「百聞は一見にしかず、その二」

 リルル渾身こんしん巴投ともえなげが炸裂さくれつした。

 ニコルの体が冗談じょう゛んのように森の闇に飛んで――その闇を、ベニヤの板のようにメリメリと突き破った。


「あれっ!?」



 リルルの声が裏返る中、森の景色が倒れた・・・


「ひゃあ――――っ!?」


 その裏で女の子の声がねる。途端とたんに周りが一瞬にして明るくなった。天井・・から今まで浴びたことのないような光量の照明が降り注いで来て目がくらむ。夜の闇など、いとも簡単に一掃されていた。


「あ、あれっ!? なに、これえっ!?」


 リルルは周りを見渡して、絶句した。

 そこは巨大な空間をはらんだ、倉庫の一室のように広い室内だったのだ。天井までは軽く三十メルト、四方は百メルト以上と、王都エルカリナの倉庫街の中でも、大規模だいきぼのものに匹敵ひってきする立派なものだった。


 リルルの前後左右に四枚、森の絵を描いた広い板がそれぞれにばたんと倒れていた。本物そっくりのしげみに作られた小道具がそこらに置かれ、リルルの近くには明らかに作り物と思われる馬の大きな模型もけいが転がっていた。


「あああ、せっかくの書き割りがこわれちゃってるの! まだ何度も使い回すつもりだったの!!」

「エル!?」


 大きな板に描かれた城のような絵に、作業用のエプロン姿で色をっていたエルカリナが悲鳴を上げた。倒れた四枚のうちの一枚が、長身のマネキン人形に中心をぶち抜かれて大きくけている。そのマネキン人形が着ている服を見て、今度はリルルが悲鳴を上げた。


「ええっ!? こ、これ、ニコル・・・!?」


 その頭をつかんで顔をのぞき込んだ、リルルは唖然あぜんとした。金色のかつらをかぶったそれには、顔がなかったのだ。では、今まで自分はなにを見ていたのか。


「も――! リルル! なにしてるの!」

「それはこっちの台詞セリフよ!!」


 ペンキの刷毛はけを振り回しながら駆け寄って来たエルカリナを、逆にリルルは襟首えりくびをつかんでめ上げた。奥では金槌かなづちを持って大道具にくぎを打っている青白いゴーレムが二体、顔のない首を向けている。


「なんなの、さっきのは! エヴァレーがすっごい悪役で出てきたり全然ちがうニコルがいたり! 説明をしなさい説明を!!」

「リ、リルル、息が、息ができないの。お願いなの、放してなの」

「……ふん!」


 ほとんど投げ捨てるようにして、リルルはエルカリナの小さな体を解放した。


「全然違うって……ちゃんとニコルだったでしょ? 顔と声はもう、全く一緒だったでしょ?」

「顔と声しか合ってない!!」


 リルルはえた。ケダモノ威嚇いかくだった。


「背が全然違い過ぎる! 本当のニコルは私とそんなに違わないのよ! あのニコルは私よりも頭ひとつ以上高かったわ!! ……いや、問題は外見じゃないのよ!! むしろ中身の方が――」

「わかったの。わかったからそう怒らないで、ね? ね、ね?」

「く…………!」


 うるうるとしたひとみで見上げられ、リルルは次の言葉をぐのにしくじった。


「でも、あのまま話を進めていたら、本当に楽しいことだらけだったの。リルルは王子様の恋人になれるし、他に魔界の皇子やエルフの麗人れいじんも恋人候補になるし、みんなに思いっきりちやほやされるし、あの生意気なエヴァレーのパーティーは、あなたを追放したから勝手に自滅じめつするの」


 馬車を部屋のすみに片付けようと二体のゴーレムがえっちらと押している。その馬車の扉から五体のマネキンが横倒しになって頭だけを見せている――その中に一際ひときわ目立つ、金色の長い髪をした――エヴァレーにしか見えないものもあった。


