「『森妖精の王女号』の出航」

 桟橋さんばしの一角、係船柱けいせんちゅうロープつながれ固定された一隻いっせきの美しい船の前で、リルルたちは足を止めていた――いや、その美しさの前に止めさせられた、というのが正しかった。

 いそがしく桟橋さんばしけずり回らなければならないはずの水夫たちの足さえ、釘付くぎづけにしてしまう威風いふうを、銀色に輝くその船はまとっていた。


「うわあ…………」


 全長約三十五メルト、船幅せんぷく六メルト、排水量六十トル。二本のマストは前部に三角形の縦帆じゅうはん、後部に四角形の横帆おうはんを張る、いわゆるキャラベルと呼ばれるタイプに分類される船舶せんぱくだ。


 今は全てのたたまれているが、一切の凹凸おうとつがないきめ細やかな質感の船体、やりごとく突き出された鋭い舳先へさき、それを背にうようにしてえられた美しい船首像せんしゅぞう――それらが一体となった芸術品のような船に、男たちの目が吸い込まれて放されなかった。


「この船、私、本で見たことがある……!!」


 初めて見るはずのその船の姿に、リルルは悲鳴にも似た声を上げていた。続いて、興奮したサフィーナの声がつらなった。


「これは、伝説の『森妖精エルフの王女号』ですわ!」

「はい!?」


 それを聞いたフィルフィナの顔が左右非対称になった。自分がまさに今、エルフの王女の立場にあるというのも手伝っていたが、もっと根本的な問題があった。


「なんでそんなずかしい名前がついているんですか!? そもそも、こんな船を持っていたなんて知りません!」

「恥ずかしい名前とはなによ。私がお金を出して、私が設計させて私がつくらせたのよ。私がどう名付けようが勝手じゃない」


 いつもは余裕顔しか見せないウィルウィナが、めずらしく口をとがらせていた。


「それになんですか、この、この、破廉恥ハレンチな船首像は!」


 怒りさえその声に込めたフィルフィナがえた。舳先を背負い、上半身を船首からまっすぐにばし、長い髪をたなびかせ胸で腕を交差させている耳長の美女にその指が向けられた。


「明らかにお母様の像ではありませんか! しかも服も着ていない! ただでさえ大きい本人よりもさらに胸が盛られている! よくこんな小っ恥ずかしい船を造る気になりましたね!?」

「私の体を題材モチーフにしたいと職人ががんばったのよ! 芸術そのものでしょう!」

「……この船は、五百年前に世界を救済きゅうさいした五人の英雄たちが使っていた船ですよね。私、絵本で何度も読みました。これは……特徴とくちょうが本当にそっくりです。よくこんなった複製品レプリカを……」

本物・・よ」


 答えられたサフィーナも、それを聞いたリルルたちもみな一様に息を飲んだ。


「あなたがいうように私たちは五百年前、これに乗って世界を駆け巡ったわ。引っ張り出したのは、本当に五百年ぶりなのよ。当時で考えつけるだけの最高の技術を注ぎ込んで建造したわ……。里の予算を半分持ち出して、母に殺されそうになったりしてね。ほら、触ってみなさい」


 壁のように迫る船体にウィルウィナが触れたのにならい、リルルたちも恐る恐る手の平を当てた。木材でも金属ともちがう感触がする――えていえば、昆虫こんちゅう甲殻類こうかくるいからに近い質感だ。

 金属製のマストと舳先、船底に横たえられているであろう竜骨キール以外、船体はそんな未知の材質で構成されていた。


「ある国の港街の倉庫で、ずっと預かってもらったまま眠らせていたけれど、どこも古びてなかったわ。この船だけが本当に時を超えたようね……さあ、荷物を運び込みましょう」


 ウィルウィナが微笑ほほえみ、桟橋をくす男たちを会釈えしゃく退かせ、タラップまで足を進める。


あねさん、これって『森妖精の王女号』そっくりに造らせたのかい?」

「そうよ。素敵でしょう」

「いいねぇ、こんな船で働きたいもんだ。水夫に欠員が出たらさそってくんな。飛びつくからよ」

「ええ、覚えておくわ」


 そんなやり取りを数回繰り返し、ウィルウィナを先頭にリルル、サフィーナ、行李スーツケースをかついだフィルフィナ三姉妹が続き、その殿しんがりをニコルが勤めてタラップの階段を上がった。


