「皇子と騎士の、決着」

 ティコは泣いていた。


 リルルに抱きしめられながら眠るという、恥ずかしいは恥ずかしいがこれ以上もなく幸福な時間。そんな中でいきなり布団をがされ、部屋に踏み込んできたダージェが、起き抜けていたリルルを魔法で強引に眠らせたのもその理由のひとつだった。


 厳しい顔をしたダージェは狼狽うろたえるティコになにもいわずに立ち去り、昏倒したリルルを前にティコが半ば泡を噴くようにしている頃、階下からもの凄い轟音が震動となって響いて来た。


「リルル様ぁ、リルル様ぁ!」


 気絶しているリルルごと布団を被ってティコはその中で体を丸めて縮み上がり、なにもいってくれないリルルに抱きついてすがりの言葉を唱え続ける。今にも階下から誰かが押し込んで来るかも知れないという状況の中で、ティコができるのはそれくらいだった。


「リルル様、起きて、起きてください! 怖いです、怖いです、怖いです! リルル様、怖いです、怖いですから起きてください! リルル様、リルル様、リルル様……!」


 少年の祈りも届かず、リルルは深い眠りの中に沈み続ける。屋敷が縦に揺れる爆音や意味のわからない女の声、そして布団で遮ってもそれを貫いて聞こえてくる悲鳴が意識の中で縦に横に走る中、ティコはリルルに抱きついた状態で漏らさないようにするのが精一杯だった。



   ◇   ◇   ◇



 それぞれに剣を手にしたニコルとダージェは、屋敷の裏手の庭に出ていた。

 庭といっても背の低い草が一面を覆うだけの愛想のない場だ。ただ、決闘するには狭くはなかった。


「まだ暗いな。ニコル、この暗さで大丈夫か」


 十歩の間を置いて両者は向かい合った。互いに人を殺すには十分過ぎる武器を持っているが、双方に殺気はない。むしろ、今から共に遊び出すのではないかという気の緩みのようなものがあった。


「同じ条件ではあるから、問題はないよ」

「同じじゃねえだろ。俺とお前じゃ種族が違うんだ。俺の方が夜目が利くしな。ま、決闘の場が暗いっていうのも風情がないだろ。明るくするぞ」

「お願いするよ」

「任せとけ」


 左手の平を軽く上に向けたダージェが、口の中でニコルには意味を聞き取れない音を呟き始める。手の平の上で炎が灯るような音を立てて真っ白な光球がひとつ生まれ、それが浮かび上がったかと思うと見る見るうちに膨れ上がっていった。


 庭の全体を薄く照らせる高度でそれは止まり、月の光に似た真っ白な光を周囲に発している。今まで差していなかった影が二人の足から伸びた。


「ま、これで相手の顔くらい見られるな」

「ありがとう、ダージェ」

「どういたしまして。じゃ、やるか」

「うん」


 小さく微笑み合う二人がカチン、と剣の切っ先を小さく合わせ、一歩飛び退く。

 それが、殺し合いの始まりだった。



   ◇   ◇   ◇



 戦いは、おおよそ一方的だった。


「おいおい、どうした」


 五歩の間合いを開けての斬り結び。まずは肩慣らしのつもりで小さく突きを繰り出し続けるダージェは、それを受けるニコルの手数が明らかに足りていないことに片眉を歪めた。二者の中間で弾き合うはずの刃と刃が、もうニコルの肩近くまで寄っている。


 初手から押し込まれたニコルが顔を焦燥に表情を焼きながら一歩後退し、ダージェが五歩詰めるのに対して四歩下がる。大ぶりな刃をレイピアの細い刃が懸命に弾こうとするが、その動きに余裕が見られないのは誰の目からも明らかだった。


「島でやり合った時の鋭さが全然ねぇぞ。もうあっぷあっぷしてんじゃねえか、調子が悪いのか」

「……君を追いかけ始めてから、ほとんど寝てないんだ……」

「はぁ?」


 ダージェが雑にすくい上げた大ぶりにもニコルは剣を弾き上げられるだけだった。苦痛の声を漏らしてまたも足が下がる。


「なんだそりゃ。そんなの勝負になるわけねえよ。なんで来た」

「……君と戦いたくなかった理由のひとつさ。できるならリルルを連れ出すだけで退散したかった」

「――つまんね」


 ダージェの剣がまっすぐに振り落とされ、他に選択肢を失ってニコルが左手を切っ先にまで当てて横にした剣でそれを受け止める。細身の刃がへし折られるのではないかという衝撃をまともに受け止めてニコルの片膝ががくん、と落ちた。


 ダージェがひとつ気合いを入れて乱暴に押し込むと、足で衝撃を受け止めきれないニコルが背中から地面に転がる。明らかに隙だらけの相手に追撃を行う気をも削がれ、すぐさま立ち上がろうともがくニコルを見据えてダージェは細く長い息を吐いた。


