「王とニコルの対決」

 堅固けんごな壁と屋根を支える太い柱が点々と並ぶ玉座ぎょくざの間。

 仕切りもなにもなく、階層がひとつの空間と化していた。高い天井を無数の彫刻ちょうこくが少しの空白をもうけることなくびっしりとめ、世界を形作っている。ひと目では確かめられないほどの様々な生き物たちの像が、広間を見下ろす。


 初冬しょとうの陽射しが三方の窓を輝かせてはいるが、正午に近い時間では日光は直接入らない。数えるのも面倒なほどの数のシャンデリアが、千本では利かないのではないかという大量の蝋燭ろうそくに火をともしていた。


 暖房がないこの場はやや肌寒いほどだが、ほおに刺さる寒気が逆に、ニコルの闘志を燃やしている――。


「国王陛下。このニコルの、たってのお願いでございます。リルル嬢をお返しください」


 背後でニコルの背中を見守っていたゴーダム公の肩が、確実に跳ね上がった。まさかそんなに無謀むぼうな正面突撃で切り出すなど予想もしていなかったからだ。


「リルルを? お前に? いや、そもそもリルルはお前のものではあるまい。返すとならばフォーチュネット伯というべきだ。その前に、国王が正妃せいひとして迎えようという女性を返せという……なかなかの型破りだな――それで?」

「リルル嬢が、陛下とのご結婚を望まれているとは思えません」

「ははははは!」


 国王は玉座の肘掛けを叩いて笑った。それをニコルは直立不動で、微動びどうだにせず受け止める。冷静さを常とするゴーダム公の方が、義理の息子の死をもおそれない豪腕ごうわんぶりに冷や汗を流していた。


「なんとなんと! 余に対してここまで明けけにいい放ったのはそなたが初めてだ! いい――いいな、そなたは! 巧言令色こうげんれいしょくで余をたぶらかそうとする者たちがあふれる中、そなたの心根は美しい! 一片いっぺんいつわりもない!」


 広間の寂寞感せきばくかんを払い飛ばすほどの笑い声が響き渡った。


「確かに、リルルは余との婚約こんやくを喜んではおらん。本人からは直接には聞いていないがな」

何故なにゆえ、お相手がリルル嬢でなければならないのですか。リルル嬢を侮辱ぶじょくするものではありませんが、陛下には他にも相応ふさわしい姫君がいらっしゃるのではありませんか」

「余にはリルルでなくてはならんのだ」

「何故!」


 ヴィザードの断言にニコルがみついた。


「他の者たちには、政治的な配慮はいりょで選んだと説明している。それが最も上手い言い訳だったのでな。しかし、本当の理由はちがう。アーダディス男爵……いや、この呼び方もしっくり来ないな。ニコルと呼ばせてもらおう。構わんか」

「……陛下のお好きなように」

「余にはリルルでなくてはならんのだ。たとえリルルが貧民ひんみんの娘であっても、余はあの尖塔にリルルをまねき入れたであろう。貴族の娘であったことはまことに都合がよかった。すぐに見つかったからな」

「……おっしゃっている意味がわかりません。いったいどういう……」

「意味はわかる、近いうちにな。余がこういっていたことを覚えておくがいい。――さて、先ほどもいったが、余は忙しい。今日の一日、お前と語り合いたいとは思うが、国王というのはそんな役目なのだ。爵位と同時に、そなたに与える領地について説明をする」

「――領地……?」


 ニコルは、今の今まで考えもしていなかった言葉を聞かされて動揺どうようした。


「ふふふ……普通は爵位よりもそちらに興味が行くはずなのだがな。世襲貴族となったからには領地を持ってもらう。エルカリナ王国の国土を維持いじし、民を支えるために。そなたに与える土地の詳細はここにまとめられている。受け取るがいい」


 玉座の足元に立てて置いてあった一本のつつを、ヴィザードは手に取った。ニコルは一礼してヴィザードの元に歩み寄り、それを受け取ってそのまま後ずさる。


「開けてみるがいい」

「……失礼いたします」


 金の飾りで縁取られた黒い筒のふたを開ける。縦に丸められた大きな紙が何枚か入っており、地図らしきそれをニコルは目の前で広げて――心臓をねじられる衝撃しょうげきに、うめいた。


