「赤い暴走」

「……どうして、ですか」

「えっ?」


 ロシュに語りかけていたニコルの口が、止まった。もともと反応に薄い彼女だったが、話を続けていても全く応答を示さなくなり、言葉に言葉を重ねている中での、突然返ってきた言葉にニコルは戸惑とまどった。


「どうして、ロシュが、ニコル様と別れなければならないのですか」

「――ロシュ、僕の話を聞いてた?」


 ロシュのオレンジ色の瞳が、明滅めいめつした。人間ではあり得ない、機械の彼女であっても見たことのないその反応にニコルが目を見開く。


「ロシュ。僕の話を最初からちゃんと聞いてほしい。僕は、君とここで別れなければならないから――」

「……聞きたくない」


 背を見せていたフェレスが振り返り、緊張きんちょうが走る顔をロシュに向けた。


「聞きたくない――聞きたくない、聞きたくないの――――っ!!」


 少女の小さな口が、奥歯がのぞけるまでに大きく開いて、空気を打ちえるような声の一撃が飛んだ。

 鼓膜をたたいて破る一歩手前の大音量と鋭い音域が、炎のない爆発となって周囲に広がる。その場の全員が空気の張り手に頭を叩かれ、最も近くにいたニコルが昏倒こんとうした。


「いたぁっ……!」

「ひぐっ!」


 リルルとサフィーナが頭を押さえ、体をよろめかせた。ひつぎに入っていたエルフたちはそれが盾となって直撃はまぬがれ、逆に覚醒かくせいうながされる。まだ目覚めていなかったウィルウィナやクィルクィナ、スィルスィナの目が開いた。


「――お嬢様!」


 棺から飛び降りたフィルフィナがリルルの元にかがみ込み、それに合わせるようにウィルウィナが体を起こした。


「なぁに、うるさいわね。歳を取るとエルフは眠りが深いのよ――と」


 ウィルウィナの目の中で、背中の首元で栗色の髪をまとめたひもが切れ、おうぎが開くように髪を背中の半分上に垂らしたロシュの姿が、ゆっくりとこちらを向いてくる。

 点滅していたオレンジ色の瞳が一瞬輝きを消したかと思うとそれは、次にはきつい血の色に変わった。


「――なんか、とてもマズいところに出くわしてるようね」

「マズいマズい、こりゃマズいぞマズいぞ、マズすぎる」


 フェレスがその頬に汗を浮かべた。口ではおどけるように危機を並べたことはあっても、どこかそれを楽しんでいるような飄々ひょうひょうとした雰囲気ふんいきが、今は完全にがれ落ちていた。

 彼女の瞳が【赤】に変わる――それがどういうことか、主人マスターである彼は熟知じゅくちしていたからだ。


「どこかで叛逆はんぎゃくに出てくる可能性を考えていたけれど、こういう暴走の形だとは思わなかったな。ま、こんなこともあろうかと備えはあるんだ――ロシュ!」


 フェレスがポケットから小さな箱を取り出し、彼女に向けた。黒い直方体の真ん中に透明のふたかぶせられ、その下に赤く丸い突起が収まっている。


「これはキミの非常緊急停止装置だ。これを押してほしくなければ――」


 無言でロシュがフェレスに左手を向けた。

 三十メルトはある距離きょりを、ロシュの手首から先が弾丸の速度で飛び、〇・一秒後には装置をつかむフェレスの手をつかまえていた。

 二人の間には一本の糸の細さの鉄縄ワイヤーがビンとキツく張られ、その緊張がロシュの意志の強さを表しているようだった。


「……手をくたいてほしくなければ、装置を渡せということか。うん、わかったよ、わかった……」


 大人しくフェレスが手の装置をロシュの手ににぎらせる。ロシュの手は一瞬で巻き取られた鉄縄によって彼女の左腕に戻り、金属でできているはずのそれを、紙の空き箱のように握りつぶした。


