「国王の帰還と回想」

 街の西方せいほうに太陽がかたむき、主婦たちが夕食の献立こんだてを頭の中で思い浮かべ、買い物に出る時間。

 王都エルカリナの北西、街のほぼ全域が平地であるはずの王都の中で唯一ゆいいつ、小高く盛られた丘の上にその巨城はそびえていた。


 世界最大規模の九つの階層、その上に天を突くような四本の尖塔をいただく、美姫びきのように白い肌を持つ壮観そうかん美麗びれいさをほこる城、エルカリナ城。


 十二カロメルト四方の城壁で囲まれた巨大城塞都市、それを二カロメルト四方で区切くぎった、横六列縦六行の計三十六個の区画くかく。そのうちのひとつをまるまる使ったこの城は、四百五十年の間、エルカリナ王朝の居城として君臨くんりんしてきた、歴史も由緒ゆいしょもある城だった。


 丘自体が十メルト以上の厚く背の高い城壁に囲まれ、壁の前も後ろも深い堀が築かれ、都市の城壁を突破されてもなお高い防衛力をたもつ。

 そのエルカリナ城の巨大な城門に続く短い橋を、一台の馬車と二騎の騎兵が通過していた。


 門を固めている衛兵えいへいに止められ、短い検査を受けてさらに中に進む。城が鎮座ちんざする丘のふもと、城の一階玄関にまで続く長い階段の前で、馬車と騎兵たちはそれぞれに停止した。

 馬から下りた騎兵の一人がもう一人に馬を預け、階段を無視して丘の周りに沿って歩く。


 騎兵はやがて、丘の内部に向かって掘られた、広い通路に差し掛かった。入口に立っていた衛兵たちが槍を合わせてその進路をさえぎるが、騎兵の男は肩に着けられた紋章を示してその槍を開けさせた。

 騎兵はそのまま、馬車が四台はすれちがえるはばの通路に入っていく――明かりがともされた通路は、奥まで長い。


 通路を突き当たると、大型昇降機エレベータの扉があった。近くの伝声管でんせいかんを開いて一言げると、ややあって上方から昇降機が下りてくる。大きな寝台をそのまま運び込める広さの昇降機に騎兵は一人乗り込んで扉を閉めると、ただ一人を乗せた昇降機は無言で上昇した。


 城の第一層、大ホールの裏に到着した昇降機を降り、騎兵は城の階段を上がっていく。第二層、第三層、第四層――人の出入りが激しい城の中は、廊下ろうかや階段を行き来する人間も多い。何十人もの官僚かんりょうたちや使用人たちがその騎兵とすれ違うが、軽い会釈えしゃくをしても、特に気にめる人間もいなかった。


 が、それも第七層までの話だった。上層に行くために数カ所あった階段が、第七層ではただ一箇所いっかしょしぼられ、さらにそこには完全武装の屈強くっきょうな衛兵たちが、四人で壁を作っていた。


「誰か!」


 歩を緩めずに階段に向かってきた騎兵に、衛兵たちが鋭い声を飛ばす。それに騎兵は顔の半分を隠しているかぶとを取って応えた。下から現れた顔に、衛兵たちの背が一斉にびる。合わせたように全員のかかとが合わされ、鳴らされた。


「こ、これは――」

「任務ご苦労。いい仕事ぶりだ。誰がここを通ろうとしても厳しく確認したまえ。たとえ、相手が国王であったとしても・・・・・・・・・・な」

「かしこまりました……」


 衛兵たちが別れて道をける。軽く手をかざして騎兵はその間を通り、上方への階段を上がった。

 上がった第八層には南側に何部屋かの貴賓室きひんしつが設けられ、壁で仕切られ固く閉ざされた北側の区画には、ある意味でこの城では最も重要な部屋が存在していた。


 それに繋がる扉もまた、六人の衛兵たちで固められ、アリの子一匹通さない厳重さをその態度で示している。兜を小脇に抱えた騎兵がその前に立つと、衛兵たちは一斉に敬礼けいれいで応えた。


