「大人たちの密談」

 銃の山の火口のふち、それを越えるか越えないかという高さに、塔の屋上はあった。

 直径ちょっけい百二十メルトの円形、下の階から上がってくる階段以外はなんの設備もない屋上だ。

 その中心には一台の円形のテーブルがえられ、向かい合って置かれているのは、たった二脚の椅子いすだ。


 その安楽椅子あんらくいすの一脚に、ウィルウィナは腰掛けていた。高い背もたれと深い腰掛けに体を預け、底が弓なりにった脚をらし、さざ波のような揺れに身を任せている。

 テーブルの上にはふたつのグラス、たっぷりの氷水と二本の酒瓶さかびんが入った金属のおけが置かれているが、酒瓶のふうはまだ切られていない。


 本当に良い天気だった。


 薄い雲が小さく浮かぶだけの濃い青空の真上、そこに真昼の太陽が鎮座ちんざし、塔の中では浴びることのできない自然光を下界に注いでいる。つばの広い帽子ぼうしで顔だけに陰を作り、白く薄い生地のワンピースドレスに包んだ体で、の恵みを受けていた。


 止まったような時間がそこにあった。

 今までこの塔でり広げられていた全てのせわしなさが、まるで冗談に思えるような時の流れだった。

 固い床をたたく足音が近づいてくるまで、エルフの女王は時間を忘れ――そして、思い出した。


「やあ、待たせたね」


 ウィルウィナが帽子の鍔を上げると、ゆったりとした歩調で歩いてくるフェレスの姿があった。いている対面の椅子にまるで当然という顔で座り、ウィルウィナと並ぶようにして安楽椅子に身を沈め、テーブルの上に目をやった。


「なんだ、まだってなかったのか」

「話の最初くらい素面シラフでいたかったから」


 一滴もアルコールが入っていない白い顔で、ウィルウィナはいった。


「このシャンパンはあんまりきつくない。ただ、とても貴重きちょうなものだから、ワイン名誉めいよのためにもゆっくり味わってほしいな。もうこれが本当に、最後の最後の二本なんだ」

「シャンパン? なにそれ?」

「地球はフランス、シャンパーニュ地方で作られる発泡性のワインさ。の地で作られるワインのみがシャンパンと呼ぶことを許される――だから、もう作れない」


 ウィルウィナがその意味をさとって、かすかに片眉かたまゆを下げた。


「だが、貴重だからといって飲まぬまま熟成じゅくせいさせきっても、罪だろう。酒は、飲んで初めて価値が出る」

「そうね。じゃあ、ご相伴しょうばんに預かろうかしら」

「そうこなくては。さて、君は酒を何倍も美味しく飲む方法を知っているかな?」

「気心知れた仲と共に飲む」

「君と気心知れていてよかったと、心から思うよ」


 フェレスは微笑ほほえみ、立ち上がって酒瓶の一本を桶から取り出した。コルクせんおおう封を切って外し、栓を固定している針金をゆるめていく。桶にかけていたナフキンで栓を隠し、酒瓶を持ち上げ両手で胸に抱くようにし、コルクをゆっくりとねじりながら外していった。


 シュッ、と気体がれる音が響き、内部からの圧力に押されて飛び出そうとするコルクをナフキンが受ける。派手な音を立てずにコルクが抜かれ、一滴の吹きこぼれもなしに無事、炭酸性葡萄酒スパーリングワイン開栓かいせんされた。


 グラスの縁ぎりぎりにまで近づけられた酒瓶の口から、泡立つ黄金色の液体がゆっくりとそそがれる。大ぶりのグラスを三分程度までそれは満たし、封じられた世界から解放された喜びを歌うように、さわやかな音を立てながら無限の気泡をグラスの中で打ち上げていた。


 自分のグラスにも同じ分量を注ぎ、浅めに栓をし直して、フェレスは桶に酒瓶を戻した。


「では勝者の美酒、味わってくれたまえ。ボクは敗者の美酒を味わわせてもらうよ」

「……可愛い我が子たちの勝利を祝して」

「その子たちに、完膚かんぷなきまでにたたきのめされた喜びに」

「乾杯」


 グラスを目線にかかげ合い、二人はそれぞれにグラスに口をつけた。ウィルウィナは知らない土地の失われた様に想像の翼を働かせ、フェレスは焼きくされた葡萄畑ぶどうばたけ惨状さんじょう想起そうきしながら、中身を口にふくんだ。


