「鏡写しの快傑令嬢たち」

「わ……私なの、これは……!?」


 リルルは、目の前に出現した『敵』の姿に、愕然がくぜんとしていた。

 自分の正面に立っているのは、薄桃色のドレスに身を包み、真っ赤な薔薇バラの花一輪をかたどった帽子ぼうしかぶった剣士――快傑令嬢リロットだったからだ。


 同じなのは衣装いしょうだけではない。微かに青みがかった銀色の髪、自分でも気に入っているアイスブルーの瞳の色まで、まさしく自分に瓜二うりふたつだった。


「まるで鏡……! いいえ、本当に鏡なのかしら……!?」

「――ちょっと、これはややこしいわね」


 おどろいているのはサフィーナも同様だった。自分と全く姿形をした快傑令嬢サフィネルが数十歩の間合いをけ、向こうにいる。そのたたずまいが腹が立つほど自分にそっくりなのにサフィーナは鼻を鳴らした。気の強さをうかがわせる、とがり気味の鼻まで同じなのだ。


「あなたとあのリルルが混ざっちゃったら、私、区別することができないわ。胸の小ささも同じだし」

「あなたが本物だっていうのはわかるわ!」


 涙を浮かべながらリルルは叫んだ。


「ま、冗談はともかくとして――二人とも自分・・としか戦わず、混乱しないように離れて戦うことにする、いいわね、リルル」

「……念のため、合い言葉を決めておくわ。必要になるかも知れない」

「その合い言葉は?」

「それは――――」


 リルルが小声でささやき、サフィーナがうなずいた。


『やあ、驚いてくれたかな、ご令嬢たち』

「っ!」


 またも、フェレスの声が階層全体に響いた。


『その人形は訓練用の機械マシーンさ。目の前の相手を分析ぶんせきし、形状を変えて身体能力までもコピー――複写してしまう。ま、再現できる能力に上限はあるんだけれど、戦闘用人型機械・・・・・・・の訓練相手だからね。キミたちと同じ能力を持ってることは保証するよ』

「保証してもらいたくもないけれど。あの二人を倒すことがこの階を通過する条件だというわけ?」

『話が早いね、リルル嬢。でもまあ、完全に同じ・・・・・能力の相手というのは厄介やっかいなんだ。たとえ相手の方が強くとも、非対称ひたいしょうの戦いであれば、どこかにすきが生じ、そこを突くこともできるだろう。しかし、全く同じとなると――ま、それは体験してくれたまえ。キミたちがどう戦うのか、見せてもらうからね』


 声が消える。それと同時に鏡のリロット、鏡のサフィネルもゆっくりと歩み寄ってきた。


「――リルル、しっかりね」

「あなたもよ、サフィーナ」


 リルルとサフィーナは目配めくばせし合い、離れた。それぞれの自分・・に向かってけた。


「――私と同じ能力? 本当にそうなのかしら!」


 走るリルルが、腰のレイピアを右手で抜く。それと同時に鏡のリルルも駆けながら腰のレイピアを右手で抜いた。鏡といっても左右逆に入れ替わっているわけではない。憎たらしいほどに同じ挙動だった。


「――ふぅっ!」


 強烈な右足のみ込みと同時に、全ての力を右腕に注ぎ込んだレイピアを鏡の自分に向かって突き込む。見た目は人間――自分にしか見えないが、中身は機械のはずだ。殺すのではない、こわすのだ――それが、リルルに手加減を外させていた。


 輝く刀身がひらめきの速度で突き出され、リルルは相手の刀身も同様に輝いているのを、その動体視力でていた。


「くぅぅっ!?」


 左手首に送っていた念を切ったと同時に、切っ先と切っ先が真正面からぶつかり合う。力場の衝突が炎を発さない爆発を生んで、その爆圧ばくあつで二人を吹き飛ばした。


「きゃああああっ!!」


 自分がり出した剣の威力いりょく、それをそのまま右腕で受け止めさせられ、十数メルトの宙を舞って地面に背中をたたきつけたリルルは、自分の右腕が粉砕ふんさいされた錯覚さっかくを覚えていた。


「――リルル!!」

「サフィーナ、銀の腕輪の力は使わないで!!」


 同じく鏡の自分に斬り込もうとしていたサフィーナが、動きを止める。袈裟斬けさぎりにり込もうという態勢で、二人のサフィーナが左右を逆に写さない鏡のようにそれぞれ硬直した。


「力がまともに跳ね返ってきたら、私たちの体じゃ耐えられないわ! ――向こうと相討ちになるわけにもいかない!」

「それじゃ、どうやって……!」


 歯ぎしりをするサフィーナの目の前で、鏡のサフィーナが笑った・・・


「っ!」


 鏡のサフィーナが剣を引いたと思うと、今度は自分から繰り出してきた。首筋をねらった突きをサフィーナが剣で弾き飛ばす。いくらかの隙を突き、逆襲に転じようと剣を振り上げたが――その時には、鏡のサフィーナも同じように剣を振り上げていた。


