「港での待ち合わせ」

 真っ青に晴れた空、東の方角から差してくる太陽の光に、くしの歯のように連なる桟橋さんばしにしがみつくようにして停泊している無数の小型船が、各々の輪郭フォルムを輝かせていた。

 しおにおいをその身にみこませた男たちが、まだ陽ものぼりきらぬ時間から港をその足でかき回す。


 王都エルカリナの南西部は城壁がない、海に直接面した港湾こうわん区域だ。世界最大の都市と接続しようとする外国から、膨大ぼうだいな数の船舶せんぱくが押し寄せてははなれ、数え切れないほどの数の人と物が出入りする。

 いそがしい人間たちの気持ちを少しも気遣きづかわず、悠々ゆうゆうと空を舞うカモメたちの高い鳴き声が人々の耳に響いていた。


 そんな港の一角、エルカリナ港の象徴しょうちょうでもある、高さ百三十五メルトをほこる大灯台の足元にえられた長椅子ベンチを、一人のやや長身の婦人が新聞を広げて占拠せんきょしていた。


 ほとんどかぶのように見えるほどにつばの広い真っ白な帽子ぼうし目深まぶかかぶり、薄い新聞を真正面で広げているため、その顔はまるで見えない。森の妖精が着るそれを思わせる簡素かんそ意匠いしょうではあるが、質のいいきぬしつらえられた、薄いグリーンのロングスカートワンピース。


 大胆だいたんに切れ目が入った背中を、代わりに隠すように長く伸びた緑の髪をらすその姿は、まさしく森妖精エルフのようであり――そして実際、彼女はエルフだった。


「快傑令嬢リロットとサフィネル、一晩で三件の事件を解決。一日の件数では新記録、ね……」


 ぱしゃり、と音を立てて新聞がたたまれる。強盗団、インチキ健康食品製造組織、小規模宗教団体に偽装ぎそうした人身売買組織をたたつぶした顛末てんまつが、いつもの三倍の厚みになった号外には記されていた。


「当新聞社記者に快傑令嬢サフィネルは語る、今週は重点活動週間につき、悪事を働こうとする方はどうかご注意を――なるほど、なるほど」


 王都を一週間、二人の快傑令嬢がどちらも留守にする、その空白期間に対する対策がこれだった。一晩に三つ、力任せに大きな犯罪組織が叩き潰されれば、悪者たちはしばらく震え上がって動けないだろう。


「それにしても、なかなかがんばったわね。かなりの深夜までかかったでしょう。待ち合わせの時間はもうすぐだけれど、起きて来られるのかしら――と」


 コンクリートで固められた道路を、ひづめが叩く音が迫ってくる。婦人――エルフの女王であるウィルウィナは重さで垂れ下がる帽子の鍔を上げ、そちらの方向に視線を向けた。

 待ち合わせ場所の大灯台の下で一台の中型馬車が停車し、扉から小柄なメイド服の少女が降りる。


 ちら、とその少女は、ウィルウィナと目が合ったが小さく会釈えしゃくしただけで馬車の後部の扉を開け、腰くらいの高さがある車輪付きの行李スーツケースをふたつ降ろした。

 馬車がゆっくりと動き出し、その陰にいた青い普段着のドレスを着た少女が深々と頭を下げる。


「おはようございます、ウィルウィナさ……ふぁぁぁ……」

「おはよう、リルルちゃん。眠そうね」


 かろうじてその口を手で押さえて最後のたしなみを見せたリルルにウィルウィナが微笑ほほえんだ。

 そのリルルにしたがうように、半開きから目が開かないフィルフィナが二つの行李こうりを押す。


「……おはようございます、お母様」

「フィルちゃんどうしたの? 難しそうな顔をしているけれど」

「いえ……昨日、ちょっとした事故がありまして……。大したことはないんですが、頭痛が……耳鳴りがすごくて、耳の中に鈴虫すずむしが十匹は入り込んだみたいにうるさくて……」

