「妖狐アヤカシとニコルのおしごと」

 こぞ、ごぞごぞとつづらが小さく、断続的にねるようにして動く。少女はハッとなにかを思いつき、鉄串てつぐし囲炉裏いろりに投げ込むようにして突き刺すと、つづらにけ寄ってそのふたを、一気に引き開けた。


「わぁ!」


 蓋が開けられた勢いにつられるように、中から二人の子供が飛び出す。二人とも五歳か六歳かの男の子。共通していない大きな点があるとすれば一人は人間の子供であり、もう一人は犬の顔をした獣人の子供であるということだった。


「――まぁたお前たちか。一昨日おとついここに入った時にいったじゃろう。これに二度と入るなと」

「アヤカシさま、こんにちは。おはようございます。ぼくたちかくれんぼだったんだよ」

「ここに来てはならんとも前にいったであろう? しようのないわらべたちじゃのぅ」


 アヤカシ様、と呼ばれた少女は大きく息をくと、囲炉裏の前に座り直し、鉄瓶てつびんの中にさじを入れ、わん麦雑炊むぎぞうすいをよそい始めた。

 そんなアヤカシの尻尾を踏まないように忍び足をした子供たちが、少女の隣にちょこんと座る。


「なんじゃ、はよう帰らんか。わらわはこれから朝餉あさげるのじゃ。それともなにか、お前たち腹でもいたのか。朝は食わせてもらえなかったのか?」

「ううん、朝ごはんは食べたよ」

「ここに来てぼくたち、お腹いっぱい食べられてる。お母さんも顔色よくなった。しあわせ」

「お前たち、王都ではひもじい思いをしていたようじゃのー」


 びっしりと並ぶツギハギやつくろい跡が模様のように残る、子供たちのシャツやズボン。それもきっと年長の子供からのお下がりであろうことは、容易に想像がついた。


「アヤカシさま、聞きたいことがあるんだけど」

「年齢と体重以外ならなんでも答えるぞ。なんじゃ、いってみよ」

「アヤカシさまって、なんのおしごとしてるの?」


 椀を口につけて麦雑炊をすすっていたアヤカシの手が、止まった。


「……何故にそんなことが気になる?」

「だってみんないま、おしごとしてるよ」

「はたけしごととかー、海でさかなとったりとかー」

「アヤカシさまだけ、おひさまのぼってもくぅくぅねてる。おひるまでねてたりしてるし」

「よく見とるな、お前たちは」


 ひとつうなり、アヤカシは椀の中の雑炊を全部すすり込んだ。お代わりには手をつけず、椀を床に置いて子供たちに体を向ける。


「よいか。お前たちは日が落ちるとどうする。起きとるのか」

「ううん、ねるー」

「明かりもったいない。ぐーぐーねるよね」

「妾の仕事は夜になってからじゃ。お前たちが見ないのも仕方ない」

「夜に? どんなおしごと?」

「どんな仕事かはいえん。まだお主らには早すぎる」

「そうなの?」

「あと十年もすればわかる。その時はお主らも妾に『仕事』をしてもらいたくなるであろう」

「むずかしいおしごと?」

「難しい。大人と大人であらねばできぬことじゃ。じゃからお主らが大人になったら教えてやろう」

「おとなってなんさいくらい?」

「ニコルの歳じゃ。あやつ、確か十六であったろう」

「領主さまのとしかー」

「さあ、わかったら早く帰るのじゃ。あと、くれぐれもいっておくぞ。お前たちはここに来てはいかん。ここは本当は大人の男しか来られぬ所なのじゃ。お前たちのようなわらべが来たと知れたら、父母が怒るであろう。秘密にしておくのじゃぞ」

「うん、わかったー」

「じゃあぼくたち帰る。アヤカシさま、また来るからねー」

「なんにもわかっとらんではないか」


 二人の男の子は連れ立ち、いおりを裸足で出ていった。アヤカシははあ、と息を吐いてから鉄瓶の残りの雑炊を平らげ、外の石桶の水道で鉄瓶を洗い、中に水を入れてまた庵に戻る。


