「勇気と、決意と、選択と」

「み……み、みっ、み……!?」


 リルルの目が見開かれた。ついでに口も大きく開けられた。

 言葉をなくしたリルルが口を閉じられるまでの間を、エルカリナは辛抱しんぼう強く待った。


「み……みっ、みっ……み、みみっ……」


 三回ほどしたの先を小さくんでから、リルルはさけんだ。


「み、みみみ、みんなを生き返らせる世界……!?」

「うん」

「ええっ!? だ、だって、初めてエルに会ったあの部屋で、私はお願いしたよね!? みんなを生き返らせてほしいって!」


 リルルは覚えている。女神にすがり、そして無為むいに終わったその時を。


「その時、あなたは自分には無理だっていったわ!!」

「いったの、確かに。それは本当。わたしには無理なの」

「じゃあどういうこと!?」

「わたしには無理。――でも」


 エルカリナはじっとリルルを見つめた。その冷静な視線の色に、リルルは予感を覚えた。


「……私には、できるっていうこと……!?」

「そう」

「わ……私に、そんなことが……!?」

こわれてしまったあの世界は、わたしの夢。目覚めた時に、見ていた夢の印象があっという間になくなってしまうのと同じように、もうわたしはほとんど忘れてしまっているの。――でも、あの夢の中で生きていたリルルは、そうではないはずなの」


 まっすぐに向けられるエルカリナの純金色の瞳が、うていた。


「リルルがあの世界を覚えていれば、夢をつくり直せるの。死んでしまった人々、全部のたましいを呼び戻して、終わる前の世界を創り直せるはずなの。世界の全てを思い出して、創り直せるはずなの」

「私が……世界の全部を……そんな……そんなことが……」


 その次元を超えたような内容の話に、リルルは戸惑とまどった。戸惑うしかなかった。


「わ、私だって、あの世界の全部を知っているわけじゃないのよ。むしろ、知らないことばかりだわ……私、エルカリナ王国の外になんかほとんど出たことはないもの。外国のことなんて、さっぱりなくらいだわ……」

「そう。――だからそれは、とてもとても難しいの……」


 エルカリナはそこで一度、口をつぐんだ。言葉を探すように視線を彷徨さまよわせた。


「創り直すことは可能というよりは、創り直すことは不可能ではない、というべきなの。縦と横、それぞれ一万個もあるような絵合わせ遊びジグソーパズルを、一回も迷わずに完成させるよりもずっと、ずっと難しいの。……そして、それに失敗したら……」

「……失敗したら?」

「リルルは、永遠にやみの世界に閉じ込められるの」


 落ち着き払ったエルカリナの声が、その『闇』の深さを教えてくれるようだった。


「目は見えるのに闇しかない、耳は聞こえるのに音がない、物には触れられるのに地面すらない……臭いも味もない、五感は働くのに、本当になにもない空間の世界なの。そこでは、本当にたったひとり。全てから孤立こりつした世界――わたしが干渉かんしょうすることすらできない、完全に閉じた世界なの」

「完全に……閉じた世界……」


 リルルの背を、寒気が駆け下りていった。全身の細胞がぞわりと震えた。


「そこであなたは、生きることも死ぬこともできず、永遠に意識だけが残り続ける。地獄よりもつらい世界に閉じ込められてしまう……そんな危険を、リルルにおかさせるわけにはいかないの。……そして、仮に、万に万を重ねての万が一、みんなが生き返る世界を創るのに成功しても……」

「……成功しても?」

「――あなたは、その世界では生きることはできないの」


 リルルの胸に、見えないあな穿うがたれた。


「その世界は、眠るあなたが見る夢だから」

「私が、見る夢……。……つまり……」

「そう」


 エルカリナは、うなずいた。


「――わたしの代わりに眠るあなたが、眠りの中で見る夢で創る世界なの」



   ◇   ◇   ◇



 放心したような顔でリルルは安楽椅子あんらくいすに体重を預けきり、星空に目を向けていた。その横でエルカリナは立ち続け、言葉をかけ続けていた。


「リルル。あなたの知っている人を生き返らせても、あなたはその人達とまじわることはできないの。あなたが眠っていないと、その世界は成り立たない。あなたが目覚めると、世界はなくなってしまう――起きた時の夢と同じように。あなたは、その世界の中で永遠に眠り続けるの……」

「永遠に……」

「……わたしと同じく、夢が悪夢になって、その恐ろしさに耐えきれなくなって目覚めてしまうまでは、ずっと眠り続けるの。……リルル、それに耐えられるの? あなたは実質、死んだのと同じになってしまうの。それでも、自分が眠ることで、あなたの元の世界を創り直そうと思うの?」

「…………」

「あなたが愛するニコルも生き返るけれど、結ばれることはできない」


 リルルの目尻めじりと口のはしが、わずかにねた。


「言葉も交わせない……微笑みかけることもできない……それでもあなたは、夢として世界を見続けることはできるの。わたしと同じように、世界で起きることの全てを見られる」

「…………」

「あなたが創り直した世界では、生き返ったニコルも、生き返ったフィルも、生き返ったみんなは、それぞれに生き始める……死ぬ前と同じように。あなたは、ニコルが自分以外の誰かと結ばれて、子供をさずかって、天寿てんじゅまっとうするさまを見なければならない……見てしまうでしょ? 見たくないと思っても、ニコルのことなら見てしまうでしょ……?」


