「騎士と魔界皇子、斬り結ぶ」

 左手に海岸を望む白昼の海岸近く。人気ひとけもなく、大声を上げても誰かに届きようがないこんな場所で、ニコルを包囲ほういするように立ち上った青と黒の炎は、またたく間に人の形へと変貌へんぼうしていった。


 馬上のニコルとロシュを四方から囲んだ黒い影は、まさしく黒い外套ローブを頭からかぶった悪い魔法使いといった風貌ふうぼうだ。せた体をひょろ長く立たせ、影そのものでできた細い手を大きなたもとから出している。そして――フードの向こうには、顔がなかった。


 ニコルの真正面に立ち上った真っ青な炎もまた、人の形を取り始める――そこに現れた姿が自分の予想通りのものであったこと

に、ニコルは安堵あんどさえした。


「よぅ、色男」


 異形いぎょうの少年がそこにいた。


 背丈はニコルよりもやや高いくらい。青と紫の狭間はざまのような色をした肌、猛禽もうきんの羽毛のような髪、額から後ろにるようにして伸びた角状の三本の突起――うっすらと獰猛どうもうな獣の印象を見せながら、同時に少年らしい幼さも漂わせるその顔。


「君は……確か……」


 かたわらのロシュがうなずいた。兄がいおうとしていることが伝わっていた。


魔界皇子まかいのおうじとかいう、リルルの部屋をのぞいていた……」

「はぁぁ!?」


 最後の炎の欠片かけらを振るい飛ばした少年が大口を開け、顔をこれ以上はないというほどにゆがませた。


手前てめェ、なんでンなことを知ってんだよ!?」

「まあ、色々あってね」


 尖塔に幽閉ゆうへい同然に押し込められているリルルの部屋、そこを外からのぞき込むようにしていたこの異形の青年のさまはロシュがひそかに目撃していた。

 ロシュが見ていたその光景は会話の内容まで記録され、ニコルも見せられている――。


「俺がこんな風に現れてもビビりもしないとか、頭おかしいのか。神経が通ってないのか?」

「不思議なものに関しては色々触れているんだ。ご期待にえなくて申し訳ないね」

「わかんねぇ奴だ……小便チビッて逃げ出すだろうと思っていたのに……あのリルルと同類かよ……」


 不意を突いた派手な登場で度肝どぎもを抜いてやろうとした魔界皇子の方が、逆に困惑こんわくの色を見せている。今まで人間をおどかしたことは無数にあったが、ここまでかされたのは初めてだった。


「それで、当領地にどういうご用件かな。どうやらまねかれざるお客様のようだけれど」

「今まで手前ェを探していたんだよ」

「僕を?」

「そうだ。苦労したぜ。『准騎士ニコル』を探していても全然見つからねぇ。確認し直してみると貴族になったばかりっていうじゃねぇか。一ヶ月も空振りさせやがって」

「僕の責任じゃないと思うけれど、まあ謝っておこうか。それで、僕にどういう用があるんだい?」

「ちょっとツラ貸せや。リルルの所に一緒に行くぞ」

「へぇ……」


 その返答は、ニコルにかすかなおどろきの声を上げさせた。意外であることは確かだった。


「リルルに求婚してものの見事にフラれた君がいまさら、リルルになんの用なんだい?」

「殺すぞ!?」


 魔界皇子が腰の剣を抜き放った。体つきに比べて大ぶりな刀。切っ先に向けて刃が厚みを増す、かなり肉厚な刃だ。


「手前ェ、なんでそこまで色々と知ってるんだ! まるであの場にいたみたいじゃねぇか!」

「君に詳しく説明する必要は感じないな。まあ動機だけは知っておきたい。どうぞ」

「……いちいち調子外しやがって……このクソガキが……」


 魔界皇子は頭をきむしった。奇襲きしゅう主導権イニシアティブを取るつもりが完全に取られている。しかも自分よりチビな、子供のような領主にだ。


「……用件は簡単な話だ。リルルの前にボコボコにしたお前を連れて行く。そしてお前に自分はダージェ様に負けました、僕はリルルをあきらめます、とリルルに宣言してもらう。リルルはお前に幻滅げんめつして、俺のものになる。完璧な作戦だな」

「ダージェとは君の名前だったっけ」

「今、ここで選びな。大人しくいうことを聞けば、ボコるのは顔だけにしてやる。拒否きょひしたら、全身半殺しで連れて行く。どっちが得かはわかるだろう――どっちにする?」

