「百聞は一見にしかず、その一」

「て……転生……?」

「そ」


 呆気あっけに取られているリルルを前にして、エルカリナは二杯目の紅茶を自分のカップに注いだ。


「なんで飲まないの? わたしがれてあげるの」


 リルルの返事を待たず、ついでとばかりにエルカリナはリルルのカップを手に取った。


「て、て、て――転生って、なに?」

「そこからなの?」


 リルルの前にお茶を満たしたカップを置き、エルカリナは鮮やかなあかい色をしたマカロンを口に運んだ。


「リルルのたましいたもったまま、ちがう世界の違う人間として生まれ変わらせるの。こっちでは死んだことになるの。同時にふたつの世界では生きられないの。あ、別にあなたを殺すわけじゃないの。『終わった』という扱いにすれば問題ないの」

「はあ…………」


 生き死にの話をしているはずなのに、事務処理の話を聞かされている気分になってリルルは、あんぐりと口を開けていた。


「でもそれじゃ、あなた的にもあまり新しい世界に来た! っていう感じはしないの。だから、あなたという中身なかみ外見そとみのまま、違う世界の人間になるの」

「あ……新しい世界……」

「そうなの」


 世界という単位をいとも気軽に扱ってみせるこの幼い女神に、リルルはおどろきとあきれの狭間はざまで固まっていた。


「もう他の人がいなくなったこのふるい世界じゃなくて、他の人がいる新しい世界を創るの。今度はだいぶ小さい世界にしようと思うの。大きい世界はしばらく嫌なの。大勢だと途中でモメ出して、最後にはひどいと今回のようになっちゃうの……だから!」


 こまったな、という顔が次の瞬間には、ぱっと輝くように明るくなった。


「次のは、小さな世界! それでいて、あなたが主人公のとっても楽しい世界にするの!」

「え、え、え?」


 身を乗り出したエルカリナがリルルの両手を包むように握る。ぐいぐいと乗り出してくるその好奇心いっぱいの純金色のひとみが、本当に輝いていた。


「わたし、あなたが活躍かつやくする姿をるの、大好きなの! だから、次はあなたが本当に思いのままに、楽しく振る舞える世界なの! 悪い奴をバシバシ倒して、キラキラするような素敵すてきな恋をいっぱいして愛されるの! わたしはそんなあなたを夢の中で観るの! もうワクワクするの!」

「え、えええ、えええ?」

「まあ、どんな感じか一回おためししてきて! きっとあなたも気に入ると思うの!」

「ちょ、ちょ、ちょちょちょちょちょ、ちょ!」

「後で感想を聞かせてなの! じゃあ、いってらっしゃいなの!」

「ちょっと待って、私は――」


 戸惑とまどいに頭と目がグルグルと回り出したリルルに構わず、エルカリナはその金色の瞳を輝かせた。


「あ」


 幼い少女の瞳を至近しきんでまともに目に受け――リルルの意識のはしが、けた。


「あぅ――――――――」


 酒のいを数百倍に拡大したような酩酊めいてい感が、少女の魂を支えている支柱をぐにゃりと曲げる。意識の平衡へいこう感覚を失い、リルルはちるように心と魂を泥の中に沈ませていった。



   ◇   ◇   ◇



「リルル! あなたをこのパーティーから追放するわ!」


 私は開いた馬車のとびらからり出され、夜の森の獣道けものみちに転がり落ちた。


「ひゃうあっ!」


 大の字になって地面にぶつかった体をがし、振り返る。

 二頭立ての馬車のステップでエヴァレーが腰に両手を当て、仁王におう立ちになってふんぞり返っていた。


「ええええ――――!?」

「ええええ――――!? じゃないわ、この役立たず! 頭数合わせでやとってきたけれど、持ってるのは【縮小】と【元戻り】のスキルだけでロクに戦闘もできない! 子犬に追いかけられても逃げるだけ! そんなあなたをっている余裕なんてわたくしのパーティーにはなくてよ!」

「次の新人は収納しゅうのうスキルを持ってるの。あなたはお払い箱よ」と、取り巻き女その一がいった。

「無駄な人間を乗せてると馬車の車輪が無駄にチビるのよ」と、取り巻き女その二がいった。

「今まで散々さんざん足を引っ張ってくれてありがと。せいせいするわ」と、取り巻き女その三がいった。

「契約中断の補償ほしょうなんて出ないわよ。ご愁傷しゅうしょう様」と、取り巻き女その四がいった。

「やだ! それでもこんな森に捨てていくことないでしょ!」


 私は周りの暗さにぞっとした。森の木々が別れている地面が少し広い道になっているだけで、ここは森の真ん中。今は馬車のあかりがあるから少しは見えるけど、馬車が行ってしまったら……。


