第01話「嵐の前兆」
「王城、潜入」
夜の王都の
馬車の左右には大きな紋章が
重々しい
そんな馬車の中で、ゴーダム公爵家の当主であるエヴァンス・ヴィン・ゴーダムはさほど上機嫌というほどてもない顔で、
「――まったく、突然の申し出なのだな」
「うふふ」
対面に座るサフィーナが
「当日にいきなり
「そういう気分になったのです。いいではありませんか。家族そろってお出かけもいいものです」
「まあ、そうだが……」
納得しきれない――そんな気配を口の
「しかし、リルル嬢が陛下のお
「お父様、またそのお話ですか。もう今日何回目なのですか」
「公式の発表はされていないが、鼻が
「リルルはもう例の
「あの尖塔か……」
公爵ともなれば王家のしきたりには精通している。王妃候補の女性がどんな状況に入れられるかも。
「私も実際に見たことはないが、あの尖塔は世界で最も豪華な
「私もあんなところに入るのは
「
「はい?」
「お前はそんな時に、歌劇観賞などしていていいのか?」
「どういうことです?」
サフィーナは微笑みながら首を
「いや、
「
「…………いや、なんでもない。忘れてくれ」
「うふふふふ」
ゴーダム公は小さく息を
「今夜は特に警戒が
どこか急ぎすぎる感のある国王の嫁取り、そしてこの張り詰めた緊張感。世の
◇ ◇ ◇
「ふあああああ」
エルカリナ城の城壁外周を警戒する
今夜から朝昼晩の三交代制で王城の警備を
「こんなたっかい城壁の周りを固めて、なんか意味があるのかよ」
高さ十メルトの城壁は、その前後に幅の広い水堀を構えている。
こんな場所に人員を配置していても意味がない。なのに、何故そんな意味のないことをするのか。
「しばらくこんな体制で行くっていってるし、休みも減らされるし、いいことねぇよ」
十メルト離れた両隣では、自分と同じく
この警戒の厚さに侵入者は近づけないだろうが、そもそもここから普通の人間は侵入できない。
「空でも飛んでいかない限りはなぁ……ふわぁ――あ」
今夜十数回目の大あくびが
「……ふわ?」
まるで自分の脇をすり抜けるように駆け抜けていった一瞬の風に
◇ ◇ ◇
音もなく地面を力強く
城壁の上に着地するまでの
黒に統一した
城壁の上には警備はいない。点々と
城壁の裏側にもそこそこの兵士がいたが、外側よりはまばらだった。時間を
「――潜入、成功。ただいまから
目的も理解できず根気などあろうはずもない兵士たち、その油断の
丘の監視は正面の階段にばかり向けられている。立ち入り厳禁の
その至難の業を楽々とこなし、丘を上りきった影は城の基部にたどり着いた。正面玄関を多くの兵士が固め、周囲にもそこそこの人数が周回を繰り返している。動くものの全てを
九層の本城は高さ百メルト、
深夜に近いというのに窓という窓には光が
そこに
目標はすぐに限定できた。四本の尖塔のうち、窓に光が灯っているのは一本だけだったからだ。
「生命反応探知開始……感知……
髪の色を黒に変えて
問題は、その目標とどうやって接触するか。
「……城内に侵入するのは
それはひとつしかなかった。ロシュは決断した。
◇ ◇ ◇
「――はぁぁ……」
リルルは今日、百何回目かになるため息を
高層からの絶景を眺める行為に耐えられたのは、一時間だった。本でも読もうと思ったが、大きな本棚に入っているのは分厚い辞書ばかりだ。まるで本棚を
暇つぶしの手段もなく、リルルは昼間をうたた寝で過ごした。おかげで今は眠気が飛んでいて、寝台に入ろうという気が
今はため息の数を数えるのが、リルルに与えられた、
「明日……なにが起こるのかしら……」
この調子なら明日もなにも起こらないのではないか。実際、ここに入ってからなにも起こらなかった。
今は面会どころか連絡を取る手段も断たれ、仲間たちがどうしているのかわからない。特に心配なのはフィルフィナの様子だ。父親の性格を考えれば、
こんこん。
「…………!?」
この王都で最も高い高度にある窓を、外から、ノックする。
鳥が窓をつついているのだろうか。一瞬そう思おうとしたリルルだが、次には正解に思い当たった。
「――ロシュちゃん!」
口の中で叫び、外に格子が
手だけが窓の外に伏せている光景にリルルは驚かない。以前に同じような光景を見ていたからだ。
手首に繋がる断面からは、
「――ロシュちゃん、ロシュちゃんなんでしょ。来てくれたのね」
『はい、リルルお姉様。私はロシュです。城の真下にいます』
『私からはリルルお姉様が見えています。指先に超小型高精度カメラ――小さな小さな
「ああ……ロシュちゃん、来てくれて本当に嬉しい」
その手を取り上げ、
「ロシュちゃん、来てくれたということは、今起こっていることを知らせに来てくれたんでしょう。教えて。ニコルはフィルは今どうしているの。私、心配して心配して、心配するのにも
『わかりました、リルルお姉様。現在の
その問いに対してずっと前から答えを用意していたように、ロシュの手は語り始めた。
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