 そのまま振り落とせば、たがいの頭を兜割かぶとわりにしてしまう――相討ちにしかならない結末が容易に想像できて、サフィーナは固まった。


「や……やりにくい……!!」


 リルルもまた同じようなものだった。同じ構え、同じ速度、同じ攻撃、同じ防御で対応してくる相手は、手応えがあるまぼろしを相手にしているようなものだ。突きくずそうにも、どこにも隙がない。


「――突破できない! 相手を斬ろうとしたらこちらも斬られるし、突こうとしたら突かれる! 銀の腕輪を使ったら互いにくだけ散り合う――どうしたらいいの!」


 苛立いらだちと疲労だけがまっていく。時折ときおりにこちらの甘さにつけ込むように走る刃を弾き、防御するたびに心が切り裂かれて出血をいられる。

 それでいて、一瞬でふところ肉薄にくはくしてくる攻撃を、かんと反射神経だけで防ぐのにはかなりの精神力が要求される――その上、相手は疲労している様子がない!


『まあ、機械だからね、キミたちはどんどん疲れていくが、その相手は疲れないよ。キミたちがバテたら、勝負は終わりだ。それにもう五分が経過している。制限時間が設けられているのを忘れないようにね』

「くっ――!」


 相手の斬撃ざんげきをかいくぐるようにかわし、飛び退すさったリルルとサフィーナが背中をぶつけた。


「――合い言葉!」


 リルルが声を上げる。自分と背中を合わせて苦しそうに肩を上下させている方は本物だとわかってはいたが、確かめざるを得なかった。


「ニコルのことは?」

「愛してる!」

「よし、本物ね――」


 鏡のリルルと鏡のサフィーナが相対する。四人はほぼ一直線上、本物の二人を鏡の二人が挟む形になった。背中を合わせているリルルとサフィーナはもう下がりようがない。じりじりと詰めてくる鏡の自分たちを前に、間合いを詰められるだけだった。


『……もう少し楽しませてくれると思っていたが、もうフィナーレか、つまらないな。でも、これ以上しょっぱいものを見せられても仕方ない。リルル嬢、サフィーナ嬢。降参して全てをあきらめるなら、命だけは助けてあげよう。泣きながらこの島を二人だけで去ることになるけれど、どうだい?』

「――リルル、なんかいってるわよ。こたえてあげて」


 リルルとサフィーナが首を巡らせ、互いの目を一瞬、のぞき込んだ。


「――フェレスさん、といったかしら?」

『いかにも』

「素晴らしい歓待かんたいをしていただいて光栄だわ。私もふつふつと怒りがいてるの。その顔に一発お見舞いしないと収まらないわ――だから、尻尾しっぽを丸めて逃げ出すわけにはいかないのよ! 覚悟してなさい!」



   ◇   ◇   ◇



『ふぅん、まだ気力がえたわけではないか。しかし逆転の手段がなければ結果は同じだ。せっかく命だけは助かる機会があったのに、無碍むげにされてしまったね。ニコルくん、感想はどうだい』

「……感想ですか?」


 鏡の自分たちにはさまれたリルルとサフィーナが、その間合いを詰められていく。それが臨界点りんかいてんを超えれば、鏡の快傑令嬢たちは斬りかかり、二人の令嬢はやぶれる――傍目はためからはそう予想するしかない構図を壁の投影板で見せられながら、ソファーに座るニコルに動揺どうようはなかった。その腰も深く沈んでいた。


「特にありません。リルルとサフィーナ様が勝ちますから」

『ほう、自信があるようだね。根拠はなにかな? できれば聞かせてもらいたいものだが』

「簡単です。――二人の目はまだ、生きている」


 ニコルはいった。震えのない声で。


「僕は二人を長い間見てきて、知ってます。二人は切り札を持っている。今にわかります」

『ふぅむ……面白いね。では、だまって見ているとしようか。もしもキミの予想が外れたら、とてもとてもずかしい格好をしてもらうからね』

「どうぞ」



   ◇   ◇   ◇



「――では、サフィーナ」


 鏡の自分に剣を向けて牽制けんせいしながら、リルルは背中の相棒に語りかけた。


「そろそろ反撃と行きましょう。私たちを追い詰めていると勘違かんちがいしているお馬鹿さんたちに、教えて差し上げなければならない時間だもの」

「そうね。自分たちが追い詰められているのだということも知らないお馬鹿さんたちにね」

『ふぅん?』


 首をかしげたようなフェレスの声が降ってきた。


『追い詰められた、でなくて、追い詰めた、のかい? それは、強がりにしても無理が――』

「私たちはこの構図に追い詰められたのではないわ――自分たちから入ったのよ。

 じゃあ、サフィーナ。――いち、にの」

「さん、と」


 リルルとサフィーナは同時に微笑ほほえみ――合わせた背中をじくにして、一呼吸で百八十度を回転した。


「ッ!」


 鏡の快傑令嬢たちが震えた。一瞬で目の前の対称だった相手が、非対称の少女に変わったからだ。

 リルルは鏡のサフィーナに、サフィーナは鏡のリルルに相対する。鏡の快傑令嬢たちは入れ替われない――入れ替わるには離れすぎている!

