「それぞれの夕暮れ、それぞれの夜」

 瞑想めいそうに似た回想を終え、ばした自分の手も見えぬ濃い闇の中で、国王ヴィザードは目を開いた。

 窓も閉め切り、扉にも頑丈がんじょう施錠せじょうしているはずの部屋の中で空気がひとつ、かたまりとなって動く。


「――――フン」


 それを鼻の先でとらえ、ヴィザードは椅子いすの上で居住いずまいを正した。


「――勝手に入って来るなと、いっている」

「あら、それは失礼をいたしましたわね」


 部屋の真ん中にふうぅ、と紅い火球が灯った。

 火――いや、それは火のように振る舞う光だった。熱はほとんど発しておらず、大きな人魂ひとだまのように、立ち上る炎のをゆらゆらと揺らしている。


「嫁取りはいかがでした? こんな時期に身を固められるとか、ずいぶん余裕ですのね」


 間延まのびし緊張感きんちょうかんに欠けた、女の声。


「こんな時だから、だ。そろそろ忙しくなる。が、そなたたちの出番はもう少し後だ」

冗談じょうだんじゃねぇよ、もうずいぶん待たされてるぜ」


 巨大な人魂がもう一つ、闇の中に浮かび上がった。紅い人魂と少しの距離きょりけ、き通るような金色の光にそれは揺れている。


「ヴィザードのおっさん、こっちの準備はとうにできてるんだ。魔法陣まほうじんの扉を開けてくれないと話になんねぇんだよ。うちの親父もそろそろブチ切れる頃合ころあいだぜ。なんとかしろよ」


 少年と青年の狭間はざまのもののような、耳に突き刺さる高さを残した男の声。


皇子おうじともあろう立場の者が、言葉づかいがあらいのだな」

「うっせぇ。こっちの差し迫った事情もさっしろよ。やり手の国王なんだろうが」

「もう間もなく、とそなたの父には伝えておいてくれ。そう待たせはしない」

「うちの親父は機嫌が悪いと、平気で約束も破るぞ。覚えとけよ。まあ俺も負けじと気は短いんだけどな」

「とはいえ、契約けいやく履行りこうされないと困るのはそちらも同じだろう。待てないことはないはずだ」

「ち――」


 人としての姿は見えなくとも、その息づかいから歯噛はがみしているような表情は想像できた。


「足元見やがって。まあいい、また催促さいそくしに来るからな。――モーファ、釘刺くぎさしはこんぐらいでいい。今は消えるぞ」

「はいはい、わかったわ。じゃあ陛下、ごきげんよう」


 ふたつの人魂が同時に消えた。

 厳重げんじゅうな警備や防壁ぼうへきなど、自分には関わりないといわんばかりに侵入しんにゅうしてくる存在に、ヴィザードは長い息をく。

 いつでもお前の寝首はけるぞ――おどしに来たようなものか。


面倒めんどうな奴等だ……」

「あたしまで邪険じゃけんにするわけじゃないでしょう、陛下?」


 椅子に身を沈めたヴィザードのすぐ側、座っている国王の肩を抱ける距離きょりに、もう・・一人の気配が浮かび上がった。

 今度は人魂のような曖昧あいまいなものではない、明確に人の姿を取ったものだった。


「お前まで来るのか」

「ご挨拶あいさつね。どうしてこの時期に嫁取りなの。貞淑ていしゅくな妻が欲しいのなら、いつでもあたしが結婚してあげるのに」

「お前が? 冗談が過ぎるな」


 ヴィザードが口元の形だけで笑った。


闇の森妖精ダークエルフなど王妃に選んで公表してみろ。たちまち国中に非難ひなんが吹き荒れて、面倒の嵐が巻き起こる。ただでも忙しくなるというのに、余計な騒動まで抱えていられるか」