「あれ……この船を動かす水夫さんは、どこにいるんです? 中ですか?」

「この船に水夫はいないわ」

「え?」


 目を丸くしたリルルに、お気に入りのオモチャの説明をする子供のような表情を森の女王は見せた。


「も……もしかして、私たちが水夫さん代わりとか?」

「うふふ。違う違う。この船にね、水夫は要らないの・・・・・・・・

「わっ」


 ニコルがタラップを登り切った途端、それはひとりでに動いて桟橋から先端が浮き上がり、船体に張り付くような横倒しの形で格納された。


「ウィルウィナ様、今、タラップが勝手に!」

も勝手に開くわよ」


 ウィルウィナの白く長い指が乾いた音を響かせると、それに呼応して係船柱から外されたつなが巻き上げによって回収され、二本のマストが一瞬にして白い帆を広げた。その魔法のような――魔法そのものの技に、この船の出航を見届けようとしていた水夫たちが一斉に声を上げる。


 まるでこの船そのものが、ひとつの生物のようだった。


「出航用意。微速びそく後進――出港」


 いっぱいに張られた白い帆の表面が一瞬、自ら光を発して輝いた。

 がくん、と初動の小さくはないれが全員のひざを揺らし、その勢いを殺さずに船は後退を始めて、海面をするりとすべるようにゆっくりと桟橋から離れていく。


 風をつかんだわけでも、波にとらえられたわけでもない動きだった。


 持ち主以外、この船の性能をまるで把握はあくしていない六人は、長細い船が微かな航跡こうせききざみ、自動的に航行を始めたことにおどろきを隠せなかった。


「メージェ島まではおおよそ二十四時間よ。この船はあまり揺れないから、船酔ふなよいは大丈夫だと思うわ」


 船尾せんびにて一段高く上げられた甲板デッキ、その下部の船室となっている構造物の扉を開けてウィルウィナが荷物の仕舞しまい場所を示す。そうしているうちにも、桟橋群の真ん中に到達してゆるやかに停止した『森妖精の王女号』は、曳船タグボートの力を借りずに九十度回頭し、舳先へさき外海そとうみに向けた。


「わぁ…………!」


 正面の視界が開ける。行き来する船をのぞけば、その先は海しか見えなくなる――リルルたちは満面の笑みをこぼして快哉かいさいを上げ、ようやくその大きな帽子ぼうしいだウィルウィナが、きらめくような声を発した。


「前進、第二船速! 航路入力、目標地点メージェ島! さあ――船旅、楽しみましょう!」


 女王の風格を見せるその宣言にこたえ、魔法の船は波を蹴立けたて、真っ青な海に真っ白な航跡を描きながら、自ら風を起こすように走りに走る。その速度が生み出す気流の中に身をさらした少年と少女たちが、声にならない歓声かんせいを上げ、その顔を輝かせた。



   ◇   ◇   ◇



 数時間後。まぶしい光と暖かな熱を降り注がせる太陽が、天の真上に据えられた頃。

 南の針路を取って外海に出た『森妖精の王女号』は、周囲三百六十度に船も陸の影も見えない、完全な大海原を快調に航行していた。


 メインマストの根元、中央甲板の真ん中に折りたたみの木製簡易ベッドを広げ、黒眼鏡サングラスをかけたウィルウィナがそこに仰向けになり、風の匂いと音色の中でワインのグラスを片手にしてその色と酸味をでていた。


 舳先には二人で並んだクィルクィナとスィルスィナがその髪をいっぱいになびかせて船の速度感を味わい、高さ二十メルトほどのメインマスト上方にある見張り台には、大胆にもサフィーナが一人陣取じんどって水平線の丸みに目を細めていた。