「お帰りなさいませ、国王陛下・・・・!」

「――任務、大儀たいぎ


 分厚い鋼鉄製の扉が衛兵によって開かれ、国王の居住区への道が開く。騎兵の男――にふんしていたエルカリナ王国国王『ヴィザード一世』、ヴィザード・ヴェル・ザラードはゆっくりと足をみ入れた。


 短く刈り込まれた髪と頬のあごひげが、精悍せいかんさと若々しさをうかがわせる壮年そうねんの男。


 がっしりとしたたくましい幅の肩をわずかに揺らし、背後で扉が閉ざされる音を聞きながら、ヴィザードは自室に向かって廊下を歩いた。



   ◇   ◇   ◇



 自室に入ると胸に装着していた胸甲きょうこうを外し、兜を台の上に置いてヴィザードは、窓際の椅子に深々と腰を下ろした。

 北東を望める窓からは、東の市街地と北に面する城壁、その向こうの草原の緑がよく見える。敵軍がこの王都に押し寄せてきた時、海軍の援護がない方角を国王自らにらむ必要があった。


 多少日当たりが悪けれど、歴代の国王たちはそこを居室きょしつとしてきた。ヴィザードも例外ではない。


「――光を閉ざせ」


 ヴィザードがつぶやくと、窓にかかっていたカーテンの全てがひとりでに閉まった。窓の外では鋼鉄製の合わせ扉が自動的に閉鎖へいさされ、室内は一瞬にして、真の暗闇と化した。

 その中でヴィザードは目をつぶり、数時間前までの光景をまぶたの裏に投影して思い出す。


「面白い男だったな……」


 覚醒と眠りの狭間はざまで、ヴィザードは闇の中でその光景を動かし始めていた。



   ◇   ◇   ◇



 兜を脱いだその下から現れた顔を目の前にして、ログトの心臓が数秒の間、停止した。

 声にしなければならない言葉が舌の上でねばり着いて、口から出すことができない。息を吸うことも上手くできなくなって、ログトはのどを引きつらせた。


「あ……あ、貴方あなた様は、こ、ここ、国王陛下……」

の顔を覚えていてくれたか」

「と……とと、当然でございます。私とて、国王陛下から爵位しゃくいを預かっている身でありますれば!」


 ログトのひざね上がった。すっ飛ぶようにして絨毯じゅうたんの上でひざまずき、そのまま頭を限界にまで下げてひたいをこすりつける。


「どうか、ご無礼をお許しくださいませ! まさか陛下がこんな所に来られるとは思いませんなんだ!」

「そのための変装へんそうだ。フォーチュネット伯爵、そんなに緊張きんちょうしなくてもいい。余は家臣にそんな緊張を求めない。あと、平伏も不要だ。イエルの正体をそなたが看破かんぱした様は余も感じ入ったのだ。そんなそなたが、そういう格好をしているのは見たくないな」

「は……は、はは、は、はっ……」

「座るがいい。フォーチュネット伯」


 息をいて、吸う。寝ていてもできるはずのそんな繰り返しが上手くできず、喘息ぜんそくの軽い症状のようにログトは不規則な呼吸に苦しむ。そんなログトの様子にヴィザードは軽く笑い、立ち上がってかざだなに並べられている酒瓶さかびんとグラスを運んできた。


 グラスに琥珀こはく色の液体を小さくそそぎ、それを数倍の水で割る。


「ひとまず、飲んで落ち着くことだ」

「へ……陛下……」

「そなたが下戸げこであることも知っている。かなり薄く割ったから問題はないだろう。さあ」

「お……おそれ多いことでございます……」


 ログトはテーブルのグラスを震える両手でつかみ、その縁に口をつけてゆっくりと口に流し込んだ。体の戦慄わななきでグラスから水割りがこぼれないのが、不思議なくらいだった。

