「抗う」

『銀の腕輪』。


 エルフの一族が五百年前から管理していた、装着した者に絶大な力を与える秘宝。伝説の『五英雄』が旅の間で手に入れたそれは、剣の一振りで大地を割り、展開する光の盾で押し寄せる津波を弾き飛ばさせるだけの力を持つ。


 今は、リルル、フィルフィナ、サフィーナ、そしてニコルの四人がそれぞれひとつずつを持っている。実際にニコルが左腕にそれをめ、巨大な炎竜が吐きつけてくる青い光の炎の激流を弾き返している。一瞬で人間を炭化させるに十分な光線の中で、ニコルは歯を食いしばりながら耐えられている。


 だが、自分をその場に固定するように大地を踏みしめる――固く踏みしめているはずのニコルの足は、じり、じりじりと下がりつつあった。


「ぐ、く、くぅ――――!!」


 谷の底を凄まじい規模と勢いで流れる鉄砲水、そんな勢いの光線を真正面から止めようと立ちはだかるニコルは、光の嵐の中のまっただ中にいた。上も左右も後ろも、青く輝く炎の暴風しか見えない。熱が遮断しゃだんされていなければ、とっくに体が蒸発していると思えるほどの熱量が浴びせかけられているのがわかる。


 今はその全てを防げている――はずだったが、前から押し寄せてくる圧力の前にニコルは押し負けそうになっていた。銀の腕輪の出力が負けているのか、相殺できないわずかな力の差がニコルの体を確実に後ろへ、後ろへと下げさせている。


 左腕の腕輪が過去に見たことのないほどの発光を示している。最大限の稼働を見せてくれているのはわかる。しかし、確かに競り負けている――!


「こ……これが、『魔王』の力……!」


 ニコルは自分の心の底に隠れていた慢心を見つけていた。異なっているとはいえど人間に近い姿、しかもうら若い女性ということで侮っていた気持ちがあったことに気づいていた。

 相手は、仮にもさきの『魔王』の娘だ。現在の『魔王』そのものなのだ。


 国王に倒された古竜神だけが本物の魔王であるなどと、どんな根拠でお前は思い込んでいたのだ?

 お前は、伝説の英雄たちが五人がかりで挑んだ魔王に、たった一人で戦いを仕掛けようとしていたのだ。どんな思い上がりがお前にそんなことをさせたのか、この愚か者め。


「ぐ……ぅ、うぅ、ううう、ううう――――!!」


 自分の愚かさ加減を自分で嘲笑いながら、奥歯を噛みしめてニコルは全ての力を前面で展開する光の盾に注ぎ込んでいた。一枚の扉の大きさになって体を守ってくれる青い光の盾は健在だったが、それがいつまでもってくれるかはわからない。


 ほんの一瞬でも気を緩ませれば命はない――その確信がもたらす恐怖だけが、ニコルの体を支えていた。皮膚の裏を凍らせ震え上がらせる凍えの感覚が、死にたくない、と少年に思わせる。


 直角に近い角度で開いた炎竜のあご、その喉から溢れ、吐きつけられる光の濁流だくりゅう彼女・・の瞳が、何故こいつは耐えられるのだという驚きに見開き、同時に、どこまで耐えられるのかという興味に笑っている。一方的に攻撃する余裕がそこに見える。


 その拮抗きっこうを崩したのは、外からの干渉だった。


「ニコル――――!!」


 騎士の一人が拳大の手投げ弾を投石器スリングで高々と飛ばすという危険な行動に出た。その頭頂が十階建ての建物に届こうという巨竜の頭にそれを届かせるには、そんな方法しかなかったのだろう。

 一歩間違えれば自爆必至なその荒技は功を奏し、手投げ弾は炎竜の顎の下で起爆した。


「――――!」


 炎竜――モーファレットが、光を吐きながら首を巡らせた。光の激流の向かう先が、ニコルから次弾を投げつけようとしていた騎士に移る。腕を振り上げた騎士が絶命の直前に見たのは、視界の全てを染め上げる光の洪水だった。


「先輩――――!!」


 光を浴びた一人の騎士が、輝きの中に掻き消えた。炎竜の喉の奥の発光が途絶えて光線の放射はやんだが、最後に光を浴びた騎士は、真っ赤に灼熱する鋼の装備だけを残していなくなっていた。


「――余計な茶々を入れおって!」


 モーファレットが再び顎を開くが、光線の放射を呼ぶ光の発光は瞬かなかった。それと同時にニコルの銀の腕輪の輝きが明らかに小さくなっている。


「……溜めていた力を、使い果たしたのか……!」


 血に濡れ、青ざめた顔で呟いたニコルの膝が、砕けた。銀の腕輪を稼働させるための気力が尽きる。気力を支えていた体力の大半も失われていた。

 そんなニコルの硬直を、炎竜は見逃しはしなかった。前傾させていた体をさらに傾ける。


 覆い被さるように迫る巨竜の姿を目の当たりにし、地に膝を着いていたニコルが地面を叩く。

 その次の瞬間、巨竜の手が、


「っ!」


 天からまさしく鉄槌てっついが下るように、ニコルがいた地を殴りつけた。


「ニコル――!!」


 轟音が鳴り響く。悲鳴を上げていななく馬を手綱で制止しながらゴーダム公が叫ぶ。炎竜が手の平を叩きつけた地を就寝にして地面が水面のように波打ち、それに足を取られた大半のものたちが足を取られて転倒していく。


