「ニコルとロシュ」
「ロ……ロシュ、どうしたの? まだ、その、顔が熱っぽいようだけど」
「自律維持プログラムにエラーはありません。冷却系統は正常に稼働中。現在、皮膚の表面温度は人間の平均平熱より三度高い――
「平熱より三度高いって、そんなの
両腕をつかまれたままニコルが少女に体重をかけられ、少年の背中がソファーの背もたれをこすりながら座面に倒れた。つかまれている両腕を動かそうとするがびくともしない。まるで機械に
「ロ、ロ、ロシュ、ちょっと、これは」
ニコルの顔に影が差す。天井の照明を
ニコルが身をよじるが、手首と胴体は完全に押さえられ、
「ロシュ、その、あの、ごめん、ど、
「ニコル様、ロシュはニコル様の情報をもっと
「はい?」
「ニコル様の心理情報は取得、
「どういうこと?」
「ニコル様の服を着ていない形状情報を取得したいです」
「待って!」
ロシュは待ってはくれなかった。
荒く
「うわあああ!」
「――下に肌着を確認。
「待って――本当に待って! お願いだから――ひゃあっ!」
丈夫に
今度こそ、なににも隠されていないニコルの上半身が空気にさらされる。首筋から
「はぁ…………」
その全ての色と
「現在、身体形状の視覚情報を取得中……とても
「ロ、ロシュ、いたずらは、悪ふざけはもう、ここまでで。フィルだって、さすがにここでやめてくれるよ。だからロシュ、僕の体から
「ニコル様、ロシュには『いたずら』や『悪ふざけ』というコマンドは存在しません」
その言葉の三割ほどはニコルにはわからなかったが、いいたいことの
「ニコル様、さらに深い階層に接触をいたします。よろしいですね」
「ダメだってば!」
「ロシュには自分を自律制御できません。いえ、新しく構築されたクラスタがロシュを制御しているようです。なんなのでしょうこのクラスタの稼働は。ニコル様、今からズボンを
「なんでそれとズボンを、脱がすのが関係あるの!?」
「ニコル様の服を着ていない姿を確認したいと申し上げました。それが実行されれば、この新しいクラスタの機能がわかるかも知れません。ニコル様、どうか抵抗をおやめください。行動に
「うあ」
ニコルの首筋にロシュの人差し指が触れた瞬間、そこから短いが弱くない電流の波が送られてニコルの体が一度、大きく
「う……うご、うごけ、動けない……!?」
首から下の感覚がなくなる。まるで、自分が頭だけの生き物になったような――。
「ニコル様の体臭を検知しました。採取中……
がっ、とロシュの手がニコルのズボンにかかった。ベルトを外そうという発想がないのか、そのまま強引にずり降ろそうとし、ベルトが
「や――やめて……ロシュ……」
音色が変わったニコルの声に、ロシュの手が止まった。
視線が上を向いて少年の顔に
「それ以上は、本当にダメだよ。それ以上されたら、僕はロシュを嫌いになるしかなくなる……」
嫌い、という音がロシュの聴覚に刺さった。
それが言葉として人工頭脳に伝達され、少女の形をした機械は顔を
数秒の間を要して出力された結果に、ロシュの目が開いた。頬の赤みが吸い込まれるように消えた。
「ニ――ニコルさまっ!」
バネ仕掛けのようにロシュがニコルから飛び
「ニコル様の、涙を検知しました。表情と声から判断すると、ニコル様に『悲しい』という感情を持たせたと認識します。ニコル様を『悲しく』させた原因は、このロシュです。ニコル様の心を悲しくさせるなど、ロシュはロシュ失格です。ロシュと呼んでもらう価値を認識しません」
ロシュがメイド服のポケットに手を突っ込む。ニコルの頭に嫌な予感――いや、確信に近いものが突き刺さった。
「ニコル様、ロシュは、ニコル様に涙を流させた原因を破壊します」
「待って!」
案の定現れた拳銃――形状からしておそらくは――の銃口が少女の側頭部に当てられたのを、全身の筋肉を振り絞るようにして体を跳ねさせたニコルがもぎ取った。
「あ――あぶ、危ないなぁ……! なんてことをするんだ、ロシュ! 自分で自分を撃とうとするなんて! しかもなんの
まだよくは動かない体、ソファーから少女に飛びかかられたのが奇跡だと思える状態でニコルは拳銃を抱え込んだ。
ロシュはその場で停止している――うつむいているためか、表情のない顔に濃い影が差しているようにニコルには見えた。
「もう、二度とこんなことをしてはいけないよ! お願い――いや、命令だ! ロシュ、僕の命令に
「――――ロシュは、ニコル様の命令に従います。もう、二度とこんなことはしません。わかりました」
「じゃあ、この拳銃を返しても大丈夫かい?」
「大丈夫です、ニコル様。ロシュは命令に
ニコルは
「――ニコル様、ロシュの
「ここから出たいけれど、そうしたら助かるのは僕の命だけだ。フィルやウィルウィナ様たちは、樹から元に戻してもらえないよ」
いてて、とうめきながらニコルはソファーににじり寄って体を乗せた。
「……それに、僕は」
「ニコル様?」
「――僕は、夢の中で別れを
今まで一度も
「僕の勝手な
「……ニコル様」
「君と僕の知っているロシュが……僕が夢で見たロシュがそっくりなんて、ただの
「……ニコル様、ロシュは認識しています。あなたの記憶にあるロシュネールが、あなたの記憶の中で重要なプライオリティに位置していることを。私はあなたにロシュと呼ばれることを希望します。可能ならば、ロシュはロシュネールと同じプライオリティに……」
「……ごめん、プライオリティって、なに?」
「重要度、優先度という意味です。ニコル様、ロシュをロシュネールのように認識してください。ロシュは、ニコル様にそうされると……この新しいクラスタが、とても良好に稼働するだろうと予測します……」
ぺたんと床におしりを落とし、
「……ロ、ロシュはよくわからない言葉をポンポンと出すね。異世界で作られたっていうのは本当なんだ……まあ、それが本当でも
「ニコル様。ロシュはもう、決してニコル様を無理矢理に拘束したりはいたしません。必ずお約束いたします。ですから、どうか、ニコル様の
「僕の膝に?」
「――失礼します」
膝でニコルの側ににじり寄ったロシュが、その頭をニコルの膝の上に乗せた。目を閉じ、少年の膝の形を確かめるようにロシュが顔を押しつける。その横顔の可愛さに、ニコルの心と体が反応した。
「――膝の感触を検知、ニコル様の体温を検出します。ニコル様の体臭も検出……新実装クラスタが活発に稼働します……分析できませんが、ロシュの体温が上がっているという誤情報がたくさん発生しています。センサーには反応していないのに……ニコル様も体温が上がっていますね……」
「う、うん、ちょ、ちょっとね……血流がよくなっているからかな、あははは……」
「ロシュはしばらくニコル様の情報を調査いたします。このままでお待ちください」
「う――うん」
まるでニコルの
愛馬ロシュネールのたてがみを撫でた感触が心によみがえってきた。
それと同時に、効いている空調が肌寒さを感じさせ、ニコルは震えた。そして改めて、自分の姿を確認した。
「……ね、肌着とシャツの替わり、あるかな」
「ご用意いたします。しばらく後に」
「……お願いするよ……」
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