「蹂躙」

 それは、森が吐き出す山津波か土石流かという凄まじい勢いだった。大地がわかるくらいに震動した。

 ドドドドドド……と地面が、空気が、人が建物が一斉に震え出したのを最初に知った魔界の者たちは、地上にもやはり地震があるのか、と一瞬思い込んだ。


 明らかなる異変に気づいたのは、数秒も立たずに聞こえて来た鬼神が叫ぶような大音声、叫び、森に宿る神々が発狂したかのように喚き立てる大音響が聞こえて来て――それが明らかに迫って来ていることだ!


「なんだ!?」


 屋外にいる人間は振り向き、個人の天幕テントに潜り込んでいた人間はい出す。

 それらの目が、見た。

 怒濤どとうの勢いで押し寄せてくる、騎馬の津波を。数えるまでもなく三桁を超える騎兵たちが、天と地を揺るがすほどの雄叫びを上げながら全速力で疾走しっそうしてくる様を。


 風の速さと大地の重さ、その両方を宿らせた重装騎兵たちの群れ。銀色に輝く金属の意志の突進。

 その騎士たち一人一人の顔が人ではなく獣の、もっといえば獰猛どうもうな獅子が飢えにたけり狂い、目の前にいる獲物に襲いかかるものにしか見えなかったことだ。


 人は真に恐怖するとすくみ上がる、思考が働いていても体を動かせなくなる――そんなことを理解しながらまず、最初の犠牲者たちは文字通りに蹴散らされた。疾風の速さで突き抜ける馬、振り上げられた脚に蹴られて粉砕された。


「走れぇ――――!」


 射かけられる矢の先端そのものになったゴーダム公が叫ぶ。目の前で狼狽うろたえる人の背中に槍を突き立て、抜き、突き立てて突き立て、殴り、払い、叩き、吹き飛ばした。血煙が飛ぶ、肉が引き裂かれ悲鳴と涙がそれに彩りを添える。


 ゴーダム公はもはや指揮棒など振らない。彼がその槍で蹴散らして宙を舞う魔族たちの姿がそれに代わった。戦え、という号令は彼が戦う姿で示された。騎士団の牙の先端となって走るゴーダム公に続き、彼の魂の欠片かけらを飲み込んだ騎士たちが続く。死の槍を振るいながら続く。


 それだけを切り取れば虐殺にしか見えない景色がそこにあった。騎士たちは薄い板で囲っていただけの小屋さえ体当たりで砕いた。寒さを避けるためにそこで休憩していた魔族たちは、突然に壁を破って小屋に飛び込んできた騎馬のひづめに頭や胸を踏み潰された。


 天幕などはなんの役にも立ちはしない。なにが起こっているのか見ることもできず、近づいて来た地響きに混乱しているうちに天幕ごと潰される者たちが続出した。


「我等ゴーダム騎士団七千騎――!! 見参見参――!!」


 申し合わせもしていない台詞セリフを誰かが喚き出す。それを聞いた味方と敵は正反対の反応を如実にょじつに示した。


「七千騎か、十倍はサバ読むにもほどがあんだろ」

「いいじゃねぇか景気がよくて! それに語呂もいいやな!」

「んだな!」


 馬と槍、そして鎧に返り血をバケツで被ったほどに浴びた騎士たちが笑い合う。面白いは面白ければいい、楽しいは楽しければいい。狂っていると自覚しながらも、騎士たちはその狂いを受け入れた。

 どうせ最後には、自分たちの血であがなうのだ。いまさら懺悔ざんげなどするか、というように。


「ゴーダム騎士団七千騎――! けんざーん! けんざーん!!」

「ゴーダム七千騎がお相手する! 逃げたい奴は逃げろ! ゴーダム騎士団七千騎ィ――!!」


 騎士たちは馬を停めはしなかった。重装騎兵の最大の力は、人馬が一体となっての衝撃力であり、その衝撃力は速度と体重を乗せること、すなわち走ることによって生まれるのだ。

 ゴーダム公が常々訓示していることを騎士の全ては魂で理解していた。『突進せよ』と。


 そしてそれはもちろん、ニコルもわかっていることだった。彼もまた、その原則に従っていた。


「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!」


 ニコルもまた、人の心を置き忘れてしまったかのように槍を振るった。頭の中には判断などない。味方ではない者が視界に入ればその槍を繰り出した。突きだか払いだか叩きだかなどは考えていない。今までの修行、戦いの中でニコルの本能に染みこまされた闘争の心が少年に死の舞いを踊らせた。


 突撃の進路に立ちはだかった魔族の青年たちを、中には少年の姿さえあることを認めながらニコルはそれを槍で砕き、砕き、砕く。この灼熱する心の雪崩を止めることなどできない。できない自分に恐怖し、殺していく命に詫びながらも体が止められない。


 いったい今日、自分は何人、何十人を殺すことになるのか。お前は人殺しだ、と罵る自分の声を聞き、目の前が見えなくなるほどの涙を流しながらニコルは鋼の槍を振るい続ける。この槍が折れて使えなくなってくれたらいいのにと願ったが、鍛え込まれた槍は折れることも曲がることもしなかった。


