「最後の手札」

「お前は……!」


 ヴィザードの口調から芝居じみたものが消えた。多少の台本の脱線や改変は仕方がない――そう思って臨んだこの『舞台』だったが、予想もしていない筋書きの変更に理解が追いついていなかった。

 魔力の発動を縛る闇色の鎖で能力を封印し、さらに手枷と足枷で拘束していたはずの少女。


「――ふふ」


 力なく縛りつけられていたはずの少女が、全てのいましめを外して、そこに立っていた。手首の黒い腕輪に収納していたムチを取り出しているということは、闇色の鎖さえも解き放っているということだ。


「……闇色の鎖は、自分自身では解くことができないはずだ。物理的にも人の力で引きちぎることはかなわない……それを何故……!?」

「さあ、何故でしょうね?」


 口元につややかな笑みを浮かべた快傑令嬢サフィネル――サフィーナが右手に握ったムチを右に左に振り回す。サフィーナを閉じ込めていた太い鉄格子がまるで長い蝋燭ロウソクかなにかのように鮮やかな切り口さえ見せて切断され、本当の蝋燭の長さ程度の鉄の棒の数十本が重い音を立てて転がった。


 たかが・・・ムチごときで成し得たその技に、観客たちがわっと沸く。それは手品でもなんでもない、快傑令嬢としての力そのものだった。


「サフィネル、いえ、サフィーナ!」

「リロット――リルル!」


 リルルの声に応え、サフィーナがドレスのスカートをはためかせるようにして駆け出した。その走る方向の先に、目を見開いて呆然としているヴィザード一世の姿がある。主君の反応が鈍いのに慌てた兵士四人が国王の前に壁を作り、サフィーナは迷わずその壁に向かって突き進んだ。


「たぁっ!」


 青いハイヒールが舞台を蹴る。高い音が響き、紫陽花あじさい色のドレス姿の少女が、高い天井まで届けと急角度の弧を描いて跳ぶ。それはもちろん国王たちの頭上を悠々ゆうゆうと跳び越え、全ての人間たちの視線を受けながらリルルの側に着地する。


「ほら、あなたを縛っている鎖よ!」


 サフィーナが左手に持っていた筒を、リルルの前に放り投げた。


「ありがとう、サフィーナ!」


 目の前に浮かんだ筒――自分と国王の婚約を証明する書類が入ったそれをリルルはにらみつける。いつの間にか左手にしていたレイピアのさやを真一文字に構え、右手で柄をつかみ、筒の真ん中に狙いを定め、神速の速度で刃を抜き打ちに走らせた。


「っ!」


 その様を刮目かつもくして見守っていた国王の目の中で、下から払い上げる斬撃の前に中の書類ごと筒が両断された。次の瞬間には両断されたそれがあおい炎に覆われ、一瞬にして燃え尽きる。

 灰も残さずに、リルルを縛りつけていたはこの世から消えた。


「――そなた、たちは……」


 二人の快傑令嬢たちの鮮やかな連携を前にして、国王は笑うことも怒ることもできなかった。肩を並べ、すっくと立ってこちらを見つめてくる二人の少女の瞳の輝きの鋭さに心をい止められたように、その場に立ち尽くしてしまっていた。



   ◇   ◇   ◇



 サフィーナが劇場の天井近くまで高い跳躍を遂げたのを、設備の操作室の窓からコルネリアも目撃していた。サフィーナの魔法の道具に封印を施したコルネリア本人が、そのさまに心臓が張り裂けるほどに驚いていた。


「な……何故!? 何故だ!? 何故あの娘が自ら動ける!?」

「さあ、どうしてでしょうねぇ?」


 そのコルネリアに拳銃を向けて牽制けんせいしているフィルフィナが静かに笑う。


「貴様、あの娘になにか細工を……!」

「そう思いますか? まあ、あなたがどう思おうと別にわたしは構わないのですが。しかし、これで形勢は大きく変わりましたね。次はどういう手を打つつもりです?」

「――忘れているのか! 人質はもう一人いる!」


 突然その場に屈み込んだコルネリアが自分の足元に拳を叩きつけた。細腕から出る力とは思えないその強烈な打撃に床がいとも簡単に抜け、木材の破片が撒き散らされる中、張り出し構造になっている操作室からコルネリアの姿が消えた――自ら開けた穴から落ちたのだ。


