「第07話 夢見る力」

「目覚める世界」

 最初に目を覚ましたのは、この戦役で最初に戦死した、バトゥ公国王弟スメールだった。


「…………私は?」


 穏やかな陽射し、優しい風に頬をでられ、十分に寝足りた心地でゆっくりと身を起こす。


「私は……私は……私は、どうしたのだ…………?」


 静かだった。遠くで小鳥が鳴いている声さえ聞こえる静けさだった。

 冬の冷たく研がれた空気に頬が触れて、ぶるっと震える。弱いが、冴えた空に光を拡散されない朝日の角度に、今が早朝であるということをスメールは知った。


「私は、確か撃たれて……。みなの先頭に立って、突撃していたところを……」


 一面の草原にはバトゥ公国軍の軍装をした兵士たちが、切り取った視野だけでも数千の規模で横たわっていた。が、その者達に死の気配はなかった。訓練の合間に惰眠だみんむさぼっているようにしか見えなかった。


 近くに自分が握っていた槍が転がっている。だが、スメールはそれを取る気になれなかった。戦意の欠片かけらもない。この鎧もすぐに脱いでしまいたいくらいの気持ちだった。


 スメールが振り返ると、傷のひとつもついていない、王都エルカリナの長大な城壁があった。美しい、という感想が素直に脳裏をぎる。自分は……。


「……自分は、いったい、ここになにをしに来たのだ……?」


 倒れていた兵士たちが、むくり、むくりと起き出す。それぞれに周囲を見渡してそれぞれに首を捻り、倒れている兵士が近くにいれば揺り動かし、起きている兵士が隣にいれば顔を見合わせ、そして傾げ合った。


 放心したまま座り込み、微睡まどろみと寝ぼけの真ん中のような意識でたたずんでいる間に、倒れていた者達の全てが起き上がっていた――立とうとする者は、ひとりもいなかったが。


「おおーい!」


 張り上げられた声に振り返る。城門から大きな荷車の列がのろのろと出てくるのが見えた。それを押しているのはエルカリナ王国の兵士たちだ。

 それに対して武器を取ろうとする者は、やはりひとりもいなかった。近づいてくるのを待った。


「おう、あんた、お偉いさんか」


 下級の兵士らしいそのやや歳のいったエルカリナ王国兵は、スメールの軍装を見てにたりと笑った。敵兵のはずなのに敵兵に見えない兵士に、スメールはこくんとうなずいた。


「なんかようわからんが、ようわからん目にったなぁ」

「…………ああ」

「あんたら、腹、減ってるだろ」

「腹……」


 その瞬間にきゅるるるるる、と締め付けられるような空腹感をスメールは覚えた。


「間に合わせですまんがな、荷車にはパンを満載してる。配ってやってくれ。今、港にあんたらの船が入ってるからそれで故郷に帰ることになるんじゃないか? 帰りたいだろ、すぐにでも」

「ああ…………」


 故郷という響きの懐かしさに、スメールの心の歯車がようやく、わずかに動き出した。


「俺たちはパンのお代わりを持ってくる。あとは頼んだぜ」

「ああ…………」


 ほらよ、と兵士にパンを渡され、スメールは丸く焼かれた、自分の顔ほどの大きさのパンを手にしてそれを見つめた。パンから香る太陽の匂いが鼻に触って、ますます空腹が刺激された。


「そうだな……帰らなければな……帰るためには、食わなければ……」


 スメールはパンを配るべく、立ち上がった。彼がこの王都エルカリナの城壁外にいる兵士の中で、最初に立ち上がることのできたひとりだった。



   ◇   ◇   ◇



「うにゃ?」


 地面にうつ伏せで大の字に伸びていたクィルクィナが、遠くに聞こえる波の音に耳を触られて最初に体を起こした。


「あれ? あたし、なんでこんなところで寝てんの? って、みんなも寝てるし」


 側ではスィルスィナが気をつけの姿勢で寝息を立てている。スィルスィナだけではない、その周囲にはエヴァ、ラシェット、アリーシャ、イェガー……その他の子供たち、獣人の住人たちも多数転がっていて、それぞれが幸せそうに眠っていた。高いびきをいているものさえいた。


