、昇降機から出ることができなかった。


「すごい……! 宝石の、きらきらと光るお花畑……!!」

「こ……これが、どこまでも続いているのですか……!?」


 先に出たサフィーナとフィルフィナが、まるで宇宙となっている空の暗さを吹き飛ばすほどの強い輝きを放っている、無限とも思える数の宝石が花々の形になって雑多ざったほこっているその光景にわれを忘れ、立ちくしていた。


「さすがにこれは、初めて見る光景だね……あんまりにすごくて、目がつぶれそうだよ」

「ニコルお兄様、この道の先に」


 昇降機からただ一本、どこまでも広がる宝石の花畑の間に、細い道が伸びている。

 まともに歩くことができそうな足場は、それだけ。

 ニコルは、それが自分の運命の形そのものに見えて、思わず固唾かたずを飲んでいた。


「――リルルお姉様の心音しんおんを、確認しました」

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