「扉の向こう。決着と、始まり」
開かれていく扉から差し込んでくる光、それに向かって、リルルとサフィーナは走った。なにも考えず、ただそれだけが生き残る方法だと信じて、
「わぁぁぁぁぁぁ――――――――!!」
前からなにが来ようがかまわない。前を向いていても見ていない。ただ、走る。走って、走る。
視力に注ぎ込む力さえ脚に込め、十分の一秒でも早く『敵』の元にたどり着くのが、ふたり
「――え」
ふたりの
断じて、三つ首の怪物などではなかった。
「え……え、ええ、ええええぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!?」
反射的にリルルとサフィーナの脚が減速しようと地面を強く
殺すことのできない
「きゃああああああ――――!!」
「――うわぁ」
巻き込まれるのはわかっていたが、
「うにゃあ――――――――!!」
両腕を広げたニコルにぶつかるようにして勢いよく
「な――何故だ!? どうして!? どうして百十九階に上がってくるんだい!? 下の階で止まるはずじゃあ!?」
手足が複雑に
「ロシュ! キミが
「いいえ、ロシュはニコル様に便宜など計ってはいません。昇降機は確かにロシュが制御していました。しかしそれは、
「じゃあどうして百十八階を通過させた! 百六階から短縮させるのは十階分!
「マスターが待ったで戻したのは、三巡です」
フェレスの舌が、空回りした。ロシュに突き付けた指が震えていた。
「マスターは戻した巡の数だけ短縮する階数を増やす、と
「……いや、ボクは二巡なら上げても、二人が下のキマイラと対決することになるから、それだけの余裕はあると思って、二巡戻してほしいといったんだ……」
「三巡戻しましたから、百十九階に上げるのが正しいです。ロシュの判断に
「ま……ま、まま、
フェレスの声が、
「けれど、そういうのって、その時になんというか、こうなるからマズいんじゃないかとか、そういう助言があってしかるべきなんじゃないかな……?」
「――事情ははっきりいって全然よくわかんないんだけど、とにかく、時間内にたどり着いたわ!」
「ひゃああ」
ようやく他の二人から腕と脚を
「まだ残り時間は
「だ、大丈夫、もう止まってるから興奮しないでほしいな。先っちょが刺さってるんだ、痛いよ」
「サフィーナ! 早く来て手伝って!」
「ああ、私のニコル! 私だけのニコル! もう放しません! このまま一緒に結婚式場に向かいましょう!」
「お願いですサフィーナ様! 離れてください! 頬にキスの雨を降らせるのもやめてください!」
「サフィーナぁぁぁぁっ!!」
「ああ、もう、一人でなんとかできないの? 私の手助けはいらないでしょ?」
目から血の涙を流しそうなリルルの絶叫を受け、ニコルを押し倒していたサフィーナは
「不公平じゃないのっ! 私だってニコルに抱きつきたい! キスだってしたいんだからっ!」
「だから、いったじゃないですか、フェレスさん」
服についたホコリを払いながら、ニコルは立ち上がった。
「戦ったら間違いなく勝てない。しかし、絶対に負けない――。当然です。戦うことがないんですから。負けることなんてない」
「……これが、キミの切り札だったのか……」
「百十八階にこの二人が到着するのだけは、なんとしてでも
「いや、騙したというより、これはボクが
それでもニコルが頭を深々と下げる。フェレスも反射的にそれに応じようとして、喉にちくりと刺さる剣の感触に
「これでニコルは取り戻したわ! 次はフィルやウィルウィナ様たちよ!
