「かごの中のニコル」

「それでは、失礼いたします」

「ちょっと待って!」


 深々と腰を折って身をひるがえそうとしたコルネリアを、リルルは大声で引き留めた。


「ここから出る自由がない!? そんなの聞いてないわ!」

「今、お話しいたしましたから」

「公式の行事って、そんなの、一ヶ月にいくらもあるものではないでしょう!?」

「左様でございますね」


 まるで動揺どうようのない、平静そのままの色を灰色グレーとして浮かべているコルネリアの視線の冷たさに、リルルは震えた。


「冗談じゃないわ! 陛下に会わせてください! 私、ここを出ます! 私には――」

「そんな自由がご自分にあるのだと、本気で考えておられるのですか?」


 感情の乗らない、抑揚よくようの振れが見えない声は、まるで神託しんたくかなにかのようだった。


「リルル様。貴女あなた様の自由意志など些細ささいな、取るに足らないことに過ぎないのです。貴女様は陛下の御子おこを作られるのが唯一ゆいいつにして、絶対のお役目。外を歩かれて悪いでも持って帰られれば、一大事でございます。エルカリナ王家の血統に、雑種を紛れ込ませるわけにはまいりません」

「な――――」

「三ヶ月の間、陛下は貴女様にお手を触れることもありません。まずはその期間において、貴女様に懐妊かいにんの事実がないことを確認せねばなりませんので」

「っ…………!」


 リルルは恐怖の中で理解した。これは、王家以外の血を排除するための、徹底された機構システムなのだと。その機構の中で自分は、王家の血を引いていると完全に証明された子供を産むことになるのだ。


「――リルル様。くれぐれもここから逃げ出したり、自傷じしょうされたりなどなさらないように。万が一にもそんなことがあった場合には、御身内おみうちの方々の安全は保障できかねます」

「…………お父様を、人質に取るということなの……!?」

方々・・、と申しました」


 神経に走った寒気と同時に、リルルの脳裏のうりに数人の顔が浮かび、流れて消えた。


「ここに留まられている限りは、外出や面会以外の不自由はございません。それ以外のご要望ならなんでもお申し付けください――それでは、失礼いたします」


 機械であるロシュよりも機械的に一礼をしたコルネリアが、扉から出ていく。脅迫きょうはくに足をい止められたリルルは、それ以上動くことができなかった。


 脱出することは容易たやすい。快傑令嬢リロットとしての能力を使えば、今すぐにでも抜け出せはしよう。――人質を取られていなければ。


「ついこの間まではニコルがとらわれの身で、今度は私……!? いいえ、ニコルも今は……」


 頭の中で思考が練られきっていないセメントの重さで動く。この状況を如何いかにして打開すればいいのか、それを的確に助言アドバイスしてくれる頼れる相棒が今、隣にいない。


 フィルフィナと、別れさせられた。

 メージェ島で彼女がにされかけた時でさえも、これほどの絶望感を覚えたことはない。


生木なまぎを裂かれるっていうのは、こういうことなの……!?」


 リルルは今、やっと理解することができていた。

 自分たちはかつて相対あいたいすることのなかった、巨大なと向かい合っているのだと。



    ◇   ◇   ◇



 ほぼ、同じ頃。

 ニコルもまた、リルル同様に囚われの身となっていた。

 王都西地区、商業区域のやや官庁街よりに建つ最上級高級ホテル、『シャルス・エル・エルカリナ』。


 その最上階の貴賓室きひんしつの一室に、ニコルは押し込められていた。


「――――」


 バルコニーに出る大きな窓から望める王都の景色に飽きたように、ニコルはソファーに腰を落とす。隙間すきまなくバネがめ込まれたソファーは、少年一人分の体重を受けて冗談のように大きく反発した。

 今までに通された経験がないほどの豪華ごうかな、しかし落ち着いた内装の部屋にニコルはため息をく。


「リルルは……お城に着いただろうか……」


 文字通りの柱になっている柱時計を見ると、時刻は午前八時を指している。自分がここに連れてこられてから一時間。軽食が運ばれて目の前に置かれているが手をつける気にもならず、スープも紅茶も冷めきって、湯気の欠片かけらも立てていなかった。


