「宣告の直前」

「――お嬢様、お支度を確認しますので、こちらを向いてください」

「お願い、フィル」


 マントを羽織りフードを深く被ったリルルがフィルフィナの方を向く。フィルフィナはリルルの顔がのぞけないようにフードの深さをいじくっていたが、難しい顔をして手を放した。


「大丈夫だとは思います、きっと城の周りは大群衆で埋め尽くされるはずですから、ひとりひとりの顔をのぞき込もうなんていうことはないでしょう。ないでしょうが……」


 その『万が一』の事態の勃発ぼっぱつがどれだけの破滅を巻き起こすか、フィルフィナは怯えるほどの恐ろしい想像を頭の中で巡らせ、身を微かに震わせた。

 午後五時からの国王自らによる重大発表があるという話を、道行く人々の噂話で聞きつけたリルルが、是非それを直接聞きたいといい出したのだ。


「念のため……念のため、フードの中でもメガネはかけておいた方がいいですね……。王城・・の前でお嬢様の素性がわかりでもすれば、取り返しがつかないことになります。できれば、ここから速やかに立ち去るのが最善なのですが……」

「じゃ、メガネをかけましょう」


 フィルフィナは世界の裏側に届くほどのため息をついた。

 それは危険リスクしか伴わない賭け事ギャンブルなのだが、それを理解していても自ら背自分の身を掛け金チップとして差し出そうとする、この主人の度胸にいつも大きな息を漏らしてしまうのだ。


「……まあ、そういうのとは思っていたのですよ……。ではお嬢様、これをおかけください」


 フィルフィナが右手首の黒い腕輪から、ひとつのものを取り出してリルルに捧げるように掲げた。見慣れた色と形のそれがフィルフィナの手に載せられているのに、リルルは瞬きする。


「あれ、これは……メガネ?」

「リロットに変身するためのメガネです」


 それを取り、リルルは目の前に掲げて細部を確かめるように視線を走らせた。自分が今持っているメガネと本当に寸分違わない。


「なぁに、これ。前のメガネとどう違うの? これをかけたら、またすごい力が出ちゃうとか?」

「出ません」


 リルルの首が前に折れた。


「前のメガネをかけていても、ダージェに素顔をのぞかれていたという話ではないですか。この先、前のメガネの魔法が通じない相手が出てくるやも知れません。ですから、このメガネは認識阻害そがいの力を強化しておきました。無理にのぞこうとすれば、相手にかなりの頭痛を与えられます」

「なにそれ怖い」

「あと、『家族』に対しての阻害効果は外されています」


 二、三回、リルルが瞬いた。


「わたしやサフィーナ、そして……ニコル様に対しては、阻害効果がありません。ロシュはそもそも魔法は通じていないみたいですね……。サフィーナにも同じものを渡しておきました。万が一の事態は避けられると思います」

「やだ。じゃあ、メガネをかけていてもニコルと見つめ合い放題だっていうこと?」

「お嬢様のためではありませんよ、ニコル様のためです。今まで素顔がわからない女に抱きつかれたりキスされたり、本当にひどい目に遭ってこられたのですから。お嬢様、ちゃんとニコル様に謝罪なされましたか? ……口笛を吹いてないでこちらを向きなさい」

「フィル、そのジト目はやめて。結構怖いの」

「怖いとおっしゃるのなら、わたしのいうことを少しは聞いていただきたいのですよ……本当に、王城で直に国王の発表を聞くというのですね?」

「国王陛下直々の発表じゃない。できるだけ近くから見ておきたいの」


 陛下、と敬称をつけることにリルルの心でよどんだ渦が巻いた。国王ヴィザード一世はまだそのことを知らないのだろうが、リルルはまさに今、国王に叛逆はんぎゃくする立場にある。万が一にもその正体が現場で明かされることになれば、どのような事態になるのか――。


