「友情と、決闘」

「遊びに来るのはいいんだけどな、時間帯っていうものを考えろよ、常識だろ?」

「ああ……すまない……」


 背を正して直立し、ニコルは素直に頭を下げた。


「勝手にお邪魔させてもらってるよ。大変失礼した」

「ったく。いくら親しい仲でも礼儀はわきまえろよ」

「……それで、どうしてこの部屋に戻って来たんだい?」

「一階に誰かが乗り込んで来やがってる。多分お前だと思って駆けつけようとしたんだがな、剣を忘れたんだよ」


 ダージェは両腕を広げて見せた。手は空だったし、腰にも差されているものはない。


「そこの壁にかかってるだろ。くれ」

「投げてもいいかな?」

「ちゃんと届けばな」


 振り返ったニコルは、壁に取り付けられた台座に横渡しでかけられている大ぶりの剣を手に取って、ダージェに向かって軽く放った。


「すまんな」


 それを受け取ったダージェが小さく笑い、厚いガウンをその場で脱ぎ、ついでに寝間着の上着も脱ぎ捨てた。少年の体格にしては不釣り合いな筋肉質の胸板、六つに分かれた腹が見える。


「……ニコルよぉ」


 自分がいそいそと支度をする様を突っ立って見ているだけのニコルに、ダージェが問いかける。


「お前、丸腰の俺に斬りかかるとか、考えなかったのか? よほどのお人好しか? それとも相当のバカか?」

「武器を持たない相手にいきなり斬りかかるなって教えられてるんだ」

「相当のバカの方だったか」


 ガウンの帯だけを腰にきつく巻いて剣の鞘を通し、それがきちんと固定されていることを確認して、ダージェが「よし」と呟いた。


「んで、なにしに来たんだ」

「リルルがお世話になっているようだから、迎えにきたんだ」

「そうか。わざわざご苦労なことだけどな」


 ダージェが、剣を抜いた。


「リルルは俺の嫁にするんだ。渡せねぇぞ」

「そこをなんとか」

「平和裏に物事を進めたいってか。じゃあこういうのはどうだ。リルルを共有するんだよ。そうだな、月ごとに交替するっていうのはどうだ? 一ヶ月俺のところでリルルを囲ったら、次はお前のところで一ヶ月、そしてその次は俺のところで……」

「君が僕の立場でそんな提案を受けたら、どう答えるんだい?」

「死ねこのクソボケ、って返すな」

「よかった、だいたい同意見で」


 二人は笑った。さざめくような、気持ちが素直に反響し合う笑いだった。


「――とにかく、リルルを連れて帰りたいんだ。そして僕は君とも戦いたくない。色んな意味でね」

「バカかお前。そしてマヌケか。だいたい遅いんだよ――来るのは早かったけれどな。お前、ここまで来るのにどれだけ時間がかかった? 二晩もかかってるんだぞ。その間に俺がリルルとなにもしてないと思うのか?」

「……お茶会でもしたのかい」

「リルルをここに連れてきて早々、寝台に押し倒して着てるもの全部いださ。その後どうしたか続きを聞きたいか?」


 澄ましているニコルのこめかみが一瞬、ピクッと跳ねた。


「……聞きたいかな」

「恥ずかしい話させるのか。まあ水をかけたのはこっちだ。話してやるさ」


 ダージェが剣の切っ先を床に軽く立てた。話の間は斬りかかることがないというように。


「まあ最初はカマトトぶって泣き叫んでたけどな、頬を二、三発引っぱたいてねじ込んだら大人しくなったよ。あとはまあ、女なんて素直なもんだ。夜中まで可愛がってやったら向こうから抱きついて脚まで巻き付けてくるようになった。可愛い顔して結構な好き者だよな?」


 せせら笑うダージェの話しを、ニコルは表情のない顔で聞いている。


「……それで?」

「俺は底なしだからな。んで、女の方はもともと底なしだ。終いにはこっちが搾られるくらいだったぜ。リルルが自分からなんていい出したか知りたいか? 『ニコルのよりもずっといい』なんて涙流しながらしがみついてくるんだぜ――よっぽどお前とのが不満だったらしいなぁ?」