 その現実を前にして一歩も動けなくなっている偽者を前にし、リルルとサフィーナが瞳に力を宿した。


「私たちはね、訓練でいつもおたがいを相手にしているから、知っているのよ――」

「――自分の弱点と、相棒の弱点をね!」


 リルルとサフィーナが互いをるようにし、砲弾の勢いで飛び出す――無論、それぞれの前に!


「ッ!!」


 自分とちがう相手を前にして反応できない鏡の快傑令嬢を、銀の腕輪を稼働させた真実の快傑令嬢たちの剣が、袈裟斬けさぎりの一閃いっせんによって叩き斬った。

 音速をはるかに超える速度の斬撃ざんげき、細いレイピアの刃がまるで戦斧せんぶのように、波を蹴立てて大海をも断ち切る一撃となっていつわりの姿を断ち切った。


『うわお!』


 天井からフェレスの感嘆かんたんの声が響き、それを背景にして鏡の快傑令嬢たちが、波がくだけ散るようにして消えて行った。


『お見事だね――! ――なるほど、そうやって対称性をくずしたか! これは盲点もうてんだった!』

「――めてるひまがあったら、次の階に案内しなさい! どうやって上がったらいいの!」

『ああ、すまないすまない、今階段を出すから』


 塔の内壁に沿うようにして、階段状の突起がいくつもり出す。それに続く先では、十三階に続いているとおぼしき扉が開いた。


『さあどうぞ。いやいや、今の機転はなかなか良かったね。おかげでいい記録が取れたよ。しばらくこれで楽しめそうだ。では先はまだまだ長いが、がんばってくれたまえ――』

「余裕をかましていて、ムカつくわね! ――ニコル、聞こえていたら安心して! 私たちは絶対にそこまでたどり着くから!」


 リルルとサフィーナが階段に向かって走る。体力はさらにけずれたが、時間も短縮たんしゅくできた。間に合うかどうか予想もつかない迷宮の先を、二人は希望という心の明かりだけで照らすことで突き進んだ。



   ◇   ◇   ◇



 壁の投影板が表示を消し、なにも映さない真っ黒な板と化した。ほとんど止まっていた息を細く長くき出しながら、ニコルがソファーに深々と身を沈める。


「――よかった、リルル、サフィーナ様……」


 思わず握っていた手を開くと、汗でぐっしょりとれていた。


『ふふ、キミだって結構緊張きんちょうしていたんじゃないか。でもそういう強がりのところも可愛かわいいよ』

「……負けたのに、いやに楽しそうですね」

『面白かったからね』


 強がりでもなんでもない声だとニコルは思った。本人の微笑みさえも頭の中で楽に想像できた。


『さて、緊張のしすぎでのどかわいたんじゃないかな。今、ロシュをそちらにやったよ。お腹も空いたかも知れないね。そろそろなにか食べるかい?』

「食欲なんかきません。結構です」

『まあまあ、機嫌を直してくれないかな。そんなにカリカリしているとお肌にも悪い。じゃ、またなにかあったら呼んでくれたまえ』


 ふつ、と会話が切れた。ニコルはため息をいて頭を抱える。色々と考えるべきことはあったが、状況じょうきょうの異常さにまとまりはしない。ただ座っているだけだというのに、気力も削られていき――。


 ふしゅ、と小さな音がして背後の扉が開いた。ニコルが振り返ると、メイド服姿の少女――ロシュが立っていた。


「――ロシュ! 大丈夫なのかい?」

「はい、ニコル様。あなたのロシュは大丈夫です」


 その頬に熱を帯びさせて少女――ロシュが応え、部屋の中に入ってきた。ここを出ていった時の泥酔でいすいした人間のような千鳥足ちどりあしは見られないが、最初に見せていた、定規じょうぎはかったような、不自然なほどに正確な足取りでもない。

 普通の人間らしい自然な歩み、といえばいいのか――。


「ちょうどよかった、ロシュ。喉が渇いたんだけれど、飲み物がほしいんだ。持ってきてくれたらありがたいんだけれど――ロシュ?」


 ニコルの要望が聞こえているのかいないのか、まっすぐにニコルの側まで歩いてきたロシュはそのまますとん、とニコルの肩に肩が触れ合う近さでソファーにおしりを落とした。そのいささか乱暴な座り方に、ニコルの腰が弾むほどだった。


「ロ……ロシュ?」

「ニコル様」


 ロシュの手がニコルの腕をつかむ。

 ず、と少女の体が前に傾けられ、ニコルはロシュの顔が目の前に迫ってきたのと、そのオレンジ色の瞳が濡れたように熱く揺れている理由がわからず、少年は、かわいた喉に大きなつばを飲み込むことしかできなかった。

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