 小さなグラスの酒を数十秒かけて半分を飲み、震えが止まらない手でグラスをテーブルに置く。


 体の骨のつなぎ目がおかしくなったような動きでログトはソファーに座り直すが、国王に対してまともに頭を上げることができず、自分の膝を見つめ続けるだけだった。


「気楽にしたまえ。そうでなくては話しづらくて困る。それともそう命令した方がいいかな?」

「は――は、は、は――。す、少しお待ち下さい、心臓の調子が……」

おどろかせてすまなかったな。うわさの大水産会社の社長がどういう人物か、ありのままの姿を見ておきたかったのだ。見ているのが国王と知れば、そなたは自分を隠すだろう」

「それはそうですが、しかし、何故なにゆえにこのようなことを……」


 素性すじょうを隠して国王が自ら面会に来る、しかも奇襲きしゅうの形で――その事実にログトの頭が対応できない。


「単刀直入にいおう」


 ヴィザードは脚を組み、ソファーの背もたれに体を沈み込ませた。


「そなたの娘、リルル・ヴィン・フォーチュネット嬢を、我がきさきむかえたい」

「っ」


 ログトの体が一瞬、一回りちぢんだ。顔の筋肉の制御せいぎょができなくなり、その全部が勝手に震え出した。


「も……申し訳、ございません。今一度、おっしゃっていただけますでしょうか……。もしかしたら、聞きちがえがあったやも知れません。今、私の娘を国王陛下の后に、と仰った気がするのですが……」

「きちんと聞こえているではないか。その通りだ」

「…………!」


 ログトの震えは全身に回り出す。気を落ち着かせようと再びグラスに手をばすが、指の震えがグラスをつかませてくれなかった。


「リ、リルルを、お后にでございますか……!? 失礼ながら、陛下は、確か……」

「まだ妻は一人もおらぬ。というわけで、貴公の娘御むすめごを正妻として迎えたい。――何故このような話をこんな形で伝えにきたか、聡明そうめいな貴公には理解できるだろう」

「……陛下が、私などという者とおおやけの場で対面すれば、周囲がどのように反応するか予想ができないから、でございますか……」

「余が誰かと会うというだけで憶測おくそくが飛び、うわさになる。国王という立場は面倒なものでな。余が初めての妻をどの家から迎えるかというのは、周りがさわぎざわめくほど重要なことらしい。妻ぐらい、余の気分で選ばせてほしいものだ」

「し、しかし、何故、選ばれたのが我が娘リルルなのでございましょうか。他にも候補になりそうな姫君はいくらでも――」

園遊会えんゆうかいでリルルとは会った。貴公もその場にいただろう。リルルはとても心優しく、それでいてしんが強い娘だ。健康にも問題あるまい。可憐かれんで美しくもある。なによりも重要な点が、ひとつ」

「父である私に、政治的野心がない……」

「そうだ」


 ヴィザードは微笑ほほえんだ。満点の解答を示した生徒を見る教師のようだった。


「そなたはどの派閥はばつにもくみしていない。政争にも無縁だ。我が国にも対立している大きな派閥がある。そのどこかから妻を迎えればきっと騒ぎだそう。均衡バランスくずれるとな」

「しかし私にも、私にも野望はあります。それは」

「旧フォーチュネット伯爵領の事情は知っている。調べさせた」


 ログトが開けた口から、本当に言葉が出なくなった。


「四十年前に貴公の父がヴェニスタ伯爵に売却したフォーチュネット郡。売却額を調べさせて、笑ったよ。たった一千万エルか。その千倍でもかない値打ちのものを、よくもそんな少額で」

「……おろかな、愚かな父の所業しょぎょうです。そのわずかな金もあっという間に使い果たし、父は口にするのもはばかられるやまいで死に、私は無一文むいちもんで王都に出て来ました。わずか十六歳の時でございます」

