「ゴーダム騎士団、突撃」

 寒々と白く輝く鋭い三日月が、その細さに似合わぬ明るさで現下の草原を照らしていた。

 拓けた原野に七百騎、完全武装の身で騎乗した騎士団が見事に整った隊列を組んで待機している。


 東の地平線が本当にうっすらと明るくなるだけの、早朝の直前。

 明かりとなるものは一切掲げていなかったが、銀色に輝く鎧、長い槍を携えた騎士たちが、いななきのひとつも上げずに首を前に向ける馬の上でその勇姿を映えさせていた。


 槍の穂先に着けた三角の細長い旗が緩やかな風になびいている。その全部に、翼を肩につけた獅子が宿っていた。ゴーダム家の誰もが知る紋章がい込まれていた。


「ゴーダム騎士団の総勢、ここにありって感じだな」

「そうだな」


 かぶとにその素顔を隠した騎士たちが、本当に最低限の声でささやき合う。


「本当にすげぇもんだ。こんな立派でかっこいい騎士団なんかふたつとねぇよ」

「そうだな」

「俺、この騎士団に入れてよかったと本当に思ってる。お前だってそうだろ?」

「そうだな」

「お前、さっきから『そうだな』しかいってなくねぇか?」

「そうだな」


 ほぼ正方形に密集した、七百の騎馬たちがひとつの生き物になったような隊形。自ら騎乗したゴーダム公爵が例外のように一騎だけ外に出、その周辺を軽く一回りしている。

 彼が愛し、その情熱と心血を注いで育て上げた、芸術品のような騎士団だった。


「そんな騎士団が、数時間後には壊滅するっていうんだ。豪勢な話だぜ」


 その『壊滅する』ひとりである騎士が、平然と自分の運命を口にしていた。


「…………」

「なんだ、震えてるな。怖いのか。怖くなったら逃げていい、そういうお達しだ。抜けていいぞ」

「……怖いさ。でも俺、抜けねえよ。今までこの騎士団に入って散々いい思いさせてもらってきたんだ。酒場に行って騎士団の徽章きしょうを見せたら、女も抱き放題なくらいモテたしな」

「お前そんなことしてたのか。懲罰もんだぞ」

「なのに都合が悪くなったら逃げるとか、カッコ悪いだろ……天の国に行っても、死んだ奴らの仲間に入れてもらえねぇよ。向こうで居心地の悪い思いをするのはまっぴらだ。それに、でっかい顕彰碑けんしょうひか、慰霊碑いれいひも建ててもらえるんだろ?」

「この戦争でさきがけとなって死ぬのが七百人だ。七百人の名前を刻まなきゃならん。もの凄い立派なものになるだろうさ」

「その中に自分の名前がないのを知って遠くから眺めるとか、想像しただけで怖えよ。だから、俺が逃げ出しそうになっても首根っこ捕まえて戻してくれ、頼む。……どうせ、一度は死ぬんだ。華々しく死ねるっていうのも悪くねえな。ひとりぼっちで寂しく死にたくはねえさ」

「……そんな俺たちの最期を語り継いでもらうためにも、ニコルは生き残らせなきゃな」


 それが騎士団の総意だった。全てを捨てる覚悟でせ参じてくれた少年への返礼だった。


「閣下の息子で、俺たちの弟だ。まだ大人になりたてを道連れにしたとあっちゃ、俺たちの名がすたるってもんだ。あいつ、まだ女を抱いたことがないって話だしな」

「本当に馬鹿野郎だ」


 騎士たちは静かに笑い合った。もはや生還はほぼ望めぬというのがわかっていながら、笑えた。それは周囲の騎士たちも同じだった。全員が死ぬなら怖くない、という、理屈にならない想いが全員の覚悟を決めさせていた。


「――ゴーダム騎士団の騎士たちに告げる」


 騎士団の先頭に馬を据えたゴーダム公が小さな声で告げた。その言葉は騎士たちの鸚鵡おうむ返しで唇に刻まれ、前の騎士が呟いた文言を後ろの騎士が拾うことで、前から後ろに伝わっていく。

