「撤退」

 ニコルの『妹』とされている少女、ロシュ。

 その実態は、異界から渡ってきた戦闘用の人型機械である。

 この世界では一端分解してしまえば、二度と元に戻すことさえかなわないほどの、精緻せいちに精緻を極めた技術によって製造された『彼女』。


 同じ顔、同じ姿をした一個大隊ほどの彼女たちによって、彼女たちを生んだ世界の文明が滅亡寸前に追いやられたという。が、やがて狩られる立場に転じた彼女たちは次第に数を減らして絶滅の道をたどることになり、最後に残った『一機』が世界の間を渡る者の手によって拾われた。


 それが様々な事情により、今は社会で生きる人間として存在している。しかし、やはりその本質は戦闘兵器だ。彼女はなんのために生きているのかはともかく、戦うために生まれてきたことに疑問はない。

 彼女の体は戦うためにあった。本来なら、この世界に存在するものの中で最も強力なものとして。

 だから、彼女は戦う。自分を『人間』にしてくれたニコルのために。



   ◇   ◇   ◇



 右上腕を二分する分け目が手首から肘にまで走り、それが肘を支点にして展開すると、骨のように内臓されていた二本の板が露出した。わずかな隙間を空けて平行に伸びるそれが青白い電光を発し、空気を灼いたためにもうもうたる白い水蒸気を吹き上げている。


 その板の間からまさしく砲弾となって放たれた青い光弾が炎竜の左脚に突き刺さり、鋼鉄のうろこを凄まじい熱量で蒸発させて丸太大の穴を穿うがっていく。鉄が蒸発する熱気が辺りに撒き散らされ、その場にいたものが溶鉱炉の側にいるような熱さを肌に受けていた。


「ぐぅぅぅ、ぅぅぅ…………!?」


 折れようがあるのかというくらいに太くたくましく安定した巨竜の脚、その膝が、折れた。鋼の槍の投擲とうてきをまともに受けても欠けもしなかった鋼の装甲が、熱湯をまともに注がれた氷のように溶解、いや、気化して気体として散ったのだ。


「――貫通、しないのですか……!」


 その光景を前にして、滅多めったに見せない感情の色を見せてロシュが歯噛みした。


「以前の主機ジェネレータなら、簡単に貫通できた……!」


 高出力ではあるがこの世界では調達できない燃料を必要とする主機から、長く稼働するために低出力ではあるが燃料の補給の必要がないものに換装したのが間違いだった、とロシュは唸る。明らかに主兵装ビームキャノンの威力が落ちている。


「二射目、エネルギー不足……発射不能……!」


 再びロシュが水平に構えた二枚の板はわずかな発光を示して、沈黙した。ニコルの頭を噛み千切ろうとしていた炎竜の首がロシュに向けられる。革鎧姿の少女が自分に深い傷を負わせたことへの驚愕きょうがくが、激痛に歪むその目に宿っていた。


「こんな力を持っている奴がいるとは、な……! しかし、これしきの傷では……!」


 天に突き刺さるかという鋭さで響いた馬のいななきが、モーファレットの意識を掻き乱した。

 ロシュの後方から一人の騎士が、その右手に槍を、左手に手綱を握りしめ、膝を着いた炎竜に向かって馬を一直線に、突風の勢いで突進させる。早い調子で地面を蹴るひづめの音が鼓膜を叩く。


 頬に受けた長い傷から血を溢れさせた男が、なにもかえりみはしない前傾姿勢で風を切って走る。曲がることはもちろん、止まることさえ考えていないような、魂からの突撃。

 女王の危機を救おうと群がる魔族たちを文字通りに脚で蹴散らし、騎馬は走る。男を乗せて。


 ニコルは、その男の姿を見て叫んだ。叫ばずにはいられなかった。


「ち……父上――!!」

「うおおぉ、おぉ、おおおおお――――!!」


 激しい震動に傷だらけの鎧を鳴らし、体のあちこちから血を流したゴーダム公が、同じく傷だらけの愛馬と一体となり、衝突をもいとわない全速で疾駆する。まっすぐ前に向けられた槍の先端が、男の咆哮ほうこうに反応したかのように輝いた。


「ここなら、槍も刺さるだろうがぁ――――!!」


 ロシュが光弾で大きく穿うがった深いあな、その中心を、自らと馬の体重、そして突進の速度を融合させた力を乗せられた槍が、肉がえぐられる音を上げながら突き刺さった。槍の穂先が完全に飲み込まれ、柄の部分までもが炎竜の肉の中に入り込む。


 炎竜が、吠えた。開いた傷口をさらにかき回された凄まじい痛みに、ただ吠えた。


 ニコルの胴体を腕ごと拘束していた手の力が緩まれる。その一瞬の隙をニコルは見逃さなかった。

 固く締め付けてくる竜の指、そのわずかな隙間から右腕を引き抜く。右腰の拳銃嚢ホルスターから抜いた拳銃をニコルが、眼前で苦痛に悶えている炎竜のに向けた。


 発砲音が鳴り、発砲炎が花開き、炎竜の左目――瞳を、少年の意志を乗せた拳銃弾が直撃した。


「ガアアアアアアアア――――――――!!」


 竜の喉の奥から、周囲の森のこずえを震わせるほどの絶叫が、冷たい空気をかき回した。拳銃弾を受けた眼球から透明の粘液が噴き出し、それだけは人間の気配を見せていた赤い瞳が急速に濁り出す。