「……だから! そういうことを! いってるんじゃなくて!!」

「だったら、こっちなんかいいの。だいぶ異世界感あるの。今、用意するの」

「エル! あなた、人の――」


 その声は届かなかった。身を乗り出したリルルのひたいにエルカリナの手がぴたりと当てられた。


「じゃ、いってらっしゃいなの」


 その手のひらのぬくもりだけで氷菓子こおりがしが直射日光を浴びてどろりととろけるように、リルルの意識はくずれた。


「話を、聞きなさ、い…………」


 視界がゆがむと同時に意識は乳白色にゅうはくしょくどろとなって、その重さでリルルの自我じがを底に引きずり込んでいった。



   ◇   ◇   ◇



 ジリリリリリリリリリリリリ! 目覚まし時計が鳴った。


「――んあ!」


 私は時計をたたき、布団を跳ね上げて起き上がった。

 カーテンの隙間すきまから、やわらかい光が差し込んでいる。


「ああ……もう朝かぁ……んにゅ…………」


 眠気で重い目をまぶたの上からこする。今日は月曜日――学校のある日。


「ふああああああ~~~~あ」


 大きなあくびをひとつ。そして、そのままぱったりと布団に倒れ込んだ。


「ううーん……まだまだ余裕……この二度寝がやめられないのよねえ……至福の時……まだ八時だもの……。二度寝した後にあせれば十分学校には間に合う……」

「リルル!」


 部屋の外、一階の階段の下からお母さんの声が聞こえてくる。


「もう八時よ! 限界ギリギリよ! 早く起きて来なさい!」

「えええ……」


 私は布団に潜り込んだ。カタツムリより丸くなった。


「まだ八時でしょ……学校が始まるのは八時十五分……あと十五分はたっぷり寝られ……あれ?」


 ぱちり、と目を開けた。布団を跳ね飛ばし、振り返って時計を見た。


「う」


 ――始業、十五分前。


「うわあああああああああああああああ!!」


 布団をり飛ばして立ち上がった。パジャマを脱ぎ捨て、ハンガーにかけた制服を引っつかむ。


「わあああああああ!! 髪の毛ぼっさぼさぁ!」

「リルル!」


 泣きながら下着姿で一階に下り、廊下ろうかを走り飛び込んだ洗面室のハンドシャワーを全開にした。


「お母さん! なんで起こしてくれなかったのよぉ!」

「起こしたでしょ、何度も何度も! 人質取った立てこもり犯みたいに布団に籠城ろうじょうするからよ、いつもいつも!」


 廊下ですれ違った母の声が響いてくる。構わずに私はアップした髪に水をかけ続けた。


「ソフィア!!」


 れた髪にくしを通していると、奥の居間いまから祖母そぼの声がギンギン突き刺さって来った。


「そんなグズな娘は放っておきな! 一度痛い目を見た方がいいんだよ!!」

「何度痛い目にっても直らないからこまっているんですよ、お義母かあさん」

「まったく、誰の血のせいでこんな馬鹿な娘になっちゃったんだろうね! あたしゃこんな馬鹿な娘見たことないよ!」

「それは、あたしとお義母さんの血のせいでしょ?」

「…………なら仕方ないね!」


 取り敢えず寝癖ねぐせが直った髪をバスタオルで乱暴にわしゃわしゃし、階段までを全速力で走る。


「廊下を走るんじゃないよ! 床が減る! 階段も減るだろ!」

「もう、ローレル! 朝から怒鳴らないでよー!」

「お祖母ばあ様を呼び捨てにするんじゃないよ!」


 部屋に戻って白いブラウス、濃紺のうこんのチェックの短いタイトスカート、白い靴下、クリーム色のカーディガンと身につけていく。時間割を見ながらつくえの上のノートと教科書を往復ビンタのような手つきで鞄に突っ込み終わると、もうここで残り時間、十分――いや。


「実質、五分だわ! 門は始業五分前に閉まっちゃうもの! もう遅刻ちこくはできないのよー!」


 ドタドタドタドタと階段を駆け下り、玄関でローファーを引っかけてた。


「いってきま――むふっ!」

「ほら、パンくらいくわえて行きなさい!」


 口の中にジャムとバターを半々でられた食パンを突っ込まれた。


「あんた! すっぴんじゃないの! いくら女子高生といっても、最低限のお化粧くらいしていきなさい!」

「むぐむぐむぐむぐ!!(私は化粧しなくてもノーメイクで十分なの!)」

「ああ、もうなにいってるか全然わかりゃしない! とにかく行ってきなさい!」

「ま――ふ!」


 私は玄関を飛び出した。

 青く晴れ渡った空の色に感動する余裕もなく、いつもの道をいつもの全力疾走ぜんりょくしっそうで――走る!


「むぐむぐむぐむぐむぐむぐむぐ…………わあああああ、遅刻遅刻――――!!」


 約二キロメートルを五分で駆け抜けられるか、途中ひとつある国道の信号に引っかかったらそれでアウト――毎朝毎朝の壮大そうだいけ!


「わわわ! もうあと三分!?」


 腕時計が教えてくれる残酷ざんこくな現実。門が閉じるまでに滑り込めるかどうかは――五分五分!


「もう学校は見えているっていうのに、正門はぐるっと回らないといけないのよ――!! ああ、これはもう正門からの突破は無理だわ! しょうがない、裏道、裏道よ! 校舎裏のへいをよじ登って入るのが最適解だわ! でも、なんで毎朝毎朝こんなことになってるの――!!」


 私は県道を沿うルートから外れ、住宅が密集する生活道路に飛び込んだ。自動車が一台入れば、自転車もすれちがえるかどうかもあやしいくらいの細い道。学校の塀に向かって最後のスパートを、かける!


「裏工作はバッチリよ! ちゃんと足場になるものは置いてあるんだから! リルルちゃんに不可能の文字は――」

「え」


 高い塀と塀で見通しが最悪の、小さな十字路、交差点で。

 まるで打ち合わせてタイミングをばっちりと合わせたように、でも、突然に。

 片手にメモを広げながら歩く――見慣みなれない制服姿の男の子が、


「あ」


 塀の陰から、姿を現した。


「え」


 激突する一秒前、見た。

 男の子の綺麗きれいな金色の髪と、どこか女の子の感じを思わせるその端正たんせいな顔を。

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