「ゴーダム公爵邸、揺れる」

「ち、父上……そ、そのことには、いったいいつから気付いておられたんですか……」


 たずねるのも心底こわかったが、ニコルは聞いていた。尋ねざるを得なかった。


「快傑令嬢サフィネルが現れて、半月くらいしてからかな」

「は――――」


 ニコルは絶句した――もう三ヶ月も前の話なのか?

 サフィネルとなったサフィーナと現場で何度も遭遇そうぐうしておきながら、自分は気付きもしなかったというのに。


 王城をしたニコルとゴーダム公を乗せ、馬車は公爵の館に向かって走る。二人きりの車内で、ニコルは正面に座るゴーダム公を前にし、服の下を冷や汗で冷たくらしていた。


 国王と対決していた時よりも、今の方がよほど恐怖だった。


「クィルとスィルが屋敷に来てから、夜遅くまでうるさくはしゃいでいたのが、ある夜、ぴたりと静かになる時がある。あかりがいているので起きてるのかと思いきや、心配になったメイドが部屋を確かめたら、誰もおらん」

「――――」


 ニコルは言葉をはさむつもりにもなれなかった。不在だった理由は大体、推測すいそくがつけられたからだ。


「小さなさわぎになって屋敷中を探し回り、いよいよ捜索届そうさくとどけを出そうとしたら、三人でひょっこり現れる――。『どうかなさいましたの?』、と白々しい芝居しばいで小首をかしげるのだ、あの馬鹿娘は」

「そ……そ、それで……」

「そんな夜が何回か続く。一日か二日の間をけてな。それにぴったり合わせ、快傑令嬢サフィネルが夜の王都に出現したという号外が翌日、決まって発行されるのだ。――これだけ材料がそろっていれば、にぶい私とてさっしはつく」

「は、は、は、は、は――――」

「それになんだ、サフィネルという名前は。サフィーナだからサフィネルか。もう少しちがう名前にするべきだろう。バレバレだ。ま、これらはしかと確認したわけではないが、お前の反応からすれば、見事正解といったところかな」

「…………」


 そのバレバレに三ヶ月付き合い、気付きの欠片かけらも得なかったニコルは、自分の不明をとことんじた。

 あまりの情けなさに、今このまま、馬車の中で溶けて消えたくなった。


「ニコル、お前はいつ気が付いた」

「……気が付いたというよりは、メージェ島でつい先日、ご本人から明かされた次第です……」

「お前らしい。まさか公爵令嬢が剣を持って夜な夜な街をび回っているのだ、ということを推測すいそくすることすらしなかったのだろう。潔癖けっぺきというか……」


 そういうゴーダム公の口元には軽蔑けいべつの色はない。親しみを喜ぶ形があった。


「そ……それにしても、そんなに早く核心に近づいていたのに、何故サフィーナ様を放置されて……」

「家の名をけがすようなことをしていたら、即刻そっこく、この手で警察に突き出そうと思っていた」

「それはサフィーナ様が……サフィネルがやっていることは、家名にどろるようなことではないと」

「警察では取り締まりきれん悪をたたいてらしめる。殺戮さつりくなどは一切せず、弱きものを守る。これが恥じることか?」


 ニコルは、首を横に振った。


「私利私欲のために力を振るうこともないし、警備騎士とは多少やり合うらしいが、大した怪我けがもさせておらん。目をつぶれる度合どあいだろう。……そういえばお前も、現場で何度かっているのか?」

「ええ、何度か……何度も……」

「サフィネルに、なにかされたか?」


 刹那せつな、ゴーダム公は自分の質問を後悔した。目の前の少年が、本当に泣きそうな顔になったからだ。


「……ニコル、すまん。お前は被害者だ、自分を責めなくていい。あの馬鹿娘、この点だけは私利私欲を満たしているようだな。けしからん、警察に突き出すか」

「父上、それはどうかおやめを。僕が、我慢をすればいいだけですから」

「――そういうわけで、現状が維持いじされるなら私は止める気はない。正直、楽しみにしているところもあるしな……現場でつかまったり傷ついたりしないか、そちらの方に心配はあるが。……ニコル、お前からもいっておいてくれ。あまり調子に乗るのではないと」

