第05話「遊戯のあとで」

「安寧のひととき」

「――では、これからメインリアクターの換装かんそう作業を開始する」

「はい」


 庭師の塔、百二十階の一室。

 作業台のように見える金属の寝台の上に、全ての衣服を脱がされたロシュが、手足をまっすぐにばした姿勢しせいで横たわっていた。


 その寝台の上には、同じく金属で構成された無数の触手しょくしゅが天井から生えていた。そのひとつひとつに砂粒を突き刺す鋭い針、チリの一粒を容易よういにつまみ上げる二本の指、紙の繊維せんい隙間すきまを見通す機械の目がついている。


「――開始する前に、もう一度念押ししておくよ。今から行う作業が必ず成功するかどうかボクには確信がない。失敗の可能性があるということは、認識しておいてほしい。最悪、二度と稼働かどうできなくなる場合だって想定される――なにせ、ボク自身が今回のようなことを行うのは初めてなのでね」


 やや離れた場所にえられた制御盤せいぎょばんを前にして、フェレスがいた。制御盤の上で光る広い板の上には、輝く線で描かれた人体の概略図がいりゃくずが表示されている。いや、人体をした機械の図、というべきものだ。


「ボクは作業開始の選択をするだけだ。なにせ作業自体はキミの中に組み込まれたプログラムに沿って、全て自動で行われるのだからね。あとは、キミを生み出したものたちの技術が間違まちがっているかいないかの問題で、成功するか失敗するかはやってみないとわからない。――それとも、やめるかい?」

「ですが、換装作業を行わなければ、ロシュはニコルお兄様の側にいることができないのでしょう」

「今現在、キミに搭載されているリアクターで消費しょうひする燃料が、この世界には存在しないのでね。このままなにもしなければ、キミは半年ほどで燃料切れにおちいり、稼働かどう不能になる。暴走状態の時についやしたエネルギーが膨大ぼうだい過ぎたんだ」


 フェレスの視点がロシュの胸、心臓の下を見通すように置かれる。そこにロシュの命の源があった。


「それを都合つごうすることはボクにはできない。できることは、重力場の差違さいからエネルギーを抽出ちゅうしゅつする、グラビティリアクターに換装するだけだ。今から始めるのがそれなんだがね。機器が故障こしょうしない限りは、半永久的に稼働できる。出力は大幅に下がるが、むしろちょうどいいだろう。暴走の危険もない」

「――はい」

「ニコルくん、ボクの言葉は理解できたかな?」

「ロシュと僕がずっと家族でいるためには、手術が必要だということですね」


 衝立ついたての向こうにいるニコルが返事をした。機械の体であっても、一糸いっしまとわぬ女性が寝ているところに直接立ち合うわけにはいかない、という少年の倫理観りんりかんにフェレスは微笑ほほえむ。


「僕はロシュと末永すえながく暮らすことを望みます。この手術に反対はしません。あとは、ロシュの勇気次第です」

「そうか。なら、患者かんじゃに直接確認しよう。――いいのだね、ロシュ」

「ロシュは、ニコルお兄様と末永く暮らします」


 どこまでもまっすぐな声が部屋の中に響いた。


「そのためなら危険リスク受容じゅようします。――マスター、お願いします」

「よろしい。では始めよう。換装作業自体はほんの十分ほどだが、新しいリアクターに適合させるためのドライバのインストール……ああ、まあ色々面倒な手続きがあって、それに時間がかかる。稼働状態に戻るまでに数時間はかかるかな。何事もなく作業が完了することを、せつに祈るよ」


 フェレスの指が画面をすべる。決定を示す大きな赤い表示が中心に浮き出た。


「ではニコルくん、退室してくれたまえ。彼女は今から胸を開くから」

「わかりました。――ロシュ、手術が終わったら戻って来て、眠っている君の手を握っていてあげる。だから、安心して手術を受けるんだ。いいね」

「はい、ニコルお兄様。ロシュに不安はありません。問題ありません」


 ニコルは扉の前まで足を運ぶ。両開きの扉が自働で動き、少年の前に道をけた。

 少年の気配が扉の向こうに去ったのを待ち、フェレスが画面の中心の赤い表示に指を乗せる。灰色の横棒に画面が切り替わり、進捗率しんちょくりつを示す数字が回転するようにその数を増していった。


 機械の触手を支えている台座が天井から下がり、鋭い針を先端につけた細い枝の一本がさらに伸びて、ロシュの喉元のやや下辺りを軽く刺す。針の先が青く発光して凝縮ぎょうしゅくされた熱の一点となり、なにものにも切り裂かれないはずのロシュの肌を綺麗きれいに、ゆっくりと下に向かって切断し始めた。


難病なんびょうの妹が手術に立ち向かい、兄はそれを外でじっと見守る、か――。ベタな設定の展開だけど、実際に立ち合ってみるとなかなかドラマチックなものだね。主治医しゅじいである自分は責任重大だ。悲劇にしないようにがんばるか――ボクも見ているだけのようなものだけどね」



   ◇   ◇   ◇



「ニコル様」


 今は手術室と化した整備工作室の外に置かれた長椅子ベンチに座るニコルの前に、メイド服姿のエルフ――三人いるうちの長女が現れた。

 これから静かな緊張きんちょうの時間を過ごすためにうつむいていたニコルが、顔を上げる。


「ニコル様、申し訳ありません。フィルにお腹立ちでいらっしゃるでしょう」

「フィル?」

「フィルは今まで、ニコル様にうそいていました。全てを知っているのにずっとだましていました。全ての責はこのフィルにあります。ですからおとがめはフィル一人にお願いいたします。リルルお嬢様やサフィーナには、なんの責任もありません。――ですから」