「それは大変ね。い止め代わりの頭痛薬があるから、お飲みなさい」

「ありがとうございます……」


 行李に支えられるようにしてよろよろとたどりついたフィルフィナが、その場にへたり込んだ。


「リルルちゃん、昨夜はがんばったみたいね?」

「はい……ふぁぁ……旅行中に何かあったら大変ですから……むにゅ……」

「なにもあなたが全部の責任を背負しょい込むことはないのよ。この街には警察が立派に存在するわ。あなたたちの後手後手ごてごてに回ってるのはどうかとは思うけれど」

「ですけれど、あとで嫌な気持ちになるのも嫌ですし」

「いい子ね、あなたは」


 ウィルウィナの微笑みがまたひとつ、あたたかくなった。


「――そのいい子の、もう一人も着いたようだわ」

「おはようございます」


 深いマルーン色のツーピースドレスをまとった亜麻色あまいろの髪の少女が、いつの間にかそこにいた。わきを固めるおともとして、フィルフィナより少しちびっこい二人のメイド服姿の少女が、これも車輪付きの行李を押している。


「ウィルウィナ様、直接お目にかかるのはこれが初めてですね。わたくし、サフィーナ・ヴィン・ゴーダム、ゴーダム公爵の一人娘でございます。本日、こうして拝顔はいがんえいよくすることを――」

「おはよう、サフィーナちゃん。いいのよ、そんなかしこまった挨拶あいさつをしてもらわなくても。私は気のいいエルフのお姉さんくらいに見てもらってくれればいいわ」

「……なにがお姉さんですか、このオバンが」

「フィルちゃん、なにかいった?」

「いいえなにも」

「ママ、おはよー。ホントに旅行するんだ。冗談じょうだんかと思ってた」

「……お母様、おはよう」


 フィルフィナの妹の双子、クィルクィナとスィルスィナが、それぞれにそれぞれらしいおはようをした。


「はー」


 エルフの一家四人、というよりは、森の里の女王と三人の王女全てがそろみをするという光景にリルルは、乾いた息しか出なかった。それぞれとは面識があったが、こうして一堂に会するというのは初めてだ。


 似通にかよった風貌ふうぼうのメイド服姿の少女が三人も並んでいるという光景に、道行く人々がちらちらと目を向けて通り過ぎるが、この様子が示す本当の意味を知ればさらにおどろくにちがいなかった。


「これで、旅行に行く全員が揃ったんですよね?」

「まだよ」

「えっ?」


 認識をあっさりと裏切られたリルルが声を上げた。


「もうひとり、大事な参加者がいるじゃない。忘れちゃった?」

「でも、話に上がっていたのはこれで全員――」

「遅くなりました!」


 背後から響いた少年・・の声に、リルルの心臓が上下におどった。考えるよりも先に足が動いて、体がひるがった。


「みなさん、お待たせしてしまったようで――おはようございます」

「――ニコル!?」


 来るはずがないと信じていた少年が今、実際に目の前にいることにリルルは驚きをしずめられなかった。

 軽装備ではあるが白い胸甲きょうこうを着け、腰にはレイピアも下げている。行李ではなく背嚢リュックサックを背負った警備騎士としての正式装備で、その姿は旅行というよりも行軍を思わせた。


「え、でも、勤務があるから休みが取れないって、確かそういっていたはず――」

「いや、これが勤務だから・・・・・

「ほへー!?」

「おはよう、ニコル。あなたが来てくれてとても心強いですわ」


 全てのカラクリを知っている、いや、カラクリを仕掛けた本人であるサフィーナが小首をかしげて微笑んだ。ニコニコと笑うだけのウィルウィナ、特に驚きもしていないフィルフィナたち姉妹を前にリルルはもうわけがわからなくなった。


「――申告しんこくします!」


 軍靴ぐんかがひとつ、コンクリートをたたいて鳴らす。小気味よい音に鮮やかな敬礼けいれいが続き、生真面目な表情の少年がまゆにかぶる金色の前髪を風にらせていた。


「ニコル・アーダディス、ゴーダム公爵令嬢の領内視察活動の護衛ごえい任務に着くため、警備騎士団より出向してきました! よろしくお願いいたします!」

「出向? どうして警備騎士団から? サフィーナ……様の騎士団から護衛をつければいいんじゃ?」

相互人材交流そうごじんざいこうりゅうの名目で、うちの騎士団の騎士とニコルを交換させていただきましたの。幸い、騎士団から警備騎士に一週間出向したいという人間がひとり、すぐに見つかりまして」