「ちょっと、なんてことをするんですか」


 大きく空いた穴の下に向けてフィルフィナが抗議する。が、コルネリアはもうそこにもいない。


「この劇場だって市民の税金で建てたものでしょう。わたしも納税者の一人なんですよ、もう」


 ふう、とフィルフィナは息を吐いて首を横に振ると、自分はきびすを返して扉に向かった。



   ◇   ◇   ◇



「国王! もはやこのお芝居も終わりです!」


『橋』の真ん中に立つ二人の快傑令嬢が、それぞれにレイピアを抜いて構える。一人だったリルルを挟み撃ちにしようとしていた兵士たちが戸惑う――ムチでさえ鉄の格子を切断したのだ。二人が持つレイピアにどれだけの切れ味があるのかわかったものではない。


 自分たちが着ている鎧、被っているかぶとも無意味なものではないかという疑いと恐怖が、その足を鉛よりも重くしていた。


「私を縛っている鎖はこの通り引きちぎらせていただきました! そして相棒も取り戻させていただいた今、この場には用はありません! 私たちは、この辺りで失礼させていただきます! 即刻、兵士たちを下がらせなさい! さもなくば、遺憾いかんではありますが、実力を行使するまで!」

「――無駄な抵抗を!」


 コルネリアの声が響き渡る。

 重い機械音と共に舞台の右端付近の床が水平方向に開き、下への空間を現す。その空白を埋めるように下から迫り上がってきた昇降機が、二人の人物を乗せていた。


「我々の寛大な勧告にも応じず逃亡を計ろうというのなら、最後の切り札を切らせてもらう!」


 昇降機が床の高さまで上がって停止する。その上に乗っているのはコルネリアと、後ろ手にされた両腕に手錠をめられ、猿ぐつわを噛まされたソフィアだった。


「リルル様! この女は貴女あなたの乳母、実の母親に等しい間柄であるということは調べがついています! ……こんな手段は取りたくはなけれども、どうしても聞き分けをされないというのなら、非常の手段を取らせてもらうまで!」


 なんとしてもリルルの身柄を確保したいという焦りを隠せないコルネリアの目が半ば吊り上がり、その興奮した姿にヴィザードは頭を抱えたい気持ちを抑えた。快傑令嬢サフィネルを人質に取るのは、彼女が罪人ということでまだ法的にも言い訳が利く。が、ソフィアに対してはその口実もないのだ。


「……いまさら体面などを気にしても意味は薄いが、これは……な……」


 ヴィザードはさり気なさを装い、舞台の真ん中から遠ざかる。頭に血が上ったコルネリアに観客の視線が集中している間に、この場から消えた方が得策だという判断があった。


「まずは二人とも、武器を捨てられよ! そして直ちに投降されたい! サフィーナ嬢! あなたも、ニコルの母がこの場で殺されるところを見たくはないだろう! さあ、早く!」


 ソフィアの首筋に短剣が当てられる。目を剥き、猿ぐつわの下から声を漏らすソフィアは身をよじってなにかを訴えるが、それが言葉として伝わることはなかった。


 リルルとサフィーナが顔を見合わす。さほどの動揺もなく、むしろ落ち着きえその表情にはあった。


「グズグズされるな! この女、ソフィアを殺すというのは脅しではないぞ!」

「――ふふっ」


 リルルの口元から、笑い・・が漏れた。

 血走ったコルネリアの目がますます見開かれる。瞬きをするのも忘れた二つの目が、明らかに愉快そうな笑いを浮かべているリルルの表情に釘付けになった。


「あは、あははっ、あははは……」

「ふふ、ふふふ、ふふふふっ……」


 小鳥が小さくさえずるような小さな笑いは、やがて肩を揺らすほどのものに変わる。それはサフィーナも同じで、人質に刃を突き付けられている状況で二人は、心底可笑おかしそうに唇を震わせていた。


「なにが――なにが可笑しい!?」

「だって、可笑しいわ。笑わずにはいられないもの」


 目の端に浮かんだ涙を指で払い、前を見たリルルがあふれ出る笑いを押さえ込んで、いっていた。


「ソフィア? ソフィアなんてこの場にはいないわ。よくそのを見たら?」

「なんだと――」


 自分が刃を喉元に突き付けている女に目を向けようとした瞬間、ギリリ、と金属同士が激しく噛み合い、擦れ合う音がきしむ。破裂音に似た高い音がほとんど間髪入れずに鳴り響き、次には、コルネリアはソフィアが繰り出したで激しく突き飛ばされていた。

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