「お友達のご訪問」

 この世界は、リルルだけが存在する世界のはずだった。

 その、たったひとり生き残った人間の屋敷の玄関げんかん前に立ち、呼びがねを鳴らすのは誰なのか。

 胸に渦巻く疑問ぎもんを手で抱えるようにして、リルルは廊下を走った。そして外をうかがうことなく、玄関のとびらを開けた。


「あ…………!?」


 押し開けた玄関の扉を手で支えたまま、リルルは口を開けて硬直した。目の前にいる者が誰かを一瞬で理解して、絶句していた。


「おひさしぶりなの」


 金色の女の子がいた。

 リルルの目の中でアイスブルーのひとみが猫のそれのようにたてび、戻らなくなった。


「ごめんなさい、門は勝手にくぐらせてもらったの。こういう時、門番がいないと不便? ……リルル、どうしたの? ぽかーんとしたままこおっちゃってるの。大丈夫? 元気してたの?」

「エ……エ…………」

「馬車はここにめさせてもらうの。馬車といっても、馬がいてるわけじゃない――と」


 大きく開いた口の中で回らないしたをどうにもできないでいるリルルの前で、その女の子はくるりと後ろを向いた。四人も乗ればせまくなるような中型の馬車が停められていて、その馬車から大きく前にびた取っ手を二人――魔法人形ゴーレムらしいやや大柄おおがらの、顔のない人型がつかんでいた。


「後ろの荷台からあれ・・を降ろしてなの。ゆっくり、ゆっくりよ。かたむけたら承知しょうちしないの」


 二体の青白い色をした、魔鉱石まこうせき地肌じはだき出しのゴーレムたちが女の子の指示にのっそりとしたがう。馬車の後部の扉がね上がり、その中から車輪が付いた料理運搬用の台車ワゴンが降ろされた。その上には、銀色に輝く釣り鐘型の背の高いふたせられていた。


「お友達の家に訪問する時に、手ぶらじゃ失礼になるの。わたし、お友達の家に遊びに来るのって初めてなの。あ、お湯の用意だけお願いできるの? 美味おいしいお菓子かしを持ってきたんだけど、熱々の美味しいお茶と一緒に食べたいの」

「あ……あ、あ……」

「あれ? よっぽどびっくりしたの? わたしともう二度と会わないと思ってたの?」


 綿菓子わたがしのようにふくらんだ、やわらかい金色の髪、白い肌に林檎リンゴ色のほお、女の子が好むお人形さんそのものの可愛い金色のドレスに――きわめつけは、純金色の綺麗きれいな瞳。


「エ……エルカリナ様……」

「敬語禁止なの」


 人差し指を口の前で立てて、金色の女の子――女神エルカリナは微笑ほほえんだ。


「エル、でいいっていったの。あんまり久しぶりで忘れちゃったの?」



   ◇   ◇   ◇



 フォーチュネット邸の間取りがわかっているのか、エルカリナはリルルをしたがえるようにして屋敷の廊下ろうかを歩いた。正体不明の歌を口ずさみながら大股おおまたで歩くエルカリナの後を、なにがなんだかわからない心地で半分足をもつれさせたリルルが追う。


 女神の背中と、召使めしつかいのように台車を押して着いてくる二人の小型ゴーレムを交互こうごに見やり、リルルの頭に巨大な疑問符ぎもんふり付いてがれなくなった。


「ふんふんふんふんふーん」


 ほとんど自分の部屋に入る気軽さでエルカリナがリルルの居間いまとびらを開け、閉まろうとするそれをリルルが支える。その隙間すきまから台車がすべり込み、二人のゴーレムも部屋に入った。


「ここまででいいの。あなたたちは馬車で待ってなさいなの」


 台車をテーブルの隣に横付けし、ゴーレムたちは礼もせずに部屋を出て行った。


「リルル、早くお湯をお願いなの」

「あ、は――――わ、わかったわ……」

「あっつあつでなの」


 いわれるがままにリルルは給湯室に入り、み置きの水差しから薬缶ヤカンに水をそそごうとして、手を止めた。ガラスの水差しに汲まれた水は、リルルがこの屋敷に帰って来た日に汲んだものだ。

