「談判破裂」

 この王立エルカリナ大劇場は、過去から現在に至るまでの長い歴史の中で様々な演目を上演してきたが、馬に乗って現れる演者というのはこれが初だったかも知れない。

 立派な体格の馬、その上の白銀の全身鎧のニコルに、観客たちは唖然あぜんとした表情で迎えた。


 それは『橋』を埋め尽くすように立っている兵士たちも同じだ。快傑令嬢の少女二人を挟み撃ちにしようと殺到した兵士たちが、そのさらなる背後に現れたニコルによって挟撃きょうげきされる立場にされたことに口が最大限にまで開き、閉じようもなくなっていた。


「退いていただけないのか! では、本意ではないが、押し通らせていただく!」


 携えていた長槍を少年が風を切る速さでぶん、と振り回した。馬上からでも易々やすやすと地面を突けるほどに長い槍が銀の軌跡を残して一閃される。穂先の刃は外されていたが、その代わりのように黄金の三角旗、ゴーダム騎士団の騎士団長を示す紋章をいあしらった紋章がくくりつけられていた。


「――参る!」


 決してそれほど幅に余裕があるとはいえない『橋』を、ニコルは愛馬となったヴァシュムートに突進させた。『橋』の上でひしめき合いすぎて身動きも取れない兵士たちが、冗談のような勢いでまっすぐに走ってくる人馬の前にその表情から色を吹き飛ばされた。


「うわあ!」


 両隣と腕と腕がぶつかって、剣を振るうこともできない兵士がまず一人、繰り出された槍に胸を突かれた勢いで観客席に叩き落とされた。下敷きになりそうになった市民たちが弾かれたように離れ、背中から座席に落下した兵士はそのまま気持ちよく気絶する。


「やめろぉ!」「ひぃっ!」「ぎゃあっ!」


 馬上から荒ぶる旋風せんぷうのように繰り出される突き、ぎ、払いに兵士たちが丹念に橋から排除されていく。中にはヴァシュムートの蹴りに吹き飛ばされて宙に舞う者さえいた。


 たったの三十秒足らずで二十人はいたはずの兵士たちが退場する運びとなり、兵士たちの壁は薄焼き菓子ウェハースかなにかのようにもろくも崩されて消滅してしまう。


「リルル! サフィーナ様!」


 ヴァシュムートが吐く息がかかるまでの間合いにニコルがたどり着く。愛する少年が確実に近づいてくる度にその胸の鼓動を激しく跳ねさせていたリルルが、真の闇の中に光を見つけたようにその顔を輝かせた。


「ああ、ニコ――」

「退いて!」

「んにゃっ!」


 ニコルに駆け寄ろうと一歩を踏み出しかけたリルルが、背中からサフィーナに突き飛ばされて橋の真ん中で顔から倒れる。リルルを跳ね飛ばしたサフィーナはそのままニコルとヴァシュムートの首の間に体をねじ込むようにして飛び乗った。


「ニコル! ニコルニコルニコル! 私の騎士! よく来てくれました! もう好き! 死ぬほど愛していてこのまま殺しちゃいたいくらい!」

「サフィーナ様、やめてください! 大勢に見られています!」


 ドレス姿のサフィーナに抱きつかれ、かぶとから見えている顔の全ての部分にキスの豪雨を食らうニコルが文字通りの悲鳴を上げた。


「なにをいうのです! 見せつけているのです! この快傑令嬢サフィネルがどれだけ騎士ニコルを愛しているのかをその目と胸に焼き付けさせるのです!」

「なにやってるのよ! 私を押し退けることないじゃない!」

「――リルル、ニコル、今の瞬間だけ許して」


 瞬きをするほんの刹那せつな、サフィーナの顔から笑みが消えた。


「あなたたちは私に辛い報告をしなければならないのでしょう? だから、今日、よかったと思えることをさせてほしいの……」

「ううう……」


 リルルは様々なものを心の天秤てんびんにかけた結果、複雑な思いで目を閉じた。


「――これは珍しい登場人物だ。ニコル・ヴィン・アーダディス男爵」


 理解をはるかに超える勢いで目まぐるしく展開する壇上だんじょうについていけず、呆気あっけに取られている観客を代表するかのようにヴィザード一世が声を上げた。それは張り上げるような声ではなかったが、『橋』の途上にいるニコルにまで聞こえる通りの良さがあった。


「国王ヴィザード一世殿、お恥ずかしいところをお見せしています」


 サフィーナのキスが唇にも容赦なく降り注ぐ中で喋りにくくはあったが、下馬げばもせずにニコルは声を発した。


「ふむ。余の敬称として『陛下』を用いないというのはどういうことかな? まるでそなたが余の臣下ではないように聞こえるのだが?」

「ないように、ではなく、その通りです。自分がニコル・アーダディス准騎士と名乗ったことからもお気づきになりませんでしたか?」

「……驚いた。貴公は騎士精神にあふれた、忠義高い人物だと思っていたのだが」

「自分が忠誠を尽くすのは、忠誠を尽くすべき人物に対してのみです。国王ヴィザード一世殿、貴方あなたはそういう意味において、自分が忠誠を尽くす対象からは外れました。理由にはお心当たりがあるでしょう」