「…………!」


 ほとんど無音で、廊下に繋がる扉がわずかに開けられた――ノックなしで。


「――その、無断で中をのぞくのをやめてもらえないでしょうか。鬱陶うっとうしいんですが」

我慢がまんしろ。これも我々の仕事なんでな」


 地味な背広を着た、いかにも黒眼鏡が似合いそうな長身の男が愛想もなにもなく口にした。


「お前だって命令は忠実に実行するだろう。同じことだ。俺たちも別に男の部屋をのぞきたくはない」

「……宮仕みやづかえはつらいってところですか」

「まだ十六のガキには似合わない台詞セリフだな。生意気な」


 ちらとのぞけた廊下ろうかには、同じような印象の男が他にもう二人見えた。ニコルが逃げ出さないように見張っている男たちだ。もちろん、それが全員ではないだろう。

 とはいえ、何人いようが大した問題ではない。ニコルにここを逃げ出す気はなかったのだから。


「……僕がここに押し込められているのは、リルルの護送ごそう妨害ぼうがいさせないためだ。ただ、正規の礼状なんて取れないから、休暇きゅうかという形にしているに過ぎない……明日には必ず解放される……」


 法治国家としての最低限の制限は働いているようだ。表立って犯罪を行ったわけではない自分を逮捕たいほ拘禁こうきんするだけの根拠がない。

 待てばいい。待てば、いずれは胸を張ってここを出られるのだ。


 正確に十分おきで扉を開け所在を確認してくる背広たちをわずらわしいと思いながら、ニコルは待った。フィルフィナが自分の言葉を実行してくれていたならば、そろそろ来るはずだった。


「…………」


 ――来た。


 またも扉を半分開けてニコルの姿を確認し、数秒とたずに閉められたのを横目で見ながら、ニコルは立ち上がった。外の空気を吸いたい、というていよそおってバルコニーに出る。

 落下防止の手すりにひじをつけ、手で首を支えて北の方角に目を向けた。


 灰色の雲の切れ間から差し込む午前の陽の光に照らされ、エルカリナ城の美しい姿が白く輝いている。王都の市民であるニコルにすれば、それは見飽みあきているものでもあったが、今この目で見る城の姿は全く意味合いを変えていた。


「――お手数をおかけします」


 バルコニーのすみ、廊下に通じる扉からは死角になっているかげに、ニコルは視線も向けずに語りかけた。


「いいのですよ、緊急事態きんきゅうじたいです。フィルに連絡を受けてすぐに飛んで・・・来ました」


 いくらか笑っている声。


「リルルがおきさき候補としてお城に連れていかれ、あなたはここに軟禁なんきんされ、フィルはお屋敷を解雇かいこされる……なんという朝なのでしょうか……」

旦那だんな様はフィルを屋敷から追い出した……旦那様はフィルを大変信頼されていました。なのに……」

「王家の外戚がいせきとなる家には、エルフは置いておけないということなんでしょうね」

「……旦那様にとってはフィルよりも、家の立場の方が大事……リルルをお后として送った見返りに戻ってくる、フォーチュネット旧領の方が大事……そうなんだろうけれど、そうなんだろうけれど……」

「私も短い時間応対しただけですが、フィルはとても落ち込んでいました。最初見た時は幽霊ゆうれいが歩いていると思ったくらい。影が薄すぎてまぼろしのように見えました」

「それで、フィルは今」

「クィルに任せましたが、どうなったのか……。上手く引き留めてくれているといいのですが」

「ありがとうございます、サフィーナ様・・・・・・

「ニコル」


 死角に潜み、陰の中に体を溶かすようにしている紫陽花あじさい色のドレスの剣士は静かに微笑ほほえんだ。


「今、ここにいるのは公爵令嬢サフィーナではありません。王都の正義を守る剣士、快傑令嬢サフィネルです。間違まちがわないでくださいね?」


 その顔を見たいという心をおさえながら、北の空に視線を向けるニコルもまた微笑んだ。

 自分には、頼れる仲間がいる。その事実がくれる勇気で自分は戦える――希望だ。


「サフィネル。リルルの無事を確かめなければなりません。リルルがどんな気持ちでいるのかも」

「私がお城に忍び込み、リルルを探せば……」

「いいえ、快傑令嬢がお城に忍び込み、万が一気取けどられたりすれば、これからの行動に支障ししょうが出るでしょう。確実に重犯罪者として指名手配、今までのようにはいかなくなります」

「でも実際、私しか忍び込める者はいないでしょう。そんな荒事あらごとができる人間が他に――あっ」


 その反応に、ニコルは満足げにうなずいた。


「うってつけがいます。サフィネル、連絡を頼みます。今夜のうちにお城に忍び込み、リルルと接触してほしいと。大丈夫――彼女・・なら必ず上手くやってくれます」

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