 まだいくらか距離はあるとはいえ、敵は射程内にある。大声は出せない。


「我々はこれより、森の深奥部に駐留している魔界の軍勢に対して攻撃をかける。中心部の拓けた空間に出るまでは、できるだけ音を発するな」


 騎士たちの口に、耳に、ゴーダム公の言葉が載る、波のように広がる。


「中心部に出てからは、派手にときの声を上げて突撃せよ。全てを蹴散らせ。その中で『女』を捕捉したら、全力で討ち取れ。それが敵の首魁しゅかいである『魔王』と推定される。その首を上げ、奴らが建設中の施設を破壊するのが目的だ」


 騎士団の周囲を、音もなくロシュが走っていた。薄闇に溶け込む深い藍色をした革鎧を身につけ、髪までも同じ色に染めている。そので騎士団の勇姿を、声を記録・・していた。


「この地は王都まで近い。南から避難してくる避難民たちを襲うには絶好の位置にある。その避難民の安全を確保するにも、この攻撃は必要不可欠である。――突撃を敢行してからは、追加の指示がある以外は、各自の判断に全てを任せる。各々、ゴーダム騎士団の名誉を汚さぬように振る舞ってくれ」


 その言葉を、ほぼ全員がこう捉えた。『死ぬまで戦え』、と。

 そして同時に、ゴーダム公爵本人が、この騎士団の名誉を決して汚さぬ人間だと理解していた。

 我々は運命を共にする。――ただ一人の例外を除いて。


「諸君、このエヴァンス・ヴィン・ゴーダムは、諸君等の勇気に最大の敬意を表する。ありがとう」


 隊列の最前列、いちばん右端に位置するニコルは、ゴーダム公が深々と頭を下げたのを遠い目で見ていた。父が騎士団の先頭に立ち、勇敢に戦うことは想像にかたくない。きっと、騎士団の中でも最も勇猛に戦い、最も尊敬に値する振る舞いをするだろう。


 エヴァンス・ヴィン・ゴーダム公爵は、貴族である前に騎士なのだ。

 そんな父の姿を見て、ニコルの胸は、目頭は熱くなった。こんな人の側でなにも考えずに遮二無二しゃにむに戦え、なにも考えずに死ねたらどんなに甘美なことなのかと。


 ニコルは唇を噛みしめた。自分の中に湧き出る、寂しさを噛みつぶすように。

 馬首を巡らせたゴーダム公が右手の槍を高々と掲げる。その視線が前方の暗く深い森に向けられる。

 公爵が掲げた槍にも黄金の獅子が翼を広げていた。騎士団の団長だけに許された、黄金の旗が。


「――全軍、前進。我の旗に続け」


 騎士団が動き出す。ニコルも愛馬となってくれたヴァシュムートの腹を軽くかかとで叩き、前進を促す。

 騎士の一団は馬蹄の響きを上げることなく、しかし早足の速度で前進を始めた。馬が鳴くことも一切ない。一糸乱れぬ隊列の前進は、見る者が見れば見事と感嘆する他ないような様だった。


 その騎士団から少し離れ、全ての光景を視野に収めながらロシュが同じ速度で走る。この壮麗そうれいたる様を、伝えねばならないという使命を持って。



   ◇   ◇   ◇



 森に差し掛かった騎士団は、木々の間をゆっくりと馬に進ませていた。布に水が染みこむように、七百騎の騎士たちが静かに侵入していく。空はうっすらと白く明るくなってきていたが、森の中は暗い。そんなほとんど闇に近い中を、根が張り巡らされて悪い足場をものともせずに騎馬の列は進んだ。


 厚く、広く、無言で騎士たちは進む。風は緩やかな向かい風――人間の臭いに敏感な魔族の嗅覚を警戒してのことだ。風で臭いが流れて気づかれては、急襲にならない。


「――――」


 最前を進むゴーダム公、その側にぴったりとついていたロシュが、無言で手を上げた。その途端に周囲の騎士たちが馬を停止させ、一秒間の遅れを取って後続が馬の足を止めていく。

 ロシュの手の指が目まぐるしくその形を変える。正確な手信号ハンドサインだ。


「――前方に見張りの巡回、人数、二。こちらには気づいておらず――」


 その近くにいたニコルはロシュが示した信号を正確に読み取り、口の中で言葉にした。目を凝らすと、まだ数百歩先にちらちらと動く、松明の炎と思える炎の揺らめきが二つある。ニコルにはそれが松明の炎らしきものとしか見えないが、ロシュにはそれを持っている者の姿も見えているのだろう。