「あー、もー、よくわかんない……あいたた……頭痛がする……おーい、スィル、スィルってば」


 眠っている時もその半目が閉じない双子の妹に、クィルクィナは手を伸ばした。


「…………ああ、いけない、旦那様、それだけは、ご堪忍かんにんを……ひいい、お慈悲じひ……」

「なにわけのわかんない寝ぼけ方してんの。ほら、起きて起きて」

「…………」


 数回の往復ビンタを両の頬に受けて、頬を腫らしたスィルがむくりと起き上がった。


「……私の貞操は?」

「知らないよー、そんなの。それより寝てる人たち起こすよ。ああ、もうよだれ垂らしちゃって」

「なんじゃなんじゃ、いったいどうなっておるんじゃ」


 人間の子供と犬獣人の子供に両脇を抱えられた小さな形態のアヤカシが、痛飲つういんした翌朝のような顔でよたよたと歩いてきた。


「確かこう、真っ赤な炎の津波がどぱーんとやって来て、何もかも燃やし尽くしていったような気がするんじゃが……わらわたちが真っ先にそれを被ったような……」

「夢でも見てたんじゃないの? だって生きてんじゃん。なんにも壊れてないしさ」


 クィルクィナはぐるりと周囲を見渡した。小屋も畑もなにもかもが普通に建っている、見慣れきった島の光景がそこにあった。


「……クィル、スィル……これは、いったいどうなって……」

「あああ、みんなおんなじこと聞く」


 倒れていたエヴァやラシェット、アリーシャ、イェガーが意識を取り戻し、身を起こした。


「島をもの凄い異変が襲ったはず……炎の波にみんな飲み込まれて……一瞬で……」

「ラシェット、大丈夫……?」

「あ、ああ、平気だ、アリーシャ……よかった、俺はお前が死んだとばかり……」

「ラシェット……」

「アリーシャ……」

「あああ、いちゃつくのは夜になってから自分の部屋でしてよね。教育に悪いんだよ」

「……本当に、なにが、どうなった。よくわからない。みんな、生きているようだが……」

「おーい」


 小屋と小屋との間から、小屋に手を着きながら覚束おぼつかない足取りで姿を見せた人影達があった。


「うりゃ? ジャゴ爺さん? それにエメスの奥様も、ソフィアもローレルもいんじゃん」

「いたら悪いかい、クィル。……ああ、あたしゃ今度こそ本当に死んだと思ったけれど、死神には嫌われているのかねぇ。また追い返された気がするよ……」

「お義母かあさん、無理しないでくださいな。休みましょう」

「大丈夫だよ、ソフィア。あたしを年寄り扱いするんじゃないよ。まだあんたをいびるくらいの元気はあるんだから、心配しなくていいんだよ」

「皆は……皆は、無事のようですね、クィル、スィル……」

「うん、エメスの奥様。本当になんか本当にわかんないけど、みんな無事だよ。本当にどうなってんの」

「あ、あ、ああ…………」


 島の全員が集落の中心に集まった――そう思い込んでいた島民の全てが、視界の外から聞こえて来たその声に驚いて肩を跳ねさせた。

 示さずして一度に振り向いた一同の目に、いるはずのない者がふらふらと歩いてくるのを見た。


「――ママぁ!?」


 クィルクィナの大きな目が零れて落ちてしまうのではないかというほどに見開かれ、憔悴しょうすいの影を引いて一歩、一歩を倒れるのをこらえながら歩いてくるウィルウィナに向けられた。


「ウィルウィナ様!?」

「嘘ぉ! だって、ウィルウィナ様は!!」


 島を守るためにその身を投げ出し、自爆に近い形で敵を討って死んだはずのウィルウィナだった。島民の全員がその死をいたみ、すぐに葬儀を出せない切なさに心を痛めたウィルウィナだった。