「これは……!!」

「どうだ、ニコル。お前もよく知っている土地であろう」

「ぞ……存じています。確かに、ここはよく知っている土地です。しかし……」


 広げた地図を前にして指と目を震わせ、そのまま絶句したニコルの様子に不穏なものを覚え、ゴーダム公が前に出た。


「陛下、男爵の資料を私も拝見はいけんさせていただいてよろしいでしょうか」

「許す。ニコルに助言を与えてやるがよかろう」


 仕掛けたいたずらの炸裂さくれつに上機嫌なのか、ヴィザードは満面の笑顔で応じた。


「ニコル、見せろ」

「父上……」


 ゴーダム公がニコルから受け取った地図に目を通す――おどろきは、一秒後に来た。


「これは……メージェ島てはないですか!」


 王都エルカリナから南西に約千数百カロメルト離れた地点に浮かぶ無人島、メージェ島。

 直径八カロメルトのほぼ円形の島だった。南西部にまるで大きなこぶができたかのような新火山が急な鋭角の三角形を形作っている。


 その新火山の内部に現れた『庭師の塔』。激戦が行われ、数奇な出会いがいくつか生まれて今、自分たちはこういう状況にいる――。


「そうだ。つい先日までそなたの娘が調査におもむき、それにニコル――そなたも帯同たいどうした島のはずだったな」

「は……は、はい……!」


 まさかこの場でこの島の名が出てくるとは。運命の悪戯いたずらというものをニコルは信じそうになった。


「陛下! この島については私も聞き及んでおります。この島は面積こそそこそこは広いが、古来より無人島です! 過去に入植を試みた者もいましたが、奇妙な現象の発生によってことごとく失敗したといううわさもあります! ……いえ、噂の真偽はともかくとしても! 領民がいないのでは!」

「――父上」

「陛下、このゴーダムからのお願いでございます! 男爵には私の領地から村のひとつを分け与えたいと存じます! それをこの島に代えていただきたいと! 遠方の無人島の統治開発など、男爵には不可能です! これでは……これでは……!」

「これでは、なんだ。どう続くのだ? 島流し同然・・・・・である、とでもいいたいのか?」

「陛下……!!」


 開発のひとつもないとされている・・・・・無人島だ。通常の島流しの方がいくらかマシだろう。少なくとも流人るにんを迎え入れるだけの体制はあるのだから。


「変更はならん。これは王命である。ニコル、そなたにメージェ島の統治および防衛を命じる。住民がおらんゆえ、税の徴収ちょうしゅう軍役ぐんえきがかかることはない。しかしこれを放棄ほうきした場合は叛逆はんぎゃく見做みなす」

「陛下、繰り返しお願いいたします! どうかその儀は!」

「――父上、大丈夫です、ありがとうございます」


 ニコルの手がゴーダム公をさえぎるように動いた。


「自分は王命を拝命はいめいいたします。ですから」

「ニコル……」


 息子の目をのぞき込む。冷静さを取り戻した少年の瞳のいつもの色が、鮮烈なくらいに目にみた。


「国王陛下、謹んで領地を拝領はいりょういたします。エルカリナ王国貴族の末席まっせきするものとして、恥ずかしくない統治を行いたいと思います」

「――ふふ、素直なものだ。そして余にはわかっているぞ。そなたが勝負を投げたわけでも、捨てたわけでもない。余が知らぬ切り札を胸の内に隠し持っていることをな。その切り札がどのような頃合いの、どのような場で叩きつけられるか、楽しみだ。――ニコル、良き時であった! 下がってよい!」

「ニコル・ヴィン・アーダディス男爵、下がらせていただきます」


 ニコルは腰を直角に曲げるほどの最敬礼をし、その場できびすを返した。ゴーダム公もそれを追うようにして国王に礼をし、それに続いた。


「――ニコル、本当に大丈夫なのか。お前は今、取り消せない台詞セリフいてしまったのだぞ」

「陛下もおっしゃっていたとおり、自分には切り札があります。勝算も胸の内にあります。父上、ご心配いただきありがとうございます。しかし、自分は大丈夫です」

「…………」


 玉座の間から八階に降りる階段をみしめながら、ゴーダム公は考える。確かにこの少年は一見無謀な場所にも突撃するように見えるが、それでも、細いながらも勝利の道を確保してきた。だから今、こうして生き残れている。


「……わかった。私もお前を信じよう。ニコル……お前は本当に私の自慢の息子だ。私はお前を息子と呼べることが本当にほこらしい。そして、お前に父と呼んでもらえることが……」

「自分もそうです。父上、このニコルをいつまでもお見守りください」

「ああ。本当に困った時はいつでもこの父を頼れ。子は親のすねをかじるくらいがちょうどいい。すねをかじられるのも幸福というものだ。気疲れしただろう。我が屋敷に寄って少し休め。エメスもお前の顔を見たいといってうるさいしな……」

「……父上、屋敷に寄りましたらひとつ、お伝えしなければならないことがあります……」


 突然に暗雲が差し込んだニコルの表情に、ゴーダム公の直感にひらめくものがあった。国王との対面の場でも見せなかった顔を今ここで少年がするという理由は、ひとつしか考えられなかったのだ。


「これは父上にお伝えしようかどうか悩みました。ある方との約束をなかば破ってしまうことなので……しかし、それは父上に対する裏切りになります。この板挟いたばさみの中でどうしようか、ひとときはなやみに悩んだのですが……」

「それを私に告げることが裏切りになる、というのか。ならば、お前が私を裏切らずにすむ、簡単な解決方法がある」

「はい?」

「私がこう宣言すればいいだけなのだ」


 八階から七階に続く長い階段。声の届く距離に人間がいないのを確認してから、ゴーダム公はその口元にいっぱいの笑みを浮かべた。


「私は、娘のサフィーナが快傑令嬢サフィネルであることを知っている――どうだ、お前がサフィーナを裏切る必要はなくなったろう」

「は――――」


 父によって耳元でささやかれた言葉に、ニコルの意識が揺らぎかけた。

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