「第06話 帰還」

「再生――レ・クリエイション――」

 三億年の時間が経過しても宝石のお花畑はその輝きを少しも失わず、あるべきところにあった。

 ふたり、手を硬く繋いだリルルとエルカリナは、硬いきらめきを無限に発する広い花壇の間を抜け、白銀でできた天蓋てんがい付きの寝台まで歩く。


 いっぱいの羽根が詰められたように膨らんだ枕が置かれ、柔らかそうな布団が敷かれた寝台のかたわらに立って、リルルはそっとその感触を手で確かめた。


「――ここで、私は眠るのね……」

「リルル…………」


 エルカリナが、リルルの手を握る手に力を込める。その力の強さにリルルが顔を向けると、今にも泣き出しそうなエルカリナの顔があった。


「やっぱり、ちょっと緊張きんちょうしちゃうね。でも、私、危ないことも無茶なこともれちゃってるの。平気よ」

「うん……」

「私とエルの、ふたりで横になるの?」

「ううん」


 長い睫毛まつげで目元にかげかぶせたエルカリナが、頭を横に振った。


「眠るのは、リルルだけなの。――わたしは、横になる必要はないの」

「なんだ。ふたりで寝るのも楽しいと思ったのに、さびしいな」

「リルルぅ……」

「冗談よ、エル。泣かないで――ゴメンなさいね」


 エルカリナのあたたかい頬に小さくキスをして、リルルはくついだ。寝台しんだいに上がり、掛布団かけぶとん敷布団しきぶとんの間に体をすべらせる。

 寝床ねどこから天蓋てんがいの裏をあおぐ――そこは星空だった。


「わぁ…………」


 半球状の屋根の裏に、白い宝石のくずを両手でひとすくい、いっぱいに散らしたような星の海があった。


「きれいね……最後に目にするかも知れない景色としては、申し分ないわ……」

「……リルル、こわくないの……?」

「怖いわ。とても怖い――でもね」


 羽を詰めたまくらに首筋まで当てながら、リルルは微笑ほほえんだ。


「ここで逃げる方が怖いから、私は怖くない方向に進むだけなのよ。――エル、この気持ちをわかってくれる……?」


 怖い、という言葉をつぶやく者とは――いや、結果がどうあれこれから死と変わらない状態に自ら進もうとしている者とは到底とうてい思えない、落ち着いた声と顔でリルルはいっていた。


「私の進む先には、希望があるもの。望みがかなえば、私はみんなの幸せな姿を見ることができる……世界中のみんなを呼び戻すことができる。ふふふ……私、何をするにもいつだってけだったものね。フィルにはまた無茶をしてなんて怒られるんだろうけれど、性分しょうぶんだから仕方ないわ。いっぱい怒られることにする」

「…………」

「さあ、エル。どうすればいいの。私の心の準備は、できているから」


 リルルのうながしに、エルカリナも涙を払い、その表情を落ち着けた。すう、と息を吸った。


「……目を閉じて。わたしが子守歌を歌うから。リルルは、今までの記憶を全部――体験したこと、行った場所、出会った人々のことを思い出して……」

「私は自分が生きていた世界のことも、ほとんど知らないのよ。それで大丈夫なの……?」

「あとは、リルルの想像力の問題なの」

「そうぞう、りょく……?」


 リルルは、口の中でり返した。

 見ぬ事、知らぬことを想い描く力。

 過去と現在から、未来をる力。


「あの空の向こうにはなにがあるか、海の向こうにはなにがあるか。この人はどんな人とのつながりがあるのか――。その延長線を想像する力、夢見る力で追っていけば、どんな広い世界だっておおえるの。リルル、覚えていて。夢を見る力は、想像する力、おもう力で支えられているの」

「想像する、ちから……」


 リルルは目を閉じ、開けた。その一瞬の間に、自分の中で世界を想いえがいた。


「人が世界を想う力が、世界を成り立たせ、支えるの。リルル、わかる……?」

「うん……なんとなく」

「リルル。自分の大切なものを、胸であたためて。それが世界をつくるの。なくしてはいけないものを想って。それが世界を創る力になるの……」

「うん」


 リルルは、目を閉じた。小さく息を吸い、小さく吐き――大きく息を吸って、大きく吐いた。


「――ニコル、フィル、サフィーナ、ロシュちゃん……」


 リルルの首からかかっているロケット――そのふたの下に家族の写真を納めたロケットが、ほのかに輝き出す。


「お父様、ソフィア、ローレル……ウィルウィナ様、クィルちゃん、スィルちゃん、ゴーダム家のみなさん……ラシェットさん、アリーシャさん、エヴァ……アヤカシ様、島のみんな……街の子供たち……コナス様……カデル……ダージェ……ティコ君……」