「ああ……」


 ふくらんでいる髪で重そうな頭を、腰が直角になるまで下げてフィルフィナがうったえる。最敬礼なのは申し訳なさを示す以上に、ニコルの目を見るのがこわいというのが大だった。


「わたしが全ていけないのです。調子に乗ってお嬢様とサフィーナの二人に快傑令嬢になるための道具を貸し、作戦を立て、時には援護もしていました。わたしがそんなことをしなければ、そもそも快傑令嬢などは――」

「フィル、僕は怒っていない。頭を上げてくれていい。そんなに強張こわばらなくても大丈夫だよ」


 座って、とニコルは長椅子の隣を軽くでた。しかしフィルフィナは迷う。数ヶ月に及ぶ不義理と裏切りの数々、その積み重ねが体を完全に硬くしていた。


「ただ、これから話し合わなくてはならない問題でもあるのは、確かだけどね……」

「ニコル様……」

「フィルはリルルやサフィーナ様の元にいてやってほしい。今、ふたりは体を休めているんだろう。……僕とフィルたちを助けるために、心のしんけずがれるまで戦ってきたんだ。仮眠を四時間ほどはさんだとはいえ、三十時間の間……もう心身共に、くたびれきっているはずだよ」

「フィルが入浴と食事のお世話をした後、布団に入られました。多分、まる一日はぐっすりかと……」

「そんな二人に、僕がなにをいうこともできないしね。とにかく、今はゆっくりと休むんだ。二人が元気になってから色々と話をしたい。――フィル、心配しなくていい。僕はフィルに裏切られたなんて思っていないよ――それともフィルは、僕の言葉を信じてくれないのかい?」

「いいえ、いいえ! フィルは、ニコル様の言葉を信じています!」

「なら、リルルたちのことをお願いするよ。フィルもになんかされかけて、体調だって……」

「わたしの体調などは、些細ささいな問題です! わかりました、お嬢様たちの側に着いてきます。ニコル様も色々と大変であられたと思います。ニコル様こそ休養を……」

「ありがとう、フィル」


 ニコルが微笑ほほえんだ。もしかしたら嫌われたのではないか、という不安に背中をられ続けていたフィルフィナは、その微笑びしょうだけで涙ぐんでしまう。眠っていた間に全てが終わっていたようなものだったが、目覚めてみたら急変きゅうへんしていた事態に、心が着いていっていない。


 ――なにせ、自分が眠っていた間に、リルルが快傑令嬢リロットとしての正体をニコルに明かしていたというのだから!


 ついでのようにサフィーナもまた快傑令嬢サフィネルとしての正体をあらわにしていたというのだから、フィルフィナにとっては、自分の内部の世界が半分ひっくり返ったのも同じだった。いつかは正直に全てを話さなければとは思っていたが、眠っていた間にその時が来ていたというのは笑えない。


「僕はしばらくここにいる。この塔だったらどこにいても連絡はつくだろうし。フィル、ふたりのことは任せたよ」

「は――はい! このフィルに、万事お任せください!」


 では、と直角以上に頭を下げたフィルフィナが、分度器ぶんどきはかったかのような百八十度の反転をその場で披露ひろうした。右腕と右足が同時に前に出る瞬間、ニコルの声がフィルフィナの背中をでた。


「――そういえば、フィル以外のみなさんはどうしたの? お三人とも姿が見えないけれど」

「ク、クィルクィナとスィルスィナは、サフィーナ様のお世話をしております」

「ウィルウィナ様は?」

「あの馬鹿、いえ、あの母ですか?」


 訂正してからフィルフィナは考え込んだ。


「――どこにいるんでしょう? この何十分か、姿を見ていませんが……」



   ◇   ◇   ◇



 ――塔の六十一階。

 リルルとサフィーナは、十数時間前に自分たちが仮眠を取っていた部屋で眠りについていた。

 今度は仮眠というものではない。三十時間の激闘の疲れを癒やすための眠りだ。


 フィルフィナが寝室の扉を音を立てずに開けた時、二人は少しの隙間を空けて隣り合った寝台で、やわらかな布団にくるまっていた。サフィーナの布団には抱き枕にさせられたクィルクィナが問答無用で抱きしめられ、スィルスィナが機械と化してサフィーナの髪を優しくで続けている。


「……フィル姉様」

「しっ」


 人差し指を立ててフィルフィナは制した。足音までも消してスィルスィナの背中、リルルの側にひざを着き、自分が仕える主人の寝顔をのぞいた。

 幼さをうかがわせる笑みを浮かべ、炭泥たんでいよりも深い眠りにリルルはおちいっていた。


「――ふふ」


 その寝顔の愛らしさにフィルフィナは思わず微笑ほほえむ。一瞬、全ての懸念けねんを吹き飛ばしてくれるほどの、天使よりも可憐かれんな寝顔にフィルフィナは不安を忘れて思わず微笑み返していた。


「ぐー、苦しいぃ……」


 サフィーナの胸に顔を押しつけられ、呼吸することも半ばままならないクィルクィナがうめき声を上げている。そんなクィルクィナの髪に顔をうずめているサフィーナは、静かな呼吸音をり返しかなでているだけだ。


「スィル、母を見かけませんでしたか」

「……お母様なら、少し前にちょっとここをのぞいて、なにもいわずに出ていった」

「どこに行ったのか……」

「……なにか用事?」

「いえ、用事というほどのものはないのですが――」


 フィルフィナは考えをめぐらせる。


「いつもの飄々ひょうひょうとした顔を見せて……というか、見せつけていて――なにかを、ずっと隠しているような気がするのです……」


 そのフィルフィナの予想は、当たっていた。

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