 再び、濃密な砂煙が舞い上がった。



   ◇   ◇   ◇



 時間をかけて態勢を立て直した魔界の軍勢の前に、ゴーダム騎士団の騎士たちは徐々ではあるが、確実にたおれていった。疲れて勢いが落ちたところを槍衾やりぶすまを並べられ、それを突破できずに刺され、馬から引きずり降ろされ、地面に倒れたところを滅多刺めったざしにされた。


 特に、巨大な炎竜と姿を変えた『魔王』が出現してからが酷かった。士気を強く殴られた騎士団、その姿に戦意を取り戻した魔界の軍勢、その力の均衡バランスは大きく崩れた。一騎で十人を相手にできる騎士たちも、それぞれに引き離された所を十五人に襲われた。


 体力も精神力もすり減らし、最初の突進力を失った騎士たちがまた一騎、そしてまた一騎と討ち取られていく。そこかしこで耳を覆いたくなる悲鳴が上がる。復讐に燃えた目ににらみつけられ、震える手から繰り出される刃に命が刈り取られて行く。


 ただ、どれだけ不利な、絶望的な状況に陥っても、背を向けて逃げ出す騎士はいなかった。

 一騎としていなかった。

 彼等は槍にゴーダム家の紋章の旗を掲げ、肩にゴーダムの獅子の翼を羽ばたかせて、死んでいった。


 ゴーダム騎士団壊滅の時が、刻一刻と迫っていた。



   ◇   ◇   ◇



 風が吹き付け、砂のヴェールが流れた。炎竜が叩きつけた手を隠していたものが全て払われた。

 そこに、はいた。


「く……う……」


 尻もちをついたニコルが、炎竜の指と指の間、爪と爪の間にいた。人の胴体に匹敵する太さの指に潰されなかったのが不思議なほどの間合いで、その場で上体だけを起こしている。

 かぶとが外れるほどの凄まじい衝撃を至近で食らい、体に突き刺さった震動に意識が揺らいでいた。


「――ふふ」


 炎竜の目が、笑った。人からかけ離れた魔獣の姿の中で、その目だけが人間の気配を示しているのが本当に異様だった。


「よく逃げる。が、それももうここまでだな」

「ニコル――!!」


 叫ぶゴーダム公の目の中で、炎竜の手につかまれたニコルの体が競り上がるようにして高々と掲げられるのが映った。両腕をわしづかみにされ、首だけを出したニコルが全身を絞め上げてくる力に顔を歪ませる。機械に挟まれるということはこういうことなのか、というくらいの問答無用の力だった。


「ぐぅ……あ、あああ……!」

「――美しいな」


 体がバラバラに砕かれる、厚い装甲であるはずの甲冑の外からでもそう思える予感にニコルは悲鳴を上げる。引きつりきった少年の顔を真正面に見てモーファレットは呟いた。幼少の頃に与えられたどんな人形よりも、今この手にある少年は美しく見えた。たとえ苦痛と恐怖に顔が歪んでいても。


「お前が我が物にならないというのは、残念だ。だから、他の者の手に渡らないようにここで殺す。その頭を食らって飲み込んでやろう。この魔界の王の糧となれること、光栄に思うがいい」


 まだ生き残っていた騎士たちが、手に持っていた槍を炎竜に投げつける。何本もの槍が炎竜を直撃するが、本ほどの厚さもあるうろこを貫通できるものはない。ニコルを救おうと最後の武器を手放した騎士たちが、また馬上から叩き落とされて地面に転がった。


「――邪魔をするな。お前たちの相手はすぐにしてやる。その間に逃げたければ逃げるがいい。今は、美術品の鑑賞をしているところなのだからな」

「ぐ、あああ…………!」


 ぎし、ぎしぎし、とニコルの体をつかむ手の力が強められる。その気になれば薄いガラスの瓶を砕けるだけの力があるというのに、手の中の美しい少年が上げる悲鳴の音を心から味わうように、繊細な手加減が加えられているのだ。


「お前のことだ。この期に及んでも命乞いなどしないのだろう。美しいものだ。では、苦しめるのはこの辺にしておいてやる。お前の頭を食らってやる。覚悟をするがいい――」

「く、そぅ…………!!」


 目の前にある、視界の全部を埋めるほどに巨大な炎竜の顔を睨みつけながら、ニコルはまだ希望を捨てていなかった。絶望しないのが自分の戦いだといい聞かせるように、最期まで抗うという心が、射抜くように鋭い瞳の輝きとなった。


 そんな光もまた美しいのだと微かな無念さを覚えながら、モーファレットは竜の口を開けた。一度で首から噛みきり、噛み砕こうという意志を持って。

 密集した牙の列が眼前に迫っても歯を食いしばるニコルはそれから目を離さない。前を向いていた。


「――――――――!!」


 ――もうひとつの光の嵐が荒れ狂ったのは、その瞬間だった。

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