「駆け引きと、決着」

 剣と剣が激しくぶつかる音が、平穏そのものだった島の一角で鳴り響く。ニコルと魔界皇子まかいのおうじは互いを見据みすえながら並走するかのように走り、全力の剣を合わせていた。


 全くの同速度、同方位にけてぴたりと同じ間合いを保ち、相手のすきと思われる点に剣をり出し合う。

 切っ先と切っ先、刀身と刀身、つばと鍔が、激しい衝撃と金属音を響かせて混じり合った。攻撃も的確であれば防御も的確な双方の剣技に、ほとんど差はない。


「――すげぇな、お前!」


 やいば旋風かぜの中で魔界皇子が笑う。ニコルが突き出すレイピアの嵐が幾度いくど皮膚ひふをかすめ、髪の先端さえも切る。そのたびに肌の全てに冷たい汗が浮き、火照ほてる体を冷たくらすが、それさえも魔界の少年には快感だった。


「人間でここまでデキる奴とやったことはねぇ! こえぇ! 怖ぇな! こんなにゾクゾクするのは初めてだ! 女とヤってる時よりも気持ちいいな!」

「――めていただくにはおよばないよ! これでもズルをしているからね!」


 ニコルもまた、魔界皇子の刀身の冷たさを何度も肌に受けていた。刃に触れぬほんの紙一重を見切りながら体を動かし、最低限の立て直しで反撃に移るには、そんなあやうい戦法をとるしかない。剣が振り回され、突き出される風圧が顔にぶつかる度に、生と死の狭間をる。


 それを装着する者にすさまじい力を与える『銀の腕輪』、人ならぬ者の来襲らいしゅうに備えてニコルがフィルフィナから借り受けていたものであり、その力は個人で万の軍隊を敵に回しておとらない――。


「……そんな物で力を底上げしているのに、こんな体たらくなんだ!」


 ニコルは自分が事態を楽観視らっかんししていた、し過ぎていたことを今、ようやく知った。


「ああ、人間にここまでの動きはできねぇ! 魔法の道具を使っているんだろうが、武器の優秀さは立派な戦力だ――気に入った、お前を気に入ったぞ! 魔界の王位継承第一位の俺がこういうんだ! 栄誉に思えよな!」

「それは、素直に思わせてもらおう!」


 二人は開けた平野から、島中央に近い林に向かって飛び込んでいく。木々が障害物しょうがいぶつとなり、走りながらのり結びが途絶えた。二分の間、ほとんど全力で剣を振り受け合う疲労が二人の体、それ以上に、極度の緊張をいる精神に、きしむような痛みを食い込ませていた。


 林の中で傾斜を流れる小川が、二人の疾走しっそうの終着点だった。


「――ふぅ、ふぅぅ…………!」

「はっはぁ!!」


 二人が土の地面に足を置いた。正面に相手をとらえ、剣を青眼せいがんに構えて間合いを探る。口を開いて荒い息をき出し、にらみ合う――。


「くっそ、思わず本気を出しかけちまったじゃねぇか。――ニコル、降参しろ。そもそも俺はお前を殺したくないんだよ」

「僕が邪魔なんじゃないのか。よくはわからないが、君はリルルを欲しているんだろう」

「ああ、欲しい。お前がうらやましいぜ、あんな可愛い女と色々できてな」

「……じゃあ、何故僕を殺そうとしない。いくつかの瞬間で君は手を抜いていたのはわかってる」

「何故って、お前、そういうところは頭のめぐりが悪いんじゃねぇか? リルルの前にお前の首を持っていったらどうなると思う? リルルは俺をにくんでうらんで終わりだ。最悪の方向だろうが」

「――君くらいの立場だと、人の心をあやじゅつのひとつやふたつは使えるんだろう。何故それをあの晩に使わなかったんだ」

「……お前、本当になんにもわかってねぇな。お前がその魅了チャームの術を使えたとして、それでリルルの心を操って、だ」


 子供っぽさを残す笑みを、魔界の少年はにたりと浮かべた。それに思わず親しみを覚えそうになったニコルは、奥歯をみ直して首を振った。


「自分の意志をなくしたリルルの体を自分の思い通りにして、お前、なんかひとつでも嬉しいか?」

「――――」

「お人形さんを抱いて喜ぶ趣味はないんだよ。お前をしたっているリルルの心を奪いたいんだ。本心から私をあなたにあげますといわせてぇ。そのためには色々と作戦がいるんだよ、作戦が」

幻滅げんめつをさせようというのがその手段か。なるほどよくわかったよ、……マズいな、君のことが好きになりそうだ」

「気色悪ィ。……といいたいところだが、俺もそんな気分だ。リルルのことがなければお前とダチになってもいいんだが、巡り合わせが悪いな。こればっかりはしゃーねぇ」

「君が憎めない人物だというのはわかった。しかし、君にリルルを渡すことはできない」

「ま、そうだろうな――」


 双方に、再び打ち合う気力が満ちる。動きが制限されるこの林の木々の中でどう相手を倒そうか、二人の頭の中で計算が回り出す。


「――んじゃ、そろそろ切り札を出させてもらうとするか!」

「!?」


 ニコルの目がおどろきに見開いた。ニッと笑った魔界皇子が勢いよく体を前にかがませると、背中の服が内側から派手に破られ――広げた両腕の長さをはるかに超える長さの翼が現れたのだ。


 それはまさしく翼だった。蝙蝠コウモリの――いや、の翼だ!