「は……はい……そ、それはもう……」

「あと、お前はもう一つの可能性についても想像しておく必要があるのだぞ」


 ニコルはまばたいた――真顔で。


「私が快傑令嬢サフィネルの正体に確信を得たということは、その相棒についても・・・・・・・・・だいたいの予測をつけられているということだ」

「――――!!」


 ニコルの皮膚ひふの裏の全部があわ立った。喉元のどもとやいばを突き付けられた気がした。


「お前はわかっているのだろう、もちろん」

「は……は、は、はい…………」

「とんでもないことになったな。陛下は快傑令嬢リロットを王妃にされようとしているのだ」

「…………」

「お前も数奇すうきな運命に立ち合っているな。快傑令嬢リロットをつかまえて貴族になり、リルル嬢と結婚する夢を追うために我が騎士団を脱退したのに……そのリロットが、リルル嬢本人であったとか……」


 なんという皮肉なのだ、とはゴーダム公は口にしなかった。せめてもの心遣こころづかいだった。


「……僕は、サフィネル以上に何度も何度もリロットと現場で遭遇しましたが、彼女がリルル嬢であるということには、ついに気づかず……いいえ、そればかりか、それを一度告白されたのにも関わらず、混乱していたとはいえ、記憶から排除はいじょしてしまっていた始末で……僕という男は、本当に情けない……」

「それがお前の優しさなのだ、ニコル。恥じることはない。私はそんなお前が好きだ」

「ありがとうございます、父上……」

「さあ、そろそろ着くぞ――お前にとっては今日、第二の戦場かも知れんがな」


 ニコルは進行方向側の窓に振り向いた。見慣みなれたゴーダム公爵の館、小さなとりでかという重厚なたたずまいの建物が、建ち並ぶ邸宅群の中でその威容いようほこっていた。


「それにしても、陛下は何故快傑令嬢リロットを逮捕たいほした者を上級騎士に取り立てる、などというおたっしを出したのだろうか……。陛下にとって、リロットとはどのような存在だったのだろう……」


 それを聞いておけばよかったと後悔を胸にし、ニコルは、数分後には吹き荒れる嵐に目を閉じた。



   ◇   ◇   ◇



「なぁりませんっ!!」


 ゴーダム公爵の正妻――妻は一人しかいない――であり、サフィーナの実母であり、ニコルがもう一人の母と慕うエメス夫人は、かつて舞踏会ぶとうかいはなたたえられたその美貌びぼうを怒りで真っ赤に染めていた。


 暴風そのものの一喝いっかつにニコル、ゴーダム公、サフィーナ、そしてエルフのメイド二人の体がかしいだ。応接間の天井にえられたシャンデリアの蝋燭ろうそくの数本が、実際に火を消した。


「無人島で、未開の島!? それを新興の家が領地にして開拓するなど、聞いたことがありません!! ニコルには家臣の一人もいないのですよ!! 陛下はニコルにそこで野垂のたれ死ねとおっしゃるか! ニコルをそんな地に向かわせるなど、あり得ないことですっ!!」

「――スィル、あたし、耳痛い。きーんと鳴って、なにも聞こえない」

「……クィル、なんかいった?」


 聴力が人間よりも一段階優れているエルフの双子メイドが、それぞれに顔をしかめていた。


「……エメス、興奮するな。こめかみに血管が浮いておるぞ」

「浮きもいたします!! ロクに建物もなく、ほとんど野営から始めるのでしょう!! 食料は、水はどうするのです!! 変な風土病にでもかかっても、てもらえる病院とてないのですよ!! そ……そんな所に、お腹を痛めて産んだ息子を向かわせるなんてできません! わたくしは、ニコルを離しませんよ!!」