 昨夜からの頭痛に悩むフィルフィナは後部甲板下の船室に引っ込んだきり、姿を見せていない。

 そしてリルルとニコルは二人、後部甲板の上で無限にかれていく白い航跡に目を向けていた。


「ニコル……」


 二人でこうして肩を並べるようにして座るのは、いつぶりだろう、とリルルは口の中でつぶやく。なんだかんだで忙しいおたがいなのだから。

 好きな男の子と二人で話ができる、というときめきはこの瞬間、何故かそれほど胸にはいてこなかった。まるで、別れ話が今にも切り出されるのではないかという緊張感きんちょうかんがあった。


「――昨日の、夜……」


 どこか息苦しい沈黙ちんもくが続く中、ようやく話を切り出す糸口いとぐち見出みいだし、ニコルが口を開いた。


「出動した現場で、またリロットと会ったんだ」

「……うん」


 いわれなくても、それはわかっている。

 リロットはリルル、リルルはリロット。

 ニコルが気まずそうにそう話し出すということは、続く話題も容易よういに読めた。


「本当に好機チャンスだった……僕は、リロットの手首に手錠までかけられたんだ。そこまでできたのは、リロットと最初に出会った時以来だ。あの時は、僕は自分から彼女を見逃みのがしたけれど、今回は本気でつかまえるつもりだった。捕まえることができるはずだったんだ。それが――」

「失敗してしまった……のね」


 昨夜に、王都で立て続けに起こった快傑令嬢の活躍。ニコルが語るのは、その最初の事件だった。


「僕はなんて間抜まぬけなんだ……。リロットをなんとか拘束こうそくしようとしたところを僕は、サフィネルに右手をあやつられて、その手で、僕は、彼女の……」

「ニコル、いいの、そこからはいいの。知っているから・・・・・・・

「……リロットが君に話したのかい?」

夜更よふけに、彼女が来たから」


 リルルとリロットは、親友。二人の間で隠し事はない――。

 ニコルをあざむくために考え出した苦しい言い訳だ。そして、少しでもニコルの心に罪悪感を残さないための。


 伯爵令嬢リルルとしてニコルに触れることも表でははばかられる少女も、快傑令嬢リロットであるなら、彼と堂々とキスをすることだってできるのだ。


「リロットは謝っていたわ。卑怯ひきょうな手段であなたを振りほどいてしまって、ごめんなさいって。心にもない言葉であなたをののしってしまったことも。ニコル、あなたはなにも悪くないの。気にしないで」

「でも、僕は君に不義理ばかり働いている。もう時間がないかも知れないのに、僕は好機をひとつもものにできない……。リロットを捕まえて上級騎士、男爵相当の貴族に叙任じょにんしてもらい、君との結婚を旦那様だんなさま了承りょうしょうしていただく。……男爵相当でも弱いのはわかっている。でもそれが僕の限界なんだ」

「ニコル……」


 気にしないで、とはいえなかった。わずかな望みに全霊ぜんれいかたむける彼に、その望みを捨てろとはいえない。リロットを逮捕するということはリルルを逮捕するということなのに。

 最初から成立するはずがないこの試合ゲームに、おのれの全てをけるこの少年にどう声をかけるべきか。


 リルルにとってはそれは、生きるべきか死ぬべきかを選択するよりも、難しいことであるかも知れなかった。


 いつかは決着を着けなければならない。しかしその決意ができない。今、リロットとしてニコルに触れることができるリルルは、それだけでそこそこは幸せなのだ。

 だから、毎週のようにニコルを夜の空に連れ去ってしまう。なやみの一切をその刹那せつなだけ忘れる、まばたきのような快楽。


 欺瞞ぎまんがもたらす、ぬるま湯の幸福の中――自分たちは、いや、自分はどうするべきか、その決定をする限界リミットは確実に近づいている。


「ごめんね、リルル。せっかくの旅行なのに、暗い話題を振ってしまったね」

「……いいのよ、ニコル。あなたは私に対していつも、本当に誠実であろうとしてくれているわ。嬉しい。私はあなたの気持ちが本当に嬉しいの」


 ――だけど。

 リルルは苦しくなる。ニコルが誠実だから。自分はニコルに対して誠実ではいられないから。

 伯爵令嬢リルルが快傑令嬢リロットであるという、最大のうそを打ち明けられないでいる――。

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