「へぇ……」

「と、いうわけだ。一昨日に昨日と腹が膨らむくらいくれてやったし、実をいうとついさっきまでな――地上じゃ、魔族に汚された女はどう扱われるんだ? はらむのはほぼ確定だし、紫の肌の赤ん坊が股から出てきたら産婆が卒倒するんじゃねぇか? まあリルルも帰りたいなんていわないと思うがさ。俺のが大変お気に召したようだし――どうだ? 黙ってないでなんか感想聞かせろよ? それともあれか? 悔しさと怒りで頭がいっぱいってやつか? ほら、黙ってないで口を開いてみろよ――ははは、はははは、ははははは、ははははははは…………!」

「あはははは」

「――手前てめェ、なにを笑ってやがるんだ!!」


 一瞬にして血相を変えたダージェが後ろに拳を振り回し、罪のない扉がその直撃を受けて蝶番ちょうつがいから吹き飛んだ。


「お前、頭大丈夫か!? 自分の女が好き勝手にオモチャにされたっていわれてるんだぞ!! なんでそんな愉快そうに笑ってられるんだ!!」

「笑えるよ。笑うしかないじゃないか」


 ニコルの反撃が始まった。


「君が、僕に信じさせようと本当に必死になって作り話を聞かせているんだから」

「な……なにを、根拠に、そんなこといいやがる……!」


 声が上ずるのを抑えられないダージェが、震えを止めようとして奥歯を噛みしめた。


「根拠は色々あるけれど……まあ、少し例を挙げていくね。まず、君はリルルからいい出した、っていってたね。その…………君の方が僕よりいい、って。リルルがそんなことをいうのは、あり得ない話だよ」

「なんだァ!? 手前ェのがどんだけデカいっていうんだ!! 今ここで出してみろ!!」

「そういう話じゃなくてね。――まあ、こういうのも恥ずかしいところはあるんだけど…………僕とリルルは、その……」

「その、なんだ!?」

「…………したことは、ないんだよ」


 ダージェの口が四、五回、声も出ずに開閉した。そのダージェの視線の先で、無表情を貫いているニコルの白いはずの頬が桜色に染まっている。


「だから、リルルが僕と君のを比べるのは不可能さ」

「…………待て、おい、お前たち、恋人同士のはずだよな……」

「僕はそのつもりさ。リルルはなんていってた?」

「…………恋人同士だと、いってた……な……」


 ダージェの頭の中で、大陸がひとつ、突然全てが砂に変わったかのように音を立てて崩れていった。


「……なあ、聞いていいか……?」

「初めてのキスの場所とかは聞かないでほしいな」

「……お前ら、なんでだ? す……好き合ってるんだろ? そういう機会が、なかったのか?」


 ダージェの顔から、表情が消えていた。人が本当に恐れおののくのは、理解できないものを前にした時だという誰かの言葉を思い出していた。


「なかったわけじゃないけれど、僕たちはこうやって愛し合ってるんだ。そういう愛し合い方もあるとわかってほしいな」


 ダージェは、答えなかった。あんぐりと口を開けてニコルを見ている。拳ぐらいなら入るかも、とニコルは冷静に思った。


「あとついでにいうと、リルルはその……下世話な表現になるけれど、処女だよ」


 口を開けたまま、ダージェの顔の下半分、口元の右半分がわかりやすいくらいに歪んだ。


「王城の尖塔にお后候補が入る時、三ヶ月間は外部から隔離かくりされる。その間は陛下もお手をお付けにならない。ダージェ、もしも君がリルルの処女を先んじて奪っていたとしたら、まずそのことを僕に向けてひけらかすと思うんだけれど、どうかな?」

「…………」


 食いしばる歯を見せて震えているのが、ダージェの回答だった。そんな魔界の王子を前にして、少年騎士の表情が緩む。友を見る眼差しが深い水色の光を放っていた。


「ダージェ、多分君は、リルルを大切に扱ってくれていると思う。それについてはそんなに心配してなかった。君がリルルのことを真剣に好きだというのは伝わっていたからね。作り話をでっち上げて僕をあきらめさせようという行為にどういう意図があるのか、推測できないほど僕は子供じゃない」