 水がくさっている可能性に思い当たって目をらしたが、が張っている様子はなかった。


 念のためにコップにその水を注ぎ、ほんの少しを口にふくむ。したに感じたものは異臭いしゅう不味まずさもなく、昨日汲んで置いておいたような水の味だった。


「そっか……ニコルとフィルの体が無事だものね。水もいたまないということか……」


 複雑な思いにとらわれながら薬缶に水を入れ、魔鉱石のコンロで火にかける。薬缶の口が湯気ゆげけむりき出すまでリルルはその場で待った。


「女神は……エルカリナは、なんで私の所に来たのかしら……。しかも今頃いまごろ…………あっ?」


 リルルはそこまで口にして、気づいた。

 今頃――その『今』が、何年の何月何日に当たるのか、全く把握はあくしていない自分に。



   ◇   ◇   ◇



「じゃーん、なの」


 お湯のポットをかかえて戻って来たリルルをエルカリナは、運ばせた台車の銀のふたうれしそうに開けることで出迎えた。


 蓋の中から現れたのは、お菓子かし満載まんさいした三段重ねの台だった。

 下の段には色取り取りのマカロン、中段には小さめのケーキ、上段には香ばしく焼かれたクッキーが行儀良く並べられている。


「さ、お茶にするの。このお菓子は美味しいの。あ、リルル、お腹は平気だったでしょ?」

「お腹……お腹痛なかいた、じゃなくて、空腹のこと……?」

「うん。リルルがお腹を減らして死なないよう、この王都の時間は止めてあるの」

「え……!? じゃあ、私が全然としを取らないのも、水がいたんだりしないのも、ニコルやフィルが無事なのも、あなたのせいだったの!?」

「そなの」


 年少の女の子らしい食い意地の張り方で、お茶の用意がまだできていないのにエルカリナはクッキーの一枚に手をばし、さく、と口の中でそれをくずした。


「サクサクしてて美味しいの」

「美味しい、じゃなくて、どうしてそんなことを……」

「だって、そうしないと準備が間に合わないの。準備が終わるまでにあなたが自殺しないように暗示あんじはかけておいたけど、そんな気は起きなかったみたいなの」

「あ……暗示? それに準備って?」

「うん、準備なの。――次の世界・・・・のための」

「はっ…………」


 次の世界・・・・、と聞いて、リルルの心臓が胸の中でねた。次があることは予想はしていたが、まさかそれに自分が関わり合うことになるなどは思っていなかったからだ。


「は……早過ぎるんじゃない? かれた地上が冷えて陸と海に別れるまで、何百万年もかかるんでしょ? それに、そこから動物も植物も元に戻さないといけないって。下手したら何億年の話なんでしょう? それがこんなに早くできるなんて、あり得ないわ……」

「なにをいってるの?」


 エルカリナはポットからカップに紅茶を注ぎながら、いった。


「もう、三億年も経ったの」

「――――――――」


 リルルの心が、空白になった。その表情も同じく空白になった。


「時間の経過を感じなかったの? もうそんなに長い時間が経っているの」

「う…………嘘…………」


 落ち着こうとリルルはカップを皿ごと手にして、自分の前に引き寄せる。しかし止められない手の震えがカップをカタカタと鳴らした。小さく口を開けていなければ、奥歯と奥歯が小さく打ち鳴ったことだろう。


「嘘じゃないの。ほら」


 エルカリナが紅茶を口に含んだのと同時に、広いテーブルの全面が――いや、床をふくめた居間の底面の全てがみがき上げられた鏡に変化して、次にはひとつの映像をうつし出した。

 リルルは自分の足の裏が触れているものの像をのぞき込んで、その目を見開かせた。


「は、う、あ、あ――――」


 鮮やかな緑色と濃い土色、そして美しい青色に輝く地上。

 あの日に炎の矢を撃ち込まれる以前の星の姿が、リルルの目を閉じなくさせていた。


「時間はかかったけれど、地上はなんとか元の環境に戻ったの。天界と魔界の構築はしてないけれど、次の世界にそれを作るべきかどうかは、考え中なの」

「あ、ああ…………」


 これは真の像なのか、それとも虚像きょぞうなのか――いや、確かめるなら、今すぐエルカリナ城に駆け込んで上方から確認すればいい。そんなすぐバレるようなうそを、わざわざこのエルカリナが持ってくるとは思えなかった。


「さ……三億年……? わ、私、確かに時間の感覚も忘れて、じっとしていたわ……」


 カップの取っ手に指をかけようとしても、力が入らない。カタカタカタ、と無様な音を鳴らすことしかできないことに、リルルは手を引っ込めた。お菓子に手を伸ばす気力もなかった。


「で、でも、でもね……さ、三億年よ……? 確かに、私、うっかり百年を寝過ごしたわ……。でも、それから私、寝なかったのよ……ずっと起きていたわ……」

「それだけ心が停まっていたということなの。で、ここからが本題なわけなの」


 やはりそれほど洗練せんれんはされていない、年頃の子供らしい仕草しぐさでエルカリナは紅茶を飲みした。皿に置いたカップがかちゃり、と少し派手に音を立てた。


「リルル。あなたにはとっても気の毒なことをしたと思ってるの。家族も友達も知人も失って、最後のひとりになってしまって、本当にさびしい思いをさせちゃったの」

「ええ……そうね……」


 リルルの心は、自分で思っていたほどにはざわめかなかった。悲しくなることもできないのが、気持ちを苦しくさせた。


「わたし、わかるの。今のあなたの心はとっても傷ついて、疲れてるの。本当につらい辛い思いをさせて、わたしが辛くなっちゃうくらいなの。あなたが自暴自棄じぼうじきにならなかったのはすごいと思うの」

「そんな…………」


 リルルは、ようやくカップの取っ手を持つことができた。それを口に運ぼうとカップを持ち上げるが、その軽さに自分が茶を注いでいないことにようやく気づいた。


「――だからなの」


 裏返るかのようにエルカリナの声が明るくなった。今までくもっていた表情で話していたのが、突然晴れ間が差したような笑顔が浮かび、リルルは意表を突かれたように呼吸を一瞬、止められた。

 エルカリナがとんでもないことをいい出したのは、この瞬間からだった。


「リルル、あなた――転生する気はないの?」

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