「反省会」

 またもリルルのすさまじい巴投ともえなげが炸裂さくれつした。

 まっすぐの軌道きどうで投げ飛ばされたニコルの体が緑の金網かなあみ激突げきとつした途端とたん、彼の頭はそれを食い破るようにして突き刺さる。


「んにゃあ――――!?」


 女の子の悲鳴が上がったと同時に、学校の屋上の四方の景色が倒れた・・・。実際の光景のようにしか見えなかった景色が絵に変わり、それが描かれていた広い板がバタン! という音を立てて床にした。


「――またかぁっ!」


 頭の上にあった晴れた空も消えていて、先ほど見た明るい照明がいくつも取り付けられている屋根・・が現れる。景色が描かれていた板が倒れた向こうには、これもさっき目にした白く巨大な倉庫の室内・・があった。


「あーっ! また書き割り壊したの! リルルったらなんて乱暴なの! これだってまだ後で何回か使うの!」

「やかましい!」


 隣に組まれていたのは、教室をした舞台装置そうち――ニコルが転校生として紹介されたあの場面、四十弱ほどの机と椅子、教卓きょうたく教壇きょうだん白板ホワイトボード、そしてかべと窓ととびら――全てお芝居しばいの作り物、作り物、作り物だ。


 椅子いすの列をめるように制服を着た無数のマネキンが座り、その中で唯一ゆいいつ生きているエルカリナが、泣きべそをいていた。


「それにニコルの人形もこわしちゃったの……。これ作るの大変なの! でも、さっきの教室の場面、わたしが混じってたのに気づいたの?」

「本当にやかましいのよ!」


 リルルがあらい足取りでみ込む。コンクリートの地面に似せたベニヤ板の床に亀裂きれつが入った。


「またこんな! 安い作り物で私をまどわせようとして! なにを考えてるのあなたはぁっ!」

「リ、リルル、またまってるの、絞まってるの」

「――ふん!」


 怒りに任せてエルカリナの襟首えりくびを絞め上げていたリルルが、腹立ち紛れに乱暴に手をほどいた。


「また気に入らなかったの? どこがダメだったの?」

「ほぼ全部よっ!!」


 リルルは気炎きえんいた。快傑令嬢リロットの姿に――あの設定では魔法少女リロットの姿に変わっていたのが、いつの間にか元の青いワンピースドレスに戻っていることに本人も気が付いていなかった。


「うーん、難しいの……。でもリルル、こらえ性がないの。あそこからが面白くなるの。あなたはあの世界では誰も使えない魔法の力を手に入れて、なんでもできるようになるの。学校に押し入ってきた暴漢ぼうかんをやっつけたり、いじめっ子のエヴァレーに仕返しできたり」

「なんで二回続けてエヴァレーが私に嫌がらせする役になってるの!!」

「エヴァレーって、リルルにとってそういう相手じゃないの?」

ちがう!!」

「あいたぁ!」


 リルルの怒りの鉄拳がエルカリナの頭を小突こづいた。


「な、なぐったのぉ――!」

「殴って悪いかぁ!」


 二発目三発目が小さな頭に炸裂する。


「二度も三度も殴ったの! 誰からも殴られたことないのにぃ!」

「うるさいだまれ!!」


 山を引きき海を割るようなリルルの怒声どせいに、エルカリナはのどを鳴らして泣きべそを止めた。


「スカッとするためにわざわざエヴァレーを悪役にでっち上げて、それでみじめになっていくエヴァレーを見て笑ったりするとか! 仕返しをして気持ちよくなろうとか! 私はそんなこと全然思わないわ!! ……確かに、昔のエヴァレーは私に意地悪する人だった! でも今は友達なのよ!!」

「リルル…………」


 抗議こうぎの声を上げようとしたエルカリナは、リルルの目に涙が浮いているのを見た。


「私とエヴァレーはぶつかり合って、傷つけ合って、心をぶつけ合って、それで相手のことを知ったのよ!! エヴァになったエヴァレーと私は、親友よ!! エヴァが……エヴァレーが死んでしまって、どれだけ私の心がかれたか、わかっていたのなら、こんな無神経なことはできないわ!!」


