「第06話 帰還」
「再生――レ・クリエイション――」
三億年の時間が経過しても宝石のお花畑はその輝きを少しも失わず、あるべきところにあった。
ふたり、手を硬く繋いだリルルとエルカリナは、硬いきらめきを無限に発する広い花壇の間を抜け、白銀でできた
いっぱいの羽根が詰められたように膨らんだ枕が置かれ、柔らかそうな布団が敷かれた寝台の
「――ここで、私は眠るのね……」
「リルル…………」
エルカリナが、リルルの手を握る手に力を込める。その力の強さにリルルが顔を向けると、今にも泣き出しそうなエルカリナの顔があった。
「やっぱり、ちょっと
「うん……」
「私とエルの、ふたりで横になるの?」
「ううん」
長い
「眠るのは、リルルだけなの。――わたしは、横になる必要はないの」
「なんだ。ふたりで寝るのも楽しいと思ったのに、
「リルルぅ……」
「冗談よ、エル。泣かないで――ゴメンなさいね」
エルカリナのあたたかい頬に小さくキスをして、リルルは
「わぁ…………」
半球状の屋根の裏に、白い宝石の
「きれいね……最後に目にするかも知れない景色としては、申し分ないわ……」
「……リルル、
「怖いわ。とても怖い――でもね」
羽を詰めた
「ここで逃げる方が怖いから、私は怖くない方向に進むだけなのよ。――エル、この気持ちをわかってくれる……?」
怖い、という言葉を
「私の進む先には、希望があるもの。望みがかなえば、私はみんなの幸せな姿を見ることができる……世界中のみんなを呼び戻すことができる。ふふふ……私、何をするにもいつだって
「…………」
「さあ、エル。どうすればいいの。私の心の準備は、できているから」
リルルの
「……目を閉じて。わたしが子守歌を歌うから。リルルは、今までの記憶を全部――体験したこと、行った場所、出会った人々のことを思い出して……」
「私は自分が生きていた世界のことも、ほとんど知らないのよ。それで大丈夫なの……?」
「あとは、リルルの想像力の問題なの」
「そうぞう、りょく……?」
リルルは、口の中で
見ぬ事、知らぬことを想い描く力。
過去と現在から、未来を
「あの空の向こうにはなにがあるか、海の向こうにはなにがあるか。この人はどんな人とのつながりがあるのか――。その延長線を想像する力、夢見る力で追っていけば、どんな広い世界だって
「想像する、ちから……」
リルルは目を閉じ、開けた。その一瞬の間に、自分の中で世界を想い
「人が世界を想う力が、世界を成り立たせ、支えるの。リルル、わかる……?」
「うん……なんとなく」
「リルル。自分の大切なものを、胸であたためて。それが世界を
「うん」
リルルは、目を閉じた。小さく息を吸い、小さく吐き――大きく息を吸って、大きく吐いた。
「――ニコル、フィル、サフィーナ、ロシュちゃん……」
リルルの首からかかっているロケット――その
「お父様、ソフィア、ローレル……ウィルウィナ様、クィルちゃん、スィルちゃん、ゴーダム家のみなさん……ラシェットさん、アリーシャさん、エヴァ……アヤカシ様、島のみんな……街の子供たち……コナス様……カデル……ダージェ……ティコ君……」
ふうう、と風が吹いた心地がして、リルルは体が軽くなったのを感じた。
「みんな……みんな……世界のみんな……。まだ死にたくなかった、たくさんのみんな……。私の心に入って来て。私に力を貸して、あなたたちのことを教えて……。私はあなたたちが生きて行く姿を見たいから。あなたたちが歩いていく先を見たいから……」
ふわあ、とリルルの体がわずかに浮いた。
ほんのわずか、手が滑り込めるかどうかというほんのわずかに浮いた。
そして、見えず触れられない風――波動が吹く。
リルルの長い髪が放射状に広がり、その浮いた
「おやすみなさい、おやすみなさい、おやすみなさい、リルル……」
目の前で
「
エルカリナの体も金色に輝く。金色の細かな粒子がたんぽぽの綿毛のように
「目覚めまで、あたたかに、やわらかに、眠り寝て、リルル……」
エルカリナの体が発光するのに共鳴するかのように、リルルの体も銀色に輝いた。舞い上がる銀色の粒子の密度が増していく。薄く漂うものだったそれは、あっという間に天蓋と寝台の間を埋め尽くし、そして見る間にこの一帯の空間の全てを満たしてしまうかのように
◇ ◇ ◇
リルルは、目覚めと眠りの
『ここは…………?』