 ふうう、と風が吹いた心地がして、リルルは体が軽くなったのを感じた。


「みんな……みんな……世界のみんな……。まだ死にたくなかった、たくさんのみんな……。私の心に入って来て。私に力を貸して、あなたたちのことを教えて……。私はあなたたちが生きて行く姿を見たいから。あなたたちが歩いていく先を見たいから……」


 ふわあ、とリルルの体がわずかに浮いた。

 ほんのわずか、手が滑り込めるかどうかというほんのわずかに浮いた。

 そして、見えず触れられない風――波動が吹く。

 リルルの長い髪が放射状に広がり、その浮いた隙間すきまから、青みがかった銀色の粒子りゅうし――リルルの髪の色の粒子が静かにき出す。


「おやすみなさい、おやすみなさい、おやすみなさい、リルル……」


 目の前でき上がり、噴き上がる銀色の粒子をその身に受けながら、エルカリナは歌うように呟く。呟くように歌う。


おだやかに、安らかに、優しげに、夢を見て、リルル……」


 エルカリナの体も金色に輝く。金色の細かな粒子がたんぽぽの綿毛のようにい上がり、それがリルルが発する、無数の銀色の粒子とひとつひとつがたわむれるように絡んだ。


「目覚めまで、あたたかに、やわらかに、眠り寝て、リルル……」


 エルカリナの体が発光するのに共鳴するかのように、リルルの体も銀色に輝いた。舞い上がる銀色の粒子の密度が増していく。薄く漂うものだったそれは、あっという間に天蓋と寝台の間を埋め尽くし、そして見る間にこの一帯の空間の全てを満たしてしまうかのようにほとばしった。



   ◇   ◇   ◇



 リルルは、目覚めと眠りの狭間はざまに立っていた。


『ここは…………?』


 寝台に横たわっていたはずの体が、立っている。上下左右前後の区別がつかない、真のやみの中でリルルは立っている――いや、星のない宇宙に浮かんでいる、といった方が正確なのかも知れない。


 そこには闇しかなかった。闇が見えるだけの、宇宙が生まれる前の空間だった。


『私は……ひとりなの……? 私は、世界を創り直すのに失敗したの……? ここに、光は――』


 その疑問ぎもんは、次の瞬間には氷解ひょうかいした。

 リルルが首をめぐらそうとした時、光がいた。いくつも咲いた。


『あ…………!』


 銀河の星々が一斉に光り出す。次に太陽に輝きがともり、リルルの正面に月が照らされ、足元に母星ははぼしが現れた。

 光は、あったのだ。


『私たちの、星は…………』


 足元に浮かぶ、丸い星――鮮やかなあおみどりの色でいろどられているはずのその星は、しかし、灰色はいいろだった。

 いや、わずかに色がある。親指の爪くらいの大きさの円、そしてそこからやや離れて染みのように灯っている、本当に小さな色――。


『ああ……ここは、王都とメージェ島なんだわ……』


 リルルにはわかった。母星の中で、自分が知っている場所だけに色があるのだ。――自分が知っている場所は、この広い母星の中で、たったそれだけなのだ。


『私は、この母星の全てに色を着けなければならないのに……やっぱり私は、世界のことなんて本当に知らないんだわ……仕方ないもの、王都からほとんど外に出たことがなかったのだもの……』


『やっぱり、世界をよみがえらせるなんてことは、夢物語だったのかしら……。エルは想像することが力になるといっていたけれど、私には、知らないことはわからないわ……!』

『――リルル』


 そのを打った声に、リルルは顔を上げた。


『――それはちがうよ、リルル』


 それは外からではない、心の中心が跳ねることで聞こえた声だった。


『ニコル……サフィーナ……それにフィル…………!?』


 その声は、三人の声をたばねたものだった。三人の想いがからまってまれた一本のげんが弾かれてかなでられる声だった。


『僕は、私は、わたしは、リルルの中にいる。リルルの中にたましいが写されている。――リルル、君の、あなたの中にいる魂たちを信じて。魂たちのことを想うんだ。魂は、記憶で支えられるものなんだ。と、いうことは――』


 王都を示しているらしい地点の色の近くに、新たな色が浮いた。

 同時に、エルカリナ大陸らしい場所からかなり離れた場所にも色が着く。それがしめすところは――。


『ああ……これは、ゴーダム公の領地と、フィルの故郷ふるさとであるエルフの里……!?』

『そう。リルルの中にある魂たちの記憶。リルルが色を着けられたのと同じように、リルルの中の魂たちも知っている場所を想像できる。――そしてリルル、リルルの中にある魂は、三人だけじゃない……』