「ぁぁぁぁぁぁぁ――――!!」


 凍てつき乾ききった風も、沸騰ふっとうするほどにたぎった血で煮えたぎるこの心を冷やしてはくれない。誰か、とてつもなく罪深いことをしているこの僕を止めてくれ、殺してくれと願いながらニコルはヴァシュムートを走らせた。馬蹄が鳴る度に人が傷つき、ニコルが涙を零す度に人が死んだ。


 だが、そんな少年の悲しみも嘆きも、七百騎のうちのほんのひとつだけの話に過ぎない。夜明けの明るさにうとうととしていた人間に、なんの前触れもなく叩き込まれる鉄拳として激突した騎士たちの突撃は止まらない。


「ニコル、私に続けぇ――――!!」

「はい、父上――――!!」


 ニコルは敵の血で涙を拭いながら、声で導いてくれる父の背中を追った。父が背中しか見せないのは、本当に偉大だと思う。その偉大さに引きつけられて今までニコルは走り、駆けてきたのだ。

 槍を右から左に突き変える合間に、返り血が混じった赤い涙をニコルは拭う。


 最後の最後まで背中で導いてくれる父、この血の繋がらない父を持てた自分を、世界でもっとも幸せな存在なのだと噛みしめながら、ニコルはヴァシュムートの腹を蹴り、槍を持ち出して失禁しながら立ちはだかった、自分より年下の敵兵の胸を槍で貫いた。


 流す涙も、流させる血も止まらなかった。



   ◇   ◇   ◇



 円形に拓けた森の中の空間、そこを埋めるようにして建設されている前哨地ぜんしょうちは中心に向かって確実に侵食され、食い破られていく。その中心に、建設が完了した『祭壇』と『魔王』が体を休める天幕があった。



   ◇   ◇   ◇



「女王陛下、大変です!」


 魔界の王――女王モーファレットが個人で使っている天幕の入口の幕を開けた家臣の一人が、下着姿の女王が一人でドレスを着ようとしている後ろ姿を見、慌ててそれを閉めた。


「こっ、これは失礼を――!!」

「かまわん、報告をしろ」


 着替えを見られることになんの慌てもしていないモーファレットが、冷えた声でいう。遠くから響いてくる悲鳴、確実に地面を揺るがしている馬蹄の轟きを聞きつけていた。「祭壇」の完成の報に接し、少し仮眠をしようと服を脱ぎかけていたら、これだ。


「は……はっ! この根拠地を急襲してくる騎馬の部隊があり! こちらに向かって急速に侵攻しています! 不意を突かれ対応できず、敵は七千騎と喚いておりますがおそらくそれは過大、実際は二千騎ほどであろうかと――!!」


 ひざまづき、興奮のままに口を動かしているその家臣が喚く。モーファレットはその顔を見ながら呆れた。どれだけ思考してその言葉が吐き出されているのか本当に疑わしかった。


「落ち着け。音だけの判断だが、あの規模は多く見積もっても千騎もおらん。冷静に対応すれば退けられる規模だ。まったく、浮き足立ち過ぎだ」

「も、申し訳ありま……」

かしこまっている暇があるのなら対処をしろ。森の周囲を周回しているはずの騎兵部隊を呼び戻せ、親衛隊はどこに配置されているのだ」


 真っ赤なドレスに着いている数十個のボタンの最初の一個をめながらモーファレットはため息を吐いた。この混乱ぶりは仕方がないことだというのもわかっていた。貧しい土地からなんとか収穫をしぼり出そうと、軍隊のほとんどが訓練を放り出して農作業をしているのが日常なのだ。


 そして、統一され叛乱はんらんもほとんど起こらない魔界には、実戦を経験しているものも少ない。訓練も少なければ実戦も経ていない軍隊など、案山子カカシもいいところだった。


「では、速やかに指示を――ォッ!?」


 立ち上がろうとした家臣が、横合いから全速で走ってきた馬の脚に蹴り飛ばされ、その胴体があり得ない方向に折れ曲がって吹き飛んだ。砂煙をたっぷりと含んだ風が天幕の中に吹きつけ、黒い馬が走り去った跡に、モーファレットは一人の小柄な騎士が屈んだ状態から立ち上がるのを見ていた。


 再びため息を吐き、魔界の女王はドレスのボタンを嵌める手を止めた。


「――いっているうちに、ここまで届いたか」


 立ち上がった騎士が腰のサーベルを抜く。それをまっすぐに構え、彼が大音声でいい放つ。それは、まごう事なき敵でありながらも、一瞬モーファレットが聞き惚れてしまうような美声だった。


「その姿、魔界の女王とお見受けした! 自分はゴーダム騎士団所属、ニコル・アーダディス准騎士と申す者! 貴女あなたに恨みはなかれども、戦場のならいにてそのお命を戴く! いざ、尋常に勝負されたい!」

「ほう――――」


 銀の鎧の七割を血に染め、顔の半分に返り血で濡らした少年がいい放つ。しかし、真っ赤な血で汚れることなどその少年の美しさを少しも減じはしない。逆に、澄んだ湖の色を思わせる水色の瞳の美しさが映えるほどだった。


「翼をなくした天使が血にまみれてやってきたのか……ふふ……」


 この少年と心ゆくまでむつんでみたい、そうできれば、それはそれは真実に甘美なことだろう――モーファレットは本気でそう思った。

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