「おやすみ、みんな。さよなら、リロット」
階段下の暗く
「お帰り、フィル……。どこに
メイドの中でも新入りの新入りにあてがわれる、窓もない部屋だ。寝台と物書き
だが、フィルフィナはこの部屋が好きだった。愛してさえもいた。
この屋敷に最初に訪れた時、ただ手近だからと割り当てられた部屋を
「この部屋で眠っているフィルを見るの、もう、十何年ぶり……」
リルルは
「いつも私がお寝坊だったものね。毎朝毎朝フィルに起こされて、私が布団に
フィルフィナの髪をひとつ
「一日か二日、ここでゆっくり寝てね。――おやすみなさい、フィル」
リルルは
わずか数分で燃やすべき酸素を失った魔鉱石は青白い輝きを失い、部屋は真の
◇ ◇ ◇
ニコルの遺体の安置場所を彼の実家にしようかとリルルは一度は迷ったが、結局はフォーチュネットの屋敷に定めることにした。ニコルの実家は往復で一時間は歩かねばならなかったし、最後にニコルをフォーチュネット当主の寝室で寝かせたくなったからだ。
伯爵位の身分であるにも関わらず、寝台と布団は快適に眠れて疲れが取れればいい、と割り切っていたログトの意向で、寝室は割合に質素だった。ただ、
体が適度に沈み込む絶妙な
「――ニコル、あなたがこのフォーチュネットのご当主様よ。一晩か、二晩だけだけど……」
仕事に
「あなたが目指していたのは、フォーチュネット伯爵になることだったものね。でも、地位や権力や財産が欲しかったわけじゃない……私と結婚した結果でしかなかったもの、それは……」
フィルフィナと同じく、汚れた衣服を着替えさせられ、その体を
愛する者を守り抜いた
「ニコル、お疲れ様。あなたは本当によく戦った……。読んでくれる人がいるなら、私があなたの戦いを
世界は終わる。リルルが息を引き取れば、この世界の
たとえ、燃える地上の上空を王都が永遠に
「ずっとあなたの……あなたたちの元に寄り添っていてあげたいけれど、私も疲れた……もの
少年の冷たい手をぎゅっと握り、見た目の細さとは意外な硬さを
「……あとで、起こしに来るから。ゆっくりおやすみなさい、ニコル……」
カーテンで閉ざされていない窓からは、太陽の白い光が真夜中の月光のように差し込んでくる。その光に顔を照らされるニコルの
◇ ◇ ◇
熱い風呂に入って髪まで身を清めたリルルは、
脱いだリロットの
「――もう、これに、
細長い物置部屋でリルルは、顔のない快傑令嬢リロットと
「リロット。あなたの姿になって最初に戦ったのは、たったひとりの男の子と、そのお姉さんを助けるためだった。それが、あれよあれよといつの間にか王都の平和を守る使者、なんていう風になっちゃって……。私がお調子者だから、そんなことになったんだわ……」
赤いメガネをかけても表情のないリロットが、
そんな、かつての自分の姿にリルルは語りかけ続けた。
「今まで、あなたに何度も助けられた。こんな私をあなたが守ってくれた。――あなたは、もう一人の私。私は、もうひとりのあなたよ。あなたには本当に感謝しているわ……。もう、あなたになることはないだろうけれど、ホッとしているのかがっかりなのか、複雑な気分ね……」
リルルは暗い部屋の中で数歩を進み、物言わぬ分身の、薄く浮かび上がった
「ありがとう、リロット。そしてさようなら、快傑令嬢リロット。じゃあね……」
物置部屋を出、リルルはゆっくりと扉を閉めた。
その扉が閉まりきる瞬間までリルルは、戦いを終えた自分から目を離さなかった。
◇ ◇ ◇
寝台に入る前にもうひとつ、やらなければならないことがあった。問題がひとつあったのだ。
ニコルとフィルフィナ、ふたりの
時計の針を見ても、昼と夜の区別がないので午前と午後かがわからない。
これでは眠りに入ることで意識が時間の連続性をなくしてしまえば、時計の短針が四時間進んでいたとしても、もしかしたら一周回りきった後に四時間進んだものなのか、判別がつかない。いったい今は何月の何日なのか、確かめようにも、聞くべき
解決方法はあった。それはログトの
「この時計が役に立つ時が来るなんてね」
フィルフィナに『踏み台にちょうどいいですね』といわしめた、一抱えはある小箱ほどの大きさをした時計だった。短針が十二時間ではなく二十四時間表示で、しかも内部の複雑に複雑を重ねた機構により、回転する数字盤で現在の年月日までも表示するという特殊な時計だった。
『エルカリナ王国の建国四百年を記念して作られたものだ。借金のカタとして私の所に来た』
ログトは面白くなさそうな口調でリルルにそういった。さほどの価値を見ていなかったのか。
『エルカリナ
箱の側面に無数のネジが
父の机に置いた時計に
「今年は……四五四年。日時は……あれ?」
今が何月何日の、何時何分か――それを設定しようとして、リルルは迷った。しばらく
「……まあ、今が何月の何日でもいいのよ。人間ひとりだけなら、本当は暦表も時計も要らないもの。ただ、時間がどれだけ進んでいるかを確かめたいだけ……」
思ったよりも重いネジを回し、箱の内部で歯車と
「一月三十一日、二十三時五十九分――と」
設定を終え、主機と駆動部との回路が繋がる
秒針が頂点に差し掛かり、月日を表示する盤面が回転した。二月一日に切り替わる――正常だ。
「これで、よし、と」
結構な力仕事になってしまったことにリルルはハンカチで汗を
自室に戻り、寝室に入って
窓からは低く光が差し込んできていたが、
「起きたら、ニコルとフィルの
布団に入った途端に体から全ての
――次の目覚めの時、とんでもないことになることなどは、知るよしもなく。
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