「開戦、告げられる」

 冬の夕陽が西の彼方に沈みきるのと、リルルの懐中時計が午後五時ちょうどを指すのと、国王登壇の報せが暗い夜の空を響かせるのとは、同時だった。


「エルカリナ王国国王、ヴィザード一世国王のお成りである!」


 人の声の音量とは思えないほどの、巨人が腹の底からがなり立てているのかと思えるほどの大きな声が冷え切った空の空気を震わせる。その声を受けながら、王城のほぼ最上層、玉座の間がある階層のバルコニーが下方から無数に伸びる探照灯の光に浮かび上がった。


 闇の中で天に向かって直立する、数十本の直立する白い光の柱。それは古代の神殿を思わせる威風を見せて、今まで薄暗さに慣れていた人々の目を驚かせた。

 暗さのために今までよく視認できなかったバルコニーに、人影がひとり現れるのが遠目に見える。


「あれは……国王……陛下、か……?」


 丘の高さを加えれば、優に百メルトを越える高低差がある場所に姿を見せた人物が誰であるのか、人の視力でそれを子細に観察することは難しいだろう。黒い装束に赤いマントを背に羽織っているというのがわかるくらいで、人相を把握するには遠すぎる。


 リルルもフィルフィナも目を凝らすが、国王であるらしい、というくらいにしか見えない。

 王城の周囲を埋め尽くす人々の心に不安と疑いの影が過ぎり始めた時、それは起こった。

 まるで城に腰掛けるかのような、王城の二倍はある巨人が突如、なんの前触れもなく現れていた。


「――――――――!!」


 度肝を抜く巨大さの巨人がいきなり現れたことに、その場にいる全員の肺と胃が収縮して、体の中の空気を反射的に吐き出していた。気の弱い者があまりの驚きのためにそこかしこで気を失う。


「これは…………!」

「投影の魔法ですね……」


 その巨人――いや、もうその姿ははっきりと、その人以外にはないと誰もが断言できる、ヴィザード一世の姿をしたものは、実体というよりは幻影にしか見えない。巨大な姿が半ば透けて見えていてその向こうの景色が見える。だが、そのたたずまいの様はまさしく国王だった。


「我が親愛なる臣民たちよ」


 おごそかで落ち着いた調子ではあるが、人々の鼓膜を余すことなく叩く声が、王城の近郊一帯を包み込む。大規模な教会に設置されている大型パイプオルガンの響きに似た、声と声を幾重にも重ねて共振、鳴動させているような、波長のひとつひとつで体を叩くような声が轟く。


 リルルが、頭に浮かんだ閃きに体を翻した。真後ろに視線を向けた途端、無限に続くような人々の波の向こうに、微かにかすみがかった輪郭をした何人もの国王の幻影が見えたからだ。


「フィル、見て、至る所に……!」

「これが『遠隔広報』の正体なのですね……」


 おそらくは、この王城を含めての王都を分ける三十六個の区画、その中心にそれぞれ、国王の巨大な幻像が浮かび上がっているのだろう。その足元から頭まで二百メルトに届くかという幻を遮られるような建物は、王都には存在しない。


 黄金の王冠をその頭に戴き、全ての光を吸い込む闇の色をした甲冑に身を包んだ国王、ヴィザード一世の実体が王城上層のバルコニーにあって、その右腕をゆっくりと掲げる。その動きを完全に模して、巨大な幻の国王たちも右腕を掲げた。


「余は、エルカリナ王国国王、ヴィザード一世である。この厳寒の冬の夕暮れ、余の求めに応じ、諸君等の貴重な時間を割かせてしまったことについて、まずは礼を申し上げたい。――ありがとう」


 虚像の出現に口を開けて絶句していた群衆たちが、その穏やかな声の響きに落ち着きを取り戻し、私語のざわめきも波を立たずに平静を取り戻す。威厳をたたえながらも、人の心に寄り添うな優しさがその声の底にはあった。


「また、余は、この場において諸君等を悲しませる事態を報告しなければならないことについて、自らの不明を深く恥じるものである。落ち着いて聞いてもらいたい。昨夕、我がエルカリナ王国は、このエルカリナ大陸を囲む二つの大陸の主要国家連合に、宣戦布告をいい渡された。