「こ、このォ――――!!」


 煮えたぎる怒りにモーファレットが限界までいた右目に映ったのは、拳銃を投げ捨て、二挺目・・・の拳銃を正面に構えたニコルの姿だった。

 驚きに息を飲んだ炎竜が叫びを止めたのと、ニコルが二発目の発砲を行ったのとは、同時だった。


「グアァッ!!」


 二発目の銃弾もまた、モーファレットの眼球――今度は左目の瞳に命中する。拳よりも大きいその目は、ニコルの射撃の腕前にとっては大きすぎる的だった。


 頭部を貫いた二つの痛みに、脳を引き裂くような悲鳴を上げながら悶えた炎竜が、大きく腕を振る。捕まえた虫を地面に叩きつけるように、ニコルの体が地面に向けて投げられる。


 悲鳴を上げることもできずに地面に激突する――はずの体を、受け止めようとする影があった。

 腕を広げたゴーダム公がニコルと地面の間に割って入り、義理の息子の体をその全身で受け止めた。

 それでも、砲弾の勢いで投げつけられたニコルの勢いを完全に止められるわけがない。甲冑に包まれた少年の体を抱きながら、大柄なゴーダム公の体は背中から地面にぶつかった。


「ぐううっ!」


 手加減などない勢いで飛んできたニコルの体と地面に挟まれ、甲冑を貫通した衝撃にゴーダム公が顔と声をきしませる。後頭部を打ち付けた重い打撃が容赦なく脳を揺らした。


「父上! 父上ぇ――っ!」


 ゴーダム公を抱き起こそうとして、ニコルは反射的に身を伏せた。目を貫かれた痛みと視界が潰された混乱に暴れるモーファレットが振った尾が頭のすれすれを通過する。二十メルトに届こうかという長さの尾に、数人の騎士と魔族たちが声もなく薙ぎ倒された。


「父上、しっかり、しっかりしてください!」

「う……ニコ……ル……」


 目を閉じてうめくゴーダム公は辛うじてニコルの名を呼ぶだけだった。震える唇からはそれ以上の反応がない。ニコルが初めて見る父の姿だった。


「ニコル! もうここまでだ、撤退しろ!」

「先輩!」


 無我夢中で脚を踏み鳴らし、尾を振り回して暴れ回るモーファレットが人を、建物を次々に吹き飛ばしていく。敵味方の区別もになく、立っている者たちが逃げ惑う阿鼻叫喚あびきょうかんの中、二人の騎士たちがいずるようにしてニコルとゴーダム公の元にたどり着いた。


「もうほとんど仲間が生き残ってない! 今ならお前と公を逃がせる! 公を連れて退しりぞけ!」

「ですが、まだあの『祭壇』を破壊できていません!」


 建ち並ぶ小屋の向こう、まだたどり着けない先に高くそびえる『祭壇』。その先端で灯っている光を睨みながらニコルが叫ぶ。


「作戦は失敗だ! ……土台、最初から無理な作戦だ! お前が魔王の目を潰しただけでも十分なんだ! 俺たちが援護して少しでも時間を稼ぐ。今すぐにここを離れろ!」

「しかしっ!!」

「命令だ! 公が指揮不能な今、俺に指揮権がある! それに忘れたのか! 生き残るのがお前の任務なんたぞ!」

「くぅっ――――!!」


 ゴーダム公の上体を抱き起こしたまま、ニコルが奥歯を噛みしめて苦渋の声を喉の奥から振り絞る。


「ニコルお兄様、こっちの方角が手薄です。お早く」


 駆け寄って来たロシュが指で北への方向を指し示した。その指の先にも武器を持った魔族たちの姿は見えたが、ロシュにはニコルたちの目から見えないものも感知できているのだろう。ニコルはロシュを信じることにした。


「ニコル、公を頼むぞ! 俺たちはここで壊滅しても、ゴーダム公だけは生き延びさせてくれ!」

「お前も死ぬんじゃないぞ、ニコル――知ってんだぞ、まだ童貞なんだろ。童貞のまま死ぬなよ!」

「…………先輩、あとは頼みます!!」


 いまだ混乱が混乱の中にあるモーファレットが起こす破壊の嵐が吹き付ける中を、ニコルはゴーダム公を背負って立ち上がった。出力が上がらない銀の腕輪も、大柄な甲冑姿の騎士を一人背負うだけの力を貸してくれた。


「ああ! お前は、生き延びて俺たちのかたきを取るんだ! 絶対だからな!」

「はいっ!!」

「ロシュちゃんとかいったな。俺たちの弟を守ってくれよ!」

「了解しました」

「行けぇっ! ――じゃあな!!」


 ニコルはうなずいた。うなずく以外に言葉が出なかった。

 二人の先輩騎士はここに残り、倒されるまで戦うだろう。その覚悟の大きさに、かけるべき言葉も見つからなかった。


 ニコルが走り出す。駆け出したその姿を認めて魔族の兵士たちが立ち塞がるが、地を這うように姿勢を低くし、自分の影を引き離すかという凄まじい速度で走るロシュが、獣がぶつかるような体当たりでそれらを次々に跳ね飛ばした。自分たちがなにをされたのかも理解できず、魔族たちが宙に舞う。


「ロシュ、援護は頼む!」

「お任せください」


 弓を持ち出し矢を射かけようとした敵兵に、百歩の間合いを埋めて放たれたロシュの鉄拳が叩き込まれる。気絶する瞬間に眼前に見た拳の意味を知ることなく魔族が意識を吹き飛ばされ、細い糸のような金属線に巻き戻されてロシュの右手が手首に戻る。


 破壊の音と人々が泣き叫ぶ三重奏、いや、四重奏以上の旋律が奏でられる中、ニコルは森に向かって走った。そこにたどり着けばなんとかなるという希望だけを命綱にするようにして、ただただ、無心で駆けた。

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