「東の森の森妖精」

 重い鉄扉を開くと、想像よりも意外に広い部屋がリルルとフィルフィナの前に広がった。

 完全に宮殿の内部にあるのか、窓のひとつもない。部屋の中には壁と天井、床の材質である木の香りが充満していた。リルルにはむせかえりそうなくらいの濃密な臭いだ。


 その真ん中に、リルルの寝室の寝台をふたつ並べたほどの広さを持つ転移鏡が据えられていた。七色に淡い光を放つ転移鏡の表面が発する光により、部屋の中は本が読めるほどには明るい。鏡の形態をしているものとしては、リルルが今まで見たものの中で最も大きい部類のものだった。


「これが『東の森』に繋がっている転移鏡です」

「そうなんだ。じゃあ、早く――」


 足を進めて転移鏡に乗ろうとしたリルルを、フィルフィナが手で制していた。


「フィル?」

「……お嬢様、これで移動する前に、ひとつ、申し上げなければならないことが……」

「んん?」

「その……あの……」


 とてつもなくいいたくなさそうに、顔を赤らめたフィルフィナがうつむき、自分のお腹の上で組んだ手の指と指を延々と絡ませていた。


「フィル、時間がないんでしょう。聞くわ、いって」

「は……はい。ひとつは、お嬢様にはリロットの姿になってもらいたいということで……」

「なんだ、簡単なことじゃない」


 リルルはメガネを外しかけ、すぐにかけ直した。空間を満たす白い光が音もなく爆発し、それが一呼吸の間で収まった時、真っ赤な薔薇バラの花一輪を象った帽子と薄桃色のドレスに身を包んだ可憐な剣士の姿がそこにあった。


「……わたしも、失礼します」


 フィルフィナが身を包んでいたマントを音が鳴るほどに広げて脱ぐ。その下から現れたのはいつものメイド服ではなく、狩人かりゅうどを思わせる濃い紫色の革製の鎧だった。身のこなしを優先にしているのか、防護しているのは肩と胸と腹、そして二の腕とすねくらいで厚みもそれほどない。


 背中に背丈に迫る弓を背負っているのが、物語で聞くエルフらしいとリルルは思った。フィルフィナが滅多に見せない姿だ。


「で、もうひとつあるの?」

「……はい」


 リルルが水をかけてもフィルフィナはまだいい澱んでいた。


「それは……あの……」

「もう、フィルらしくない。じれったくしないでいいの。なんでも聞いてあげるからスパッといって」

「……わかりました。では少し、お耳を……」

「お耳?」


 そもそもこのふたりきりの部屋でなんで耳を貸さなければならないのだ、と思いながらも、疑問を横に押し退けてリルルはわずかに身を屈めた。意を決したように唇を噛んだフィルフィナが、リルルの耳元に口を寄せて一気に声を吹き込む。


「え?」


 その言葉を鼓膜で受けて、リルルの目が大きく見開かれた。


「え、ええ、えええ?」



   ◇   ◇   ◇



「よく来たな、『西の森の王女』――フィルフィナ。そなたの評判はここにも届いているぞ」

「長らくご無沙汰をしております無礼、平にご容赦くださいませ、『東の森の女王』陛下」


 リルルが既視感きしかんを覚える内装の宮殿の中で、フィルフィナはひざまずき頭を垂れて挨拶あいさつを述べた。リルルもそれにならい、フィルフィナと同じように頭を下げる。


「うむ。そなたに最後に会ったのは、もう四十年以上も前になるかな? あの時は幼児のようだったが、なかなか凜々りりしい姿になったものだ。……それで」


 世界の裏側なのか、天井の高い謁見えっけんの間には広い窓から太陽の明かりが燦々さんさんと注いでいた。ほぼ全ての材質が木で作られている宮殿は、規模だけなら大国の王宮のものに匹敵するだろう。


 軍服をやや簡素にした感じの服装で、数十人のエルフの官僚が柱のように整然と並ぶ。彫像のようにその顔からは表情が消え、珍しい客人たちを全くの無言で見つめている。

 その謁見の間の奥、輝くように白い絹糸で織られた白いドレス身を包んで玉座に座る、一人の女性。


 リルルが想い描く物語の中のエルフの女王、という印象に全く近い容貌ようぼうだ。腰の高さに届くかという長くまっすぐに伸びた細い髪は神々しい金色に輝き、ドレスの下に隠れている体の細さは見えている手のしなやかな指の雰囲気で容易に想像できる。


 親しみやすさを前面に出すウィルウィナとは違い、見る者の間に障壁を作る、近寄りがたい威厳をかもす美しさに彩られていた。


「そなたが帯同させているのは人間のようだが、その者は?」

「はい、これは・・・――」


 赤い絨毯じゅうたんに置いた自分の拳に視線を落としながら、フィルフィナは音を聞かれないよう、細心の注意を払って、大きな唾を飲み込んだ。


「わたしのしもべで、リロットと申す者です――」

「初めまして、エルフの女王陛下」


 やってしまった、とあごがひとつ落ちたフィルフィナの横で、帽子とメガネを取ったリルルが、出来過ぎなくらいの満面の笑顔でいっていた。


「人間の身でありながらこのような高貴な場に参上できたこと、大変光栄に存じます。わたくしフィルフィナ様の僕・・・・・・・・・のリロット、と申す者です。どうかお見知りおきのほどを――」


 明るい笑い声が聞こえてくるほどの笑みを浮かべるリルルの横で、フィルフィナが大量の冷や汗を顔いっぱいに噴いている。部屋の中は暖房が利いていたが、それでも彼女の全身は震えていた。