「ママぁ! ママぁ!! なんで生きてんのぉ!?」

「わ、私が生きてたらなんか、都合が悪いのかしら、クィルちゃん……」

「……お母様、本当にお母様? ――質問、お母様のお気に入りの喫茶店は」

「ペ……ペーカー街弐弐壱ペーの『フローレシア・ハドスン』……」

「間違いない、本物のお母様」


 スィルスィナは断言した。


「ウィルウィナ様、大丈夫ですか!? お加減の方が優れないようですが!?」

「あ……あああ、あああ……」


 死んだかも知れない、という認識の集まりが、確実に死んだという認識しかないウィルウィナを取り巻く。そんな中でのエヴァの不安げな問いかけに、ウィルウィナははらはらと涙を流した。


「わ……私の、私の……」

「私の?」

「私の、夢で見ていた後宮ハーレムが……酒池と肉林と、九千九百九十九人の美少年が……」


 ウィルウィナ以外の全員が、それぞれに顔を見合わせた。


「やっと最初の一人目、ニコルくん似の美少年を絹の布団に引きずり込んだところだったのに、組み敷いてキスをしようとしたところで目が覚めてしまって……!! ああ、もうあんないい夢、絶対に二度と見れないわ! 私、これからどうやって生きて行けばいいのぉ!!」

「ああ、もうほっとこ」


 おいおいと泣き始めたウィルウィナを無視して、クィルクィナはきびすを返した。


「それより気になるのは、フィルおねーちゃんやニコルきゅん、リルルお嬢様にサフィーナお嬢様にロシュ、ついでにダージェだよ。王都に向かったままどうなったのか」

「……確かめればいい」

「どうやってさ? 島を出るための船がないんじゃん。『森妖精の王女号』はママが派手にぶっ壊したしさー」

「船があるぞぅ――――!!」


 見張り台に上ったひとりの島民が、大音声を張り上げた。


「沖合に『森妖精の王女号』が停泊してる!! 完全な姿で浮かんでるぞ!!」

「うそぉ!?」


 その場に泣き崩れているウィルウィナひとりを残し、全員が浜に走った。何人かが転ぶ中、先頭をひた走ったクィルクィナとスィルスィナは、浜からやや離れた沖に真っ白く輝く美しい帆船が、帆を畳んだ姿で波に揺れているのを見つけていた。


「えええっ!? 派手に爆発して、端微塵ぱみじんになったんじゃないの!?」

「……死人が生き返るくらい」

「そんなことも些細ささいなこと、といわんばかりですね……」


 スィルスィナとエヴァが呆れ顔で呟く。


「さ、これで王都に向かいましょうか」

「ママぁ!?」


 号泣していたのをケロッと忘れたかのように、いつもの表情のウィルウィナがいつの間にかそこにいた。


「イェガーさん、だったかしら。あの船をここまで引っ張ってきてくださらない?」

「……わかった」

「さあ、ニコルちゃんやリルルちゃん、フィルちゃんたちの様子を確かめに行くわよ。王都の様子が気になる人たちは乗って乗って。――多分、大丈夫でしょ。そんな気がするわ、私」


 周りが呆然としている中、ウィルウィナはにっこりと微笑んだ。まさしく、女王の笑みだった。



   ◇   ◇   ◇



 その少年の意識は、まだ闇に閉ざされていた。

 当然だったかも知れない。

 その少年こそは、この世界が再生される前、最後に死んだ存在だったからだ。


 ――ニコル様……ニコル様……。


「う…………う…………」


 体を揺り動かしてくる気配に、少年はうめいた。その自分の呻きが目覚めの歯車を動かして、長い間停止していた心を走らせる弾みになった。


「ニコル様……起きて……お願いです……起きてください……」

「う……う、う、うう……」


 重い重い闇を払い退け、鈍いまぶたを少年――ニコルは、開けた。


「ニ……ニコル様……!」

「あ…………」


 ぼやけきった視界の中に、アメジスト色の瞳を涙にうるませて、顔の全部を震わせているフィルフィナの顔があった。


「――フィル…………?」

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