「扉の向こう。決着と、始まり」

 開かれていく扉から差し込んでくる光、それに向かって、リルルとサフィーナは走った。なにも考えず、ただそれだけが生き残る方法だと信じて、けた。


「わぁぁぁぁぁぁ――――――――!!」


 前からなにが来ようがかまわない。前を向いていても見ていない。ただ、走る。走って、走る。


 視力に注ぎ込む力さえ脚に込め、十分の一秒でも早く『敵』の元にたどり着くのが、ふたりそろって生き残る道だと信じ、駆けて、駆けて、駆け――。


「――え」


 ふたりの網膜もうまくに、一人の性別不明の人物と、一人のメイド姿の少女と、一人の少年の姿が映った。

 断じて、三つ首の怪物などではなかった。


「え……え、ええ、ええええぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!?」


 反射的にリルルとサフィーナの脚が減速しようと地面を強くむ――が、それで命をけた全速力の走りが止まるわけがない。

 殺すことのできない慣性かんせいが二人の体を前に押し出し、脚をもつれさせ、少女たちは目の前にいる三人に向かって――特にその中でも、ニコルに殺到さっとうした。


「きゃああああああ――――!!」

「――うわぁ」


 巻き込まれるのはわかっていたが、けるのもしのびないと判断したニコルは、そのまま巻き込まれることにした。


「うにゃあ――――――――!!」


 両腕を広げたニコルにぶつかるようにして勢いよく接触せっしょくしたリルルとサフィーナが、ほとんどひとかたまりになって床を転がる。


「な――何故だ!? どうして!? どうして百十九階に上がってくるんだい!? 下の階で止まるはずじゃあ!?」


 手足が複雑にからまって動けなくなっている少年少女に、見開ききった目を向けたフェレスが声を上げる。次にはハッと気が付き、その注目はロシュに向いて、長くしなやかな指が突き付けられた。


「ロシュ! キミが昇降機エレベータを制御していたはずだ! ニコルくんに便宜べんぎはかって、百十八階を通過させたな!?」

「いいえ、ロシュはニコル様に便宜など計ってはいません。昇降機は確かにロシュが制御していました。しかしそれは、規則きそくのっとってのことです」

「じゃあどうして百十八階を通過させた! 百六階から短縮させるのは十階分! 将棋チェスで二ターン待ったをかけた追加の二階分! 百十八階で止まるはずだ! なのにどうして――」

「マスターが待ったで戻したのは、三巡です」


 フェレスの舌が、空回りした。ロシュに突き付けた指が震えていた。


「マスターは戻した巡の数だけ短縮する階数を増やす、とおっしゃいました。そしてニコル様は十巡目から七巡目まで、つまり三巡戻してもいいとおっしゃり、マスターはそれを了承りょうしょうしました。音声記録もあります。お聞きになりますか」

「……いや、ボクは二巡なら上げても、二人が下のキマイラと対決することになるから、それだけの余裕はあると思って、二巡戻してほしいといったんだ……」

「三巡戻しましたから、百十九階に上げるのが正しいです。ロシュの判断にあやまりがあるでしょうか」

「ま……ま、まま、間違まちがってはいない……」


 フェレスの声が、が鳴くほどに小さくなっていた。


「けれど、そういうのって、その時になんというか、こうなるからマズいんじゃないかとか、そういう助言があってしかるべきなんじゃないかな……?」

「――事情ははっきりいって全然よくわかんないんだけど、とにかく、時間内にたどり着いたわ!」

「ひゃああ」


 ようやく他の二人から腕と脚をほどいたリルルが、フェレスの喉元のどもとにレイピアを突き付ける――切っ先が軽く喉を突いていた。


「まだ残り時間はゼロになってない!! 砂時計が落ちるのをめなさい!! 勝負あったわ!!」

「だ、大丈夫、もう止まってるから興奮しないでほしいな。先っちょが刺さってるんだ、痛いよ」

「サフィーナ! 早く来て手伝って!」

「ああ、私のニコル! 私だけのニコル! もう放しません! このまま一緒に結婚式場に向かいましょう!」

「お願いですサフィーナ様! 離れてください! 頬にキスの雨を降らせるのもやめてください!」

「サフィーナぁぁぁぁっ!!」

「ああ、もう、一人でなんとかできないの? 私の手助けはいらないでしょ?」


 目から血の涙を流しそうなリルルの絶叫を受け、ニコルを押し倒していたサフィーナは渋々しぶしぶ立ち上がった。


「不公平じゃないのっ! 私だってニコルに抱きつきたい! キスだってしたいんだからっ!」

「だから、いったじゃないですか、フェレスさん」


 服についたホコリを払いながら、ニコルは立ち上がった。


「戦ったら間違いなく勝てない。しかし、絶対に負けない――。当然です。戦うことがないんですから。負けることなんてない」

「……これが、キミの切り札だったのか……」

「百十八階にこの二人が到着するのだけは、なんとしてでも阻止そししたかったんです。だから待ったに応じた。あなたがそういうことをいい出しそうな性格であるということは予想がつきました。――だまして申し訳ありません」