「せめて次の街まで乗せてって! こんな森こわい! 追いぎや魔物……う、ううん! けものが出てきただけで私終わっちゃうわ! 死んじゃうわよ!!」

「そんなの知らないわよ。むしろ追い剥ぎにった方がいいんじゃない。あなたごときでも一応は若い女なんだもの。殺さずにさらってくれるわよ」

「そんなのやだぁ!」

「あーもう、ピーピーうるさい! あなたの荷物は迷惑料めいわくりょう代わりにもらっといてあげるわ! いくらにもならないでしょうけど! じゃ、獣の晩ご飯にならないよう気をつけてね!」


 御者ぎょしゃの取り巻き女その一が手綱たづなを振るうと、馬車は私の目の前で走り出した。


「待ってぇぇぇぇぇぇ!!」


 馬車は止まりも速度をゆるめもしなかった。むしろ、加速してあっという間にいなくなった。


「わあああああああん! ひどい! 次の街までだいぶあるっていうのに、こんなんじゃ死んじゃう! 売り飛ばされちゃう! 食べられちゃうわあああ!!」


 森の真ん中で泣きわめく私を、真上から照らしてくれる青い満月だけが残ってくれた。


「せ、戦争もこの近くで始まってるっていうのに、森を抜けたって危ないんだから! というか、エヴァレーったら、少しでも馬車の速度を出したくて私を捨てたんだわ! 鬼! 悪魔! 公爵令嬢!!」


 一通り泣き叫び、私は口を閉じた。

 真夜中の森に人気ひとけなんてない。そんな所で大声で泣いていれば、獲物えものがここにいますと自分で呼んでいるようなものだ。


「と……とにかく、なんとかして街までたどり着かないと……お腹空いたぁ……エヴァレーったら私の夕食を抜きにしたの、これを計画していたからなのね……。のどかわいたぁ……でも水筒すいとうもないよぉ……こ、このままじゃ、森さえ抜けられずに野垂のたれ死によぉ……」


 それでも私は立ち上がった。持ち物を確かめてみたが、ふところに入れてある短剣とポケットに入っているアメが何個かくらいで、財布さいふなんかは最初からエヴァレーに取り上げられている。


「ひもじい、喉渇いた……眠い……エヴァレーたちのばか……私ったらみじめ……」


 私は立ち上がって、よろよろと歩き出した。

 真夜中だからまだいいものの、明るくなればこのたった一本の細い道をどんな人間が通るかわからない。そのほとんどは悪者に決まってる。近くの村人だって全然信用ならないくらい。

 善良ぜんりょうな村人から悪い山賊さんぞくに変わるのは、本当に一瞬なんだから。


「森を抜けても、街までまだだいぶあったはず……ううう、優しい人が私を拾ってくれないかな……私に親切にしてくれる、とってもいい人……できればカッコいい人がいい……神様、お願いです。このぐずなリルルちゃんに、せめてものおめぐみを……ひゃっ!」


 ドドドドド……と背中から馬のひづめが地面をたたく音が響き、それが近づいてきた。音だけでかなりの速度と勢いだとわかるくらい――そこらへんの驢馬ロバなんかじゃない、これは軍馬!!


「きゃあああああっ!」


 私は道のしげみに頭から飛び込んだ。

 枝が体に刺さるのも構わずに奥に入り込み、両手で口をふさぐ。いっぱいに目を見開いて、枝葉の隙間すきまから道を必死に見つめた。


 ドドドドドドドド……!


「わ、来た……!」


 揺れるランプのあかりが遠くに見えてきた。暗闇の中をものすごい速度で走ってくる。


 走ってくる馬は一頭だけ。その背にマントをなびかせてしがみついている人影が見える。


「へ……兵隊だ……」


 私の心臓がきゅっとちぢんだ。この地を治めるエルカリナ王国に、隣国りんごくのバトゥ公国が宣戦布告せんせんふこくしたのは昨日のこと。


 あれがどっちの兵隊でも変わらない。はぐれた兵隊が略奪りゃくだつなどの好き放題をするのは当たり前だったし、私みたいな旅人相手なら、後腐あさくされもなく好都合こうつごうなんだから。

 ――神様、お願いです、どうかあの兵隊を、あのまま通り過ぎさせてください――。


「あっ!」


 兵隊がさけんだと同時に、馬が大きくつまずいた。馬が前のめりに倒れ込み、その背中から兵士が前に向かって大きく投げ出され、その体が宙をう――落ちてくる場所は、ちょうど私のところ!!


