「百聞は一見にしかず、その四」

「次の授業のベクトラル先生は、所用しょようにて十分ほど遅れます」

「あのデブ先公、遅刻かなんかかよ」


 ウィルウィナ先生と入れ替わりに連絡が入ってきて、自由時間がやってきたことに教室がまたさわがしくなる。

 そんな中、私の前の席のダージェが百八十度向きを変えてきた。


「なぁ、リルル」

「……なによ」

「おめー、エヴァレーに目ぇつけられてるんだろ? いい加減俺と付き合えよ。そしたらあんな奴、いつでも俺が追っ払ってやるよ」

「またその話? しっかし、あなたも不良のくせに遅刻も欠席もせず真面目に学校に通ってるのね」

「俺は皆勤賞かいきんしょうが欲しいんだ」


 ダージェがくしを取り出し、鼻歌を歌って気取りながら髪をいじりだした。


「別にいきなりカラダの関係になれっていってんじゃねえよ」

「いきなりじゃなくてもおことわりよ」

「俺だって順番って奴は承知しょうちしてるぜ。そうだなぁ、まず最初は…………くくくく…………文通から始めようか……」

「嫌よ。あなたと文通なんてしているのが知れたら、ずかしくもう学校に来れないわ」

「まあまあ、そんなにとがんなよ」

「気軽に肩をさわんないで!」

「いいじゃねぇか、知らねえ仲でもないんだからよ――なんだ。手前てめェ?」


 ダージェの声のトーンが変わる。


「ちょっといいかな、君」


 横に目を向けると、微笑みを浮かべたニコルが立っていた。


「彼女が嫌がっているじゃないか。女性の口説くどきようがなってないんじゃないかな」

「ダメよ、ニコル君! そんな不良に関わっちゃ!」

「そのダージェは悪いのよ! 子供から駄菓子だがしを取り上げるのをなんとも思わないんだから!」

「しょっちゅう信号無視しているようなロクデナシは放っておいた方がいいわ!」

「るせぇ、女子ども!」


 ダージェが席から立つ。そのままずい、と乗り出してニコルを上からにらみつけた。


「おい、転校生。ちょっとツラがいいからって調子に乗ってんじゃねえよ。しばかれたいのか?」

「わかりやすいムーブですね。テンプレートに忠実で」

「単純なのよ。頭の中を解剖かいぼうしたら、きっとびっくりするくらい部品が少なそう」

「……フィルにサフィーナ、ちょっとそれはダージェに言い過ぎじゃない?」

「ちょっと屋上で語り合おうや。ここでの仁義じんぎを覚えてもらうぜ――特に体でな。そんな時間は取らせねえよ。手前ェひとり納得させて保健室に放り込むまで、十分とかからねえよ」

「面白そうだね」


 ぽっと出てきた対決姿勢に、ざわざわざわ、と教室中がざわついた。


「じゃあ、リルルさん、このダージェ君と少し語り合ってきます」

「なんでこっちに声をかけるの。私は関係ないのよ……好きにしてきたら……」

「よし、お許しが出たぞ。ついてこい、色男」

「うん」


 あちこちでひそひそと声がわされる中を、ダージェとニコルの二人が教室から出て行った。ぱしゃり、と音がして教室のドアが閉められる。ひそひそ話は私の両隣からも聞こえて来た。


「大丈夫かしら……ニコル君の貞操ていそうは……」

「問題はそっちではないのではないですか?」

「ああ、もう、心底どうでもいい……」


 全くやる気が出ずに私は机でへたばり続ける。

 ――十分後、ドアが開いた。

 ニコルが戻って来た。


「みなさん、お騒がせしました」


 相変わらず微笑んでいるニコルがドアを閉める――後続はいなかった。

 ニコルが席に着き、何故ダージェが戻って来ないのかを誰も聞けない中で、再びドアが開く。

 歴史担当のベクトラル先生が、顔のあせきながら入ってきた。


「やあやあやあ、遅れてすまないね、みんな」


 早足で教壇きょうだんに駆け上がる先生に合わせて、私たちも立ち上がって礼をする。


「あれ? あの健康優良不良少年のダージェ君の姿が見えないね。全員出席と聞いていたけれど」

「――彼は階段から足をみ外し、全身打撲だぼくで保健室にて手当てを受けています」


 ニコルがすずしい声でそういった。


「ホームルームで出席を取っていたのにかい? トイレにでも行ったのかな。いや、でもこの階のトイレを使えばいいわけだし――まあ、いいや。保健室に運ばれているのなら安心だろう。みんな、怪我けがには気をつけるようにね」


