「かごの中のリルル」

 東の地平線にまだ顔を見せ始めたばかりの太陽が、王都にそびえる王城・エルカリナ城の壮麗そうれいなたたずまいに、巨大な影を投げかけさせていた。

 大型馬車の前後を固めた二十数騎の重騎兵が、堂々たる列を作り、通りの通行の全てに優先してゆるやかに進んでいく。とがめの声が投げられる必要もなく、人々の全てはその行進の威容いようの前にみずから道をゆずり、声もなく見守った。


 それは、整然、という言葉を体現するかのような行進だった。


 早い出勤の市民たちがその異様なほどに重々しいさまに足を止め、何事かと息を飲んで群れをなす。

 この規模きぼ護衛ごえいともなう必要があるのは誰なのか、馬車の中に隠れて顔も見せないのは、いったい誰なのか。


 朝、ここに来るまでにすごい列を見た――誰もが噂話うわさばなしとしてはやし立てるであろうその行進は様々な憶測おくそくを呼び、想像の翼をそれぞれに羽ばたかさせながら、運河の鉄橋を渡って官庁街かんちょうがいを北上し、白亜はくあの城に向かって、ただただ前進を続けた。

 一度たりとも止まることも、私語がこぼされることもなかった。



   ◇   ◇   ◇



 窓が鋼鉄のおおいで閉じられ、魔鉱石まこうせきの小さなランプの光がともる暗い車内の中でリルルはずっと息を詰め、体がちぢまるような緊張の元で口を真一文字に結んでいた、

 ニコルとフィルフィナが無事だろうことは、馬車の内側に必死に耳を当てて外をうかがっていたことで、見当はついている。


「――――――――」


 張り詰めきった神経をおさえながら、リルルは手首の黒い腕輪を静かにでた。ニコルを呼びにいくために飛び出していったフィルフィナが、その間際まぎわに渡してくれたものがいくつかある。万が一の時には役に立つだろう。


 この切り札は、王城の中では自分一人しか知らない――リルルが快傑令嬢リロットであるという、切り札は。



   ◇   ◇   ◇



 馬車が停止したのは、屋敷の庭を出てから小一時間ばかりったころだった。

 鍵が開けられる音が響く。リルルがつばを飲み込むのと同時に、扉は開いた。


「――リルル様」


 開いた扉の向こうでは、ベージュ色に染められた長く重そうなローブを着た男が頭を下げていた。背はリルルと同じくらいの、四十半ばくらいの男だ。


「ここが目的地でございます。どうぞお降りください。道中、ご不便をおかけしまして申し訳ありません」

「――――」


 その謝辞しゃじに唇の端だけで返したリルルは、馬車を降りた途端に、肌に迫るように感じる威圧感いあつかんに振り返った。


「ここは……やはり・・・……」


 急勾配きゅうこうばいの丘が、すぐ目の前に迫っている。この街でこんな丘がある場所は一つしかなく、リルルは考えるよりも先に、高低差五十メルトはある丘の上に視線を向けていた。


「エルカリナ城――」


 王都エルカリナ市民のほこりでもある偉大いだいな建造物が、まさしくリルルを足元に置くようにしてそびえ立っていた。


 九層の本城の高さは百メルトに達し、最上層からさらにびた四つの尖塔せんとうは、それぞれに三十メルトほどの高さがある。丘の高さを加味かみすれば、尖塔の先端の高度は百八十メルトほどにおよぶ――王都においてこの高さを越える構造物はない。


 にはおとずれたことのない、その城。遠くから見慣みなれているはずの城が、視点を変えると普段は感じない圧倒的な迫力を感じさせた。

 自分がこの城の住人として入ることになるなど、つゆほども考えたことはない。


「リルル様、ご足労そくろうを願います。こちらでございます」

「……わかりました」


 本人が爵位を持っているわけでもない、令嬢という立場に過ぎないリルルに男はうやうやしい態度で接する。目の前の小娘が、未来の王妃であると認識していればそんなものか。


 馬から下りた重騎兵が道を作るように並び、リルルの行き先を示している。目深まぶかかぶられたかぶとに表情を隠した重騎兵たちの間を、リルルは一言も発さずに歩く――丘をくり抜くように掘られた通路に向かって。