 リルルは想像した。想像して、重い気持ちだけが残った。


「……愛している人のことだもの。忘れることはできないでしょ? リルル、あなたは、それでも――」

「――それでも、いいよ……」


 エルカリナの目が、開いた。

 安楽椅子の上でこちらを向いたリルルの口元に、微笑みが浮いていた。


「ニコルが幸せなら、それでもいい。ううん、それでいい」

「リルル……」

「――ニコルは、たくさんの人から愛される人よ。サフィーナだってフィルだって、ニコルのことが好き。ニコルとサフィーナが結ばれたら、私が大好きな人が一度に幸せになれる。いいことじゃない。フィルだってそれを祝福するでしょう。ゴーダムの家のみなさんも喜ぶはず……」


 リルルは天を見上げた。そのひとみうるんでいた。


「……本当に、それでいいの……?」

「当たり前じゃない。エル、忘れないで。あなたが示してくれた他の選択肢では、誰も幸せになれないのよ。――でも、私が夢を見るために眠り続けることで、ニコルも、フィルも、サフィーナも、ロシュちゃんも……他の人達が幸せになれる。だって、生きることができるんですもの」


 リルルは目を閉じた。まぶた隙間すきまから涙がにじんで、ほおを流れ落ちていった。


「私が、みんなを幸せにすることができる……。いいことじゃない。素敵すてきなことでしょ?」

「リルル、あなたの幸せは……」

「私の幸せは、みんなが幸せになることだもの」


 リルルは再びエルカリナに目を向けた。涙の航跡こうせききざんだ頬に、笑みが浮いていた。


「私がリロットなんてものになったのも、快傑令嬢リロットなんて名乗りだして戦ったのも、元はといえば、みんなに不幸になってほしくなかったから。私ががんばることで、一人でも多くの人に幸せになってほしかったから。私が誰かを幸せにしたんだっていう実感が欲しかったから……」


 揺れる安楽椅子から、リルルは離れた。エルカリナのそばひざを着き、たがいの視野しやに相手しか入らない距離まで詰めた。


「エル。あなたには覚えておいてほしいの。誰もひとりだけでは、幸せになれないのよ」


 ――他人。自分以外の人……。


「人は、誰か他人が必要なの。ひとりだけで生きることはできるけれど、それは生きているだけ。誰かと心をわし合うことでしか、自分の心は弾まない。心が弾まないと、本当の幸せは得られない――私、それがようやくわかったのよ。ここまで戦って、生きてきて」


 だからね、とリルルは小首をかしげた。


「私、決めたわ。やってみる。私が眠ることで、みんなが生きる世界を創り直してみる」

「リルル……!」

「止めても無駄よ。もう決めたから」


 エルカリナの純金色のひとみの中で、リルルが微笑んでいた。その輝かしい笑みを瞳に受けて、エルカリナは震えた。


「……しくじってダメだったら、仕方ないわ。あきらめるしかないものね。でも、いどめるのに挑まなくてあとで後悔するよりは、いいわ。できるかぎりのことはやったんだって、納得できる。自分の意志で道を選べば、運命の結果を受け入れられる。

 ……私も、そんなえらそうなことをいえる立場じゃないわ。でも、人生でいちばんいけないのは、失敗することじゃないの。後悔をし続けることだと思う。後悔が人生を無意味なものにするんだわ。そんな気がする……なんとなくだけど……」


 後悔。

 自分は何度、その言葉を心の中で噛みしめてきたことだろう――そんな想いを無限に巡らせながら、リルルは言葉をいだ。


「後悔は、後ろを向き続けることよ。それでは前に進めないわ。――私は、前を向いていたい。まっすぐ目を向けていたい。前を向き続ける素敵な人達に、私、たくさん出会ったから。その人達にじないようにしたいの」


 熱いものが胸の中で湧き上がり、感覚の全てを伝って体をのぼり、リルルはその感触が、どうしようもなく目の裏を熱するのを覚えた。


「――エル、わかってくれる?」

「…………やっぱり、みっつめは教えるんじゃなかったの……絶対にこうなると、思ったから……」

「それでも、あなたは教えてくれた……ありがとう、エル。私はあなたに感謝する。私は、私の全部で、あなたにありがとうというわ」

「リルル……」


 エルカリナはリルルにほおを寄せ、リルルもそのエルカリナの頬に頬を重ねた。

 ふたりの涙が重ねられて、ひとつになった。


「……私が眠るとあなたにはもう、会えないのかしら?」

「……わたしもリルルと一緒に眠るの。わたしはリルルが見る夢の土台になるの。その間、言葉をわすことはできないの……でも、お互いがいることは感じ合えるかも……」

「そう。じゃあ、いいたいことは今のうちにいっておかないとね……。――エル、私の友達のエル。不思議な女神様。あなたに会えて私、うれしかった」


 女神の頬の上で、少女は微笑んだ。


「あなたのこと、忘れない。なにがあっても、忘れない。たとえ闇の世界の中にとらわれてもね」

「…………ひくっ……」

「エル、泣かないで」


 頬と頬がすり合わされる。その間でぬくもりが生まれる。


「あなたはあなたの勇気で、私に希望を与えてくれたのよ。私はその希望にけてみる。賭けることができる。細く弱い光であっても、なにもない真っ暗闇よりはずっといい。……私にどこまでのことができるかわからないし、自信もないけれど……できる限りのことを、するまでなのよ」

「……リルルは、すごいの……本当に、わたしの夢から生まれてきたとは思えないくらい……」

「あなたもすごいわ、エル。――私の可愛い女神様」


 リルルは頬を離した。

 声もなく涙をあふれさせて泣いている女の子の顔を真正面から見つめ、笑いかけた。


「さあ、行きましょう。私が眠る寝台しんだいのところに。だいたい予想はついているわ。あなたが眠っていた、あの宝石のお花畑の世界でしょう?」

「うん……」


 うなずくエルカリナの涙を指で拭って、リルルは立ち上がった。

 幼い女神の手を取って、ぎゅうっと握り締めた。

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