 怒りが悲しみに変わっていく。リルルの涙の色が濃くなっていく。


「それに、ニコルもそう! ニコルはあんなに手が早い人じゃないの! 女の子に対しては、とっても奥手な人なの! 男の子としての衝動しょうどうを持ちながら、騎士らしく振るわなければならないと無理をする人なのよ! だから、あなたが見せたあのニコルはニコルなんかじゃない! 真っ赤な偽者にせものよ!!」

「だからそれは、話を早くしようと思ったの。リルルだってそっちの方がいいでしょ? いつまでもグズグズしているニコルよりは、スパッと切り出してくれるニコルの方がイライラしないで」

余計よけいなことよ! 本当にらないことだわ!!」


 リルルの膝が崩れる。机に手をかけて、その場にうずくまった。


「……本当のニコルは、私と同じ日に生まれて、赤ん坊のころから一緒に育って、遊んで……砂場で私とした結婚の約束を、大事に大事にして、人生をけて果たそうとする人なのよ……。そんな小さな子供の頃の約束なんか、小さい時にそんなことしたねで、すませてしまえばいいのに……」


 くちびるみしめて、リルルは体を丸くするようにうつむく。三億年ぶりの涙が、そんな彼女のほおこぼれた。


「だから、あなたが見せてくれたものはみんな偽物なのよ……。フィルだってエルフじゃなかった、サフィーナだって公爵令嬢じゃない……。人間は、小さな小さな記憶の部品を、ゆっくり、たくさん積み重ねてできているの……ひとつでもちがえば、それは本物じゃないんだわ……」


 三億年の間にかわききり、冷めきっていた心に、うるおいと熱がこもる。それが耐えきれない重さになったように、リルルはうずくまった。

 この体を軽くするには泣くしかないというように、そのひとみから涙があふれ続けた。


「会いたい……。本物のみんなに、私のことを覚えてくれている会いたい……! もう、こんなさびしいところに、たったひとりでい続けるのは嫌よ……! もう……もう、私は……!」

「ご……」


 目の前でちぢめるように丸くした身を震わせすすり泣き続けるリルルを見下ろして、エルカリナの白いひたいに影が差す。純金色の瞳にもかげりが浮かんだ。


「ごめんなさい……ごめんなさい、リルル。わたし、あなたを悲しませようとしたんじゃないの。ただ、あなたに喜んで、楽しんでほしいと思ってやったの。こんな、喜びと楽しさしかないような、あなたのための世界にあなたを連れて行ってあげられるって、教えてあげたかったの」


 青みがかった銀の髪が床に触れるのも構わず、体を小さくして泣くリルルの頭をエルカリナは、壊れ物をあつかうような手つきで、恐る恐る両手で抱いた。


「ただそれだけなの。だから、リルル――」

「要らない! 要らないわ!! そんなの要らないのよ、私は!!」


 エルカリナの手の中で、リルルが顔を見せた。涙にれた表情がまたも炎をいていた。


「私が欲しいのは、私だけの世界じゃない!! 私とみんながいる世界よ!! そこで不幸であってもいい! みじめであったってかまわない!! 不幸も惨めさも知らず、ただあなたが書いた筋書きに乗って浮かれているだけの世界よりは、私は自分で自分を不幸にできる世界を選ぶわ!!」