 ニコルが視線を落とすと、目を見つめてくるロシュの顔がある。その無言の問いかけの意味を悟って、ニコルは二秒、迷った。


「――うん」


 ニコルがわずかに苦しげな顔で小さくうなずいたのを受け、その場で屈んだロシュが左腕を前方に伸ばす。彼女がなにをやっているのか理解できたのはニコルだけだった。他の騎士たちは、ロシュが左手を松明らしい明かりに向けている、としか見えなかった。


 が、次の瞬間、騎士たちはそれがどういう行いなのか、知ることになった。

 ロシュの左手が小さく発光し青い光が流星の速度と軌跡で飛んだかと思うと、暗闇の中に浮いていた松明が、地に沈んだ。


 終わりました、という顔で振り返ってきたロシュに、ニコルは胸が重苦しい想いでうなずく。


「……あれは……」


 その顛末てんまつの意味がわかっていながらも、ゴーダム公はかたわらのニコルに聞いてしまっていた。二人にしか届かない、そよ風にも溶けてしまうような小さな声でささやき合う。


「ロシュなら、仕留め損なうことはありません」

「すごいものだな……」


 骨折し皮一枚で繋がっているのかというほどに、あり得ない角度にまで反り返って曲がっていたロシュの左腕が、そんなことは大したことてはないという風に元に戻った。

 ゴーダム公の腕が上がり、騎士団は再び前進を開始した。甲冑が擦れる音も立てずに部隊が進む。


 数分後、ニコルはロシュが狙撃し倒れた魔族の側に差し掛かった。馬の歩みを歪ませて隊列を乱させることはできず、ヴァシュムートの足に魔族の体を踏ませる。悲鳴もなにも上がることはなかった。

 まだ若く見える男が、自分が何故死んだかわからない、という顔をして死んでいた。見開いた目が、小さく開いた口が「教えてくれ」と訴えているように見えて、その視線を払おうとニコルは首を大きく振った。


「すまない……こんな風に死にたくはなかったよね……」

「ニコル」


 長い腕の大きな手が、ニコルの肩を軽く叩いた。ニコルがうつむかせてしまっていた顔を上げる。ゴーダム公がまっすぐ前を向き、口も動かすことなく、横顔だけで語りかけてくれていた。

 騎士団はさらに深く深く、静かに森の中に浸透する。その間にいくつもの小さな障害・・を排除する。


 やがて騎士団は、森の中にぽっかりと円形に拓けた空間の外縁がいえんまで達した。

 木々が作る影の中から、かつてエルフたちが集落を作っていたその広い平地を視認する。

 ロシュが報告した通りの配置がそこにあった。


 ここを橋頭堡きょうとうほと定めているのか、密集した村を作り上げる勢いで簡易な建物が建ち並び、それでも足りないのか隙間を埋めるようにいくつもの天幕てんまくが張り巡らされている。かなりの木材が伐採ばっさいされたようで、切り口が真新しい切り株が無数にあった。


 早朝だというのに、活気がある――徹夜で興奮しているのか、とても起き抜けとは思えない様子の魔族たちが、真昼と変わらない動きを見せて建物を建て、運ぶものを運び、走り回っていた。


「やはり、真ん中に祭壇らしいものがあるな……」


 音になるかならないかという薄さの声でゴーダム公が呟く。側に控えていたロシュもまた、ゴーダム公の耳にだけ伝わる指向性の高い声でささやいていた。


「最上段に『光』が灯っています。あれは九時間前には観測していないものです」

「なにかが始まろうとしているわけか。では、始まる前に終わらせるとするか」


 ゴーダム公がうなずいたのを確認して、ロシュはニコルの側についた。その手に、人の腕はあるかという太い鉄棒が握られる。彼女が人を無力化するには、そんな武器でも十分すぎるほどだった。

 ゴーダム公が握る槍が高く上げられる。黄金の有翼の獅子の旗が、風を受けて勢いよく翻った。


「それでは、全軍」


 ゴーダム公の胸の中を、三十数年を過ごした騎士団の歴史が一瞬で駆け抜けていく。血の管の中を熱く巡り走っていった万感の想いを吐き出すように、彼は生涯最後の命令を発した。


「突撃ぃぃィィ――――――――!!」


 長槍が振り下ろされ号令が稲妻のように下る。

 七百騎の獅子たちが、森に眠る小鳥の全てを叩き起こして夜明けの空に舞い上がらせるほどの凄まじい雄叫びを上げながら、猛然と突撃を開始した。

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