第02話「魔界の皇子と孤島の騎士」

「南の島の妖狐様」

 メージェ島にニコルがひきいる移民団が到着して、およそ一ヶ月がった。

 エルカリナ暦四五四年が明け、一年の最初の朝日がのぼってくる。

 夜明けと共に島民・・たちが日々の生活のために起き出すころ、たった一人の第二次移民として島にやってきたその人物は、小さないおりの中でひとり、くぅくぅと穏やかな寝息を立てていた。



   ◇   ◇   ◇



 ほぼ円形のメージェ島の中心で、目玉焼きの黄身のようにこんもりと盛り上がる丘がある。現在は島の南東部に開発が集中し、丸太やレンガ造りの家々が建ち並び、集約された広い畑がひらかれていた。

 その地域から東に少し離れた、やや鬱蒼うっそうしげった竹林ちくりんが視界をはばむ、丘のふもと


 それだけが他の家々とは全くちが様式ようしきを見せている、木と紙だけで作られた小さな庵があった。

 一間ひとましかない部屋の四方は、三メルト強ほど。五人が横になれば、足を隙間すきまもなくなるせまさだ。

 出入口寄りの土間どまには囲炉裏いろりもうけられ、昨夜燃やしたたきぎが真っ白な灰になっている。


 天井からは鉄のくさりれ下がり、囲炉裏のすれすれに吊り下げられた鉄瓶てつびんが、昨夜にかした湯をすっかり冷ましていた。


 その囲炉裏とほんの少しだけ間をけ、部屋の半分以上をめる大きな布団の上に小柄な体を横たえ、一人の少女が朝の光の中でも目覚めず、深い眠りの中で意識を休めている。


 奇妙な少女だった。

 小柄は小柄――身長は十歳くらいの子供くらいしかない。体つきも起伏きふくとぼしい完全な幼児体型だ。服装もエルカリナ王国ではほとんど見ない、異国の雰囲気のものだった。


 東の島国では小袖こそでと呼ばれるゆったりとした白い上着、下ははかまと呼ばれる、ゆったりとし過ぎるくらいの大きなズボンを穿いている。特に、袴の真っ赤に染め上げられた色彩の鮮やかさに目が止まるだろう。


 通りすがる者が思わず頭をでたくなる、幼すぎるくらいの愛らしい顔立ち。やや濃いめの黄金色の髪がまっすぐに額と背中に流れ、その髪のすそはきちんと一直線に切りそろえられていた。

 しかし、そんな強い印象をはねけて最も強く人々の心に焼き付くのは、その耳と尻尾・・だった。


 きつねのもののように見え、狐のものにしか見えず、そして実際に狐のものである耳と尾だった。


「ふぅ――む……」


 口の中でむにゃむにゃと声をこねくり回し、薄い掛布団から両腕両脚をはみ出させ、小さく転がる。

 仕切られた木のわくに貼られた薄い紙が通す陽の光が、少女の少し太めのまゆに当たり、目をくすぐった。


「うにゃ……くふふ、くふふふ、くふふふふ……」


 最後には丸めた掛布団かけぶとんに抱きつき、不気味な笑いをり返していたが、ようやくそのまぶたが開く。


「う、うう、うう――うふぁ……ふぁあぁぁぁぁぁああぁぁぁ――」


 自分の小さな拳なら丸呑みできるくらいに大きな口を開け、少女は目をこすりながら、体を起こした。


「うー……朝か……ふむ、まあまあ、よく寝れたかの……」


 起こした体をいっぱいにばした少女が何度も首を振って肩を鳴らした。


「いかんのー。さすがに一晩に十人も客を取るとクタクタじゃ。わらわももうとしかのー」


 いいながら布団から抜け出、うようにして戸に向かいそれを開けた。東の方角から暖かい日の光が直接に差してきて、その心地よさに少女は耳と尻尾を震わせる。


「まあええわ。布団をして、朝飯を食って、また寝るかの」


 掛布団ごと丸めた敷布団しきぶとんをよいしょ、と肩にかついで少女はわらで編んだき物を履き、とてとてと幼い足取りで外に出る。


「いい天気じゃなー」


 白く薄い雲がわずかに浮かんでいるが、目にみるような空の青さが、見つめていると痛いくらいだった。一月の初日だというのに、気温はほぼ春か初夏のものだ。少女の薄い小袖でも寒くはなく、心なしか履き物の底が触れている地面も、暖房されているように暖かい。


 庵のすぐ側に立てられている物干し台に布団を掛け、庵の裏に回る。一面に生える無数の竹がうっすらと暗がりを作っている丘、その斜面に沿い、竹で作られた長いといが設置されていた。遠く丘の上からき出している清水しみずが樋を流れ、それが石で作られたおけに受けられている。


 まるい石桶は胸の高さまである大きなものだ。ふちに小さなくぼみがられ、あふれ出す水はそれに沿って次々と零れ、細く掘った溝を通って緩やかな斜面を流れゆく――天然の水道だ。

