「夜の前」
「どうぞ、
ティーグレに
立ち入るまでそれがどんな建物なのかわからない、積み木が並んだように見えるほどにどれもこれも個性のない
それもそこそこの格式を感じさせるホテルだ。照明は明るく落ち着いた色調の壁紙が貼られ、床には色鮮やかな
建物の外観と比べれば、別世界に迷い込んだ感覚さえあった。
そして、
「ここは……いい部屋ですね……」
天井のシャンデリア、濃い色調の木で統一された寝台、
広さはリルルの居間と寝室を足したくらいはある。ゴミのひとつもないくらいに掃除が行き届き、鼻につかないくらいの
少し
「亜人街のホテルの中でも、いちばんいい部屋でさ。亜人の中でも、こんな部屋に泊まれる奴らはいないことはないっていうことで。ああ、払いは俺が受け持つから心配しないでくださいや。ここはうちの直営ですから、いくらでも無理が
「――――」
フード付きのローブを脱いだフィルフィナがそっと寝台に腰を下ろすと、小さな体がわずかに弾んだ。奥の
「姐さんはひどくお疲れみたいだ。今風呂を作りますから、よくあったまって、暖かい布団でゆっくり寝てください。食事がしたければ、いつでも係にいいつければいいですわ。ここが出す飯は――」
「ティーグレ」
フィルフィナの
「ティーグレ。
「……姐さん?」
「今なら、わたしになにをしてもいいですよ。許します」
フィルフィナの目は、ティーグレを見てはいなかった。
「わたしを抱きたいのなら、それでもいいでしょう。今のわたしは……なにかを考えていたくはないのです……。……経験はありませんが、気は
フィルフィナが自分のブラウスのボタンをひとつ、ふたつとゆっくり外していく。
「いえ……こんないい方は
「姐さん」
表情に
広い手の太い指がフィルフィナの胸に
ティーグレはフィルフィナのブラウスのボタンに指をかけ――意外な器用さで、それを上まで止めた。
「――ティーグレ…………?」
ボタンが
「――全部ぶっちゃけていいます。俺は姐さんに
ティーグレはのっそりとフィルフィナから離れた。
「俺が姐さんに惚れたのはその体じゃねえ、強い心と
グラスに酒瓶の中身を
「姐さんを抱いていいのは、姐さんが惚れて惚れて、心の底から惚れ抜いた男ですや。姐さんはそんな男に抱かれて幸せになってくだせぇ。それが、このつまらない男の願いですわ」
「ティーグレ……」
「姐さん、今日は泣いてもかまいません。姐さんだって泣きたい時はあるでしょう。でも、明日からはまた元の強い姐さんに戻って欲しいんです。姐さんに惚れた男のために、お願いします」
「…………」
フィルフィナの美しいアメジスト色の瞳が
「これを飲むといいですわ。すぐに寝付けるいい寝酒です。これを飲んでたっぷり寝て、起きたら美味いものをたくさん食べてください。今は、疲れを取りのぞくことが第一です」
「……ありがとう……」
フィルフィナの手がグラスをつかみ、そこそこの量があるそれを一気に
「――ごちそうさま……」
「姐さん、風呂を作りましょうか。それともすぐに寝てしまいますか。いや、もちろん俺は退散しますんで、ご心配なく――」
グラスを片付けようとフィルフィナに背を向けたティーグレの背後で、ぱたん、と音がした。
ティーグレが振り返ると、目を閉じたフィルフィナが寝台の布団の上に体を横たえていた。
「……張り詰めていた
ティーグレはフィルフィナの
ふわ、と空気を求め、愛らしい
「――って、てめぇなにを考えてんだ!」
三割ほど本気の鉄拳を、ティーグレは自分の
「カッコつけた後だろうが! やりたいならカッコつけずにしろ! みっともねぇだけじゃねぇか!」
首を数十回振ってからフィルフィナの体を布団の中に収め、
退室し、扉に
「姐さんを堂々と抱ける
そのまま虎獣人は歩き出す。足取りの重さはいつもの半分になっていた。
「――カッコつけるって、つれえな、まったく……」
今日は自分も酒を
◇ ◇ ◇
西の空に太陽が沈み行き、それぞれの事情が激変した今日という一日が、終わろうとしていた。
リルルも、ニコルも、フィルフィナも、もうこれ以上動きようがなく、明日という時を迎えるため、それぞれの仕方で今日という時を
だが、今日という日はまだ終わりきってはいなかった。
太陽が地平線の
リルルが囚われているエルカリナ城に向かって、その影は風よりも速く、暗闇の中を
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