   ◇   ◇   ◇



 広く長い通路の奥に設置された大型昇降機エレベータで丘の標高ひょうこう分を移動し、リルルは城の内部一階に上がった。出迎でむかえをしてくれたローブの男の先導せんどうしたがい、四人の騎兵に前後左右を固められたまま、今度は王城本体を縦につらぬく昇降機に乗り込んだ。


 王城の一階は、正式な市民であれば正門の検問を通ることで訪れることも許されている。が、そこからの上層は別の話だった。


 昇降機は七階で停止し、護衛達にうながされてリルルは昇降機を出、階段に第八層への階段に向かう。その途中、たくさんの兵士やメイド、使用人や官僚かんりょうたちがすれちがい、その誰もが腰を折ってリルルに道を空け、わきひかえた。


 リルルには、自分が特別あつかいされているということに、喜びもときめきもなかった。ただ、おかしな世界にまぎれ込んでしまったという戸惑とまどいがあるだけだった。


 八階に続く階段の前で兵士達による厳重げんじゅうな身分確認が行われ、階段を上がる――そのまま九階に上がるのかと思いきや、先導の男は九階に続く上りの階段から離れた。

 リルルは少なからず驚いた。その階段を上がって、王との謁見えっけんがあるとばかり思っていたからだ。


「……玉座ぎょくざの間に行くのではないのですか?」

「こちらです」


 向かわされた城の角に当たる部分に、またも検問があった。

 そこにやりを手にして立っている四人の兵士の違和感いわかんにリルルはまばたき、次にその違和感の正体に気づく。


「……女性の兵士……?」


 今まで何十人という衛兵えいへいとすれちがったが、女性の兵士などはいなかった。その体躯たいくで壁を作るように横の一列を作っている四人は、男性にも引けを取らぬ堂々とした体格だが、顔は確かに女性のそれだ。

 そして、その四人をしたがえるようにして、一人の執事しつじらしい服装に身を包んだ人物がリルルを待っていた。


「お初にお目にかかる光栄によくします、リルル・ヴィン・フォーチュネット様」


 長身の女性・・だった。


わたくし、リルル様のお世話を担当させていただくことになりました、コルネリアと申します。以後、よろしくお願い申し上げるほどのことを――」


 うなじが見えるくらいに短く切りそろえられた髪、小さな丸眼鏡が理知的な雰囲気をかもし出している。執事とメイド長、その中間といった中性的な雰囲気があった。


「リルルです」


 リルルはカーテシーをする気にもならなかった。来たくもないのにここに来たのだ、という言葉をほおの片側いっぱいに張り付ける表情でこたえた。


「ここから先が、リルル様のお住まいとなる場所になります。どうぞこちらへ」

「ここから先って……」


 四人の女性兵士が厳重げんじゅうに守っているのは、一枚の赤くられた鉄扉てつびだ。金庫室なのかと勘違かんちがいするほどに厚そうな鋼鉄の壁に、鋼鉄の扉が収まっている。この階層のはしであるはずのここから先に、さほどの広い部屋があるとはリルルには想像できなかった。


「この扉の先は、尖塔せんとう基部きぶになっております。尖塔そのものがリルル様のお住まいとなるのです」


 よどみのない、意外に低い声でコルネリアが語る。その姿がリルルには教師のそれに見えた。


「尖塔が……?」

「奥に昇降機と非常階段がございます。この扉の先に入ることができるのは女性だけ。例外は、国王陛下ただお一人でございます」

「その陛下はどちらにいらっしゃるのです?」

「陛下はただいまお休みであられます――さあ、リルル様、こちらへ」


 コルネリアが女性兵士に合図を送る。厚みが人差し指の長さはあろうかという厚みの扉が二人がかりで開かれ、リルルの前に今まで想像したこともない世界の入口があった。



   ◇   ◇   ◇



 尖塔の外壁に沿って上下する昇降機に乗るのは、リルルにとって少しの恐怖をともなう行いだった。先導するコルネリアが顔色ひとつ変えないので安全とはわかってはいるが、外に昇降機そのものが露出ろしゅつしている型のものに乗ったのはリルルも初めてだ。