「ロシュちゃんの『手術』、上手くいったのかしら」

「物理的な工程こうていは無事にすんだからね。あとは微調整びちょうせいが自動的に行われているところだ。ニコルくんが側について、機能を停止している彼女の手をにぎっている。ふふふ……本当に面白いね……」

「ええ、本当に面白いわ」


 ウィルウィナが欠片かけらも笑っていない目をグラス越しに向けた。


「五百年前に私たちを全滅ぜんめつさせかけた機械娘が今、ニコルちゃんの妹になるなんてね」


 冷たいアメジスト色の瞳が、シャンパンの黄金色を受けて輝いた。


「いや、長生きはするもんだ。面白いことが色々と起こる。こんなことは想像もしていなかったよ」


 フェレスが肩を大きく揺らした。歓喜にえないというように。


「しかしよく覚えていたね。キミの若い頃だろう」

「忘れるもんですか」


 ウィルウィナはふたくち目を含む。のどを焼くような炭酸こそ強かったが、酸味はまろやかで、舌を包んでくる感触は甘いくらいだ。


「私たち『五英雄』がたばになってかかっても、傷一つ負わせられなかったのよ。ルインの防御魔法は紙のように破られるし、ローデックの攻撃魔法は髪の毛一本も燃やせない。私の砲撃の直撃を浴びせて硬直したところを、次元の裂け目を呼んで無理矢理叩き落としたのよ――いまだに夢に見て、冷や汗をかされるわ」

「落ちたところがとても浅かったんでね。回収できた。それでもかなりの幸運だったよ」

「ここに来て、あの子があなたの側に立っていたのを見た時、殺されるかと思ったわ。私のことを忘れてくれていたようで助かったけれど」

「認識できなかったんだろう。キミもずいぶん姿が変わったからね」

「……けたといいたいの?」

「ボクの前に初めて現れた時、キミはまさに娘だった。いちばん上の娘……えーと……フィルフィナお嬢ちゃんか。彼女がやや大人びたくらいの見た目だった。それは今はどうだ。絶世の美少女が絶世の美熟女びじゅくじょだよ」

「熟は余計よ。でもまあ、め言葉と受け取らせてもらうわ」

「しかし、キミもずるいねぇ」


 ウィルウィナが飲み干したグラスに、フェレスがお代わりを注いだ。


「今回の事態の首謀者しゅぼうしゃなのに」


 グラスの脚をつかもうとしたウィルウィナの手が、止まった。


「自分まで樹木化じゅもくかさせることで被害者の中にまぎれ込む。悪役は全てボクが担当。キミは愉快ゆかいで明るくて優しいお母さん役。本当にずるいね。真実を知られたらうらまれるだろう」

「……それくらいわかってるわ。それでもやらなくてはいけなかったのよ」

「本当に変わったね、キミは。娘から母親の顔になった。しかし、ボクなんかあれだ、リルル嬢やサフィーナ嬢に完全に嫌われたよ。ひどいことをしてヘラヘラしている顔の奴だって」

「ヘラヘラしているからでしょう」

「こういう顔なんだ、仕方ない」

「それにずいぶん余興よきょうで楽しんだみたいじゃない。うらやましい」

「まあ、それはおいておくとして。この塔がり上がって目覚めた直後にキミがやってきてびっくりしたね。ずっとこの島を監視していたのかい」

「……それもあるわ」

「まあ、キミが本当に監視していたのはあれ・・だろうけれどね」


 フェレスがグラスを口につけ、ゆっくりと上にかたむけた。


「それで、どうかしら。私たちに協力してくれる気になったかしら」

「――――」


 グラスを傾けたまま、フェレスが全ての動きをとめた。まばたきも瞳の揺らぎも消して、思考の底に沈み込む。

 数分の時を置き、そのまま停止していたフェレスは、全てを飲み込むようにグラスの中身を一気にした。


「キミも、ボクの立場はよく理解してくれているはずだ……」

「あなたが永世中立えいせいちゅうりつであるべき存在ということは、ね」


 からになったフェレスのグラスにウィルウィナが注ごうとするが、フェレスは軽く手をげ、それをせいした。


「訪れる『ほろび』を速やかに受け入れるのが、あなた。おそってくる台風や地震のようなわざわいには、逆らわない。くずれるものは崩し、その後での速やかな再建を考える。『再生』のために『滅び』を受け入れる」

