第01話「嵐の前兆」

「王城、潜入」

 夜の王都の官庁街かんちょうがいつらぬく大通りを、四騎の護衛ごえいに前後左右を固められた一台の大型馬車が、並走する多くの馬車に混じりながら南へ下っていた。


 馬車の左右には大きな紋章が浮き彫り細工レリーフきざまれている。背中に翼を生やした一頭の獅子ししが左を向いている紋章――王都でも広く知られている、ゴーダム公爵家の紋章だ。


 重々しい甲冑かっちゅうに身を包んだ重騎兵が護衛するその馬車に、他の馬車たちは畏怖いふを覚えているかのようにかなりの車間距離きょりけていた。馬車が四隅に掲げる魔鉱石の明るいランプが投げる光が、まるで結界のようにも見えた。


 そんな馬車の中で、ゴーダム公爵家の当主であるエヴァンス・ヴィン・ゴーダムはさほど上機嫌というほどてもない顔で、あごにたくわえられたひげをしきりにいじっていた。


「――まったく、突然の申し出なのだな」

「うふふ」


 対面に座るサフィーナが微笑ほほえむ。その隣では、母であるエメス夫人が深い背もたれに背中を沈め、うたた寝の中にいた。


「当日にいきなり歌劇オペラを見に行きたいとか、どういう風の吹き回しなのだ。特別席がいていたから予約が取れたものの」

「そういう気分になったのです。いいではありませんか。家族そろってお出かけもいいものです」

「まあ、そうだが……」


 納得しきれない――そんな気配を口のはしに残しながらゴーダム公は腕を組んだ。


「しかし、リルル嬢が陛下のおきさきと選ばれるとはな……」

「お父様、またそのお話ですか。もう今日何回目なのですか」

「公式の発表はされていないが、鼻がくものはみな気づいている。私は利かない方だからお前から聞かされて助かった。フォーチュネット伯が念願を果たしたということか。執念しゅうねんというものだな」

「リルルはもう例の尖塔せんとうに入っているようです」

「あの尖塔か……」


 公爵ともなれば王家のしきたりには精通している。王妃候補の女性がどんな状況に入れられるかも。


「私も実際に見たことはないが、あの尖塔は世界で最も豪華な牢獄ろうごくだ。外出の自由さえない。リルル嬢の性格ならさぞつらかろう」

「私もあんなところに入るのは御免ごめんですわ」

間違まちがってもお前は選ばれんだろう。私もお前を送るつもりはない。王家と近くなっても面倒と危険が増えるだけだ……フォーチュネット伯も今は満面の笑みだろうが、いずれは……それはそうと」

「はい?」

「お前はそんな時に、歌劇観賞などしていていいのか?」

「どういうことです?」


 サフィーナは微笑みながら首をかしげて見せた。多分に芝居しばいくさかった。


「いや、演目えんもくは午後八時から三時間続く。なんだかんだで屋敷に帰り着くのは、午前零時ごろになるだろう。お前にも、色々とやることがあるのではないかと……」

可笑おかしなお父様。まるで私が夜な夜な夜遊びにり出しているようなおっしゃりようですわ」

「…………いや、なんでもない。忘れてくれ」

「うふふふふ」


 ゴーダム公は小さく息をき、体をひねって後方窓にかかったカーテンを開けた。横長のガラス窓の外にはまっすぐにびた大通りがひらけ、その向こうにそびえ立つエルカリナ王城の姿が見えた。


 白亜はくあの城は地上から無数の探照灯たんしょうとうがそそり立たせる光の柱に包まれ、きらめくようなたたずまいを見せていた。いつもは見られない異様な様子に、ゴーダム公は一抹いちまつの不安をはらえなかった。


「今夜は特に警戒がきびしいようだな……リルル嬢が城に入ったことくらいしか原因が思いつかんが、それでもこれは大げさだ……」


 どこか急ぎすぎる感のある国王の嫁取り、そしてこの張り詰めた緊張感。世の些事さじからはできるだけ遠ざかろう――常にそう思っているゴーダム公でも、その全てを無視することは無理だった。



