「ふたりの少年。運命の対峙」

 時刻は午前五時にあと数分で到達しようとしていた。

 屋敷を目前にしながらロシュは茂みに身を伏せさせ、その機械の感覚で屋敷の中を目で見ずとも詳細に調査している。目以外の感覚を総動員して人の居場所、屋敷の構造までをも知ることができる。


 同時に、正確に三百秒を数え続け――一秒の狂いもなく、ニコルに声をかけていた。

 ロシュとは、そういう存在だった。


「――お兄様、ニコルお兄様、起きてください」

「……おはよう、ロシュ」


 ほぼ四十八時間近くを不眠で過ごしていたニコルが、一声で目を開けた。


「少し……楽になったよ。もう頭が辛くて辛くて……今でも結構頭痛がするけれど……」

「ニコルお兄様、応急の処置をします。――少し痛みがありますが、我慢できますか」

「男の子だからね」


 仰向けのまま身を起こさないニコル、その頭にロシュがそっと右手を被せるように乗せた。触れ合っている手の平からほんの一秒、電気のように食い込んできた刺激にニコルは唇を噛みしめて耐える。


「どうですか」

「……少し、楽になった。ロシュはすごいな……今、電気みたいなのがビシってきたけど」

「電気です」


 ニコルの顔色を一瞬だけうかがい、ロシュの顔が屋敷を見上げる角度になる。


「頭痛を感じる感覚を少しだけ麻痺マヒさせました。ですが、根本治療ではありません。速やかに睡眠を取る必要があります」

「……リルルを助け出したら、三日間だって寝るよ……さて……」

「建造物の内面図です」


 仰向けからうつ伏せになったニコルの前に、ロシュが葉書はがき大の紙片を差し出して右手をかざす。紙に書かれた線や文字が蛍の光くらいにぼんやりと輝いていた。三階建ての屋敷の内面図だとわかる。部屋の配置や階段の位置、便所やその中の個室らしき区割りまで詳細に描かれていた。


「視認して確かめたわけではありませんから、信頼性は低いです」

「……大したものだよ。で、中に人は……」

「こうなっています」


 黒い線で描かれた建物の構造に、次は緑色の小さな円が次々と追加されていった。一階を示す小さな部屋の密集部に二十人のほどの円が置かれる。二階に繋がる唯一の階段の周りにそれより少し大きな円が十個ほど。


「二階の反応は少ないです」


 一階から階段を上がった先に円が四つ置かれ、その奥にある広い部屋に、赤い円が印された。


「これがリルルお姉様です」


 赤い点とほぼ同じ場所に、小さめの緑の点が印される。


「……ロシュ、この。リルルの隣の点は?」

「リルルお姉様は何者かと一緒に眠っているようです」


 ニコルのこめかみが一瞬だけ、震えた。


「体温反応から八歳前後の子供、男子だと推測されます」

「……よかった。今ちょっと冷静さを失うところだった」

「リルルお姉様が眠られている部屋と廊下を挟んでの向かい側、この部屋に特異な反応が見られます。生体反応の特徴から」

「ダージェだろう」


 ロシュがうなずく気配がした。


「ちょうど現在地のこの上、二階の部屋がその位置です。熟睡中だと思われます」

「寝ているからといって、少し音を立てると起きてくるかも……。今、彼との戦闘は避けたいな……」


 まともに戦って勝てる自信が今のニコルにはない。顔を合わせるにしても、挨拶あいさつだけで切り上げたかった。


「ロシュがおとりになります」


 少年が泥水を口に含んだような顔をする。それが現実的だとはいっても、割り切れない心はあった。


「一階の玄関広間の場所に、転移装置があるようです。次元の歪みを検知しています」

「王宮に繋がっているっていう転移鏡かなんかかな……」

「ロシュがそこを制圧します。警備が集中するでしょうから、ニコルお兄様はそれに乗じてください。王宮への連絡も絶たねばなりません」


 ニコルはうなずいた。即席の雑な作戦だが、今はこれ以上の代案も出せない。ロシュにかなりの危険を負わせるが、今は頼るしかないと覚悟を決めた。


「ロシュがそこで暴れてくれると、ダージェも下りてくるだろう。玄関あたりでちょっと暴れてほしい。ロシュの位置からダージェが姿を見せたら、即撤退してくれ。その間に僕はリルルを連れ出す。ロシュなら僕たちの位置はわかるだろうから、速やかに合流してここから飛び降りる――いいね」

「了解しました、ニコルお兄様」

「ロシュ、念を押しておくよ」


 体を起こしかけたロシュに、やっと地面から体をがす気になったニコルがいった。


「僕は、ロシュがリルルの代わりに犠牲になっても喜ばない。逆に後悔する。ロシュ、僕を悲しませたりしないようにね」

「――了解しました、ニコルお兄様」


 愛しています、という言葉を唇の先だけで刻んでロシュが立ち上がり、風の速さで玄関に回った。


「――さて」


 ニコルが立ち上がる。屋敷の壁に背中をつけ、張り出したバルコニーの底の裏を下からにらんだ。


「騒ぎが起こって三十秒したら、突入かな……上手くいけばいいけど……」


 気を失っていても放すことのないレイピアをいったん鞘に収め、息を殺して時を待つ。

 さほどの時を置かず、早朝の祭は始まるはずだった。



   ◇   ◇   ◇



 枕に頭を沈めて眠っていたダージェは、最初に響いてきた物音に反応してその半身を起こしていた。


 遠くから建物の建材を伝わって聞こえて来た、分厚い木材が破壊されるメリメリとした音、大きな陶器が割れる甲高い音に、ほぼ瞬間的に『異変だ』と判断する。迷うことなく布団をはね除け、寝間着の上に重いガウンを羽織って廊下に出た。