 ――戦争が、始まったのだ」


 場を埋め尽くす群衆たち――リルルやフィルフィナも漏れることなく――が、またも絶句する状況に陥った。


「戦争が……始まった……?」


 その言葉は、声にならない。舌の上で空回りするだけで音にならずに溶けていく。密集する人々の熱気で火照っていたはずの体が、衣服をぎ取られて寒風にさらされたように冷えていく――いや、この寒気は血が凍る感覚だ。


 自分の体が、縮み上がる心の引力に引っ張られるようにして小さくなろうとする錯覚に、リルルはかすれるような悲鳴を上げた。


「そんな……昨日の、夕方に? ……私たちが、戦争を止めたいと思っていた時にはもう、戦争は始まっていたの……?」


 リルルの心を戸惑いという名の亀裂が走る。自分が頭を悩ませていた話と、全く違っているのだ。

 ダージェの話では、魔界と手を組んだエルカリナ王国が、全世界に侵攻を仕掛ける・・・・のではなかったか。今聞いている話では、エルカリナ王国は侵攻を仕掛けられて・・・・・・いるのだ。これではあべこべではないか。


「――諸君、大雑把おおざっぱではあるが、経緯の説明を聞いてほしい。昨年の早春、王都を揺るがしたゲルト侯爵の叛乱はんらん未遂事件があったことは、諸君等も記憶に残っているとは思う」


 リルルの心臓が、窒息寸前に息を吐くようにして大きく膨らんだ。その叛乱計画を未遂に終わらせた原因の半分が自分の行動によるものだったからだ。


 計画の存在に気づいた王都警備騎士団の要請に応じ、その摘発のために力を貸した。もう九ヶ月も前の話になるのか、それは。


「ゲルト侯爵をそそのかし、叛乱計画を立てた張本人が、東の大陸アーゲット大陸の主要国のひとつ、バトゥ公国の公王セドル三世であるということが調査により判明した。余は証拠を添えてセドル三世に密使を派遣し、事態についての謝罪を求めたが、関与が明白であるにも関わらず、公王はそれを否定した。その不誠実な態度に対し、我が国はバトゥ公国に経済制裁を敷いた。――しかし公国はそれを逆恨みし、武力による問題解決に及んだのだ。それが今回、開戦に至った経緯である」


 国王の言葉が、いったん途切れる。息をつめてそれを聞いていた民衆たちが、空気をむさぼるように口を開き、ざわめき出した。名前も知らない、肩をぶつけるようにして並んでいる左右の人々と言葉を交わし合う。


 戦争というのは、冗談ではないらしい。が、人々にその単語についての実感はなかった。エルカリナ王国が諸外国との大戦に巻き込まれたのは三百年も昔の話で、小競り合いこそ幾度かあったものの、かつての戦いを忘れるほどの時間を経過させていたからだ。


 規模的には大陸といえる国土とはいえ、外海で隔絶されているという地政学的状況がこの国の平和を保ってきた――つい、昨日までは。


「諸君、落ち着いて、余の話を聞いてほしい」


 人々の口が静けさを取り戻した。名工が作り出した楽器が奏でる音楽を聴いているような錯覚を全員が感じていたのかも知れない。リルルも同じく、国王が発する声の穏やかさに子守歌の波長を感じていた――話している内容は、苛烈かれつこの上ないというのに。


「バトゥ公国公王は、単独では我が国を攻略するには心許こころもとないと思ったのか、噴飯物ふんぱんものの絵空事をでっち上げて、世界の主要国全てと連合した。その絵空事がどんなに現実離れしていることか。我がエルカリナ王国が、魔界と結託けったくし、全世界を侵略するなどという戯言たわごとを触れ回ったのだ!!」


 意表を突くような国王の大音声に、全ての市民の背が跳ねて伸びた。全員の目が見開かれ、その瞳が音を立てるかのように縮んだ。


「仮にも我が国は、五百年もの昔、この地に降りた魔王と戦い、地上に平和を取り戻した『五英雄』の一人、ヴェルザラードが開いた国である!! しかし全世界は、我が国の豊かな国土を奪わんとするその口実として、そのような事実無根の戯れ事を掲げたのだ! 我が国、我が臣民にとって、これ以上の侮辱があろうか!!」