   ◇   ◇   ◇



「ふあああああ」


 エルカリナ城の城壁外周を警戒する歩哨ほしょうの兵士は、のどの奥が見えるほどの大きなあくびをした。


 今夜から朝昼晩の三交代制で王城の警備をげんとせよ、総動員体制である――予備として用意されている部隊まで全てり出され、王城の守備に当たることになる。まるで明日にでもどこかの敵の軍隊がやってくるような厳しさだった。


「こんなたっかい城壁の周りを固めて、なんか意味があるのかよ」


 高さ十メルトの城壁は、その前後に幅の広い水堀を構えている。梯子はしごをかけるにも無理な構造だ。城に入るためには、正面の城門にかけられた橋を渡らなければならない。

 こんな場所に人員を配置していても意味がない。なのに、何故そんな意味のないことをするのか。


「しばらくこんな体制で行くっていってるし、休みも減らされるし、いいことねぇよ」


 十メルト離れた両隣では、自分と同じく長槍ながやりを持った兵士があくびをしている。この警戒に意味を見出せていない同類たちだった。他の兵士も多かれ少なかれ同じだろう。

 この警戒の厚さに侵入者は近づけないだろうが、そもそもここから普通の人間は侵入できない。


「空でも飛んでいかない限りはなぁ……ふわぁ――あ」


 今夜十数回目の大あくびが炸裂さくれつしたと同時に、風が吹いた。


「……ふわ?」


 まるで自分の脇をすり抜けるように駆け抜けていった一瞬の風に歩哨ほしょうが振り向くが、そこにはなにもなかった。向こうであくびをしている同僚どうりょうの姿が見えるだけだった。



   ◇   ◇   ◇



 音もなく地面を力強くり、その黒い影は高々と――幅十数メルトの水堀よりもはるかに長く、高さ十メルトの城壁よりも遙かに高くび上がっていた。

 城壁の上に着地するまでの滞空たいくう時間、約三秒。

 黒に統一した装束しょうぞくは闇の色に溶け込み、その場の数十の視線に触れもしない。


 城壁の上には警備はいない。点々ときずかれた物見櫓ものみやぐらには兵士が詰めていたが、その目はひとつも城壁には向いていなかった。堀を跳び越え城壁の上に到達するなど、人間には不可能だからだ。


 城壁の裏側にもそこそこの兵士がいたが、外側よりはまばらだった。時間をつぶすようにうろうろと歩き回る兵士たちの視線が空白になる地点ポイント頃合いタイミングを計算し、その影は城壁の上から再び跳ぶ。一切の音を立てずに着地した影は、誰かの目が向く時にはもうそこにはいなかった。


「――潜入、成功。ただいまから捜索そうさく活動に入ります」


 目的も理解できず根気などあろうはずもない兵士たち、その油断のすきうように、影は城が鎮座ちんざする丘を、まるで蜘蛛くもかなにかのように素早くい上がった。

 丘の監視は正面の階段にばかり向けられている。立ち入り厳禁の斜面しゃめんには無数の罠が仕掛けられており、そこを無傷で突破することは至難しなんわざだ。


 その至難の業を楽々とこなし、丘を上りきった影は城の基部にたどり着いた。正面玄関を多くの兵士が固め、周囲にもそこそこの人数が周回を繰り返している。動くものの全てを把握はあくして闇の中にせ、その影は視線を上に向けた。


 九層の本城は高さ百メルト、四隅よすみからびる尖塔を含めれば、百三十メルトに達する超高層のエルカリナ城。地面にえられた探照灯たんしょうとうが夜空に投射とうしゃする明るい光が、白い鉄格子のように城をかこっている。