 部屋を出た途端、メイドのものだろうか、いくつかの高い声域の声が階下から連なるように響く。


 警備のために詰めている兵士をダージェが呼ぶまでもなく、一人の兵士が小走りに向かって来てダージェの前でひざまずいた。


「王子殿下! 屋敷に侵入者です!」

「侵入者ぁ? 転移鏡は稼働していないようだぞ」

「玄関の扉を破って侵入してきました!」

「そりゃまた派手な訪問だな。……外から来たっていうことは、空を飛んできた……」


 頭の中でそれが可能な種族が並べられる。いくつかの連中なら不可能ではないが、それにしてもこんな無茶をする理由が見当たらない。

 今、この屋敷に襲撃をかける理由がある連中といえば……。


 階下から男と女を混ぜ込んだいくつもの悲鳴が重なって響いてくる。そして建材が破壊される轟音、怒声、助けを呼ぶ黄色い声――。


「ずいぶん派手なことになってやがるな。狙いは……………………リルルか…………」


 転移鏡を使ってこなかったというのが、推測の決定打だった。ダージェは正面にある向かいの扉を睨み、施錠されているそのノブを回すだけで強引に破壊した。



   ◇   ◇   ◇



 一階から聞こえてきた異変の音で飛び起きたのは、リルルも同様だった。ダージェから遅れること数十秒、微睡みの中で浅く眠りをすすっていたリルルの目が開く。上半身で布団をはね除けるようにして起き上がると、布団を剥がされたティコが体を丸くして眠りの中で震え上がった。


 廊下に出ようとガウンに袖を通した瞬間、衝立ついたての向こうで扉から明らかな異音が響いてきた。リルルが反射的に振り向くと、扉が乱暴に開けられる音に続いて衝立が払いのけられ、ダージェが姿を見せる。


「ダージェ!」

「なんだ、起きてたか」

「この騒ぎは……」

叛乱はんらん、という感じじゃねぇな」


 屋根が崩れたのではないか、と思わせるような轟音がひとつ響く。屋敷の全体が揺れ、ダージェはその規模に顔をしかめた。


「もしもそうだったら、とっくに二階まで押し寄せてるさ。屋敷の警備は薄いんだ。今ここにこんな中途半端なカチコミをかけるとしたらリルル、誰かがお前を取り戻しに来たとしか思えねえ」

「ニコルが……!」

「ニコルが来るって思える根拠があるのか、リルル」


 内心を見透かされたような、胸に見えない穴を空けられた感覚にリルルは震えた。


「お前を連れ去った時、お前の頭の中ではニコルは島にいた。この襲撃具合はお前を連れ去った俺をそのまま追いかけてきたっていう感じだな……そうでなければ転移鏡を使わずに、魔界を周回しているこの屋敷に接触することはできねえよ」

「……リルル様? え……ダージェ様……」


 ティコが寝ぼけ眼をこすりながら起き上がった。寒気にぶるると体を震わせたが、床の下から響いてくる悲鳴と異音、そしてリルルとダージェが立ってそこにいるという事実にその眠気が吹き飛んだ。


「――リルル、お前、俺がお前を尖塔から連れ出した時……術で気絶させたはずだが、起きてたな?」


 リルルが口を開く。が、言葉は出ない。その反応に満足したように、ダージェはニィ、と笑った。


「覚醒するのも早かったからな。どういうカラクリかは知らんが、術の効き目をはね除ける手段でも持ってたか。……ま、いいや、そんなことは。俺は人ンの玄関で好き勝手暴れてくれている野郎の顔を拝んでくるわ。リルル、お前は――寝てろ」


 リルルの顔の前に腕を伸ばしたダージェの手の平が広げられる。手の平の上に紫に輝く幾何学的な紋様が広がり、その全体が波打つような光を放った。



   ◇   ◇   ◇



 ニコルはバルコニーの手すりを乗り越え、大きなガラス窓を音を立てずに引いて開けて、転がるようにして無人の部屋の中に入り込んだ。そのまま床に伏せ、全感覚を開いて気配をうかがう。


 明かりのひとつもついておらず真っ暗だが、家具がある気配くらいはわかる。夜目を凝らせば、ものにつまずかず部屋を抜けるくらいのことはできるだろう。

 階下からまた派手な音が震動となって伝わって来る。少女らしい悲鳴の数々も添えて。


「そろそろダージェは一階に行った頃か……向かいの部屋にいるリルルを確保して、速やかに脱出を――」


 大きな寝台が中央に置かれている寝室を抜け、居間に通じているらしい扉の脇に張り付く。数秒待って気配がないことを確かめ、わずかに開けた扉の隙間から体をすり抜けさせて――。


「よう、ニコル」


 入ったと同時に、居間から廊下に抜ける扉が開いた。

 聞き知った声と、見知った姿をした少年が廊下に灯る照明の光を背に浴びて、そこにいた。


「なんだ、こんな夜も明けきらない時間に訪問とは、礼儀も作法も知らん奴だな。それに母親に教えてもらわなかったのか? 友達の家に遊びに行く時は、前以まえもて約束しておくように、って」

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