「そびえ立つ黄金樹」

 それは、直径三百メルトという冗談のような太さを持つ、圧倒的な規模の樹だった。

 突然開けた視界の先に、純金より透き通った黄金の光をまとって、天のそのまた先にまで届こうという荘厳とも形容するべき威容の世界樹が、リルルとフィルフィナの前に現れていた。


 なんの予備知識もなかったリルルはもちろん、それを初めて目撃したフィルフィナも目を見張り、息を詰め声を奪われた心地で見上げたまま動けなくなる。


 王都エルカリナの中心で突然その幹を突き上げて天にまで届いた『水の世界樹』も圧巻というしかなかったが、リルルが実際に根元から目の当たりにするこの『土の世界樹』もそれに劣らぬ、いや、それ以上の迫力を持って、思考をがす勢いでリルルの心に、いや、魂に迫った。


「これが、『土の世界樹』……」


 急がなければならない状況だというのにも関わらず、足が、いや、心が歩めない。今まで目にした金の総量などは砂の一粒にも思えるほどの、お話にならないほどの黄金、黄金、黄金。


「わ……私、もっとこう、土というから、地味なのを想像していたわ。でも、これは黄金色の……まるで金でできた樹……!」

「まるで、ではありません。この世界樹はまさしく純なる金でできています」


 知識で先に知ることができていたフィルフィナの方が、先にその絶なる光景の呪縛から解き放たれることができていた。が、冷静さを装えていても彼女の目は震えている。


「これじゃ『黄金の世界樹』じゃない。なんでそんな風に……」

「『黄金の世界樹』なんて言葉を聞いたら、人々の心を騒がせます。天界への道である世界樹そのものが隠されなければならない存在ですし、たとえ存在が知られたとしても、関心を集めるべきではないですから」

「そ……そうね、これは……」


 宝石や金品に執着が薄いリルルの心を騒がせるのだ。これが世の明るみになれば、どれだけの人間を吸い付けるかわからない。あらゆる国がこれを手に入れようと動くだろうということは、火を見るより明らかだ。


「だいたいの概要がいようは聞いています。世界樹は樹の姿をしていますが、実際は塔に近いものだと」

「……中が、空洞だというの……」


 リルルはメージェ島の『銃の山』の火道に隠されていた『庭師の塔』を思い出した。あの塔、百二十階を駆け上る激戦が今では懐かしいものに感じられた。


「これは……何百、何千メルト……もっとあるのでしょう。そんなものが上れるの……?」


 黄金の先端などは空の彼方の向こうで、かすんで見えない。外を魔法の傘で飛んでいこうとたどり着けるわけがないという印象しか浮かばなかった。


「内部の上層の空間に天界へと跳躍できる領域があるという話です。母はこの中に入り、上っていったのでしょう。外をいくら上ろうが徒労です。階層には分かれていないはずですが……うろが入口になっていると聞きます。……入りましょう」

「うわあ……」


 巨大な黄金樹に一歩近づく度に、リルルの皮膚の下がゾクゾクと刺激される。まともな神経で近寄れるものではない。樹皮――樹皮と見えるものが発するまばゆい光に、目から脳の奥に指を突っ込まれてかき回されるような錯覚を覚えた。


 幹から四方八方に伸びる黄金の枝が、黄金の葉を豊かに茂らせている。世界樹に至る地面は大蛇のようにのたうつ太い黄金の根によって起伏を作り、それを黄金の巨大な落ち葉が覆う。黄金を踏むことなく歩くことなどはかなわず、金色に輝く巨大な葉に足を載せて割ってしまった瞬間、リルルは小さく悲鳴を上げた。


「フィ、フィル、私、怖い」


 黄金を破損せずに進めないことに、リルルが泣きべそをき始める。


「大丈夫ですよ。落ち葉を踏んで割ったくらいでは、バチは当たったりしません…………多分」

「多分ってなに! ちゃんと保証して!」

「それよりお嬢様、確実にバチが当たる行為をお教えしておきますね」


 リルルの喉がひっと鳴った。


「間違っても……間違っても、この黄金をポケットに入れたりしないことです。『土の世界樹』の金を掠め取ったものは、世界樹から離れた途端にその金が消え去ってしまうばかりでなく、その金の重さだけ自分の体がなまりに変わるのです」

「ちょ、ちょっとちょっと」

「最初は骨から。骨が全部変わってもまだ余るのなら肉が、自分の体重を超える重さの金を抱えた者は――」

「わかった! わかったからおどかさないで! 欠片かけらのひとつも持ち出さないから!」

「賢明です」


 塔の入口となっている洞はすぐに見つかった。地面に潜っている金色の巨大な根をい、跳んで乗り越え、リルルとフィルフィナは自分たち以外に人気が皆無の場を進んだ。



   ◇   ◇   ◇



 黄金の世界樹は、その外見だけに留まらず、やはり内部も黄金だった。

 自分たちの体、身につけているもの以外が全て光り輝く眩い黄金であるという気が狂ったような世界に、リルルはどこに視線を据えていいのかさえわからなくなった。


「す……ご……」


 やめてくれ、といいたくなるほどに黄金の光の中、目と頭が痛くなるのをこらえながらリルルはメガネ越しに内部の構造を観察する。支柱らしいものはない。幹の外側で重さの全てを支えているようだが、空洞になっている内部は、幹の内側から無分別に伸び放題になっている枝でいっぱいだった。