 深夜に近いというのに窓という窓には光がともり、昼間と変わらないのではないかという活力を感じさせる――問題の尖塔以外は。

 そこに目標・・がいる可能性が限りなく高いとされる四本の尖塔に目を向け、侵入者は、その瞳から不可視領域の光線を発射した。


 目標はすぐに限定できた。四本の尖塔のうち、窓に光が灯っているのは一本だけだったからだ。


「生命反応探知開始……感知……リルルお姉様・・・・・・の型と照合…………一致」


 髪の色を黒に変えて覆面ふくめんで鼻から下をおおい隠し、体の線がくっきりと出る黒装束に身を固め、ややりが入った小剣を腰に差したロシュ・・・は、速やかに目標を発見していた。

 問題は、その目標とどうやって接触するか。


「……城内に侵入するのは困難こんなん。探照灯は空からの潜入を警戒している……壁に張り付けば、発見される可能性大。有効な方法は――」


 それはひとつしかなかった。ロシュは決断した。



   ◇   ◇   ◇



「――はぁぁ……」


 リルルは今日、百何回目かになるため息をいていた。

 ひまだった。

 高層からの絶景を眺める行為に耐えられたのは、一時間だった。本でも読もうと思ったが、大きな本棚に入っているのは分厚い辞書ばかりだ。まるで本棚をめるためだけに、厚みのあるものを適当に入れたとしか思えない――小説の一冊もないのだ。


 暇つぶしの手段もなく、リルルは昼間をうたた寝で過ごした。おかげで今は眠気が飛んでいて、寝台に入ろうという気が欠片かけらも起きない。階下の浴室は広く湯船も大きいしで入浴をゆっくり楽しめそうだったが、それとて一時間をつぶせればいい方だろう。


 今はため息の数を数えるのが、リルルに与えられた、唯一ゆいいつの暇つぶしの手段だった。


「明日……なにが起こるのかしら……」


 この調子なら明日もなにも起こらないのではないか。実際、ここに入ってからなにも起こらなかった。

 今は面会どころか連絡を取る手段も断たれ、仲間たちがどうしているのかわからない。特に心配なのはフィルフィナの様子だ。父親の性格を考えれば、極端きょくたんな手段に出るのかも知れない――。


 こんこん。


「…………!?」


 窓を外からノックしてきた・・・・・・・・・・・・ような音に、ソファーに寝そべっていたリルルは、そのままの格好で文字通りねた。

 この王都で最も高い高度にある窓を、外から、ノックする。


 鳥が窓をつついているのだろうか。一瞬そう思おうとしたリルルだが、次には正解に思い当たった。


「――ロシュちゃん!」


 口の中で叫び、外に格子がめられている窓を開ける。予想通り、そこにはロシュのがあった。


 手だけが窓の外に伏せている光景にリルルは驚かない。以前に同じような光景を見ていたからだ。

 手首に繋がる断面からは、絹糸きぬいとのように細い鉄線ワイヤーが伸び、下に長く長くれている。それがなににつながっているのかはすぐにわかった。


「――ロシュちゃん、ロシュちゃんなんでしょ。来てくれたのね」

『はい、リルルお姉様。私はロシュです。城の真下にいます』


 手が喋った・・・・・。音声を流す装置が組み込まれているのか、やや音程は違うが、確かにロシュの声だった。


『私からはリルルお姉様が見えています。指先に超小型高精度カメラ――小さな小さながついていますから』

「ああ……ロシュちゃん、来てくれて本当に嬉しい」


 その手を取り上げ、ほおずりしたい衝動しょうどうにリルルはられた。


「ロシュちゃん、来てくれたということは、今起こっていることを知らせに来てくれたんでしょう。教えて。ニコルはフィルは今どうしているの。私、心配して心配して、心配するのにもきちゃったところなのよ……」

『わかりました、リルルお姉様。現在の状況じょうきょうをお伝えします』


 その問いに対してずっと前から答えを用意していたように、ロシュの手は語り始めた。

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