『こういう時には、あたしたちだって役に立つんだよぅ』


 フィルフィナの妹、クィルクィナの声が響いた。


『……私たち、二十年も冒険者として旅をしていた。世界を回っていた』


 クィルクィナの双子の姉妹、スィルスィナの声も聞こえる。


『その旅の中でめぐってきた世界の広さと、出逢であってきた人の多さは伊達だてじゃないんだからね――ほら!』


 跳ねるような声が弾むと、次には母星の三割が翠の色を取り戻した。エルカリナ大陸を挟み込む二つの巨大な大陸が輪郭りんかくのほとんど、そして内側を塗られる。


『二人に旅をさせていたのが、こんなところで役に立つなんてね。わからないものね?』

『ウィルウィナ様……!』

『リルルちゃん。世界は、少しの気づきで大きく変わるのよ』


 世界の全てを包み込んでしまいそうな、おおらかな笑顔の女性の面影おもかげがリルルの心を通り過ぎていった。


『私たちの魂の中にも、私たちのそれぞれが人生の中で出逢い、触れ合ってきた無数の魂が写されているの。あなたの中に私たちがいるのと同じように。写しの魂の中に、写しの魂がある――。リルルちゃん、気づいて。それが何を意味しているのかを、気づいて。それだけで、あなたは全てをかなえられる。とてつもない力を得られるの。さあ――』

『気づき……魂と、魂……それは……』


 リルルは目を閉じた。目を閉じて、おもった。

 十六年と少し、決して長くはない自分の人生。しかし、そんな短い人生の中でもかなりの出逢いがあったはずだ。交わされた無数の言葉のやり取りがあったはずだ。

 頭では覚えていなくとも、魂にきざまれた無限のみぞがあるはずだ――。


 自分の心の中を探る。宇宙より深く、広い空間に意識をもぐらせる。自分の中に格納された、無限の魂たちが言わんとしていることを解き放とうとして――。


『――そうか!』


 リルルは、自分の中に光を見た。闇の全てを吹き飛ばすほどの、あふれんばかりの光を見た。


『魂と魂は、つながっているのよ! 私が知らない誰かの魂とも、私が知っている魂をかいしてつながっている! そのつながりをつなぎ、さらにつないで、つなぎ続けていけば!』


 それが、全ての発火点となる『気づき』だった。


『つながらないものなんて――ないわ!!』


 世界が生まれる、瞬間だった。

 色が、あふれた――。



   ◇   ◇   ◇



「わ……あ、あああ…………!!」


 エルカリナの体を透けて抜けていく、細胞と細胞の間を透過していく光の粒子が、爆発ともいえる勢いで噴出し続けていた。

 それは目の前の火口から火山の噴火ふんかを受けているようで、なのに衝撃しょうげきの一切はない。

 静かな、そしてすさまじい大爆発と大噴射のただ中にいて、エルカリナはおどろきの声を上げていた。


「え……えええ、え…………!? す、すごい……すごすぎる!! ……すごすぎるの、リルル!!」


 無限の砂金さきん砂銀さぎん交錯こうさくし、吹き荒れる輝きだけが視界を覆いくし、照らし尽くし、エルカリナは目の前にいるはずのリルルさえ見えないすさまじい光の洪水こうずいの中で、さけんでいた。


「これは、もしかしたら、もしかしたら……!」


 普通の人間ならばとっくに失明しているほどのあふれんばかりの激しい光量の中で、エルカリには最早もはや意味を成さなくなった目を閉じた。

 意識を外界・・に切り替える――この王都を支えている魔鉱石まこうせきの巨大な岩塊がんかいた。


 コォォォ、ォォ、オオオオオオオ…………!


「わぁ、ああ、あああ――――!」


 宇宙に浮かぶ逆正四角錐ぎゃくせいしかくすいの頂点から、眠りの空間で噴き上がり、圧縮あっしゅくされた輝きの粒子が、凄まじい奔流ほんりゅうの勢いとなって、地上に向かって放出された。


 まだ、なにひとつ人工物が存在しない大地と海に、星の全てを満たし包んでしまおうかというほどに莫大ばくだいな、莫大な金と銀の砂がそそぐ。宇宙から降り注ぐ豪雨ごううとなってばらまかれる。