 鉄瓶を再び起こした火にかけてお茶の用意を始めたころ、第二の訪問者がやってきた。


「おはようございます、アヤカシ様」

「おお、ニコルか。入ってよいぞ」


 障子しょうじの扉が開くと、剣を腰に差した軍服姿のニコルが顔を見せた。


「なにをそこでモタモタしておる。中に上がれ上がれ。今ちょうど茶の支度したくをしておる。飲んでいけ」

「はい……」


 自然な動作でアヤカシが座布団を出し、少しためらってからニコルは庵の板間に上がり込んだ。


「お主もマメじゃのぅ。妾の顔を毎朝見に来てくれるとは、嬉しいぞ」

「アヤカシ様には無理をいってきてもらいましたから。それに民の顔を見なければならないというのは、父上からいただいた言葉です」

「父上、か。お主も複雑な立場におるのぅ。その襟の徽章きしょう、有翼の獅子の意匠デザインは妾とて知っておる。ゴーダム家のゆかりの者であることを示すものであろう。平民の出であるお主がよくもまあ、公爵家の当主に気に入られたものじゃ」

「……アヤカシ様」

「わかっておる。それもお主の人物故であることはな。二週間、この島で暮らしてみて納得したわ」


 二つの湯飲みに小さな筒から緑の粉末を小匙こさじで放り込み、その上から鉄瓶の湯を注ぐ。


「誰も、お主がその可愛い顔と尻で主君をたらし込んだとか思わぬわ。この島の民であればな」

「……ありがとうございます、そういっていただければ」


 膝の前に出された湯飲みを抱え、ニコルはそれに口をつけた。ほどよい苦みが口の中に広がる。


「お主も複雑な気分ではないのか。自分の領地に最初にできた店が、こういう店・・・・・であるとは」

「はあ……」


 持った湯飲みを手でもてあそびながら、ニコルは返答にこまった。


堅物かたぶつのお主にしたらおどろいたことであると思うが、これも当然の結果じゃ。大人の男ども、連れ合いがおる者はまあいいが、おらん者は情欲じょうよくをどうしても持てあます。しかしこの閉鎖された島では、それを晴らす方法がない。まった鬱憤うっぷん矛先ほこさきが女どもに向かったら――まあ大変なことになるの」

「早めに要望が上がってくれて、助かりました。おかげで今は平穏にすんでいます。ですがアヤカシ様」

「うん?」

「アヤカシ様はこんな島に来てよかったのですか?」

「連れてきた人間の台詞せりふとしてはおかしいが、ま、いいかの。妾も王都で働いていた店をちょうどめたところで、行き先を迷っておった。故郷の古いやしろが台風で全壊ぜんかいしたのを再建するためにった借金、それを完済かんさいするまでに時はかかったが、妾の寿命の長さでは特に大きな問題ではない」


 茶を飲み干し、アヤカシは小箱から取り出した煙管キセルを手にして、中に刻み煙草を詰め始めた。


「王都のさわがしさもきたし、どこか静かな所にきょを移そうと思っておった。故郷の島に帰るという選択肢もあったが、社を再建するために妾が春をひさいでおることを知っている者もおってな……せま界隈かいわいじゃ。世間体せけんていというものもある。そこでたまたま来たお主の誘いに乗った」


 煙草に火をつけ、ひとつ吸う。小さな口が開いてぷかり、と薄い煙を吐き出した。


「ですが、ここに来て同じ仕事を……」

「他人とまぐわうのは嫌いではない。愛がないのは御免ごめんじゃがな。妾の上で肌を重ねた男が果てる時に見せる顔、可愛かわゆうて頭をでてやりたくなる時もある。そして妾は子ができん宿命じゃ。アヤカシという名前は伊達だてではない。妖怪のたぐいであるからな」


 ぱ、と口を開くと煙が輪となって吐き出された。


「妾が人と接するための唯一の方法のようなものじゃな。だから妾はここで独り者の男の面倒を見てやる。こうも狭い土地であれば顔なじみになるしかない。無茶を強いる男もおらんでな。……荒々しいのが男の証明だと勘違かんちがいして、妾に体を乱暴にぶつけてくる奴もいるが、それはまあ許そう」


 煙管を囲炉裏に打つ。燃え尽きた煙草の灰を出し、再び新しい煙草を詰めだした。


「それにしても客足が早すぎるぞ。一ヶ月に切符は一人四枚のはずじゃったろ。対象の独身男は四十人。百六十枚をいた計算じゃ」

「切符には僕とアヤカシ様の拇印ぼいんが押されていますから、偽造ぎぞうはできないはずです」

「じゃが、もうこんなに使われておるぞ」


 アヤカシは、板間の隅の小さな化粧台の引き出しから紙の束を取り出し、ニコルの前に置いた。ニコルはその束の厚さに顔をゆがめる。自分とアヤカシの手で発効した『切符』の半券だった。