「ニコル。お前、出直せ」


 地に膝を着き、手をついて立とうとしていたニコルが苦痛の表情でダージェを仰ぎ見る。


「とてもじゃないが、相手をする気になれねぇ。島でやり合った時のお前はすごくて正直、惚れちまいそうだったが、この体たらくはなんだ?」


 警戒を解いたダージェにニコルは斬りかかろうとするが、片方の膝を立てられない。杖にした剣で体を支えるのが精一杯だった。


「帰れ。今のお前じゃダメだ。帰ってからなぁ」

「……帰ったらもう、僕とリルルを会わせてくれないんじゃないのか」


 ダージェの目が、細められた。


「僕がリルルをここまで追ってくる執念を持っていると知ったら、もう君は、本当に強引な手段もいとわなくなるんじゃないのか」

「…………まあ、な」

「奇襲が成功するのは、最初の一回だけなんだよ……」

「失敗してるからいってやってんじゃねぇか」


 ダージェは犬歯を剥き出しにした顔で目をつぶった。愛する少女を追いかけてくるこの愚鈍ぐどんとも思える少年から幸せを剥ぎ取ることに心が責められる。


「ニコル、やめとけ。二度目も三度目も無駄だ。俺もそうだが、お前だってモテる方だろうが。そんだけ顔がよくて性格もいいとか正直嫌味だが、その気になればいくらだって女を囲えるだろ。リルルはあきらめてだな、他の女と……」

「――リルルとでなきゃ、ダメなんだよ」

「なんでだ!!」


 ダージェが吠えた。このとことん聞き分けが悪い少年にどうやっていい聞かせたらいいものか、言葉を選べなくなる。


「どうして、こんな危険を冒してまでリルルに食らいついてくるんだ!? リルルのためなら国も命も要らねえっていうのか! お前の頭は、本気で損得勘定できんのかよ!」

「君だって、魔界の王子として僕よりもよっぽど女の子と縁があるんだろう。なのに、何故わざわざリルルなんだい……」


 今度こそ本当に、ダージェが顔の全部を歪めた。


「僕は、同じ日に生まれて、同じ乳で育ったリルルを双子の兄姉きょうだいのように思ってる。そして、リルルを誰にも渡したくないから、今までがんばってきた……貧しい平民から騎士になり、いずれは、伯爵令嬢にも釣り合うようなそれなりの貴族に……そうしなければ……」

「馬鹿野郎が。さっさと駆け落ちする度胸がないからこんな目に遭うんだろうが。世間体ばっかり気にする小心者なんだよ、お前は。そんで魔界まで乗り込んでくる大馬鹿野郎なんだ」

「……そうだね。不器用なのは知ってるよ。本当に不器用だ、僕は……」


 杖にした剣に体重を預けながらも、その膝を震わせながらも、ニコルが、立ち上がった。半分しか開いていない目はその瞳孔が開きかけていたが、相手を見ようという意志を思わせた。


「――だから、こういう風にしか、生きられない……」

「クソボケが。死ね、いっぺん死んで賢くなってこい。アホ、バカ、マヌケ」


 ダージェの剣が手首だけで前に向けられる。レイピアを両手で握るニコルも、その切っ先の重さを必死に支えながら剣を向けた。


「心遣い、痛み入るよ……」

「バカは死ななきゃなおらんらしいからな。俺の手で殺してやる。行くぞ」

「ああ……」


 悲しみを払いながらダージェが気を練り、それを受けるようにニコルもまた自分の意志を燃やす。次の一撃で全てを終わらせる暗黙の了解が成立し、二人は全身の血の巡りを意識しながら、見えない力の流れを剣を握る手、その手で握る剣に集め始めた。


 そのままの対峙は何秒間、何分間続いたか、お互いにわからない。

 ただ、気の高まりが頂点に達した時が、仕掛ける頃合いタイミングだということはお互いにわかっていた。


 右の腰だめに腕を引いたダージェの剣の刃が、上を向く。それを見据えたニコルは、考えるよりも早く剣を大上段に振り上げた。胴体はがら空きになるが、それでも命と引き替えに相手の頭を叩き割る、双方共に必殺の構えだ。


 それを見たダージェの残念そうな呟きが、合図になった。


「バカが」


 二人の足が、地を蹴った。

 ダージェはニコルの腹に、ニコルはダージェの頭を狙って剣を構えながら駆けた。

 気が満ち、発して、接触するのに何秒という時間も要らなかったろう。


 二人の勝負は、刹那の瞬間で、着いた。


「ぐぅっ!」


 ニコルがダージェの頭に剣を打ち落とす前に、ダージェの剣がニコルの剣のつばをしたたかに打ち据えていた。ニコルの手から剣がもぎ取られるようにして飛ばされ、それは鋭い放物線を描いて地に落ちる。


 火山の火口が炎を噴くよりも激しい勢いに剣を奪われたニコルが唖然とする中、跳ね上げられたダージェの剣の刃が直角に捻られる。そして、その刃は落雷の鋭さでニコルの右肩に落ちた。


「づうっ!」


 刃の腹で強烈な打撃・・を受けたニコルが体の平衡バランスを破壊され、右膝をやわらかい地面にめり込まされる。間髪入れずに左肩にも同様の打撃が叩き落とされて、ニコルは三度の悲鳴を上げて今度は左膝をも着かされていた。


「俺の勝ちだ」


 喜びのない声で、ダージェが宣言した。


 ニコルの肩にぶつけられたままの刃が、少年の白い首筋にぴたりと当てられる。そのまま刃を前に押すか後ろに引くかすれば、ニコルの頸動脈けいどうみゃくはたちどころにその真っ赤な血潮が噴出する出口を得ることができるだろう。


「負けを認めろ、ニコル。そうしなければ俺は、お前を殺す」


 表情を消したダージェがいう。苦痛にあえぐニコルがわずかに開けられている片目で、そんなダージェを仰ぎ見る形となっていた。

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