「それは大変な誤解だと思うが、まあ、そなたをさとしている時間はなさそうだな」


 ふうぅ、とヴィザードは細い息を漏らした。まだ十七歳にも届かない、去年に成人したばかりのこの少年が、一国の王に対してここまで迫ってくるとは。その魂の高潔さに立腹するのを遙かに通り越し、感動までしていたのかも知れない。


 この少年の心を手に入れて、我が手元にしたい。そんな欲求が喉元にまで迫り上がってくる。だが、痛いほどに心に押しつけられてくる少年の瞳の強さからは、それがとても望み薄なものであるという確信しか伝わってこなかった。


「……ニコル、貴公は愚かな人間ではないのは知っている。だから理解しているとは思うが……」

「自分のこの行動が、反逆罪に当たるということですね」

「そうだ。まあそれは、この場にいる四人の女性たちにも当たるわけだがな」


 言葉にしてしまって、ヴィザードは苦笑するしかなかった。自分の威光に従わないものをこうも舞台に上げてしまい、好き勝手に主張されているというのは、国王としての威厳を決定的に損なわれるもの、一言でいえば『恥』でしかなかった。


「状況は理解しています。しかし、自分の母と祖母を拉致らちし、人質にするような主君をどうして主君と認められますか? 国王、貴方も僕を裏切っています。貴方は僕の主君に相応しくない。だから叛逆をするのです」

「…………いい返せんな…………」


 薄い笑いがヴィザードの口から漏れた。


「まあ、そなたはリルルとサフィーナが快傑令嬢であるということを以前から知っていたのだろう。それ自体がすでに叛逆行為であるが……根拠に薄いか、ははは……」


 負けた、とヴィザードは判断した。国王としての威光いこうで相手を屈服させられないのは、国王としての敗北以外の何物でもない。


「――コルネリア」


 落ち着いた国王の呼びかけに、瞬きをする余裕もなく、ほとんど呼吸もできないほどに胸を張り詰めさせ、一連の流れに目を釘付けにさせられていたコルネリアの心が縦に横に跳ね回り、それが体を大きく揺らした。この作戦の立案と演出を手がけた『責任』という言葉が頭の上に重くのしかかった。


「失態だな、これは」

「へ……陛下……!」


 国王の声には怒りもなにもない。自分はしかられる価値さえないのだ。とコルネリアは悟った。

 ヴィザードが自分から物理的な距離を取っていることが、なによりの証だった。


「余はこの場から退しりぞく。あとは任せた」

「陛下、お待ちくださ――」

「余をお前の道連れにする気か?」

「…………!!」


 コルネリアは唇をきつく噛む。歯が薄く皮をいで血が出るほどだった。


「へ……陛下……! こ、この場は、私にお任せを……! 陛下はご退出ください……!」


 ヴィザードはそれに目でうなずくと、舞台の袖に向かってゆっくりと歩き出す。歩みの速度を敢えて抑えているのは、ここからそそくさと退散することで敗者の印象を上塗りしないためだった。


「逃げるのですか?」


 悠然と歩くヴィザード一世が目の前を通るのを、フィルフィナは視線だけで制しようとした。


「形勢が不利だからな」

「あなたの力を振るえば、どうにでもなるのでしょうに」

「エルフの王女よ、余を挑発しても無駄だ。市民の目の前で余が『力』を振るうことでその正体を暴露ばくろさせようとしているのだろうが、それが悪手なのはわかっている。ここはいったん、負けよう」

「…………」

「ここは譲るが、次はない。覚えておくのだな」

「ええ、わかっています」


 ヴィザード一世が舞台袖に去って行くのをフィルフィナは目で追い続け、その姿が完全に消えてから、ようやくふらふらと立ち上がったコルネリアに向き直った。


「さあ、どうしますか? 大人しく我々を去らせてくれるなら、このまま撤退しますが」

「……大人しく去らせるわけがないだろう!」


 フィルフィナの挑発にコルネリアが激した。


「この反逆者どもが! 全員を取り押さえろ! 一人残らず拘束するのだ!」


 劇場の空気を揺さぶる怒声が、その場の全員の鼓膜を激しく震わせる。冷静さもなにもなくしたコルネリアがきばくようにして発した叫びに、後詰めとして最後まで温存されていた兵士たちが舞台の端からあふれ出た。その手に持たれている刃の残忍な輝きに観客たちが悲鳴を上げる。


談判破裂だんぱんはれつして暴力の出る幕、ということですか。嫌いな展開ではないですけれどね――。では、やっておしまいましょうか。そろそろ頃合い・・・ですしね」

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