「百四十枚はある。二週間でこんなに使われているということは、妾が一日平均何人の面倒を見ているか、簡単な計算であろう」

「…………」


 ニコルの顔を複雑な色がめた。


「いっておくが、追加発行はせんぞ。安売りもしたくはないし、妾も体がたんしな。王都の店で働いていた時、調子に乗って一日三十人の客を取ったことがある。話を聞きたいかの?」

「結構です!」


 顔を真っ赤にした少年領主が火をく勢いで叫ぶ。それにアヤカシは耳と尻尾を揺らして喜んだ。


「まだまだお子様じゃのう、お主は。世の色々なことを知らんといい領主にはなれんぞ」

「は、はあ……」


 手をたたいて喜ぶアヤカシを前にして、ニコルは体を縮めるだけだった。目の前の少女が見た目などでは全く当てにならない時間を生きている女性であることは知っている。しかし、幼すぎるその外見にどうしても意識が引っ張られてしまうのだ。


「僕は次の視察に向かいたいので……なにかご不満があれば、今のうちに聞きたいのですが」

「不満か。……ふむ、あるといえばある」


 腕を組んで考える仕草を見せたアヤカシを前にして、ニコルが体を乗り出した。


「どうぞおっしゃってください。僕で解決できることであれば、何でもします」

「ああ、ニコル、お前にしか解決できんことじゃ。なに、解決するのは造作ぞうさもないこと。それは」

「それは?」

「それはな……」


 刹那せつな、ニコルの脳裏にひらめくものが走った。しかしその時には、少女の目から狩人かりゅうどのそれに変わったアヤカシが、まさしくけもの俊敏しゅんびんさで飛びかかっていた。


「それはな、お前が毎夜、妾の元に通ってくれんことじゃ~!」

「うわぁ!」


 けようとニコルが身をひねるが、狭い庵の中で体を動かす余裕などない。不意を突かれたニコルを押し倒したアヤカシが真っ赤な舌を出し、わかりやすいくらいの舌なめずりをして見せた。


「最初にいうたではないか、領主特権としてお主は特別に無料ただにしてやると。それが何故に一度も通うてくれんのじゃ? 妾はな、お主が来てくれるのを首を長うして待っておったというのに~!」

「アヤカシ様、危険です、危ないです、どうか退いてください!」

「退いてやらんわ! まったく、美味おいしそうな匂いをいつもぷんぷんさせおって! ああ、いい匂いがするの~! このほのかに青臭い香りがたまらんわ! これはたっとく清い童貞の匂いじゃ~!」

「なんなんですか、それは!」

「これは、価値なしと放置された童貞ではない、己の意志で困難こんなんをはね除けながら、必死に守り通している童貞の匂いじゃ! のぅ、お願いじゃ。妾をそなたの初めての女にしてくれんか! その崇高すうこうな童貞をいただく栄誉えいよに預かりたいのじゃよ!」

おっしゃってる意味がわかりません!」

「なんじゃ。この幼い姿ではお前の好みではないか? では、この姿ならどうじゃ?」


 アヤカシがたもとから一枚の葉っぱを取り出し、自分の頭の上に乗せて何事かをつぶやく。次の瞬間、ぼふんと弾む音が鳴り響きアヤカシの姿が白い煙に包まれ――数秒後にはそれも雲散霧消うんさんむしょうした。


「いぃ――――!」


 ニコルの顔が引きつった。

 自分におおかぶさっていた幼児、小柄なニコルよりも小さな体だったはず・・のアヤカシが、今度はニコルよりも確実に頭ひとつ以上は背丈のある、長身の姿となっていたからだ。


 変わったのは背丈だけではなく、顔つきも体型さえもが背が伸びた分格段に大人っぽさを増していた、子供に見えなかった外見が、今度はすさまじい色気を放つ妖艶ようえんな美女の姿に変貌へんぼうしていた。


「ふふふふ……! 普段は小さな姿の方が楽だからああはなってはいたが、こちらが妾の真の姿じゃからのぉ。どうじゃニコル、色っぽいであろう、情欲をそそるであろう。どうじゃ、妾を抱きたくなったかの~?」

「い、いけません、アヤカシ様。退いてくれないと、大変なことに」

「おうおう、これからいけないことをするんじゃ、大変なことをするんじゃ。布団をいてなくて申し訳ないがの、お主を妾のものにするにはこれくらいせんといかん。なに、お前が大人しくしておればすぐ終わるわ。二時間ほど目をつぶっておればよいからの」

「全然すぐじゃありません! 僕が大変なことになるというのは――」


 ニコルの危惧きぐは、数秒後に的中した。

 一発の乾いた破裂音が屋外で響き、その途端とたん、左右に激しく振られていたアヤカシの尻尾の毛が舞い散った。

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