 国王の拳が握られる。指揮者が指揮棒を振り、それに楽団が合わせるかのように場の熱気が高まりを増す。人々の目に陶酔の色が浮かび始める。

 その中で正気を保っていたリルルとフィルフィナの目は、これ以上もないほどに見開かれていた。


 まさか、文字通りの万座の場で、そのような発言が飛び出すとは思いもしていなかったからだ。

 目の前で突然、世界を終わらせられるほどの切り札を叩きつけられた驚愕きょうがくに二人は声も出ない。呼吸さえ忘れていた。


蒼騎士あおしきし・ヴェルザラードの血を引く末裔まつえいとしても、これは捨て置けぬ屈辱である。余が魔界と結託した、だとは飛んだお笑い種である――では、この様をどう説明するのか!」


 巨大な国王の幻像が消え失せた。代わりに間髪入れず、舞台の一幕のような光景が宙に投影される。

 赤錆を噴いた鋼材で組み上げられた、小さな山ほどの巨体で圧倒的な威風を漂わせる『竜』の姿が無形の幕に映し出された。音の一切はないが、実像のような臨場感を持ったそれに人々が後ずさって波となる。


「見るがいい。この竜は、我が祖ヴェルザラードが討ち果たした『魔王』、魔竜神ワイブレーンである。ヴェルザラードが討ち果たしたと思われていたが、深い傷を負いながらも命を長らえ、魔界に潜伏していた。――そして」


 それに剣を握って対峙している、比してアリのような大きさしか持たない人物は――。


「これは今朝、魔界に攻め入った余が、魔王を討ち果たした際の光景である」


 地に半身を埋めた魔王が吐き出した光の柱を国王が受け、そよ風のようにそれを払いのける。

 そして、巨竜の懐にもぐり込み、心臓と思しき場所に炎の色をした剣を突き立てた――。


「魔界の王を討った余が魔界と連合する、などという馬鹿げた話が成立するわけがない。この様が捏造ねつぞうだという疑う声もあるだろう。しかし、そんな声も時間が経てば吹き飛ぶ――王を討たれた魔界の残党が、このエルカリナ王国に攻め寄せてくるからだ!」


 民衆の息を飲む悲痛さが込められた音が、ひとつの塊となって聞こえた。


「英雄の子孫として五百年前の因縁を断ち、世界を救った余を討ち果たそうとする世界こそ、魔界と結託しているといえる! 魔界と手を組んで我が国を攻め滅ぼし、我等が築き上げた富を奪おうとしているのだ! 英雄がおこした我が国が、そのような横暴に甘んじるわけにはいかぬ!」


 人々の体温が上がってくるのが、空気の色が変わるように目でわかる。国王が振る腕の動きのひとつひとつに、民衆の意識の全てが確実にその熱を高めていく。


「諸君! 我が祖国を愛してくれる、親しき我が臣民たちよ!」


 再び現れた巨大な国王の幻像が両腕を広々と開く。躍動する手の指の一本一本の動きに人々の情熱が燃え上がった。


「我等は、全世界と魔界を一堂にして敵に回すことになった! しかし、大儀は我等にある! 正義は我等にある! 正しき者が、誤る者に負けるなどあってはならない! 我々は心をひとつにし、この救国の戦いに勝利せねばならないのだ!


 これは、五百年前の『五英雄』の偉業に並ぶ戦いである! この戦いに身と心を投じてくれる諸君等ひとりひとりが、かつての英雄たちに等しいたっとき者たちなのだ! 愛する者たちを、愛する家を、愛する土地を、愛する国を守るため! 余に力を貸して欲しい!


 そして、この正義の戦いを! 神は必ず祝福してくれる! それを、今! 諸君等の目に! 見えるものとして披露させていただこう!」


 天を突くように勢いよく高々と掲げられた両腕、両手の動きに熱狂の渦が見えない炎をまとって荒れ狂う。

 そして、国王の予言は間を置くことなく、実現された。

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