「それって差別じゃないかしら?」

ちがうものに差をつける。当然のことだ。そんな冗談に付き合っている余裕もないのだ。ティターニャ・・・・・・

「ふふ」


 深いあおの色を肌に焼き付けた若い女性――人間ではあり得ない肌の色と、後ろに鋭くびた耳の形を見せるダークエルフはその異形いぎょうを、光のない空間においても浮かび上がらせた。

 絹糸きぬいとのように細い金色の髪が顔の半分を隠し、片方の半面で開かれた目には、この世の深淵しんえん煮詰につめた気配をうかがわせる、黒い瞳が埋め込まれている。


「もう左の腕は完治したのか」

「前の感覚が戻ってきたところよ。腕を再生させるのは簡単だけど、馴染なじむまでに時間がかかるの」

「便利なものだ。その傷の治り方だけは欲しいものだな」

「手に入れるつもりなんでしょう?」


 ぴくり、とヴィザードの肩が揺れた。その一瞬の動きを見て取ってティターニャは微笑ほほえむ。


「隠してもダメ。貴方あなたが欲しがっているものは先刻承知せんこくしょうちよ。ま、もう少しでお宝に手が届くかも、となれば誰でも身を乗り出すでしょうね。それで落っこちる奴等も多いけれど」

「……だとしたら、どうする? あの二人に密告するか?」

「あたしは陛下の味方よ」


 ティターニャは、後ろから椅子ごとヴィザードの体を抱きしめた。細く長い指の腹で国王の顔を、ひげの感触を楽しむようにでる。


「貴方の野望に協力してあげる。人間界も魔界も、何もかもをも手に入れたいという大それた望み。魔界の王が地上を望むのはめずらしくもないけれど、反対というのはあまり聞かないわね。いちばんのお目当ては? やっぱり永遠の命?」

「それもある」

「魔界の王でもそれは今まで望み得なかったけれど、ふたつの世界を統合してしまえば見つかるのかも知れないわね、でも、悪い子孫さん。御先祖ごせんぞはそういう見返りなしに世界をお救いになられたのに」

「先祖と子孫は違う人間だからな」

「協力した分、ご褒美ほうびをくれればなんでもしてあげる。あの二人よりは貴方の方に風が吹いていると思うもの。それに、人間如き・・の存在でそんな大それたことに挑戦するあなたの心意気に、心底れているのよ――表の妻はあのリルル、とかいう娘でいいわ。裏ではあたしを可愛がってね」

「私がお前と寝る? 冗談じゃない。お前と情を通じるつもりはない」

「その言葉、撤回てっかいさせてあげるわ。じゃあ、忙しいからこれで」


 ティターニャは薄いくちびるでヴィザードの髪にそっと口づけをすると、そのまま闇の中に姿を溶かした。

 闖入者ちんにゅうしゃの全てが去り、ようやく一人になれたヴィザードは、首をめぐらせて小さく音を鳴らした。


嘘吐うそつきめ……」


 口の中でつぶやいてから、片手を軽くかかげた。またもひとりでにカーテンが動いて窓の外をあらわにする。

 窓をふさいでいた外の鉄扉てつとびらも開き、部屋に明かりを差し込ませた。西からの夕陽によって茜色の光と暗い影をくっきりと際立きわだたせた王都の街並み、そしてその外に広がる草原が見える――外界がいかいだ。


「しかし、嘘吐きは私も同じか。――どちらの嘘がまさるのか、嘘の吐き比べという奴だな」


 ヴィザードは椅子から立ち上がった。そろそろ近侍きんじが世話のために現れる頃合いだった。



   ◇   ◇   ◇



 その夜、リルルは眠れぬ時間を布団の中で過ごしていた。

 国王との婚約こんやくが成立したと告げた父が日没にちぼつ前に屋敷から去ると、それと入れ替わるように、甲冑かっちゅうに身を包んだ三十人ばかりの兵士たちが屋敷に押しかけてきたのだ。