「……お嬢様、くれぐれも、危ない真似はやめてください。カッとなって快傑令嬢に変身した、なんていうことは絶対になしですよ? いいですね?」

「わかってるわよ。フィル、私のいうことが信じられないの?」


 素直に信じられたらどれだけいいか、とフィルフィナは今日十数回目の嘆息を吐き出した。


「お嬢様は行動力がありすぎるんです。ニコル様にも来てもらえたら、歯止めになるのでしょうが」


 そのニコルはまだ不安定な眠りの中にいた。精神力を削りに削る魔法の道具アイテムの稼働を、精神にかけられるほぼ限界まで長時間行ったツケは大きかった。


「明日いっぱいも動かせないでしょう。おそらくは明後日までも。今は心身を休めることが第一です」


 ニコルの顔に目を落としたまま視線を揺らがせもしないロシュが診断・・する。


「今は、ニコルには眠っていてもらわないと。……そうそう、サフィーナはどうするの?」


 しばらくこの場に姿を見せていない少女のことをリルルは口にした。


「なるべく屋敷を留守にしたくないとのことですから、わたしたちだけで」

「そっか。じゃあロシュちゃん、ニコルをよろしくね」

「かしこまりました」

「ほら、フィル、早く早く」

「仕方ないですね……」


 おやすみ、とニコルに挨拶をしたリルルに背中を押されたフィルフィナが、寝室に隣接したサフィーナの居間、その隅に立てられた転移鏡に額をつける。固体と液体の中間にあるような感触が肌に伝わる違和感が呼び声のように響いて、そのまま鏡の中にフィルフィナは潜り込んだ。



   ◇   ◇   ◇



 一回の経由を経て、リルルとフィルフィナは古びた廃工場を利用したアジトに設置してある転移鏡から体を抜け出させた。転移する時に覚える小さいはずの目眩も、まだ十分に休息したとはいいきれない今の体調にはかなりキツく感じられる。


 今朝方、魔界から撤退する時に一度立ち寄っている場所ではあるが、よほど慌てていたのかその時の記憶がほとんどない。飼い主が綱を放した猛犬に追われるように走っていた印象しかなかった。


「……懐かしいわね……」


 倒産した工場の跡地を買い取り、偽名で登記してある快傑令嬢リロットの秘密のアジト。

 利用していないのは何十日かだったが、ホコリ臭い空気が懐かしさを掻き立ててくれるようだ。

 最後にここをアジトとして使った時のことが、リルルにはすぐに思い出せなかった。


「お嬢様、急ぎますよ。間に合わなくなってもいいんですか。ここから王城まで十カロメルト弱はあるんです。馬車が捕まえられないと五時には着きませんよ」

「わかった、わかったから」


 フィルフィナの言葉にリルルはせっつかれて動く。


 外に出、大通りにまで足を運ぶと、既にラミア列車はその運行を止めていた。空になった客車に体を連結させている制服姿の巨大ラミアが、停車しながらも午後五時からの発表があることを大声で張り上げ続けている。それを横目に見ながら、偶然目の前で客を降ろした辻馬車に二人は乗り込んだ。


「王城の近くまでお願いします」

「お客さん、運がいいねぇ。次の客で今日は店仕舞いにしようと思ってたんだ」


 まだ若い男の御者が気楽にいう。四人が二人ずつで膝を詰めて向かい合えば窮屈きゅうくつになる小さい馬車だった。


「重大発表ってなんなんですかね?」


 顔を見せられないリルルの代わりに、フードを外したフィルフィナが率先して会話を試みていた。御者席と客席の仕切りがないので互いの会話には困らないのが、今の二人に困ることだった。


「さあね、ロクなことじゃないだろうさ。お上からお達しがあることで嬉しかったことなんかひとつもないね。今日だって客がいつもの六割行かないんだ。午後から人の動きが鈍って鈍って。三時頃から半分は店を閉めているくらいだものな。あんたらを下ろしたら、帰ってこいつをしまわないと……」