 ベクトラル先生は授業を始めた。私の視線は前の白板はくばんより、むしろななめ後ろのニコルの方に向いてしまっていた。


「どうしたのかな、リルルさん」

「…………別に」


 微笑むニコルの優しげにしか見えない顔に、私はまばたくしかできなかった。



   ◇   ◇   ◇



 昼休みの到来とうらいを告げるベルが鳴って、十分後。


「あー、もう、人生いやんなる……」


 私は旧校舎の人気のない屋上でひとり、コッペパンをかじっていた。


購買部こうばいぶあつかうパンの種類少ないし、フィルとサフィーナはお金持ってるから学食で優雅ゆうがにAランチだし、そこで私がひもじくパンなんかかじってたらずかしいし、エヴァレーは意地悪だし、ダージェは馬鹿だし、転校生はなんか私をことあるごとにチラチラ見てくるしで……サイテー……」


 味気ないコッペパンといちごオレ、これで昼食は全部。


「主もおっしゃってるじゃない。人はパンのみに生きるにあらず、って。私、今日はまだパンしか口にしてないのよ。まだまだ成長期で今までふくらんでない分を巻き返さないといけないのに、これじゃいつまでもぺたんこのままよ。おかずがほしい……」

「リルル」


 ちゅるると最後のいちごオレを飲みきった私の目の前に、ニコルがいた。

 立っているだけで様になる姿。そんな彼が、ひとりだけでそこにいた。


「は――――」


 全然近づかれた気配を感じなかったことに、私は何度もぱちくりとまばたきをしてしまう。


「……ここは立ち入り禁止のはずだけど」

「なら、何故君がここにいるんだい?」

「立ち入り禁止で、ひとりになれるから……」

「それはよかった」


 ぞくり、と血が冷えた。反射的にひざが閉じた。


「ちょ……ちょっと待って? 人気ひとけがないからって、私にいやらしいこととかしようとしてるの? その前になんで呼び捨てなの?」

「君が運命の人だから」

「うわあ……」


 引いた。ドン引きした。いくらか常識人だと思っていたのに。


「危ない系の人間みたいね……人は見かけによらないものだわ……」

「君がそう反応するのも、仕方ないね。君は忘れているんだから」

「――は?」


 忘れてる? なにを?


「これを見て」


 す、とニコルが私の目の前に、手に持ったものを差し出した。

 赤いフレームのメガネがあった。


「私、視力はいい方なんだけれ……ど……?」


 どくん、と心臓が鳴った。何故か頭に血が上り、脈が早くなる。

 知らないのに、覚えがあるメガネだった。なつかしいという感じさえした。

 そんなつもりはないのに、手が伸びる。メガネを受け取ってしまっている。


「立って」

「うん…………」


 何故か、心が逆らえない。いわれるがままに立ってしまう。


「かけてみて」


 かけれた感さえあるそれを私は、本当にいわれるがままに、目にかけていた。

 一瞬、真正面から自動車のハイビームをいきなり浴びたように、目の前が真っ白になった。


「わあっ!?」


 光が収まった時、着慣れた制服はどこにもなかった。

 代わりに私の体を、今までに着たこともないような薄桃色のドレス――セレブの女の人がパーティーにお出かけするにしても派手すぎる感じの――がおおっている!?


 しかも、いつの間にか頭にかぶらされているのは、大きな帽子ぼうし


「な、なに、なにこれぇっ!?」

「それは君のドレスだよ、リロット・・・・


 ニコルが、微笑ほほえんでいた。


「リ……リロ、リロット…………?」

「やっと見つけた。色んな学校を転校に転校して探して、だいぶ時間がかかった。でも、いつかは見つけられると思っていた。久しぶりだね、リロット」

「ちょ――ちょ、ちょちょちょちょ!? 待って待って! そのリロットっていうのはなんなの!? というよりこのドレスはどういう仕組みになってるの!?」

「リロット。魔法少女リロット。それが君が持っていて忘れていたもう一つの顔と名前だよ」

「魔法少女ぉ!? マンガやアニメじゃありきたりだけど、なんで私がそんなのなの!?」

「これは君が持つ正統な姿で、力なんだよ。君が嫌なもの、君が許せないものと戦うためのものなんだ。そして、僕はそんな君に仕える従者じゅうしゃだ」

「ニ――ニ、ニコル君?」

「ニコルと呼んでほしい。僕も君のことをリルルと呼び、リロットと呼ぶよ」

「うわあ」


 ニコルの手が私の腰に回って抱き寄せてくる。ぴたり、と私とニコルの胸が着く。

 鼻と鼻の間は、指のはば一本分くらいしかなくて、視界の全部はニコルの顔になってしまってる。


「あわ――あわ、あわあわあわ」


 体の力と緊張きんちょうが全部目に行ってしまったみたいに、私は目を思いっきり開いて閉じられない。


「ちょ、ちょっと近すぎ! 近すぎる! せめて、あと百歩距離を取って!」

「君の力の復活と解放は、僕とのキスで契約けいやくされる。さあ、目を閉じて」

「だ、だから」


 逃げようにも腰に手が回されていて、離れられない。ニコルが近づいた分、背をらす――その限界は、すぐにきた。


「――だから、ねぇ……」


 ニコルが支えているから倒れていないほどにけ反った私の中で――なにかが、キレた。


「――だから、そうじゃないんだって、いっているでしょうがぁ――――――――ぁぁっ!!」

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