「最後の登壇者」

 コルネリアは舞台の真ん中で屈み込み、屈み込んだまま立てなくなっていた。

 自分が立案した作戦がことごとく破綻していた。

 人質は自らの力でいましめを解き放ち、すでに手元にはない。


 そもそもが前日の時点で崩れ去っていた。保険、最後の切り札として押さえ込んだリルルの元乳母、ニコルの母親の偽者をつかまされ、その偽者がサフィーナの魔力を封じていた鎖を切断したであろうことは想像に難くなかった――よりにもよって、自分はその二人を同じ場所に閉じ込めたのだ!


 いや、同室にしなかったとしても、この革鎧の少女に人外の物としか思えない力があることからして、どのみちはどうにかしていたに違いない。ここに引き出すまでに脱出しようとすればしていただろう。ならば、何故しなかったのか?


「……この場まで状況を持ってきたのは、快傑令嬢としての正当性を、伯爵令嬢リルルとしての正当性を市民に喧伝けんでんするためか……!」


 ただ逃げ去るだけでは、その印象は国家の宣伝によって一方的に塗り固められてしまう。快傑令嬢はただの国家に対する裏切りもので、単なるぞくの一人でしかない――。これはまさしく『舞台』なのだ。快傑令嬢が悪でないことを示すための。


 相手の逃げ道の全てを塞ぎ、詰めの一手を打ち込んだと思い込んでいたコルネリアは、怒りと敗北感の両方に戦慄わななきながら、軍服の下の体を冷たい汗で濡らしていた。悔しさと同時に、自らが用意したお披露目ひろめの場で自らの恥を万座に晒したことに絶望していた。


「――いや、まだ、こんな形で幕を下ろさせるわけには、こんな惨めな形で終わらせるわけにはいかない……! 兵士たち、出合え、出合え!」


 打ちのめされた挫折ざせつの沼からい上がれないコルネリアの声に、舞台のそでから、観客席の最後方の出口から、数十名の兵士たちが殺到さっとうして登場人物の仲間入りをする。


 ヴィザードは決して聞かれないよう静かにため息を吐いた。ここから展開される状況はもう、わかりやすいほどにわかってしまったからだ。


「結局、派手派手な大立ち回りになるってことね」


『橋』の前後を固められたリルルがサフィーナと背中を合わせ、レイピアの切っ先で兵士たちを牽制けんせいしながらニヤリと笑った。


「みんな快傑令嬢の華麗なレイピアさばきを期待しているんでしょ。相手がいないと始まらないわ」


 リルルと反対側で同じように剣をまっすぐに向け、一斉に襲いかかってくるのを押さえているサフィーナが笑うようにいう。


 囲まれているのはリルルたちだけではない。素手のロシュやフィルフィナもそれぞれ数人の兵士たちが包囲の輪の中に閉じ込め、攻撃にかかる号令を待った。


「これが最後の通告だ! 全員、大人しく降伏しろ! お前たちの弱点は兵士たちを殺せないことだ! 殺人は回避しなければならないのがお前たちなのだから!」

「なんか情けないこといってるわ。そう聞こえるでしょ、リルル」

「私たちの手加減に期待しないといけないとか。私たちが本気を出したらどうするつもりなのかな」

「ま、手加減しないといけないのは間違ってないんだけれど」

「私たちは快傑令嬢だからね」


 快傑令嬢は人を殺さない。それが国家権力を前にして大立ち回りを演じても、義賊ぎぞくとして市民から支持を得られる理由なのだ。が、それは反対にいえば、一人でも殺してしまえばその名声も地に墜ちてしまうということでもあった。


「あ、忘れてた。サフィーナ、これをつけて」


 リルルが後ろ手でサフィーナに、手の平に乗るくらいの小さなものを後ろ手に渡す。サフィーナはそれを握った感触だけで、それがなにであるかを理解した。


「これ、メガネ?」


 快傑令嬢のシンボルでもある魔法のメガネだ。しかし――。


「私、今メガネをしているわ。これになにか新しい効果があるの?」

「違うの。これはただの・・・メガネ」

「――――あ」


 背中合わせで語ったリルルの言葉が、すとんとサフィーナの胸に落ちた。

 魔力封じの鎖を解かれたことで、今、サフィーナの顔は認識阻害そがいの効果を得て周囲からは見られていない。だが、数分前まで素顔はたっぷり確認されていた。今更隠す必要もない――。


「どうせだったら、メガネをかけている顔で戦っているのをたっぷり見てもらいましょうよ。そんな姿は今まで一度だって見られたことはないんだから」


 そういうリルルも、腰の小物入れから取り出したメガネをすっとめた。それは常に快傑令嬢リロットがかけているメガネとほぼ同じ形だったが、見ている者の精神に作用して顔の印象をぼかしてしまう効果は全くなかった。


「――そうね、それもいいわね! よかった、これで私の美貌びぼうが隠れることはないんだわ! 私、それだけが不満だったの! このサフィーナお嬢様の美しいご尊顔を披露できず、隠しながら戦わなくっちゃならなかったことに!」

「……サフィーナ、あなた、口が腐っちゃったりしない?」


 サフィーナが魔法のメガネを外し、ただのメガネに掛け替える。それを客席から見る観客たちにおおお、というどよめきが大きな波紋のように広がる。


「素顔の快傑令嬢だ! それも二人も揃い踏みしてる!」

「ちくしょう、写真機カメラを持ってくりゃよかった!」

「三十秒も息を詰めて止まってくれるわけないだろ。ああ、でもこれは写真にしてほしいよな!」


 それぞれの想いを喚きながら、市民たちは『橋』の上で美しいドレス姿を披露する、薄桃色と紫陽花あじさい色の美剣士たちに興奮する声を送り続けた。

 その市民たちの反応に、コルネリアは百の苦虫を口の中で噛み砕いたような顔を見せた。


 千人単位が舞台上の快傑令嬢たちに拍手を送るようでは、王国の権威もなにもない。そもそもが快傑令嬢を屈服させてその威光を消すことにこの『舞台』の意味はあるというのに――!


「――こ、これ以上は……! みなの者、かか――」


 れ、という号令は、鋭く空気をつんざいた馬のいななき・・・・・・き消された。


「うわあ!」


 出口に通じる『橋』の上にいた兵士たちが次々に客席に転がり落ちた。夜の闇より黒い馬体が橋を突進し、『橋』の幅いっぱいにひしめき合っている兵士たちを跳ね飛ばしていく。後方から突然押し寄せてきたその脅威きょういに兵士たちは悲鳴を上げる。


 突き飛ばされるか自ら客席に飛び降りるか、選択肢はそれしかなかった。そしてたいていは前者を選ばされ、甲冑かっちゅうに身を固めた男たちが木偶人形でくにんぎょうのように蹴散らされた。


「――お待たせした! 遅くなってすまない!」


 たくましい黒馬、重量級の体で『橋』に押し寄せたヴァシュムートにまたがった白銀の鎧姿の少年騎士が、爽やかに叫ぶ。

 かぶとから明るい金色の髪を垂らし、深い水色の瞳を透明に輝かせ、少年騎士――ニコルは劇場の隅々にまで届く声で、朗々とうたった。


「自分はニコル・アーダディス准騎士! 快傑令嬢を守護する者! 快傑令嬢たちとその仲間、全員の身柄の安全を護りに来ました! 自分に誰をあやめるつもりもありません! さあ、速やかに道を通していただきたい!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る