「キミたちはその台風や地震以上の災いに逆らおうとしているのだよ」

「死ぬわけにはいかないわ。生きている限り」


 グラスの中で弾け続ける炭酸の泡の数を数えながら、ウィルウィナはいった。


「リルルちゃんや、サフィーナちゃん――ニコルちゃんを見て、どう思った? 生き残るにあたいする子供たちだとは思わない?」

「――キミはずるい。試練を与えることでそれを見極みきわめてくれ、というのは詭弁きべんだろう」

「あら、詭弁だなんてひどい」

「本当のねらいは、ボクにニコルくんたちへの親近感を植え付け、味方につけさせる……そういう魂胆こんたんなんだろう」

「――ふふ」


 ウィルウィナの目が初めて笑った。


「なんだろうが、そうは」

「いかないの?」

「……いかないわけないだろう。いったろう、ボクは負けたんだよ」


 その細い指が薄いガラスのグラスの縁を叩く。叩くたびに、硬質で、どこかさびしげな音色が響いた。


「ロシュをキミたちにゆずる時点で、ボクの中立は崩れた。……彼女を譲るつもりなんてなかったが、彼女とニコルくんにああいわれたら、逆らえないよ。ずるすぎる」

「さすがニコルちゃん。私のしだけあるわ」

「まあ、彼女に往年の力はない。力のみなもとを交換したからね。せいぜいがかつての十分の一程度の戦力だろう。……それと、これも渡そう」


 フェレスが神官がまとうような重たいローブの下からなにかをまさぐり、テーブルの上に置いた。

 銀の腕輪がふたつあった。


「これは」

「五百年前にキミたちがボクからかすめ取っていった『守護天使』。存在と非存在の狭間はざまから永久えいきゅうの期間、無限の力を引き出す。瞬間的な出力の量には限りがあるが。ボクが所有している残りの全てが、この二つだ。必要だろう。持っていきたまえ」

「いいの?」

「……なにがエルフの究極の秘宝ひほうだ。盗品じゃないか。キミの一族が作ったかのように喧伝けんでんするのはよくないな。裁判所にうったえたらボクが間違いなく勝つんだが、我慢してあげているんだよ」

「別にいいふらしているつもりはないんだけれど。ありがたくいただくわ」

「貸すんだ。あとで返してくれたまえよ。前のふたつも含めて」

「ええ。気が向いたらね」

「やれやれ。また借りパクされるな、これは」


 テーブルの上に置かれたふたつの腕輪を、ウィルウィナが引き寄せた。


「……必要じゃなくなったら、つつしんでお返しします」

「ボクにできるのはそれくらいだ……しかし、この世界も変わったようだね」


 二人ともそれ以上のグラスは進まない。いの赤みも二人の顔にはなかった。


「五百年前にはまだ世界に活気があった。が、今はそれもない。進む科学技術の前に魔法は立場を失い、なかばが消えかけている」

未踏みとうの領域もなくなったわ。あとは宇宙と深海くらい。冒険に心をときめかせる若者も、もういない。すえの双子の娘を使って世界中で英雄の卵を探させたけれど……ついに、ものになりそうなのは見つからなかった。私たちの時代にはそれこそ、いて捨てるほどいたのに……」

「だからあの子たちなのかい」

「あの子たちには申し訳ないけれど、本人たちだって座して死を待ちたくないでしょう」


 銀の腕輪を黒い腕輪に収め、ウィルウィナはゆっくりと立ち上がった。


「自分たちの世界は、自分たちで救わないといけないのよ。英雄の登場を待つのではない。自分たちが英雄にならなければならないのだわ……」


 ありがとう、とえてウィルウィナは、フェレスの方にグラスを寄せた。


「もう行ってしまうのかい? しばらくはゆっくりできるんだ。せめてこの飲みかけでも二人でからにしてしまおう」

「今はそんな気分じゃないの。酔えそうにもないし。もう一本は、全部が終わったらご馳走ちそうになるわ」

「それをいのっているよ。……ウィル」

「なにかしら?」


 歩き出そうとしたウィルウィナが歩を止める。無作法ぶさほうとは知りながら、酒瓶の残りを全てグラスに注いだフェレスがいった。


「あまり気にまない方がいい。シワが増えるよ」

「五百年前に殺しておけばよかったわ」


 ウィルウィナが階段を下りていく。その足音も残りの全ても消え去ってから、フェレスはグラスを持ち上げ、シャンパンの色に全てをかして、世界を見つめた。

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