「いや、騙したというより、これはボクが勘違かんちがいしたというか、なんというか」


 それでもニコルが頭を深々と下げる。フェレスも反射的にそれに応じようとして、喉にちくりと刺さる剣の感触にあわてて姿勢を戻した。


「これでニコルは取り戻したわ! 次はフィルやウィルウィナ様たちよ! に変わろうとしている四人を早く元に戻しなさい! 今からこの塔を出て、みんなの所に向かうわよ!」

「――ふふふ、そういうわけにもいかないんだな。何故なら――」

「あなた、このおよんで抵抗ていこうする気!?」

「うわ、痛い痛い! 刺さってる刺さってる、さっきより刺さってる!」


 レイピアの切っ先をさらに突き込んでくるリルルの、その鬼のような剣幕けんまくに、フェレスは両手をげた。


「何故なら、エルフの一族のみなさんはすでにこのとうに運び込んでいるんだよ。――ロシュ!」

「はい」


 ロシュが返事をしたのと同時に、広間に面している部屋の扉が開かれた。サフィーナが左手からムチを出して警戒する正面で、車輪付きの荷台にせられた透明とうめいの箱が中から押し出されてくる。機械骸骨ガイコツに押されて運ばれるその箱――ちょうどひつぎくらいの大きさだ。


「フィル!!」


 リルルが声を上げた。メイド服はいつものものだが、そこからのぞく全てのはだ樹皮じゅひと化し、髪の全部がしげる葉となったフィルフィナが、全てが透明な棺の中に横たわっていた。


「ウィルウィナ様!? クィルも、スィルもいる――!」


 残りの三台の棺も同じだった。それぞれにウィルウィナ、クィルクィナ、スィルスィナというエルフの王族の一族がフィルフィナと同じ姿で横たわり、全員が微動びどうだにしない。


「あなた――!!」

「まあまあ、ご令嬢がそう青筋あおすじを立てて怒るものではないよ。今戻す、すぐに戻す。本当だから、落ち着いて落ち着いて」


 歯を見せ、うなり声まであげそうなリルルの迫力に、フェレスの腰が完全に引いていた。ニコルが複雑な吐息といきらす――仕方ないこととはいえ、人の喉に刃物を突き付けておどしをかけているリルルの姿に。


「――ロシュ、お願いだから早くしてくれ。このままじゃボクの喉に穴がいちゃうよ」

「了解しました。それでは、回復機能を稼働かどうさせます」


 ロシュが視線を向けたのが合図なのか、機械骸骨は透明の棺の脇に設置された小さな制御盤せいぎょばんに手をばした。並んだいくつかの突起のうち、緑色のそれを押し込む。またたく間に棺の中が四方からき出したきりのようなものに満たされ、四人が入っているどれもが中身が完全に見えなくなった。


「心配ない、ものの数分で戻るから。あと、抵抗しないからその剣を外してもらっていいかな」

「そんなことをいって、私たちを騙そうとしても――」

「リルル、いいよ、剣を放しても」


 リルルの背に回ったニコルが、少女の後ろから彼女の剣を握る手にそっと手を乗せ、うながした。


「信じられないかも知れないけれど、僕が保証する。この人の口にした言葉についてはうそはないよ。そういうのは嫌いな人だというのはわかってる。だからもう脅さなくていい」

「ニコル、あなた――」

「僕を信じて」


 ニコルが小さく微笑んだ。その微笑びしょうの形にリルルは数秒思いをめぐらし、目を閉じてから、剣を下ろした。


「いやあ、ニコルくん、ありがとう。おかけで助かったよ」

「勘違いしないでください、フェレスさん」


 優しさの見えないニコルの瞳が、フェレスの目を射抜いぬくように見つめる。


「あなたは僕にとって敵です――少なくともこの時点では、まだ」

「なれ合いはしないってことか。まあ仕方ないね。納得しがたいところもあるけれど、ボクは負けたんだ。ご指示にしたうことにするよ」

「――リルル、見て!」


 サフィーナが声を上げた。リルルが振り向くのと同時に、透明の棺のふたがゆっくりと開いて行く。充満していた霧がき出されて空間内に拡散し、それは光を通さないほどの濃霧のうむとなって、リルルたちの視界をふさいだ。


「――――うう」


 しばらく聞いていなかった声が、リルルの耳に響いた。かすかにうすくなってきた霧の向こうで、人の形をしたものがゆらめくように動く。それは影のようにしか見えなかったが、リルルにはわかっていた――それが誰のものであるか。


「ここは……どこですか……」


 棺から起き上がり、い出ようとして床に落ちようとした少女の体を、リルルが受け止める。ふわふわとした髪・・・・・・・・がリルルの顔をくすぐり、うるおいに欠けていると思える感触の肌がリルルの手に触った。