「――ふふふ、そういうわけにもいかないんだな。何故なら――」
「あなた、この
「うわ、痛い痛い! 刺さってる刺さってる、さっきより刺さってる!」
レイピアの切っ先をさらに突き込んでくるリルルの、その鬼のような
「何故なら、エルフの一族のみなさんはすでにこの
「はい」
ロシュが返事をしたのと同時に、広間に面している部屋の扉が開かれた。サフィーナが左手からムチを出して警戒する正面で、車輪付きの荷台に
「フィル!!」
リルルが声を上げた。メイド服はいつものものだが、そこからのぞく全ての
「ウィルウィナ様!? クィルも、スィルもいる――!」
残りの三台の棺も同じだった。それぞれにウィルウィナ、クィルクィナ、スィルスィナというエルフの王族の一族がフィルフィナと同じ姿で横たわり、全員が
「あなた――!!」
「まあまあ、ご令嬢がそう
歯を見せ、うなり声まであげそうなリルルの迫力に、フェレスの腰が完全に引いていた。ニコルが複雑な
「――ロシュ、お願いだから早くしてくれ。このままじゃボクの喉に穴が
「了解しました。それでは、回復機能を
ロシュが視線を向けたのが合図なのか、機械骸骨は透明の棺の脇に設置された小さな
「心配ない、ものの数分で戻るから。あと、抵抗しないからその剣を外してもらっていいかな」
「そんなことをいって、私たちを騙そうとしても――」
「リルル、いいよ、剣を放しても」
リルルの背に回ったニコルが、少女の後ろから彼女の剣を握る手にそっと手を乗せ、
「信じられないかも知れないけれど、僕が保証する。この人の口にした言葉については
「ニコル、あなた――」
「僕を信じて」
ニコルが小さく微笑んだ。その
「いやあ、ニコルくん、ありがとう。おかけで助かったよ」
「勘違いしないでください、フェレスさん」
優しさの見えないニコルの瞳が、フェレスの目を
「あなたは僕にとって敵です――少なくともこの時点では、まだ」
「なれ合いはしないってことか。まあ仕方ないね。納得しがたいところもあるけれど、ボクは負けたんだ。ご指示に
「――リルル、見て!」
サフィーナが声を上げた。リルルが振り向くのと同時に、透明の棺の
「――――うう」
しばらく聞いていなかった声が、リルルの耳に響いた。
「ここは……どこですか……」
棺から起き上がり、
「――――フィルっ!!」
「リルル……お嬢様……?」
まだ
「フィル、大丈夫!? 気分は悪くない!? どこも、どこも痛かったりしない!?」
「……お嬢様、どうしてリロットの姿をしているのです。それに、ここはどこなのですか……」
「リルル、フィルをあんまり動かしてはダメだよ。安静にしておかないと」
「……ニコル……様……?」
自分をぎゅっと抱きしめてくるリルル、そのリルルに肩を寄せるようにして並んだニコル、二人の姿と言葉にフィルフィナがまだはっきりとしない意識で思考する。
「……どうして、ニコル様が……この姿の、お嬢様を……リルル、と……? いえ……わたしが、お嬢様といってしまったから……?」
「フィル、いいの、もういいの」
優しく、しかし腕の全部を使ってリルルはフィルフィナを抱きしめた。リルルの肩に
「ニコルにはもう、全部を話したの。だからもう、なにも隠すことはないの」
「フィル、落ち着いてくれていいよ。
ぼやける目でフィルフィナは、リルルの肩越しにニコルを見つめる。その
「お嬢……様……、ニコル……様……」
「もう少しその箱に寝かしておいた方がいいよ。その霧によって水分が肌に吸収される。まだ足りていないようだ」
「――――」
フェレスの言葉にリルルはほんの少しだけ考えて、フィルフィナの体を棺に戻し、横たえた。
「リルル、他のみんなも元に戻ってるみたい」
まだ意識を取り戻さない他の三人を見て回り、サフィーナがリルルの元に歩み寄った。
「息もしてるし、脈もまだ弱いけれどちゃんとあるわ。大丈夫だと思う」
「なら……よかった……」
リルルの
「リルル、サフィーナ様」
「……ほっとして、力がもう全部抜けて、入らないわ」
「私とリルル、本当に必死に、体力も気力も全部振り
「二人とも休んでいて。もうなにも心配することはないから――フェレスさん」
「なにかな、ニコルくん」
「……あなたには色々と聞きたいこともあるんですが、後回しで結構です。みんなが休める環境を
「ああ、わかってるわかってる。六十一階にみなさんをご案内しよう。
「――僕以外、みんな王侯か貴族のみなさんです」
「ふむふむ、確かにそうだ。わははは、こりゃ失礼」
敗者らしい振る舞いを毛の先ほども見せない態度のフェレスにニコルは
「ボクはこの塔にいるから、いつでも声をかけてくれるといいよ。なに、逃げも隠れもしないからさ。ではロシュ、みなさんをご案内して差し上げて」
「――その前に、ロシュ」
「ニコル様?」
フェレスの指示で動こうとしたロシュが、動きを止めた。
「ニコル様、いかがなされましたか」
「ロシュに、いっておかないといけないことがあるんだ。……早いうちにいっておこうと思って」
「どんなことでしょう」
「ロシュとは、これでお別れになるから」
「――は?」
ロシュの中で、なにかが停止した。
ニコルが続けてなにかを話しているのは視覚でわかるが、言葉が認識できなくなる。
聴覚が声を拾っているのは確かなのに、その音の全てが処理できずにただ流れて行く。
――お別れ。
その言葉の意味は知識にある。だから、理解できない。
何故、ロシュである自分が、ニコルと別れなければならないのか。
ニコルとロシュはいつまでも同じ道を歩むはず。常に側にいるはず。なのに、何故。
何故ニコルである少年が、ロシュである自分と別れるのか。
わからない。理解不能、理解不能、不能、不能、処理系統に
ロシュの中でなにかが
「――――――――」
そして、引き金は引かれた。それは静かな発動だった。
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