 まずはそれが第一の目標だといわんばかりに、最初にきらめく粒子の奔流を、洪水を受けたのは――王都の公転と同期するかのように真下にいた、エルカリナ大陸だった。


「ああっ!?」


 エルカリナは、た。驚愕きょうがくに胸をつらかれた。


「ま、が……!? む、が…………!?」


 優しい勢いでかれた粒子が降りた大地――そこに、街が、村が、集落しゅうらく再生・・するのを。


「うそ……うそ、こんな、こんなはずないの! ここまでのはずはないの! ここまで再生させてしまうはずはないの!」


 そんなエルカリナの叫びを無視するかのように、粒子の奔流の直撃を受けて全土を輝かせたエルカリナ大陸に、街がよみがえる。村がよみがえる。


 女神のなげきによってかれる前の――いや、もっとそれ以前、焦土作戦しょうどさくせんで自らを焼き尽くす以前の姿によみがえらせていく。


 家々が、建物が、橋が、城壁じょうへきが、田が。畑が、国がよみがえっていく。まるで時を巻き戻したかのようによみがえらせていく。全てを元通りに創っていく。


 金と銀の粒子の津波つなみまたたく間にエルカリナ大陸を埋め尽くし、そしてあっという間に海を走り、他の大陸に届いた。

 他の大陸に届き、弱まらぬ勢いで、むしろ加速して広がり続けていった。

 やしよ、大地にひろがり、大地をうるおし、大地にみ込めと。


 巨大なはずの眼下の星、その見える範囲の全てが光の粒子に包まれる。そして見えない側にも拡がり続けていく。勢いは止まらない――全てを再生しきらないうちは止まらないというように。


「リルル……リルル! すごい! すごいの! 地上が、世界が生き返っていくの……!!」


 圧倒的な光の向こうのリルルは見えない。返事もない。ただ、世界を再生させる力のみなもととなって、太陽の何百万倍もの勢いで輝き続けているだけだった。


 やがて、エルカリナの体の発光が、んだ。だが、リルルが放つ輝きは止まらない。金と銀が混ざった光は銀の一色になり、発光がしずまっていった地上をもう一度染め上げるかのように振りまかれた。


「あたたかい……あたたかい光……これは……体温のぬくもり……」


 まるでリルルに抱きしめられているようなあたたかさを感じて、エルカリナの目から涙が転がり落ちた。何故、その粒子のひとつひとつが人のぬくもりを抱いているのか、エルカリナにはわかった。魂で理解できた。


「ああ……リルル……。これは、死んだ人たちのぬくもり……魂の種子のあたたかさなの……」


 悲しみでも、嘆きでも、にくしみでもない涙を流すエルカリナの、全てが震えた。

 今、自分は奇跡を視ているのだ。リルルは魂と魂をつなぐ媒介ばいかいとなって、全てのものをつらねつなげる中心となっているのだ。


 それは女神の力だった。人が起こす神の力だった。


「最初は……ただの人間に過ぎなかったわたしと、同じように……リルル……あなたは、新しく再生した世界を、想いの力で支える女神になろうとしているの……リルル……リルル……」


 喜びも、怒りも、かなしみも、楽しみも通り越して。

 エルカリナは無の感情で、魂の種が大地のすみずみに撒かれていく様を、流れ落ち続ける涙と一緒に視ていた。


 いつしか、王都は、王都を支える岩塊は降下に転じていた。

 三億年の周回に飽きたかのように、自分の家に帰ろうと帰途に着く子供のような足取りでゆっくりと、宇宙の空間を降りていく。

 その真下に、元の姿を取り戻した四つの衛星都市が、主人を待つ犬のように待っている。


 三億年ぶりの風を受ける王都エルカリナもまた、よみがえっていた。戦いで破壊されたはずの建物が全て元に戻り、人の息吹・・が吹き出し始めていた。


「リルル、聞こえるかしら……リルル……」


 衛星都市たちが結び合う中心、そこには巨大な穴が空いていた。正四角錐の――今や白い雲を貫き、あたたかい太陽の光を受けながら青い空を降りていく王都の基盤きばんを受け止める穴だった。


「あなたは、やったの……やりとげたの……すごいの……あなたは、ほんとうにすごくて、りっぱで……わたしのじまんの、ともだちなの……」


 銀色に満たされる世界の中で、エルカリナの姿がけていく。その少女の輪郭りんかくをなくして、なくなっていく。

 世界を再生させた中枢ちゅうすうから、光が消えていく。


 ――そして。

 全ての光が、その放出を止めたのと、同時に……。

 王都エルカリナは、三億年ぶりに、大地に降りた。



   ◇   ◇   ◇



 みんな。

 世界に生きるみんな。

 私の願いを聞いて。ちっぽけな私からの、心からの願いを聞いて。


 どうか……みんな、どうか……。

 みんな……しあわせになって……。

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