   ◇   ◇   ◇



「申告します!」


 軍靴が床張りの板を叩き、気持ちのいい音を立てる。鋭く上がった右手が手刀しゅとうを作り、彼女・・のこめかみにその先端が当てられた。


「相互人材交流の一環として、ゴーダム公爵騎士団から出向して参りました、アリーシャ・ヴィン・ウィレームと申します! 一週間、こちらの王都警備騎士団でお世話になりますが、皆様よろしくお願いいたします!」


 しなやかな体を警備騎士団の胸甲に包んだ女騎士・アリーシャの着任の挨拶あいさつに、中隊長の執務室に居合わせた数人の警備騎士たちが盛大な拍手を送った。実際、女性の騎士は稀少きしょうめずらしかった。


「君の着任を歓迎する、ウィレーム嬢。女性の騎士は警備騎士団では在籍ざいせきした例がないが、これから女性が活躍かつやくする場も広がり、警備騎士団に入団する例も増えるだろう。この事例をたがいにいい経験としたい」

「ありがとうございます!」


 中隊長のアイガスとアリーシャは固く握手をした。


「ところでアイガス中隊長、早速お聞きしたいことがあるのですが!」

「なんなりと」

「こちらの警備騎士団に、ニコル・アーダディスという警備騎士が在籍しているはずです。彼は本日出勤でしょうか?」

「――ウィレーム嬢、ゴーダム騎士団在籍である貴女あなたは、その、ひょっとして」

「はい! 准騎士ニコルとは訓練も任務も同じくした者です! 彼とはとても親しくまじわらせていただきました! 是非とも彼に挨拶あいさつをしたいと思い、こうして!」


 その溌剌はつらつとした――溌剌とし過ぎたアリーシャの表情に、アイガスとその副官は顔を何度も見合わせ合った。このアリーシャという女騎士がニコルに対してどのような気持ちを抱いているのかは、説明されなくともよくわかった。


 だから、次に言葉をつなぐのが、非常に気の毒になった。


「……貴公は、知らされていないのか?」

「はっ?」

「貴公は我が警備騎士団と相互人材交流、つまり人材の交換のために派遣し合った身柄みがら。つまり、貴公の代わりに、ゴーダム騎士団に派遣はけんされたのが――」



   ◇   ◇   ◇



 十五秒後、王都警備騎士団遊撃隊駐屯地ちゅうとんち全域ぜんいきが、すさまじい金切り声の悲鳴に震えてきしんだ。



   ◇   ◇   ◇



「……今、なにか遠くから、女のすごい悲鳴が聞こえたような気がしたけれど……?」

「気のせいでしょう」


 首を傾げたウィルウィナの疑問を、フィルフィナは綺麗きれいに流した。


「あの……ウィルウィナ様」


 ず怖ずとたずねるリルルに、ウィルウィナは輝くような笑顔を見せた。


「お母様でいいのよ。いいにくかったらウィルお姉さんでいいわ」

「…………お母様。温泉旅行に行くとは聞いていたのですが、肝心なことをうかがっていませんでした。……どこの温泉地にこれから向かうのですか?」


 港を待ち合わせの場所と定めたということは、そこには船で行くのだろう。候補こうほさえ頭に浮かばない。

 ウィルウィナはよくぞ聞いてくれましたと微笑ほほえんで、とんでもない場所を口にした。


「メージェ島よ」

「メ、メージェ島っていったら、例の『銃の山』がある?」


 候補地にもあがるはずのない地名にリルルはあきれた。確かに火山があるということは温泉もあるかも知れないが、それを温泉地というのはかなりの抵抗があった。


「火山活動は収まってるわ」

「でもあんなところになにがあるんです? そもそも無人島で保養施設なんか」

「作ったわよ、保養施設。私はエルフの女王様よ、えらいのよ」

「は、はあ……。それに、そもそもあんな島にどうやって行くんです? 繋がってる航路はなかったはずです。乗る船なんか――」

「船もあるわ、私の船。――見たら笑うわよ、保証する」


 来なさい、といってウィルウィナは桟橋の方に歩き出した。リルルやニコル、サフィーナも一度だけ無言で顔を合わせ、フィルフィナたちを伴ってそれに続いた。

 ――実際、とんでもない船が待っていた。

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