 裏返してあった柄杓ひしゃくを手に取り、石桶の水をすくってそれを口にふくみ、にっこりと笑った。


「うーむ、甘露かんろじゃのう、甘露じゃのう。美味うまい水じゃ。故郷を思い出すわい」


 溝からあふれ出す水を手で受けて顔を洗い、腰に巻いてあった手拭てぬぐいを使って顔を拭く。それも裏返してあった小さな木桶きおけ丁寧ていねいに洗ってから、八分まで水を張りそれを手に持った。


 庵の中にいったん木桶を置き、またそのまま外に出る。次に向かうのは反対側だ。本当に緩やかな斜面を五十歩ほど離れた向こうに、奇妙な形の門がある。

 オーガがやっとかがまずにくぐれる高さに二本の柱が横にけられ、それを馬車が通れるくらいの幅を広げて二本の柱が縦に支えていた。


 門といっても、周囲に策があるわけではない。しかし、細かい砂利がかれた道がその下を通っているさまは、まさしく門だった。


「朝日の鳥居はいい景色じゃな。このしゅも実にいい赤みをしておる。入念に監督した甲斐かいがあったわ」


 神々しさをかもし出す柱の門のたたずまいに満足し、道の脇に作られている本当に小さなほこら――木箱くらいの大きさしかない――の扉を開いた。

 木でまれたかごの中には、わんに入った麦粒、皿にせられた魚の切り身が三枚、菜っ葉が一束ひとたば入れられていた。


「ふんふん。朝のお供え物を確認するのはいい気分じゃ。自分がうやまわれるべき立場であるというのを実感するわ。あのニコル、若造だと思っていたらなかなかよいしつけをしておるではないか。まあ、妾のとくが成せる業のおかげなのではあるがな」


 かごごとそれを取り出した少女は庵まで運び、板の間に上がり込んだ。座布団を敷いて座り、鉄瓶の下に細いまきを入れて火をつける。

 鉄瓶の中がぽこぽこと音を立て始めた頃合いで麦の粒を全て入れ、魚の切り身を放り込んだ上に、木桶の水で洗った菜っ葉も適当にちぎって放り込んだ。


 囲炉裏の細い火が鉄瓶を下からあぶり続ける。ほんのり暖かくなった部屋で少女は、息をついた。


「さて、煮立つまで風呂に入るとするかの」


 壁に掛けていた大きな手拭いを手に取り、またも庵から出る。今度は石桶の方に進み、その奥に作られた天然の竹の策の向こうに足を伸ばした。


 一抱えはある石で周囲をぐるりと囲まれた、人ひとりがようやく入れるほどの小さな蛸壺たこつぼが陰にあった。その中からは白い湯気が立ち上り、湯気の向こうには穴から静かに溢れ出す湯の水面が見えている。


 少女はその場で身につけていたものを全て脱ぎ、するりと湯に足をすべらせ肩まで入り込んだ。

 ほとんど縦穴のような温泉だ。熱めの湯はほどなく、少女の白い肌を桜色に染め上げる。

 首から下がまんべんなく温められ、血流が行き渡る感覚に少女は歓喜かんきうめきを上げた。


「ええ湯じゃな、ええ湯じゃなぁ。あぁぁ、極楽極楽。いつでも入れる自分専用の温泉まであるとは、これだけで来てよかったのぉ。さすがに王都ではこれはないからのー。天国じゃな、この島は」


 骨のずいにまで染みこんでくる鮮烈な湯を堪能たんのうし、これ以上作れないだろうという笑みを浮かべながら、湯から体を抜いた。さすがにその格好のまま屋外を歩くという無作法ぶさほうはせず、丁寧ていねいしずくを体からぬぐい、尻尾をしぼる。再び下着から服までを身につけ。鼻歌を歌いながら、庵までの短い道を歩いた。


「そろそろ煮立ちきった頃じゃな」


 板の間の座布団に座り、鉄瓶のふたを開けて中をのぞき込んだ。

 麦粒がいい感じにふやけてふくらみ、菜っ葉と魚の切り身の間をめるようにして浮かんでいる。少女は上機嫌で部屋のすみの小さなつぼを手に取り、蓋を開けて中身の大豆製発酵はっこう調味料をひとさじすくい、鉄瓶の中に放り込んだ。


 囲炉裏の火を消し、匙で鉄瓶の中をかき混ぜると、故郷の香りが芳醇ほうじゅんと思えるほどに漂った。


味噌みその調達が難しいところじゃな。買ってきてもらうとしてもなかなか手には入らん。大豆を植えさせて作らせるか。米もあればこの島はいうことないんじゃが。ま、贅沢ぜいたくというものか……ん?」


 ひたいの裏側に覚えたかすかな違和感いわかんに、少女は尻尾と耳をぴくりと立てた。

 振り返って見ると、壁際に置いてある大きめのつづらの位置がほんの少し――注意しなければわからないくらいのわずかに、ズレている。丸くゆるんでいた少女の目が細められ、そののどから鋭い声が飛んだ。


「――誰ぞ、その中におるな!」


 もぞ、とつづらがひとりでに動く・・・・・・・。少女は囲炉裏に差していた鉄串てつぐしを手に取ると、その切っ先を天井に向けるようにして、投擲とうてきの構えを取った。

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