「馬鹿、問答無用で押してしまえばいいのよ。なにをおどしの材料にしているの」


 起き上がったウィルウィナが、地の底にまで届くようなため息をいた。


「うむむ、ボクとしたことがぬかったな。そもそも暴走状態だからいうことを聞くはずないんだ。いやあ失敗失敗」

「馬鹿、阿呆あほう、間抜け」

「わははは」

「――なにを明るく演出しているんです! どうやら相手は人間ではないようですね」


 フィルフィナが右手首の黒い腕輪から拳銃を抜き、両手で構えた。


「事情はよくわかりませんが、こちらの危機と見ました。撃ちます」

「――フィル、ダメよ!」


 リルルの制止を無視し、フィルフィナが引き金を指でしぼった。軽い破裂音と同時に銃口が魔鉱石が燃焼・爆発した炎を噴き出し、それに先んじるか遅れるかという頃合いタイミングなまり色の弾丸が螺旋らせんに回転しながら、一直線に空気をり裂いて飛んだ。


 それはねらたがわずロシュの眉間みけんに命中し――なべをお玉の底で叩くような音が軽く、響いた。


「――は?」


 フィルフィナが、唖然あぜんと、まばたいた。


「今、カン、って……」

「だからいったのに……」


 リルルが頭を押さえてへたり込んだ。拳銃でどうにかなるような水準レベルの相手であれば、ここまで来るのに苦労はしていないのだ。


「ううう……ママー、フィルおねーちゃん、どうなってるの、これ」

「……状況じょうきょうがちんぷんかんぷん」


 クィルクィナとスィルスィナが起き出す。状況説明など欠片かけらもない彼女たちには、ここがどこであるかということもわかりはしなかった。


「取りあえずそこから出て、せてなさい」

「ママ?」

「いいから。嵐が来るわよ。すぐに」


 ウィルウィナがひつぎから飛び降り、それを押してきた荷台の後ろに隠れる。首を傾げながら双子の妹たちもそれにならった。


「えらいことになっちゃったなぁ。まあ限りなく無駄だとは思うんだけど、このままっていうわけにもいかないか。者ども、であえ、であえ――」


 気合いの抜けたフェレスの指示に応じ、四人の棺が押し出されてきた扉から異形の機械たちがわらわらと出てくる。まるで満員になったから一度に出てくるアリのようだった。

 機械骸骨ガイコツに機械蜘蛛グモが五十、百――まだまだ増えていく。この階層が製造工場であるかのようだ。


 閑散かんさんとしていたはずの昇降機広間の空間が一気に密度を増し、自分たちをつぶさないのが不思議なほどにむらがった機械たちの数の中を泳ぐようして、リルルとサフィーナはエルフたちと合流した。


「ウィルウィナ様、ご気分はいかがですか」

「リルルちゃん、がんばってくれたようね。サフィーナちゃんも無事で嬉しいわ。――でもこれはちょっと危険な状態ね。とにかく今からものすごいことになるから、できるだけ身を伏せていて」

「もの凄いことって……あの女の子にしか見えない機械がメチャクチャになるっていうことですか」

「ううん」


 ウィルウィナは微笑ほほんだ。もう笑うしかないという笑みだった。


「逆よ」


 数十の機械蜘蛛たち、それぞれの両腕が搭載とうさいする機銃の全門が、ロシュに向かって狙いをえた。

 銃列を前にして、ロシュは伏せも背を向けもしない。呼応こおうするように左腕が水平に構えられ、同時に人ならば不可能な角度にその手首が後ろに向かって折れる――その根元から、たばねられた三本・・の骨が露出ろしゅつした。