「これも俺の能力のうちなんだ! 悪ぃな!」

「く――――!!」


 砂、土、葉を巻き上げながら翼が地面をたたく。ニコルが斬りかかったその時には、魔界皇子の体は地上にはなかった。打ち出されるように木々の上にまでび上がり、剣を持つ反対の手が突き出される。


「大丈夫だ、殺しゃしねえよ! 半殺しにするだけだ!」


 突き出された手の平の前、無数の幾何学模様きかがくもようがびっしりと刻まれた紫の魔法陣まほうじんが、盾か何かのように浮かび上がる。一秒の間を置き、その魔法陣の中心から黄金の稲光いなびかりがニコルに向かってびた。


「づぅっ!」


 青白い光を帯びたニコルのレイピアが、雷撃らいげきそのものの光を受ける。引力とも磁力じりょくともつかない力で紫電しでんを受け止めた剣を握る――柄を通して、凄まじい震動が伝わってくる!

 骨のずいを揺さぶられてニコルは、体に突き刺さって来る痛みに全ての神経をゆがませた。


「くぅぅ――――!!」


 苦痛の中で剣から片手を離し、腰から拳銃を抜き放って天に向ける。半秒の抜き撃ちが拳銃から発射炎と発砲音をき出させ、螺旋らせんの回転に導かれた弾丸が、うなりを上げて空気の層をつらぬいた。


「ふん!」


 魔界皇子はその銃弾を胸で受けた。銃弾は厚い布地を確かに穿うがって吸い込まれたが、拳銃弾を撃ち込まれても少年の顔には苦痛の一滴も浮かばなかった。


「そんな弾で死んでやっていたら、魔界の王子はつとまらねぇよ!」


 手の平からほとばしる電撃が途絶える。剣でその攻撃をしのぎきったニコルが、うめきをらしながらその場に片膝を着いた。痛みに変わった見えない紫電が、パリパリと体中を駆け回る。


「おいおい、いい顔してくれんなよ。男のくせに色っぽいじゃねぇか。変な趣味しゅみに目覚めさせんなよ」

「ぐぅ…………」

「なかなか効いたろ。飛び道具が限られてるお前には卑怯ひきょうかも知れんが、ま、これも戦術ってやつだ――。ああ、お前、苦しい芝居をして、俺を地上に降ろそうとしているのは見え見えだぞ。まだそんなに本気を出してねぇんだ。ここからお前が参ったというまで攻撃させてもらうからな」

「……君にはかなわないな……」

「そろそろを上げてくれよ。なんかの拍子ひょうしで殺したくはねぇからさ――といっても、無理だな」


 った肩をほぐすかのように魔界王子は剣の腹で自分の肩を叩いていた。


「お前は意識がある限りがんばろうとする奴だ。いい具合に意識をなくすっていうのは難しいんだが、やるしかねぇか。あの影がねばれるのも、そう長くなさそうだしな」

「…………」

「頼むから死んでくれるなよ。俺は力の加減っていうのは慣れてないんだ」

「……ちょっと待ってほしい」


 うつむいたニコルが、戦慄わななきながら片手を小さくげた。


「お、わかってくれたか?」

「少し、時間がほしいんだ……一分でいいから……」

「あのバケモノ女が来るのを待ってるのか。影が時間をかせいでくれてるから、二分はかかるだろ。お前にしてはちょっとコスい手段だったな。悪ぃが待てねぇ。んじゃ、そういうことで覚悟を――」

「――決めるのは、あなたの方ですよ!」


 魔界皇子が顔を跳ね上げた、それは島の中央の方角――背中の方から聞こえて来た声だったからだ。

 空に浮かぶ少年の本能が、自分の頭を後方にらさせる。十分の一秒前にそこに頭があったところを、超音速の矢が凄まじい衝撃波を引きずりながら駆け抜けた。


「いてぇ!!」


 顔面にまともにむち打たれたのと同じ打撃を受け、魔界皇子がよろめく。続いての第二射が広げられた翼の端、鋭く伸びた爪を弾き飛ばしていた。


「なんだ手前てめェ――――!!」

「――飛び道具はわたしの一族のお手の物でしてね! この島には蝙蝠人間はお呼びでないのです! 速やかに立ち去っていただけませんか!」


 三百メルトは離れている大木、その木の枝の上に一人のメイド服の少女の姿があった。第三射の矢を弓につがえ、げんを引きしぼねらいをぴたりとつけている。


「なんで手前ェ、ここで戦ってるのがわかった! 島の奥に引っ込んでいたはずだ!」

「――僕が君を撃った拳銃、その本当の意味がわかってないのかい?」

「なん……!?」


 立ち上がったニコルの言葉に、魔界皇子は顔を歪めた。


「……あれは俺を傷つけるためじゃなく、このエルフ女を呼び寄せるためのものか!」

「わたしたち一族の聴力をあなっていただいては困るのですよ。それはもう、書いていた字を書きそんじるくらいに驚くほど聞こえました。――この平和な島に発砲音を響かせるとか、なんて悪質な悪魔でしょう。ニコル様、こんなのは叩っ斬って問題ありません。罪には数えられない相手です」

「魔界の住民は悪魔じゃねぇよ! この差別主義者が! 死ね! それにニコル! これは一対一の勝負じゃねぇのか!」

「たまたま一対一になっただけだ。決闘の作法も守っていないから問題はない。そもそも最初、五対一で僕を囲もうとしたのは君たちの方だ」

「……途中から一対一だったろうが!」

「――ニコルお兄様、お怪我はありませんか!」


 魔界皇子の歯噛みがさらに強くなった。海岸の方から走ってくるロシュの姿が認められたからだ。

「くそ……! 足止めも……!」

「これで三対一だ、君に勝ち目はない」


 ニコルはまだ紫電が残っている前髪を払った。そして、領主としての威厳いげんを整えるようにして、いっていた。


「魔界皇子。大人しく降伏するんだ。命までは取らない」

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