「苦労をしたな、フォーチュネット伯。そなたの娘をもらい受ける代わりに、余もそなたに与えるものがある」


 ヴィザードはふところから小さな冊子さっしを取り出し、それをログトとの中間点に置いた――ログトの目が、まさしく裏返るように見開かれた。

 フォーチュネット郡支配における権利証明書だった。


「国王命令を発して当時のフォーチュネット郡における売却案件を、借金という形に改めさせた。フォーチュネット郡は担保たんぽとしてヴェニスタ伯爵が預かり、一千万エルを年利一割五分で借りた父親の借金を、そなたが相続そうぞくしたという形にだ。これにはヴェニスタ伯爵の同意・・を得ている」

「つ……つ、つまり……」

「フォーチュネット伯。そんな借金を途中返済なしで四十年間放っておけば、どのくらいの額になるかわかるか? ああいい、計算させてある。つまり、私がいう次の額を一括返済いっかつへんさいできれば、貴公は旧領を取り戻せる。

 ――三十九億エル、この場で小切手を切れるか」

「切れます!!」


 ログトは小切手帳を懐から取り出した。血走る目でそれをにらみながら、万年筆まんねんひつふたを開けた。ペン先が曲がるような筆圧ひつあつで、長いけたの数字を書き込んでいく。


「これくらいの額は、とうの昔に用意しておりました!! ただ、ただ……」

「ヴェニスタ伯爵は売却案をがんとしてこばんだのだろう。無理もない。あんな豊かな穀倉地帯こくそうちたいはエルカリナ王国でもふたつとない。伯のその紋章も、小麦に由来ゆらいするものなのだな」

「私は幼少から、春に秋に黄金の海となる麦畑に囲まれて育ってきたのです。それを……それを今、取り戻せるというのですね……!」

「その前に、大切なことを貴公の口から聞いていない」

「リルルは、差し上げます!」


 金額を書き込んだ小切手を切り、首が折れるくらいに頭を下げたログトは、それを両手でヴィザードに差し出した。


「元より、陛下の申し出を断ることなどできません! それに……それに、我がから王妃を輩出はいしゅつすることができるなど! これ以上の名誉がありましょうや! わ……私は! 生きていてよかった! 今まで人を裏切り、人に裏切られ、働いて、働いて、働き続けて……!」


 ぶる、ぶるるとログトが背骨のしんから震えた。えたぎるような感情の熱さに熱せられたものが体中にこみ上げ、濁流だくりゅうのように荒れくるったそれは、涙という形になってログトの目からき出した。


「それが! 今日、今日やっとむくわれるとは! 今まで散々にあざけられ、馬鹿にされ、陰口かげぐちを叩かれ……それでも希望を捨てずに生きてきた! 私の四十年間は今、まさにこの日のためだけにあったのです! 陛下、申し訳ありません! この場で声を上げて泣いても、よろしいでしょうか!」

「許す」


 ヴィザードのうなずきに反応したログトが、ソファーから跳ね上がり、絨毯じゅうたんひざを着くとそのまま、長い毛の織物おりものに顔を押しつけて泣き始めた。窓ガラスがその大きさに震えるほどの、文字通りの号泣ごうきゅうだった。


「泣くがいい。そなたのことだ。四十年の間まともに泣いてこなかったのだろう。四十年分の涙をここで流しくすのだ。貴公の気が済むまで余は待とう。何時間かかってもいい。泣け」


 国王の言葉にしたがうように、泣き声が音量を上げる。収まるのに小一時間はかかりそうなその男泣きに、ヴィザードは目を閉じた。決めなければならないものは今、決められた。あとは細かい調整だけだ。


「――リルル・ヴィン・フォーチュネット、か……」


 口の中でつぶやく。

 園遊会でじかに会った時の彼女の印象はまだ鮮やかな残像として、心の中にあった。


「運命めいたものを感じないでもなかったが、こういう形になるとはな。しかし、なってしまえばそれは必然と思える。我がたった一人の后には、あやつこそ相応ふさわしいというわけだ……」

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