 エメス夫人はニコルをかっさらうように抱き寄せると、少年の顔をその豊満な胸に押しつけ、部屋の全てのガラスが震えるほどの泣き声を上げ始めた。


「お前は時々本気で勘違かんちがいするが、ニコルはお前の実子ではないのだぞ。実の母上に失礼ではないか……」

「こんなに愛しているのです!! 私の実子も同然です!!」

「お父様、私、席を外してもよろしいかしら?」

「もう少し我慢がまんしてくれ」


 サフィーナは渋々しぶしぶソファーに座った。こんな時、母の号泣ごうきゅうは数十分に渡ることを知っていた。


「お母様、このニコルを心配してくださってありがとうございます……」

「お前が男爵といえど貴族になれたことは、この母のほまれ!! しかし、しかし、しかしこの仕打ちは別!! これでは、島流しではないですか!! 陛下はお前がリルル嬢と親しいことを理由にお前を遠ざけようとしているのです!! 何故こんな話を受けたのですか!! お前はサフィーナと結婚して、この家を継げばよい!!」

「……お母様、たとえ陛下のご本心がそうであっても、これはまぎれもない王命です。自分は陛下に仕える身です。それに逆らうことはできません」


 エメスに、というかエメスの胸に話しかけるニコルの声はよどみない。


「お母様、ご安心なさってください。自分はメージェ島を実際に見てきました。実はそんなに悪い話ではないのです。一ヶ月もあれば、の島にお母様をおまねきできるくらいにする自信があります。今までにこのニコルがお母様にいつわりを申し上げたことが、一度でもありましたでしょうか?」

「ニ……ニコル、本当に大丈夫なのですね?」


 ようやくエメス夫人はニコルを圧迫から解放した。


「お前の言葉はなんでも信じたい。しかしこれはお前の命に関わること……こ、この母の溺愛できあい鬱陶うっとうしいなどと思わないでおくれ……自分でもいけないこととはわかっているのですが……」

「お母様。ニコルはお母様に愛していただけるのを、そのように思ったことは一度もありません。そしてお母様を悲しませたくもありません。ニコルは必ず使命を果たします。ですから、安心して吉報きっぽうをお待ちください」

「お、お前は何故にそのようにえらいのか……。お前がもっと子供だったらいいのにと思う時が、たまにある……。立派なお前を見るのがこの母の喜び……そして悲しみでもあるのです……」

「お母様、しばらくニコルはお母様にお会いできません。しかしご心配なさらないでください。お母様の息子は、強い息子であると信じていただければ」

「ああ、ニコル、ニコル!」


 エメス夫人はニコルの体がつぶれかねないほどにもう一度抱き寄せ、ニコルの顔の全て――くちびる以外――にキスの雨を降らせてから、ようやく本当に解放した。


「ニコル、本当に体には気をつけるのですよ! 生水なまみずなど飲まないように! な……なにかあったらすぐに帰って来るのです! その時は、このゴーダムの家をげてでもお前の命を守ります!! お前の命が最優先ですからね! いいですね!」


 ああ、と最後のうめきを漏らし、扉を突き飛ばすようにしてエメス夫人は応接間を飛び出していった。


「もうこの流れ見飽みあきちゃったよ、あたし。最初は面白かったけど」

「……私も」


 何故ここで観客にならねばならんのか、という不満を表情にして二人のメイドはため息をいた。


「――さて、儀式ぎしきは終わったな」


 ゴーダム公もまたため息をこぼした。省略するとどのような目にうかわからない――いや、わかりきっている儀式だった。


「ニコル、お前に渡す餞別せんべつが色々ある。父としてもお前を、空手からておもむかせるわけにはいかんしな。明日にでも取りにくるがいい」

「ありがとうございます、父上」

「――旦那様だんなさま


 エメス夫人が飛び出して開け放たれたままの扉から、年かさのメイドが顔をのぞかせた。


「お客様が見えられています。こちらにお通ししてもよろしいでしょうか」

「来客? 誰だ」

「ロシュ、と名乗る方ですが……」

「会います!」


 顔についた口紅をサフィーナに拭ってもらっていたニコルが声を上げた。


「きっといい知らせを持ってきてくれたんだ――会います、すぐ会います。今すぐ通してください!」

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