「やあああああああああん!!」


 真上から飛び込んできた兵士をけようもなく、私は抱き着かれた。


「離して離して! いやあ、乱暴される! あんなこととかこんなこととかされて、そんなこととかどんなこととかもさせられる!!」

「も――申し訳ない、大変失礼しました、フローレシアお嬢さん


 私に馬乗りで抱き着いた兵隊が、身を起こした。近くでもがいている馬の首に取り付けられたランプの光がちょうど当たって、その人相にんそうが暗がりの中でも見えた。


「あなたが受け止めてくれなければ、僕は大怪我おおけがをしていたところです。ああ、フローレシア、あなたこそお怪我はありませんか――」


 兵隊、と思ったその男――少年は、いうほど兵隊の格好かっこうはしていなかった。

 軍服の形に近い立派な服。私より頭ひとつは高そうな、すらっとした長身。明るい金色の髪にいくらか濃い水色の目がランプの光をね返していて――なにより、貴族を思わせる上品で優しそうな美形・・


「あ――――」


 私はひらめいた。一瞬で確信した。

 この人は、善人だと。


「僕の名は、ニコル・ヴィン・ゴーダム。この近くに存在する小国、ゴーダム王国の王子です」

「えっ……聞いたことあります。確か、エルカリナ王国の元に人質になっていた……」


 私はおどろいた。この美形の少年は王子様だったのだ。


「ええ。実は今日の昼、私がとらわれていたエルカリナ城がバトゥ公国の軍に陥落かんらくさせられ、その混乱にじょうじて逃げてきたのです。このまま故郷こきょうに戻ろうとしたのですが――ううっ!」


 突然、ニコル王子は苦しみ出した。手を首の後ろにやって顔を苦痛にゆがめていた。


「ど――どうしました!?」

「く、首の後ろに、僕をいましめるのろいの鍵がかかっているのです! 僕が逃げ出すと苦痛を与えるようになっていて、僕の力では外せない……! ああ、誰かこれを外してくれる人は……!」

「見せてください!」


 私はニコル王子の首の後ろを見た。てのひらくらいの大きさをした、蜘蛛クモの形をした赤銅色しゃくどういろの金属がその脚を広げ、王子の首にしがみついている。


「ちょっと待っていて! 私なら、これを外せるかも!」

「まさか、そんなことが……!?」

「私の【縮小】のスキルで、これをかぎりなく小さくすれば!」


 私は王子の首の後ろに両手をかざした。てのひらに紫の光が浮く。それに照らされた蜘蛛型の鍵は、あっという間に小さくなっていく。最後には小指の爪くらいの大きさになって、ポロッと落ちた。


「ああ! 本当に痛みが、苦痛がなくなった! 信じられない!」


 先ほどの苦しみようが嘘のようにニコル王子が顔を輝かせる。私の両手を握って上下に振った。


「フローレシア、あなたは命の恩人おんじんだ! ありがとう、ありがとう!」

「い、いえ、こんなことくらい、お安い御用です……」

「暗くてよくわからなかったが、ランプの光に照らされるあなたの顔はとても愛らしく、美しい」

「えっ?」


 王子が私を茂みから連れ出す。私の片手を取ったまま道を渡り、気絶している馬からランプを外してそれを置き、続いて肩から足首に届くような長いマントを外して地面にいた。


「さあ、フローレシア、こちらに」

「あの」


 ニコル王子の足が本当にさりげなく私の足首のけんにかけられ、ごくごく自然に私の姿勢をくずした。

 私は自分の背丈ほどもある王子のマントを、シーツにするように横たえさせられる。


「あれ、あれ、あれ?」


 私は、ちがう意味での危機を感じた。さっと血の気が引いて寒気を覚えた。


「あなたは私の命を救ってくれただけではなく、本当に素晴らしい女性だ。是非とも僕の妻にむかえたい」

「妻?」


 そ、とニコル王子が私の隣に横たわる。手が伸びてきて軽くあごをつかまれる。


「えっと……私、よくわからないんですけど、今からなにを?」

「これは、フローレシアは大変奥ゆかしい方のようだ。お名前は?」

「リ、リルル」

「リリルル? いや、リルル嬢か。リルル嬢、こんなところで大変不躾ぶしつけだが、僕はあなたと男女のちぎりをわしたいのです」

「あの……本当に、話の流れがよくわからないんですけれど……」

「なら、今はなにも考えない方がいい。月明かりに照らされた星を数えていなさい。数え終わる頃には、終わっているでしょうから」


 ニコル王子が私のひざに馬乗りになる。その上体がゆっくりと覆い被さってくる。


「さあ、今だけは目を閉じて。キスというものは、たがいの目を見ずにするものです」

「だから、ちょっと――――」


 二人の鼻と鼻、くちびると唇とが、こぶしひとつ分の間合いしか空けなくなり――それも、次第に縮まってくる。

 だから、私は。

 お腹の空気の全部を使って、さけんでいた。


「ちょっと、いい加減にしろっていってるでしょうがあああああっ!!」

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