「……俺は、心底お前が嫌いになった……」


 ダージェが立てていた剣の柄を握り、ゆっくりとその切っ先をニコルに向けた。


「できたら傷つけずに地上に返してやろうと思ってたが、もういい。叩きのめしてやる。ニコル、表に出ろ。ここで暴れられたらかなわん。俺の自室なんだ」

「リルルは今、どうしてるのかな」

「下の騒ぎを聞きつけて起き出したが、眠らせた。後遺症が残る方法じゃねぇよ。俺は女には優しいんだ」

「それも心配してない。あと、始める前にもうひとつ」

「なんだよ、聞きたがりだな」

「エルカリナ王国が魔界と結託して地上に攻めのぼるというのは、本当なのかい」

「お前、こんな短期間にそんなところまで突き詰めていたのか? 間諜スパイの才能があるんじゃないか?」

「魔法陣の神殿がある街で、王国の紋章が入った木箱を見た。あれだけの大きなものを王国から盗んで、王城地下の結節の空間からここまで運ぶ過程が発覚しない、というのはなかなか考えにくいと思ったんだ」

「仕方ねぇな。これは極秘の話だからあんまり周囲にいいふらさないでくれよ。――本当のことだ」

「そうか…………エルカリナ王国が魔界と組んで、地上を侵略するというのか……」


 ニコルの口から、胃の底からの吐息が漏れ出た。失望と落胆を凝縮したため息だ。奥歯が噛みしめられ、視線が落ちる。自分に剣を向けている相手を前にして完全に隙ができる。ダージェはそんなニコルに冷笑めいた声をかける――同情の眼差しを向けながら。


「辛いところだな、ニコル。どうする。お前は国王に忠誠を誓った騎士なんだろ。いや、違うな……お前の覚悟はもう決まっているのか……お前、国王に叛逆はんぎゃくするつもりだろ?」

「……何故そう思うんだい?」


 今度は逆の立場になるのか、とニコルは笑いそうになった。少し愉快だった。


「お前がここでリルルを取り戻して、そのまま国王にお返しするとは思えないからさ。リルルと一緒にどこかに隠れようとしている。違うか」

「……まいったな。お見通しなのか」

「まあ、それが正しいと思うぜ。俺がもらうにしろお前が取り戻すにしろ、あのヴィザードのおっさんにはリルルは戻らない。ははは、そう思うと愉快だな。ヴィザードのおっさんが悪者でよかったな? 嫁を臣下からとっていく国王なんて当たり前にいるからな。逆らう正当性ができたってわけだ」


 ニコルは応えない。肯定も否定もしない。

 ただ、悲しそうな横顔を見せてから、まっすぐに顔を向けた。その腰からレイピアを抜き放った。


「……しゃべり過ぎたね。そろそろ決闘といこうか――ロシュ!」


 ニコルが声を上げる。普通の人間ならば聞き取れない声でも、彼女ならば聞き逃すことはないと確信があった。


「すまない、作戦変更だ。そこを確保して王宮との連絡を遮断し続けてくれ。ダージェに見つかった」

『ニコルお兄様! ロシュがダージェの相手をします。今のニコルお兄様の体調では』


 部屋の天井、床、壁の全てが震動してくぐもったロシュの声が響く。屋敷そのものを震わせる振動波を送っているのかどうか原理は定かではないが、ロシュになら当然の技だと思えた。


「いいんだ、ロシュ。ここは僕とダージェが斬り結ばないとコトが収まらない。――僕が敗れた時は、後を任せるよ」

『ニコルお兄様――』

「命令だ! いいね!」


 返事はなかった。なにかを飲み込むような気配だけが最後にあった。


「ニコル、お前、本当にいい奴だな……それが本当にムカつくぜ……」

「誉められてるのかな。ありがとう」

「こちらからも手出しはさせねぇ。約束する。……んじゃ、外に出るか」

「うん」

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