「リルル、怒らないで。わ……わたしも泣いちゃうの……」


 リルルの心の熱にあぶられて呼ばれたように、エルカリナの瞳も涙でうるんだ。じんわりとけるように熱くなったそれが、真珠と変わらないようなつぶこぼし始めた。


「もうあっちに行って! 私にかまわないで! お願いだから、ほうっておいてちょうだい!!」

「わあああ……」


 エルカリナの姿が消えた。同時に、今まで見えていた倉庫の内部のような景色も消える。

 一瞬の白昼夢はくちゅうむのような感覚が少女をおそった次の瞬間には、リルルは自室の居間いまにいた。

 テーブルの上のティーパーティーの台が、今までがただのまぼろしではなかったことを教えていた。


「ああ、あ、あああ、ああ……!」


 リルルはソファーに腰掛けたまま、また体を丸めて、頭を抱え込んだ。


「……ソ……ソフィアのママもいた……ローレルもいた……!! くなられたウィルウィナ様もいらっしゃったし、コ……コナス様までいらっしゃったじゃない……! 亡くなられた時の、あのコナス様のままで……!」


 異なる世界の、何気ない日常の場面。あの世界では本当になんでもない、当たり前の日々。

 そこに当然のようにいた人々。コナスもウィルウィナも、二人ともリルルを、リルルたちを守るためにその身を、命をしみなく投げ出して、死んでいった。


「なんで、あんなに顔と声を似せるのよ……! 中身は違う別人だとわかっているのに、同じだと思ってしまうじゃないの……! うわ、ああ…………!!」


 リルルは自分の体を折りたたむようにして泣いた。忘れかけていた――忘れたことにしておいた記憶が一気に色と熱を取り戻し、悲しみという熱を冷ますために汲み出す涙もまた熱い。

 いつこの涙が止むのか、見通しも利かない涙を流して、リルルは永遠とも思える時を過ごした。



   ◇   ◇   ◇



 どれだけの時間がったのかわからなかったし、そもそも、時間の感覚を確かめるのをやめていた。

 玄関げんかん上に張り出した、二階のバルコニーで。

 小さなテーブルと据えられた大きな安楽椅子あんらくいすに座って、リルルは永久えいきゅうに変わりはしない星空を見つめていた。


 王都をせた巨大な魔鉱石まこうせき岩塊がんかいきることなく地上を回り続けている。その運動にしたがって星空も動いているには違いないが、あまりに星々が多すぎて、目印めじるしにするべきものが太陽と月しかなかった。


 リルルはその太陽と月を目で追うのもやめていた。

 ここではなにも変わらず、自分にはなにもすることがない。死ぬことすらできない。

 それは、時がまっているのと同じではないのか。自分も死んでいるのと同じではないのか。


 ここから見下ろすフォーチュネット邸の庭は、手入れもしないのに少しもれず、いている冬の花もれない。

 世話が入れられないので体裁ていさいたもつだけの最低限の花壇かだんしかない、殺風景さっぷうけいにも見える庭にかこまれてフォーチュネットの屋敷はあり、その庭を見渡せる高さでリルルは思いをめぐらせていた。


「私を守るために……コナス様も、ウィルウィナ様も、サフィーナやロシュちゃん、フィルやニコルまでもが身を投げ出してくれた……。この王都のはしから身を投げれば、ひょっとしたら私も死ねるのかも知れない…………でも……」


 それは、自分を守ってくれた人々への裏切りになるとしか思えなかった。


「いつかこの身がほろんだ時、たましいが天の国におもむいて、みんなに会ったら……どんな顔をして会えばいいのか……。自殺することだけは、できないわ……死んでみんなと会う時くらい、気まずい思いはしたくないもの……そうでしょう……?」


 リルルは、安楽椅子の上で目を閉じた。

 ゆるやかな前後の揺れは気持ちよかったが、眠気はやってこない。そもそも、この世界では『眠る』という行為の意義が消滅しょうめつしていた。

 時間の経過は最早、なんの意味も持たない――。


「自殺はしたくはないけど、長生きもしたくない……早く終わればいいのに……なにもかも……」

「――リルル」


 庭からの呼びかけに、リルルは目を開けた。反射的に椅子の上で体をばし、近くにあった手すり越しに庭を見下ろした。


「リルル…………」


 女神エルカリナが、仲のいい友達とケンカをしてしょぼくれたような女の子の、寂しさそのものの顔を見せて、そこにいた。

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