 今日の実入りに直撃を食らったことが痛いのか、御者の口数は愚痴にまみれて多かった。


「それはご愁傷様……。喜んでください、心付けチップは弾みますよ」

「お、嬉しいことあったな。お嬢さん、ありがとうよ」


 ニッと笑って御者は一頭だけの馬に、打って変わった軽やかな手つきでムチを入れた。

 大通りの交通量は既に激減していて、交差点で東西南北の往来をさばく交通管理員も休業状態だった。馬車は一度も停まらずに王都の大通りを北に向かって直進する。


 制震用のバネが入っていない馬車は石畳の凹凸を拾ってよく縦に揺れてくれる。乗り心地の悪さの程度に合わせて料金が安いことに我慢しながら、リルルとフィルフィナは街角の景色に目を配りながら小声でささやき合った。


「交通量が少ない代わりに、人出はあふれていますね……」


 予告では、王城以外にも各区画の大通りの交差点において発表がなされるとされていた。それをかぶりつきで見るために気が早いのが集まっているのだろうが、わからないことがひとつあった。


「遠隔広報ってなにかしら。各区域の大通りの交差点でも、陛下が話すことが聞けるみたいだけれど」

「どんな仕掛けははっきりしませんが……お嬢様、わたしは少し考えていることがあるのです」

「フィル?」


 森妖精の少女の、深刻に沈みきった表情にリルルは首を傾げた。


「あとでお話しします」

「フィル……」

「今は、どんな発表がなされるのか、それを受け止めましょう」


 真冬の王都の寒さにリルルはマントの首元を閉めた。露天の座席には風が入り放題だ。そして、今から自分たちが聞く『発表』はそんな些末さまつなことを吹き飛ばしてくれる予感しかしなくて、重くなった二人の口は馬車が目的地に到達するまで開くことはなかった。



   ◇   ◇   ◇



 国王自らが発表の席に立つというエルカリナ城は、溢れんばかりの群衆に囲まれていた。


 白亜はくあの城が鎮座する小高い丘、それを囲む高さ十メルトの頑丈な城壁はさらに薔薇バラの庭園で囲まれているが、今日のこの時に限り、いつもは平民以下は立ち入りを許されないその庭園にも、大勢の明らかに平民の姿や、中には亜人と思われるフード姿の人影もまばらに確認される。


 王都に長く住んでいるが、リルルはこれほどの大規模な人出を見たことがなかった。既に薄暗くなっている冷え込んだ夕暮れ時であるにも関わらず、隙間なくひしめき合った人々の間に風が吹き込む間隔もない。人間から発せられる体温の集まりでむしろ、暑いと思えるくらいの熱気が集合していた。


「この密度だと、十万人は軽く越えているようですね」

「そんなに……?」

「これだけ人が密集していれば、面積さえわかればほぼ正確な人数が計算で割り出せます」


 まだ予定時間には間があり、肩と肩が触れ合うほどに密集した人々は、互いの体から発する熱の臭いをぎ合うようにして時を待っている。


 それぞれに口にする声、雑談が巨大なざわめきとなって、王都の一角の空気を震わせていた。

 そんな、大勢という言葉では利かないほどの大群衆の中に粒子のように紛れたリルルが、夕日が最後に残す西からの赤い光に白い肌の半分を染めているエルカリナ城に向ける。


 赤と影の対比コントラストにその麗しい姿を映えさせた王城の形を見上げて、少女の唇が、絶対に聞かれてはならない言葉を呟いていた。


「――一昨日まで、あのお城の尖塔にいたのよね……」


 その言葉はとても音にはできない。舌の上で転がすだけで、リルルはそれを飲み込む。懐から懐中時計を取り出し、ふたを開けて針の動きに目を落とした。

 秒針が忙しなく走り、のろい分針がそれを追い、何度も何度も抜かされる。


 それはまるで自分の、この世に存在するものたち全ての運命の歯車の動きに思え――。

 そして、その時はやってきた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る