「僕がリルルを諦めるなんていう選択肢はないよ」

「やっぱりバカだったか。ま、いい。ちょっと手間が増えるだけだ――おい、そこの召使めしつかい」

「私でしょうか」


 顔色のひとつも変えていないロシュが応えた。


「お前も結構、頭の神経があちこち切れてるみたいだな。お前、向こうの人気のないところに行ってろ。俺は女に優しいんだ。後で可愛がってやる――といいたいところだが、リルル以外はしばらく抱かないことにしたからな。大人しくここから立ち去ったら見逃みのがしてやる」

「ロシュ、向こうに行くんだ。わかってるね・・・・・・

わかっています・・・・・・・、ニコルお兄様」


 ニコルがまたがる馬のくつわから手を離し、ロシュは銃の山の方にゆっくりと歩を進めた。


「お前の妹か? 兄妹そろって本当に変わった奴等だな……まあいいや。しゃべれる程度には手加減してやるが、もう二度と女は口説くどけない顔になるからな。今のうちに自分の顔と名残を惜しんでおけよ」

「本当に運が悪いね……」


 ニコルは馬から降り、その尻を手の平でたたいた。ロシュが向かった方向に馬は小走りでけていく。


「はっ、最悪だな。顔だけの色男が、もう顔すらなくなるんだ。同情するぜ。さっきまでいたあのチビのエルフ、あいつはそこそこやりそうな気配がしたから、お前たちだけになるのを待ってたんだ。領主が自分の領地で頼みとなる家来もいないとか、最高に不運だよなぁ?」

「いや、最高に運が悪いのは――」


 黒い外套の影たちが、ニコルが逃げられないように間合いをひとつ、詰める。その真ん中に立たされたニコルは剣も抜かずに、いっていた。


「君たちの方だよ」

「は――――」


 魔界皇子が、その発言に問いかける間もなかった。


 ギンッ!!


 突如とつじょ、一条の青い光が全員の目を焼くようにひらめいたかと思うと、黒い影が矢よりも速い速度で一直線に宙を走った閃光の柱によって、横っ腹にぶち当てられていたからだ。


「な……」


 黒い影が光にへし折られ、半身に別れながら吹き飛ぶ。半瞬後に灼熱した鉄塊を水たまりに放り込んだようなジュッ! という音が走って来た。


「なんだァ――――!?」


 配下の一人が声もなく千切ちぎれらたのを目撃して、魔界皇子が絶叫ぜっきょうする。続いてもう一人の影が、同じ方向から細くたばねられた炎のシャワーをまたも横っ腹にたたきつけられ、一秒とたずに穴だらけにされてその場にくずれ落ちた。


「ふ、伏兵ふくへいか!? こんな見通しのいい場所に、手下を隠せておけるはずが――!」

「隠せるはずないよ。だから運が悪いといったんだ」

「なにィ――――」


 光の柱と炎の雨が文字通りの横殴りに降ってきた方向に、魔界皇子は目を向けた。


 二百メルトほど離れた波打ちぎわ召使い・・・と思っていた少女がそこにいた。そして魔界皇子は、その少女の腕が人間のものではないものに変貌へんぼうしているのを認め――それが火をいたのを視た・・


「ぐわあ!」


 再び巨大にひらめいた光にせた魔界皇子の頭上を擦過さっかして、灼熱しゃくねつの塊である柱が空気を焼きくす。それは目にも止まらぬ速度で二百メルトの距離を半秒で飛び、三人目の影の上半身に直撃し、触れる側から全てを蒸発じょうはつさせた。


「なんだぁ、あの娘!!」

「ロシュは、素手すでの僕なんかおよびもつかないほど強いんだ――知らなかったかい?」

「知るわけねぇだろ!!」

「ニコルお兄様、もう一人の影もロシュが牽制けんせいします。お兄様は」

「ありがとう、ロシュ。この人との手出しは不要だよ。僕は貴族であると同時に、騎士だからね」


 顔中に脂汗が流れる魔界皇子の前でニコルは左腕に銀色の腕輪をめ、腰のレイピアを抜いた。


「一対一だ。君は魔族らしいから、こちらも力の補助はさせてもらうが、公平というものだよね」


 ロシュの牽制けんせいを受けて動けない配下の位置を把握はあくしながら、魔界皇子は片手で握る剣の切っ先を軽く向けてくるニコルを正面にとらえる。

 自分よりも身長が低いはずの少年から静かに漂ってくる冷たい気迫が、実際の背丈よりも頭一つは大きく見せてくれていた。


「俺は……結構危ねえ相手に勝負をいどんじまってたようだな……」


 魔界皇子の心の中で、目の前の少年に対する印象が塗り替えられる。魔族の少年の口元に笑いが浮かんだ。


「なるほど、確かにあのリルルがれるような相手だな。それは認めてやるぜ、ニコル」

「ありがとう」


 二人は示し合うことなく、本能のままに軽く切っ先同士を打ち合わせる。

 ――戦いが始まった。

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