 それは銃身のような骨であり、そして実際に銃身であり、次には銃身であることを証明していた。


「――――――――」


 突然、甲高かんだかい機械音が響き渡り、束ねられた銃身が目に止まらないほどの速度で回転を始め、半秒の間を置いてその銃口から真っ赤な火球が花開いた。

 白い火炎を限界まで凝縮ぎょうしゅくさせて固めたような光の弾丸が、猛然もうぜんと吹き付ける炎の結晶けっしょうの嵐となって吹き、豪雨ごううの勢いで青い炎の吹雪が機械たちに降りかかった。


 風が音となり熱となってれに荒れ、荒れくるえる限界を目指すかのように荒れ狂った。

 その嵐にさらされた機械たちが、まるでドミノ倒しのようにぎ倒されていった。それが床に倒れる前に、一体が数百カロクラムはあるはずの金属のかたまり案山子かかしよりも軽く裂かれ、砕かれ、粉々に粉砕ふんかさいされていく。


 少女の左手首で高速回転する三つの銃身、それに開けられた銃口。そこから巻き起こる、光と熱の豪雨――世界中の雨を集めてもなお足りないほどの勢いで吐き出される破壊の嵐の前に、立ったままその形を保てるものなど存在しなかった。


「うにゃ――――――――!!」


 自分の体に沈め込んでしまうほどに強くフィルフィナを抱き寄せたリルルが、一セッチメルトも上げられない頭を地面にめ込もうとして悲鳴を上げる。その横では歯を食いしばるサフィーナが、恐怖をこらえながらフィルフィナのおしりに抱きついていた。


 地獄とそうでないものの境界が頭上、まさにほんの紙一重かみひとえしか存在しない。奥歯をみしめて震える、その震動の上下で、命がなくなるかなくならないかが決せられるようだ。

 フェレスもまた、昇降機の陰に隠れ、要領ようりょうよく身を伏せていた。その脇には気を失ったニコルが抱きしめられている。


 発砲の嵐が何秒間続いていたのか、誰も数えていない。十数秒間か、何十秒間か――おそらく一分は超えないだろう。しかし、猛射撃が巻き起こす破壊の極地きょくちの中、誰もがそれを永遠に近い時間であると感じていた。


 ある境を超えて上にあるものの全てが、その形をなくし、動かぬ残骸ざんがいに変わっていた。今までどんな流れ弾にも耐えていたはずのとうの壁が、薄焼き菓子ウェハースのようにもろくも砕かれている。


「――ママ、ママ、大丈夫? 生きてる?」

「ああ、クィルちゃん……」


 嵐が収まっても頭を上げられないウィルウィナが、娘の呼びかけに顔をかたむけた。


「――ねぇ、ママはこわくて、自分で確かめる勇気がないの……私たち以外に、誰と、誰が生き残ってる……?」

「誰も死んでないよ。まだ、今のところは」

「は――――」


 娘の言葉にウィルウィナはようやく勇気を得て、顔を上げた。

 今まで広間をくすようにしていたはずの機械たちが、手ですくえば指の隙間すきまからこぼれ落ちるほどに細かい破片はへんとなって、床に層を作っていた。


 連射の過熱かねつに耐えられなかったのかそれとも強制的に冷却しているのか、ロシュの左腕の手首からのぞく銃身がじゅわあ、という音を立てて水蒸気を上げている。それ以上の発砲は無理なのか、ロシュの左腕はそのまま下げられた。


「……お嬢様、今が好機ではないですか」

「まあ、発砲が始まる前よりはマシだけど……ねぇ、サフィーナ」

「あの子、変形するのは左腕だけじゃないのよ」


 フィルフィナの表情がゆがむ。聞きたくなかったというように。


「右腕も変形するわ。私たち、見たもの。どういう武器かはわからないけれど――」

「フィル、伏せたままでいて。銀の腕輪を持つ私たちで、なんとかしてみせる」

「お嬢様――」


 フィルフィナの制止を無視し、リルルとサフィーナが立ち上がる。

 その少女たちの動きを感知したロシュが、表情も変えずに右腕を水平にばした。

 ――変形が開始された。

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