「覚悟と、覚悟」

 運命を響かせて迫る足音が、扉の前で止まった。椅子の上で緊張に強張った自分の体に、力を抜け、とサフィーナは命じる。力んでいては何事にも対応できない、といっていた父の言葉を思い出して。

 施錠が解かれる音が、大げさに大きく鳴る。心の亀裂に突き刺さるように蝶番ちょうつがいきしむ。


 頬からあごにかけて短く整えたひげを蓄えた、立派な体格の壮年の男がそこにいた。黒い軍服に身を包んでいるそのたたずまいは、十年ほど前の父に似ていると思う。


「お久しぶりです、わたくしのことを覚えていらっしゃいますか?」


 サフィーナはほんの数瞬迷ったが、最初くらいは礼儀を示そうと立ち上がった。本来なら罵声ばせいを浴びせても許される状況だろうが、自分は公爵令嬢で相手は国王陛下・・・・なのだ。


「サフィーナ・ヴィン・ゴーダムでございます、国王ヴィザード一世陛下」

「そうだったな。あの園遊会でそなたとは一度言葉を交わしていたな」


 当世随一の人気俳優と紹介されても違和感のない男ぶりを示して、ヴィザード一世は応えた。


「そして、そんなそなたが、ちまたを騒がせている快傑令嬢のひとり、快傑令嬢サフィネルであろうとはな」

「お恥ずかしい限りですわ、陛下」


 サフィーナがスカートの裾を広げ、足を引いて一礼し、この密室の中にさえふわりと風を呼ぶような完璧なカーテシーを披露した。武装を解除された囚われの身で、しかも特殊能力の全てを封じられながら優雅さをかもし出す少女の仕草に、ヴィザードは気圧されるものを感じた。


 小鳥のように怯えて震える哀れな少女と対面することになると夢想していたら、まるで違っていた。目の前の少女は可憐でありながら、戦士であるとしか思えなかった。

 この少女の力は、魔法の道具があるとかないとか、そういう話ではない。


「……こういうのもおかしいかも知れんが、見事な挨拶あいさつだった。ならばも返礼しよう。余はヴィザード・ヴェル・ザラード、ヴィザード一世である。久しいな、サフィーナ……いや、サフィネルと呼んだ方がいいのか?」

「お好きな方で結構ですわ、陛下」


 その敬称に鍍金メッキのような敬意を貼り付けてサフィーナは応じた。椅子に座ったヴィザードは怒りもせず、座ってくれ、と手で示す。顔の皮膚、ほんの薄皮一枚を微笑ませてサフィーナも座った。


 対決の始まりだった。


小賢こざかしい駆け引きはなしにしよう。余も忙しいのでな。聞きたいことはひとつ、そなたの相棒、快傑令嬢リロットの正体について教えてほしい」

「お断りですわ」


 サフィーナは満面の笑顔を浮かべて答えた。それが今の自分にできる最大の攻撃だと思っていた。


「仲間を売るなんて私にはできません。他を当たってくださいますか?」

「……答えなくなければ、そなたの……」

「陛下、ゴーダムの家はもう店仕舞みせじまいいたしました。全て陛下の仕打ちのおかげでございます。私にもう守るものはなにもありません。この命さえも例外ではありませんの。なにを人質にしようとしても、無駄なことでございます」

「できることならやりたくはないが、そなたを拷問にかけることもできるのだぞ」

「覚悟はいたしておりますわ」


 頬と口元が笑みに彩られる中で、揺れることのない琥珀こはく色の瞳がヴィザードをにらみつけていた。


「責めて責めて、責め抜かれるがよろしいでしょう。私は陛下にこの身をもってお示しするだけです、世界には、如何いかなる脅しにも暴力にも屈さない魂が存在する、そのことを証明して差し上げます。さあ、拷問部屋に案内してくださいな。私の言葉が嘘か誠か、確かめられるがよろしいでしょう」