寝台に横たわっていたはずの体が、立っている。上下左右前後の区別がつかない、真の
そこには闇しかなかった。闇が見えるだけの、宇宙が生まれる前の空間だった。
『私は……ひとりなの……? 私は、世界を創り直すのに失敗したの……? ここに、光は――』
その
リルルが首を
『あ…………!』
銀河の星々が一斉に光り出す。次に太陽に輝きが
光は、あったのだ。
『私たちの、星は…………』
足元に浮かぶ、丸い星――鮮やかな
いや、わずかに色がある。親指の爪くらいの大きさの円、そしてそこからやや離れて染みのように灯っている、本当に小さな色――。
『ああ……ここは、王都とメージェ島なんだわ……』
リルルにはわかった。母星の中で、自分が知っている場所だけに色があるのだ。――自分が知っている場所は、この広い母星の中で、たったそれだけなのだ。
『私は、この母星の全てに色を着けなければならないのに……やっぱり私は、世界のことなんて本当に知らないんだわ……仕方ないもの、王都からほとんど外に出たことがなかったのだもの……』
『やっぱり、世界をよみがえらせるなんてことは、夢物語だったのかしら……。エルは想像することが力になるといっていたけれど、私には、知らないことはわからないわ……!』
『――リルル』
その
『――それは
それは外からではない、心の中心が跳ねることで聞こえた声だった。
『ニコル……サフィーナ……それにフィル…………!?』
その声は、三人の声を
『僕は、私は、わたしは、リルルの中にいる。リルルの中に
王都を示しているらしい地点の色の近くに、新たな色が浮いた。
同時に、エルカリナ大陸らしい場所からかなり離れた場所にも色が着く。それが
『ああ……これは、ゴーダム公の領地と、フィルの
『そう。リルルの中にある魂たちの記憶。リルルが色を着けられたのと同じように、リルルの中の魂たちも知っている場所を想像できる。――そしてリルル、リルルの中にある魂は、三人だけじゃない……』
『こういう時には、あたしたちだって役に立つんだよぅ』
フィルフィナの妹、クィルクィナの声が響いた。
『……私たち、二十年も冒険者として旅をしていた。世界を回っていた』
クィルクィナの双子の姉妹、スィルスィナの声も聞こえる。
『その旅の中で
跳ねるような声が弾むと、次には母星の三割が翠の色を取り戻した。エルカリナ大陸を挟み込む二つの巨大な大陸が
『二人に旅をさせていたのが、こんなところで役に立つなんてね。わからないものね?』
『ウィルウィナ様……!』
『リルルちゃん。世界は、少しの気づきで大きく変わるのよ』
世界の全てを包み込んでしまいそうな、おおらかな笑顔の女性の
『私たちの魂の中にも、私たちのそれぞれが人生の中で出逢い、触れ合ってきた無数の魂が写されているの。あなたの中に私たちがいるのと同じように。写しの魂の中に、写しの魂がある――。リルルちゃん、気づいて。それが何を意味しているのかを、気づいて。それだけで、あなたは全てをかなえられる。とてつもない力を得られるの。さあ――』
『気づき……魂と、魂……それは……』
リルルは目を閉じた。目を閉じて、
十六年と少し、決して長くはない自分の人生。しかし、そんな短い人生の中でもかなりの出逢いがあったはずだ。交わされた無数の言葉のやり取りがあったはずだ。
頭では覚えていなくとも、魂に
自分の心の中を探る。宇宙より深く、広い空間に意識を
『――そうか!』
リルルは、自分の中に光を見た。闇の全てを吹き飛ばすほどの、あふれんばかりの光を見た。
『魂と魂は、つながっているのよ! 私が知らない誰かの魂とも、私が知っている魂を
それが、全ての発火点となる『気づき』だった。
『つながらないものなんて――ないわ!!』
世界が生まれる、瞬間だった。
色が、あふれた――。
◇ ◇ ◇
「わ……あ、あああ…………!!」
エルカリナの体を透けて抜けていく、細胞と細胞の間を透過していく光の粒子が、爆発ともいえる勢いで噴出し続けていた。
それは目の前の火口から火山の
静かな、そして
「え……えええ、え…………!? す、すごい……すごすぎる!! ……すごすぎるの、リルル!!」
無限の
「これは、もしかしたら、もしかしたら……!」
普通の人間ならばとっくに失明しているほどのあふれんばかりの激しい光量の中で、エルカリには
意識を
コォォォ、ォォ、オオオオオオオ…………!
