「妖狐アヤカシとニコルのおしごと」
こぞ、ごぞごぞとつづらが小さく、断続的に
「わぁ!」
蓋が開けられた勢いにつられるように、中から二人の子供が飛び出す。二人とも五歳か六歳かの男の子。共通していない大きな点があるとすれば一人は人間の子供であり、もう一人は犬の顔をした獣人の子供であるということだった。
「――まぁたお前たちか。
「アヤカシさま、こんにちは。おはようございます。ぼくたちかくれんぼだったんだよ」
「ここに来てはならんとも前にいったであろう? しようのない
アヤカシ様、と呼ばれた少女は大きく息を
そんなアヤカシの尻尾を踏まないように忍び足をした子供たちが、少女の隣にちょこんと座る。
「なんじゃ、
「ううん、朝ごはんは食べたよ」
「ここに来てぼくたち、お腹いっぱい食べられてる。お母さんも顔色よくなった。しあわせ」
「お前たち、王都ではひもじい思いをしていたようじゃのー」
びっしりと並ぶツギハギや
「アヤカシさま、聞きたいことがあるんだけど」
「年齢と体重以外ならなんでも答えるぞ。なんじゃ、いってみよ」
「アヤカシさまって、なんのおしごとしてるの?」
椀を口につけて麦雑炊をすすっていたアヤカシの手が、止まった。
「……何故にそんなことが気になる?」
「だってみんないま、おしごとしてるよ」
「はたけしごととかー、海でさかなとったりとかー」
「アヤカシさまだけ、おひさまのぼってもくぅくぅねてる。おひるまでねてたりしてるし」
「よく見とるな、お前たちは」
ひとつ
「よいか。お前たちは日が落ちるとどうする。起きとるのか」
「ううん、ねるー」
「明かりもったいない。ぐーぐーねるよね」
「妾の仕事は夜になってからじゃ。お前たちが見ないのも仕方ない」
「夜に? どんなおしごと?」
「どんな仕事かはいえん。まだお主らには早すぎる」
「そうなの?」
「あと十年もすればわかる。その時はお主らも妾に『仕事』をしてもらいたくなるであろう」
「むずかしいおしごと?」
「難しい。大人と大人であらねばできぬことじゃ。じゃからお主らが大人になったら教えてやろう」
「おとなってなんさいくらい?」
「ニコルの歳じゃ。あやつ、確か十六であったろう」
「領主さまのとしかー」
「さあ、わかったら早く帰るのじゃ。あと、くれぐれもいっておくぞ。お前たちはここに来てはいかん。ここは本当は大人の男しか来られぬ所なのじゃ。お前たちのような
「うん、わかったー」
「じゃあぼくたち帰る。アヤカシさま、また来るからねー」
「なんにもわかっとらんではないか」
二人の男の子は連れ立ち、
鉄瓶を再び起こした火にかけてお茶の用意を始めたころ、第二の訪問者がやってきた。
「おはようございます、アヤカシ様」
「おお、ニコルか。入ってよいぞ」
「なにをそこでモタモタしておる。中に上がれ上がれ。今ちょうど茶の
「はい……」
自然な動作でアヤカシが座布団を出し、少しためらってからニコルは庵の板間に上がり込んだ。
「お主もマメじゃのぅ。妾の顔を毎朝見に来てくれるとは、嬉しいぞ」
「アヤカシ様には無理をいってきてもらいましたから。それに民の顔を見なければならないというのは、父上からいただいた言葉です」
「父上、か。お主も複雑な立場におるのぅ。その襟の
「……アヤカシ様」
「わかっておる。それもお主の人物故であることはな。二週間、この島で暮らしてみて納得したわ」
二つの湯飲みに小さな筒から緑の粉末を
「誰も、お主がその可愛い顔と尻で主君をたらし込んだとか思わぬわ。この島の民であればな」
「……ありがとうございます、そういっていただければ」
膝の前に出された湯飲みを抱え、ニコルはそれに口をつけた。ほどよい苦みが口の中に広がる。
「お主も複雑な気分ではないのか。自分の領地に最初にできた店が、
「はあ……」
持った湯飲みを手で
「
「早めに要望が上がってくれて、助かりました。おかげで今は平穏にすんでいます。ですがアヤカシ様」
「うん?」
「アヤカシ様はこんな島に来てよかったのですか?」
「連れてきた人間の
茶を飲み干し、アヤカシは小箱から取り出した
「王都の
煙草に火をつけ、ひとつ吸う。小さな口が開いてぷかり、と薄い煙を吐き出した。
「ですが、ここに来て同じ仕事を……」
「他人とまぐわうのは嫌いではない。愛がないのは
ぱ、と口を開くと煙が輪となって吐き出された。
「妾が人と接するための唯一の方法のようなものじゃな。だから妾はここで独り者の男の面倒を見てやる。こうも狭い土地であれば顔なじみになるしかない。無茶を強いる男もおらんでな。……荒々しいのが男の証明だと
煙管を囲炉裏に打つ。燃え尽きた煙草の灰を出し、再び新しい煙草を詰めだした。
「それにしても客足が早すぎるぞ。一ヶ月に切符は一人四枚のはずじゃったろ。対象の独身男は四十人。百六十枚を
「切符には僕とアヤカシ様の
「じゃが、もうこんなに使われておるぞ」
アヤカシは、板間の隅の小さな化粧台の引き出しから紙の束を取り出し、ニコルの前に置いた。ニコルはその束の厚さに顔を
「百四十枚はある。二週間でこんなに使われているということは、妾が一日平均何人の面倒を見ているか、簡単な計算であろう」
「…………」
ニコルの顔を複雑な色が
「いっておくが、追加発行はせんぞ。安売りもしたくはないし、妾も体が
「結構です!」
顔を真っ赤にした少年領主が火を
「まだまだお子様じゃのう、お主は。世の色々なことを知らんといい領主にはなれんぞ」
「は、はあ……」
手を
「僕は次の視察に向かいたいので……なにかご不満があれば、今のうちに聞きたいのですが」
「不満か。……ふむ、あるといえばある」
腕を組んで考える仕草を見せたアヤカシを前にして、ニコルが体を乗り出した。
「どうぞ
「ああ、ニコル、お前にしか解決できんことじゃ。なに、解決するのは
「それは?」
「それはな……」
「それはな、お前が毎夜、妾の元に通ってくれんことじゃ~!」
「うわぁ!」
「最初にいうたではないか、領主特権としてお主は特別に
「アヤカシ様、危険です、危ないです、どうか
「退いてやらんわ! まったく、
「なんなんですか、それは!」
「これは、価値なしと放置された童貞ではない、己の意志で
「
「なんじゃ。この幼い姿ではお前の好みではないか? では、この姿ならどうじゃ?」
アヤカシが
「いぃ――――!」
ニコルの顔が引きつった。
自分に
変わったのは背丈だけではなく、顔つきも体型さえもが背が伸びた分格段に大人っぽさを増していた、子供に見えなかった外見が、今度は
「ふふふふ……! 普段は小さな姿の方が楽だからああはなってはいたが、こちらが妾の真の姿じゃからのぉ。どうじゃニコル、色っぽいであろう、情欲をそそるであろう。どうじゃ、妾を抱きたくなったかの~?」
「い、いけません、アヤカシ様。退いてくれないと、大変なことに」
「おうおう、これからいけないことをするんじゃ、大変なことをするんじゃ。布団を
「全然すぐじゃありません! 僕が大変なことになるというのは――」
ニコルの
一発の乾いた破裂音が屋外で響き、その
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