「先ほども申し上げましたが、この尖塔そのものがリルル様の生活の場でございます。下は機械室ですが、これは昇降機並びに生活設備のための部屋。その上がリルル様専用の浴室とお手洗い、その上が物置、さらに上が寝室、最上階が居室きょしつとなっております」

「はあ……」


 要するに、自分専用の屋敷が縦に積み上がっているということか。もよおしたらいちいち昇降機に乗らなければならないのか。


「こちらが居室でございます」


 開いた昇降機の扉から少しの空間に出る。正面にひとつ、右手にひとつの扉が見えた。


「脇の扉は非常階段となっております」


 コルネリアが扉を開くと、風がひゅうと吹き込んできてリルルの顔を冷やし、のぞけた鉄骨と鉄の板だけの階段の姿にリルルのきもこごえた。人が落ちない程度にしか間隔かんかくがない鉄格子の隙間すきまからは、王都の景色がほとんどさえぎられていない――空をのぼり降るような階段だ。


「お身体からだが落下しないようには設計されております。ですが、お足をすべらせることも考えられます。これをお使いになられる時は、くれぐれもご注意ください」

「……気をつけます」


 律動りつどうの調子が速まった心臓を押さえながら、リルルは苦くなる舌の味に耐えながら応えた。


「朝早くの移動で、大変お疲れになったことでしょう。こちらの部屋でお休みください」

 

 コルネリアが居室に続く扉を開く。どうぞ、と促すコルネリアに従い、リルルは足を踏み入れた。



   ◇   ◇   ◇



 エルカリナ城においても最も高い高度に位置するその居室は、リルルの屋敷の居間とほぼ同じ大きさの部屋だった。中央に四人、無理をすれば六人がかけられるローテーブルとソファーが置かれており、物書きづくえが部屋のすみえられ、大きなタンスと本棚、少し離れて暖炉だんろが並んでいる。


 カーテンが掛けられた四方の大きな窓からは、王都エルカリナの全景はおろか、そのはるか先の海や草原まで一目で見渡せる絶景が広がっていた――人間の頭ひとつがぎりぎり通せるくらいの間隔でかけられた鉄柵てっさくがなければ、もっといい景色であったろうが。


 リルルはその窓のひとつから外界を見下ろす。北西の方向に見えるひとつの屋敷に意識が止まった。


「あれは……ゲルト侯の屋敷……」


 今年の早春、叛乱はんらん未遂の罪で逮捕され、家が取りつぶされたゲルト侯爵の屋敷がそのまま残されていた。その叛乱計画をつぶすために快傑令嬢として現場に舞い降りた自分が立っていた尖塔の屋根は、まさしくこの上にあるのだ――その偶然ぐうぜんにリルルは肌が粟立あわだつのを感じた。


「どうかなさいましたか?」

「い……いいえ、素晴らしい眺めだなと思って」

「ここに伝声管でんせいかんがございます。御用ごようがございましたら、いつでもこれを通じてお命じくださいませ」

「コルネリアさん……でしたっけ。私、お城の中を色々見たいのです。あとで案内を――」

「それはかないません」


 変わらないコルネリアの口調が、その内容の強さを一瞬ではリルルに伝えなかった。


「リルル様には、この尖塔からご勝手に出る自由はございません。公式の行事以外には、リルル様は基本、この尖塔の中だけでお過ごしになられることになっております。もちろん、城の庭や街などはもってのほかでございます。よろしくご了解のほどを――」


 言い返す言葉も探せないくらいの衝撃しょうげきに打ちのめされながら、リルルはやっとわかった。

 ここは、牢獄ろうごくなのだと。

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