 魔法の傘で上昇していこうとしても、広げた傘が通り抜けられる隙間がないほどの黄金の枝が張り巡らされ、黄金の葉が生い茂っている。その全てが自ら金色に輝いているのだから、光の圧力で押し出されるのかと思うくらいに内部は眩しかった。


「これでは、傘を広げる余裕はありませんね」

「どうやって上ろう……枝につかまってよじ登りなんかしていたら、てっぺんに着く時にはおばあちゃんになってるわ」

「ムチを使いましょう」


 フィルフィナが黒い腕輪からムチを取り出した。リルルがわずかに下がったのを確かめ、フィルフィナは真上に向けて腕を突き出す。ムチは弧を描かずにまっすぐ上に向かって伸び上がり、二十メルトほど先の枝にその先端を巻き付かせた。


 ムチはそこから自らの意思で枝に巻き付き、フィルフィナの体が吊り上げられる。フィルフィナが差し出した手にリルルは慌ててつかまり、地面から足を離した。


 終端に達しようとする高さで、張り出している丸太ほどの太さの枝にリルルは飛び移る。フィルフィナもムチを巻き付かせた枝にしがみつき、鉄棒の要領で体を振り上げその上に乗った。


「これがいちばん効率がいいでしょう。根気よく繰り返せば、上までたどり着けます。母の気配がないということは、既にかなり上まで行っているかと」

「早く追いつかないとね」


 リルルもまた自分のムチを取り出した。黄金の光で霞んでいる上部への空間を見上げ、いったい何度この行為を繰り返せば目的地にたどり着けるのかと思案して顔を歪める。が、それを考えないことがいちばん楽になる方法だとも気づいて、ため息をついてからリルルはムチを振った。


「こんな黄金、黄金、黄金じゃ頭がおかしくなりそう……私、こんなキンキラの主張の強い、濃い金色は嫌い。ニコルの髪の色みたいな、明るくてさわやかな色の方が好み」

「お嬢様、ぶつくさいってないで、早く」

「はぁい」



   ◇   ◇   ◇



 額に汗をにじませたフィルフィナは腕を突き上げ、真上に向けてムチの先端を放った。鎌首かまくびをもたげたムチの先が獲物に襲いかかるようにまたも太い枝に自ら巻き付いていく。ムチが少女の小さな体を引き上げ、手近な枝に飛び移り、また適当な枝を探して上を見つめる。


 この動作は何十回目か、もしかしたら何百回目だろうか。果てない繰り返しに精神が摩耗まもうしてきて集中力が乱れ、自分がなにを考えていたのかもわからなくなり――そもそもなにも考えていなかったのだということに気づいた。


「よくない兆候ですね……」


 妨害がないのも不安になる要因だった。この世界樹が天界に至る道であるというのは、天界も知っていることだろう。外からの干渉を極度に嫌うとされている天界が、訪問を邪魔してくるという可能性は頭の中に入れていたのだが、その気配はまるでない。


 あったとしても、先行しているウィルウィナが排除してくれているのか。それとも単に気づいていないだけなのか。


「――お嬢様?」


 はっとした気付きに、フィルフィナは足の裏から頭に突き抜ける冷たい恐怖を覚えた。リルルの存在が意識からがれてしまっている。

 あってはならないことが起きてしまっていることに、フィルフィナの産毛が総毛立った。


「お嬢様!」


 上を見るが、人の影はない。水平を見渡しても気配が見えない。

 下か、という予感にフィルフィナは怯えた。自分はリルルを置き去りにしている――!


「お嬢様、どこですか!?」


 下に視線を向けると、体が浮き上がりそうなほどに押し寄せてくる黄金の光の中に、真っ赤な薔薇バラの花が一輪、たたずむように咲いていた。快傑令嬢リロットの帽子が目印になってくれていることにフィルフィナの体を安堵が温める。よかった、無事でいてくれた――。


 それでも次の瞬間には事態の異常さを感じ取っている。リルルが動こうとしていないのだ。


「お嬢様、どうされました!?」

「――――」


 声を投げるが反応がない。こちらを仰ごうともしていない。しかし、帽子が見える様子からリルルが自分の足で立っているのは確かだった。

 考えるよりも早く、フィルフィナは足元の枝にムチを巻き付けて飛び降りる。ムチが伸びきってフィルフィナの落下を止め、リルルから五十歩ほど離れた別の枝にフィルフィナは足をつけていた。


「お嬢様!?」


 横顔を見せたリルルは、まさしく棒立ちだった。その目は瞳孔が開いて、中空を見つめたまま動かない。口元がなにかを呟き続けているのが、意識がある証拠のようにも思えた。


「……お母様…………コナス様…………カデル……」


 その呟きにフィルフィナの脳天に電流が突き刺さった。


「そこに……みんな……みんな、いるのね…………」


 ぞく、とフィルフィナの肩が寒気に跳ねる。リルルが呼んでいるのは――死人・・


「わかったわ…………私も、今、そこに…………」


 寂寞せきばくとした言葉を刻んだリルルが、右足を上げた。歩むには不自然な高さに振り上げられ、それが前に向けてゆっくりと振られる――それが踏もうとしている先にはなにもない!


「危ない!!」


 フィルフィナは右手のムチを振った。

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