 そんな二人の姿を面白そうに眺め、女王は目を細めた。


「リロット、か。余の名はメリリリア。覚えておくがいい」

「ありがとうございます、メリリリア様」

「そなたらがここに来た用件は察しがついている。この場……では少し話しにくいな。人払いをいたせ。この場には余とこの二人、三人だけでよい」

「しかし、陛下」


 女王メリリリアの側に控えていた宰相らしき高官が口を挟もうとしたのを、メリリリアが軽く手を挙げて制した。


「心配ない。この者たちは余を害したりはせぬ。下がれ」


 家臣たちが、作っていた列の間隔を乱すことなく広間から去って行く。全部の足音が消えるまでリルルとフィルフィナは息を詰めるようにして待っていた。


「――いいですよ、お立ちなさい」


 張り詰めていた空気を和らげるさわやかなそよ風のようなやわらかい声が、吹いた。

 リルルが驚いて顔を上げる。玉座から立ち上がったその女性の表情が一変していたからだ。彫像が人間になったかと思えるくらいに、あたたかな笑顔がその白い顔に浮かんでいた。


「お茶を飲んでいる暇もないでしょう。すみませんね、こう体裁を取り繕わねば皆が納得しないので」

「女王陛下……?」

「メリリリア、で結構です。リロットさん。フィルフィナちゃんもそんなに体を硬くしなくていいのですよ」

「は――はい、メリリリア様……」

「無理をしてしまって。自分のあるじを僕だ、なんてね。フィルフィナちゃん、あなたは嘘を吐けない顔なんだから」

「あ――――」


 エルフが人間の娘を主と仰いでいると差し支える――そんなフィルフィナの配慮は、この女王の前では無意味だったようだ。リルルが立ち上がり、フィルフィナも恐縮しながら立ち上がった。メリリリアが白い靴で赤い絨毯を踏む。


「あなたたち、ウィルを追ってきたのでしょう。ウィルは『土の世界樹』に向かいました。『土の世界樹』は我が東の森の一族が監視し、保護している領域。ウィルも事情を一通り話してから向かいましたよ」

「わたしたちは一刻も早く母に追いつき、援護をしたいのです」

「家臣を帯同させようとしましたが、ウィルは断りました。生命の保証ができないという理由で」

「『水の世界樹』を伝って天界に上がろうとしているエルカリナ国王は、魔王ワイブレーンを一刀の下に討ち果たしました。天界に住まう方々の身に危険が迫っています。これを……」

「『五英雄』の一人であるウィルなら、なんとかしてくれると思いたい。情けないことに、私自身にそれほどの武芸はないのです。彼女やあなたの足を引っ張ることになりましょう。私からも頼みます。『土の世界樹』に行き、ウィルと天界の方々をお守りすることを」

「メリリリア様、お顔を上げてください」


 こうべを垂れたメリリリアにフィルフィナが駆け寄った。


おそれれ多い。メリリリア様の御厚意には、このフィルフィナ、全力で報います。……それでは、失礼いたします。どうもありがとうございました……」

「どうか無事に戻ってくるのですよ。その時は、また聞きたいこともありますから」

「お聞きになりたいこと……?」

「それは、あなたたちが戻って来た時に。――さあ、お行きなさい」



   ◇   ◇   ◇



 リルルとフィルフィナは宮殿の裏手から出、丸太小屋が並ぶ集落を歩く。人目を避けたくはあったが、リルルの薄桃色のドレスがどうしても目を引く中、二人は早足で郊外に向けて歩を進めた。


「びっくりしちゃった。メリリリア様、優しい御方だったわね。今度こそすっごく偉そうなエルフの女王様に会うと思ってたわ」

「メリリリア様も御年おんとし四百を超えられるはずです。長く生きていれば、それなりに世の道理がわかってくるということでしょうか……」

「フィルも私と初めて出会った時、すっごく偉そうだったものね。『わらわ』とかいっちゃったりして」

「……お嬢様、いじめないでください」


 フィルフィナの頬が朝焼けの色に染まっていた。


「でも、私がフィルの僕ってなんか新鮮。ね、これからそうする? フィルフィナ様こんにちは、ごきげんようっていってカーテシーしましょうか?」

「だから、いじめないでください、お願いしますから……」

「ふふふ」


 危機の中でも小さなおかしみを見つけて、リルルは笑った。


「それで、フィル。……進む方向はこっちでいいの? というか、『土の世界樹』ってここからどれだけ離れているの? 全然それっぼいものが見えないんだけど」


 集落を囲んでいた森を抜け、膝から下までの翠の草が風に揺れている平地に出る。十分ほど歩くだろう先に新たな森が見えるが、フィルフィナはそこを目指しているようだった。


「遠目からは見えないよう、魔法で隠蔽いんぺいされているのです。なんせ、目立つものですから」

「そりゃ、天界まで届く世界樹だものね。王都の真ん中から生えてきたあれもすごかったけれど。もの凄く目立つ背丈だから、隠したくなるか」

「背丈もそうですけれど」


 他に一人として歩く者が見当たらない草原をリルルとフィルフィナは進む。ここも少し前にウィルウィナが歩いたのだろうか。どれだけ遅れているのかはわからないが、追いつかなければ……。


「他に目立つ要因があるのです」


 フィルフィナのまっすぐに前を見ての呟きの答えは、間もなく出た。

 森に入ったリルルが、その中にぽっかりと開けられた平地にそびえる巨大な世界樹は、その全てが目にも眩い黄金の輝きに包まれていたからだ。

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