「――――フィルっ!!」

「リルル……お嬢様……?」


 まだなかばしか開けられないうつろな目を見せて、フィルフィナ・・・・・・が声を喉からこぼした。鮮やかなアメジスト色の瞳が、焦点しょうてんが定められずに揺らめいている。が、その髪は葉ではないし、肌は樹でもない。確かにフィルフィナだった。


「フィル、大丈夫!? 気分は悪くない!? どこも、どこも痛かったりしない!?」

「……お嬢様、どうしてリロットの姿をしているのです。それに、ここはどこなのですか……」

「リルル、フィルをあんまり動かしてはダメだよ。安静にしておかないと」

「……ニコル……様……?」


 自分をぎゅっと抱きしめてくるリルル、そのリルルに肩を寄せるようにして並んだニコル、二人の姿と言葉にフィルフィナがまだはっきりとしない意識で思考する。


「……どうして、ニコル様が……この姿の、お嬢様を……リルル、と……? いえ……わたしが、お嬢様といってしまったから……?」

「フィル、いいの、もういいの」


 優しく、しかし腕の全部を使ってリルルはフィルフィナを抱きしめた。リルルの肩にあごを乗せたフィルフィナがあ、と声を上げる。


「ニコルにはもう、全部を話したの。だからもう、なにも隠すことはないの」

「フィル、落ち着いてくれていいよ。あわてることはないんだ。安心して」


 ぼやける目でフィルフィナは、リルルの肩越しにニコルを見つめる。そのくちびるが空気を求め、何度も開いた。


「お嬢……様……、ニコル……様……」

「もう少しその箱に寝かしておいた方がいいよ。その霧によって水分が肌に吸収される。まだ足りていないようだ」

「――――」


 フェレスの言葉にリルルはほんの少しだけ考えて、フィルフィナの体を棺に戻し、横たえた。


「リルル、他のみんなも元に戻ってるみたい」


 まだ意識を取り戻さない他の三人を見て回り、サフィーナがリルルの元に歩み寄った。


「息もしてるし、脈もまだ弱いけれどちゃんとあるわ。大丈夫だと思う」

「なら……よかった……」


 リルルのひざくだけて、そのままおしりが床に落ちた。サフィーナがそのリルルに手を差し伸べようとして――自分もまた膝を折り、地面に手を突いた。


「リルル、サフィーナ様」

「……ほっとして、力がもう全部抜けて、入らないわ」

「私とリルル、本当に必死に、体力も気力も全部振りしぼってきたから……ダメ、立てない……」

「二人とも休んでいて。もうなにも心配することはないから――フェレスさん」

「なにかな、ニコルくん」

「……あなたには色々と聞きたいこともあるんですが、後回しで結構です。みんなが休める環境を提供ていきょうしてください。話はその後でゆっくりとさせてもらいます」

「ああ、わかってるわかってる。六十一階にみなさんをご案内しよう。王侯貴族おうこうきぞくがお休みになるような部屋が用意されているよ」

「――僕以外、みんな王侯か貴族のみなさんです」

「ふむふむ、確かにそうだ。わははは、こりゃ失礼」


 敗者らしい振る舞いを毛の先ほども見せない態度のフェレスにニコルは嘆息たんそくした。怒りを爆発させてこの鬱屈うっくつした感情を払いたかったが、怒りがいてこない。


「ボクはこの塔にいるから、いつでも声をかけてくれるといいよ。なに、逃げも隠れもしないからさ。ではロシュ、みなさんをご案内して差し上げて」

「――その前に、ロシュ」

「ニコル様?」


 フェレスの指示で動こうとしたロシュが、動きを止めた。


「ニコル様、いかがなされましたか」

「ロシュに、いっておかないといけないことがあるんだ。……早いうちにいっておこうと思って」

「どんなことでしょう」


 何気なにげなく聞き返したロシュの機能を大きく揺るがせたのは、次に耳に入った、何気ない響きのニコルの言葉だった。


「ロシュとは、これでお別れになるから」

「――は?」


 ロシュの中で、なにかが停止した。

 ニコルが続けてなにかを話しているのは視覚でわかるが、言葉が認識できなくなる。

 聴覚が声を拾っているのは確かなのに、その音の全てが処理できずにただ流れて行く。


 ――お別れ。

 その言葉の意味は知識にある。だから、理解できない。

 何故、ロシュである自分が、ニコルと別れなければならないのか。


 ニコルとロシュはいつまでも同じ道を歩むはず。常に側にいるはず。なのに、何故。

 何故ニコルである少年が、ロシュである自分と別れるのか。

 わからない。理解不能、理解不能、不能、不能、処理系統に損傷そんしょう発生、機能異常、異常、異常、異常――。


 ロシュの中でなにかがしずみ、そして別のなにかが浮かび上がってくる。


「――――――――」


 そして、引き金は引かれた。それは静かな発動だった。

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