「国王陛下の命により、リルル嬢の警護任務にくためまかり越しました。お屋敷の庭を騒がせることを、ご容赦ようしゃください」


 親衛隊小隊長と名乗ったいくらか年かさの兵士は礼儀正れいぎただしく、それでも有無うむをいわせない口調でリルルにそう挨拶あいさつした。リルルが首を振る前に兵士たちは配置につき、屋敷の塀の内部を完全に固めた。


 庭にかかる夜の闇の全てを払うかのようにたくさんのかがり火がかれ、カーテンの厚みを通して部屋に入ってくる炎の色にリルルの寝室もめられて、闇にならない。一度外出したいと提案してみたが、すげなく却下きゃっかされた――これでは軟禁なんきん同然、いや、立派な軟禁ではないか。


 幸いというべきか、屋敷の中に配置された兵士はいなかった。居間いま転移鏡てんいかがみを使えば、いくらでも気づかれずに外との出入りはできる。が、なにかの拍子ひょうしに秘密の外出に感づかれる可能性も排除はいじょできない。ログトが屋敷にいた日中、目を盗むようにしてニコルの家にけ込んだのが外出の最後だった。


 今までにない事態にフィルフィナも緊張し、警戒のために隣の居間に詰めて仮眠を取っている。まさか親衛隊がリルルに対し狼藉ろうぜきおよぶことはないだろうが、なにが起こるかわからないという緊張がフィルフィナの警戒心をゆるめさせなかった。


 万が一のため、居間と寝室の扉と窓の裏には、物理閉鎖のふだを貼っている。押し込んでくる者がいればそれで十二分に時間はかせげる。その間に転移鏡でアジトに抜けてしまえばいい――。


 それだけの段取りを重ねつつも、リルルの心をおおうう霧は一向に晴れはしなかった。もう一つの根本的な、払うことのできない問題があったからだ。


「――どうして、私なんかが陛下のおきさきに…………」


 表の親衛隊たちはリルルを守っているのではない、王妃候補を護衛ごえいしているのだ。その王妃候補などに何故自分ががってしまったのか。なにより、国王との縁談などという話を反故ほごにできるはずがないという絶望が、リルルの目をえさせていた。


 ニコルと手をたずさえ、自分たちの幸せのために父と対決する――その意志が、簡単に折られた。覚悟を決めて三日とっていないというのに。

 自分とニコルは、逃げようと思えば逃げられるだろう。しかし、残されたものたちはどうなるのか。


「お父様の会社だって、陛下ににらまれればひとたまりもない……。お父様がやしなっている人たちは、万人単位でいるようなものだもの。その人たちの生活が基盤きばんからくだかれるわ。断りようがないじゃないの……!」


 今までの婚約話は、話のもつれや問題の勃発ぼっぱつでどうにかなった。それくらいの規模きぼの話だった。

 国王との婚約がそれにじゅんじるものだとは、到底とうてい思えない。誰がこんな話をつぶせるものか。


「ニコル……私たち、どうすればいいの……」


 もう涙も流しくしたリルルが、布団の中でもだえるように寝返りを打ち続ける。目元とほおには涙が流れた痕跡あとが肌にきざまれるように残って、その深さが少女の絶望の深さを物語った。



   ◇   ◇   ◇



 眠れない夜を過ごすのは、ニコルも同じだった。


「――ニコルお兄様、お眠りにならないのですか」


 寝台の上でロシュが体を起こして声をかける。深夜の暗がり、人々がもう眠りにつくはずの時間の中で、物書きつくえの前に座るニコルは、親指の爪をみたい衝動しょうどうと必死に戦っていた。


 幼いころからの、みっともないからと強い意志で矯正きょうせいしたはずのくせあせりとなにもできない苛立いらだちに、それがぶり返すのを理性で必死にとどめながら、ニコルは時間の経過と戦っていた。

 頭も目も全てが覚めきっていて、眠気の一滴いってきもない。


 内臓の全てがなまりの重さになり、体の下に沈もうとするのに似た不安感と組み合い、眠れもしない夜が過ぎて明けるのをニコルは、ただ待った。

 ――それが明けたところで、どうにもならないというのが、わかっていながら。

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