「わぁ、ああ、あああ――――!」
宇宙に浮かぶ
まだ、なにひとつ人工物が存在しない大地と海に、星の全てを満たし包んでしまおうかというほどに
まずはそれが第一の目標だといわんばかりに、最初にきらめく粒子の奔流を、洪水を受けたのは――王都の公転と同期するかのように真下にいた、エルカリナ大陸だった。
「ああっ!?」
エルカリナは、
「ま、
優しい勢いで
「うそ……うそ、こんな、こんなはずないの! ここまでのはずはないの! ここまで再生させてしまうはずはないの!」
そんなエルカリナの叫びを無視するかのように、粒子の奔流の直撃を受けて全土を輝かせたエルカリナ大陸に、街がよみがえる。村がよみがえる。
女神の
家々が、建物が、橋が、
金と銀の粒子の
他の大陸に届き、弱まらぬ勢いで、むしろ加速して広がり続けていった。
巨大なはずの眼下の星、その見える範囲の全てが光の粒子に包まれる。そして見えない側にも拡がり続けていく。勢いは止まらない――全てを再生しきらないうちは止まらないというように。
「リルル……リルル! すごい! すごいの! 地上が、世界が生き返っていくの……!!」
圧倒的な光の向こうのリルルは見えない。返事もない。ただ、世界を再生させる力の
やがて、エルカリナの体の発光が、
「あたたかい……あたたかい光……これは……体温のぬくもり……」
まるでリルルに抱きしめられているようなあたたかさを感じて、エルカリナの目から涙が転がり落ちた。何故、その粒子のひとつひとつが人のぬくもりを抱いているのか、エルカリナにはわかった。魂で理解できた。
「ああ……リルル……。これは、死んだ人たちのぬくもり……魂の種子のあたたかさなの……」
悲しみでも、嘆きでも、
今、自分は奇跡を視ているのだ。リルルは魂と魂をつなぐ
それは女神の力だった。人が起こす神の力だった。
「最初は……ただの人間に過ぎなかったわたしと、同じように……リルル……あなたは、新しく再生した世界を、想いの力で支える女神になろうとしているの……リルル……リルル……」
喜びも、怒りも、
エルカリナは無の感情で、魂の種が大地のすみずみに撒かれていく様を、流れ落ち続ける涙と一緒に視ていた。
いつしか、王都は、王都を支える岩塊は降下に転じていた。
三億年の周回に飽きたかのように、自分の家に帰ろうと帰途に着く子供のような足取りでゆっくりと、宇宙の空間を降りていく。
その真下に、元の姿を取り戻した四つの衛星都市が、主人を待つ犬のように待っている。
三億年ぶりの風を受ける王都エルカリナもまた、よみがえっていた。戦いで破壊されたはずの建物が全て元に戻り、人の
「リルル、聞こえるかしら……リルル……」
衛星都市たちが結び合う中心、そこには巨大な穴が空いていた。正四角錐の――今や白い雲を貫き、あたたかい太陽の光を受けながら青い空を降りていく王都の
「あなたは、やったの……やりとげたの……すごいの……あなたは、ほんとうにすごくて、りっぱで……わたしのじまんの、ともだちなの……」
銀色に満たされる世界の中で、エルカリナの姿が
世界を再生させた
――そして。
全ての光が、その放出を止めたのと、同時に……。
王都エルカリナは、三億年ぶりに、大地に降りた。
◇ ◇ ◇
みんな。
世界に生きるみんな。
私の願いを聞いて。ちっぽけな私からの、心からの願いを聞いて。
どうか……みんな、どうか……。
みんな……しあわせになって……。
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