「…………」


 ヴィザードは黙した。今までに出会ったことのない難敵に出くわしたと思うしかなかった。


「逆に、おたずねしてもよろしいでしょうか?」

「…………許す」

「何故に、快傑令嬢リロットの正体などをお気にされるのです? このエルカリナ王国は明日にでも世界と魔界を敵に回しての大戦争が実際に始まるというのに、たかがそんなことに割いているお暇がお有りなのですか?」

「たかが、ではない」


 ヴィザードは真顔でいっていた。


「重大事だ。この王都エルカリナが陥落するよりも、遙かに重大事なのだ」

「……まさか?」


 嘘かたわむれか、そうとしかサフィーナには思えなかったが、ヴィザードがこちらをじっと見据えてくる瞳の静けさからは、そのどちらも読み取れなかった。


「わからずともよい。どうせ誰にも理解はできぬ。余にとっては天界も、魔界も、エルカリナ王国もその他の国も、この国王という肩書きさえも、どうでもいいことなのだ。ただ、道具として必要な間は、保ってくれなければ困る。それをはばむものは全力で叩き潰す」

「……あなたは……」

「サフィーナ。そなたも余の前に立ちはだかるというのなら、容赦はせんぞ。余は快傑令嬢リロットの正体を確かめたい。いたいけな少女を痛めつけるというのは余の趣味ではないが、そなたが頑として口を割らんというのなら、手段は選ばん」

「そうなりますわね」


 少女と男の目線が真正面からぶつかる。双方、共に一度も笑っていない瞳と瞳が強い光を発し合い、絡み合った視線が摩擦で見えない火花を散らしそうだった。


「では、どうされます? そこの寝台を使いますか? 脱げといわれれば脱ぎますが」

「そんな面倒なことはしない」


 ヴィザードは懐から一枚の金色に輝く細い布を取り出して、テーブルに置いた。


「これは魔法の布だ。これを巻かれた者は、問われた質問に正直に答えないと、無限の苦痛で悶死もんしすることになる。巻かれた部分に、千の針を直接刺されるような凄まじい激痛がもたらされるのだ。正直に答えれば、その痛みからは解放される。命も助かる。正直に答えない限り、死ぬまで続く」


 布に目を落としたサフィーナは、自分が飲んだ固唾の音を聞かれたかどうか、本気で心配した。

 何人かの名前を心の中で唱える。その名前のひとつひとつがサフィーナに限りない勇気を与えた。


「どんな屈強な男でさえ、この布の力の前には屈した。如何に秘めていたい秘密でさえも最後には泣きながら洗いざらい話した。抵抗は無意味だ。かつて、これを巻かれた者は、一人として……」


 ヴィザードの脳裏に、ひとりの少年の顔が過ぎった。瞬間、わずかに声がかすれた。


「……一人として、耐えられはしなかった。サフィーナ、よく考えるのだ。自分の命と相棒の秘密、どちらが大事なのか。秘密を白状すれば、そなたを解放してやろう。余はそなたに関心はない。そなたが刃を向けてこない限り、その時・・・が来るまで生かしておいてやる。だから――」

「それはよかった」


 国王の言葉をさえぎり、サフィーナはにっこりと微笑んだ。

 テーブルの上に置かれた布を手に取り、自らの手で、頭に巻いた。


「舌を噛む手間が省けて助かりますわ」


 白く細い指が震えることもなく、頭の上でぎゅっ、と強く巻き付ける。

 ヴィザードはその様に、呼吸を止めさせられていた。こちらの言葉を疑ってもいないのにそうできる、少女が見せる瞳の強さに自分が圧倒されているようにしか思えなかった。


「さあ、どうぞ」

「…………ならば、問うぞ。快傑令嬢リロットの正体を明かせ。その名を余に告げるのだ」

「お断りします」


 次の瞬間、部屋いっぱいに少女の悲鳴が響き渡った。

 それを目の前で聞かされるヴィザードは、自分の頭が締め付けられている錯覚に襲われ、その片方の頬を本気で歪めた。

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